第32話:プロテアの過去《下》――加虐者。そして――
◇32◆
さらに翌日。
昨日からの雨は止むことはなく、稲光に雷が鳴っている。薄暗さを紛らわせるために校内では白熱灯をつけていた。
午前九時。
親に見つからぬよう――阻止されぬよう――荒城は公園で一夜を過ごした。それから濡れたままの服装で、学校に着くと、教室の引き戸を開けた。
教師を含め、全員の視線がこちらへと向く。
「おいッ! 遅刻だぞ! なにしてたん――」
真っ正面に立っていた教師に向かって駆け出し、その首を刎ねた。一瞬の静寂のあと、爆発したように悲鳴が上がり、全員が出入り口に殺到した。
だが後ろのドアは鍵が閉められ、団子状態になっている。
荒城は、教師の身体を踏みつけて高く跳躍する。
――見て見ぬふりをしたこいつらも同罪だ。
「ひっ」
小さな悲鳴を上げたクラスメイトの腹を突き刺し、こめかみを蹴り上げた。
近くにいた生徒たちを斬り伏せていると、騒ぎを聞きつけてきた教師や生徒指導部の腹を貫いた。
男子生徒の背中を斬り伏せ、女子の髪を引っ張り、頸動脈に刃を当て、力のままに引く。鮮血が舞い、床に倒れるのを踏んで、机へと跳ぶと三人の首を一気に落した。
辰木たちはロッカーの前で腰を抜かしていて、荒城は暴れる生徒を次々と殺しながら、ゆっくりと近づいていく。
「な、なんで」
「それはこっちのセリフだ。なぜ柚牧を巻き込んだ?」
後ろから教師が入ってくる気配を感じ、遠くからサイレンの音も聞こえてきた。
「そろそろ、詰めだな」
羽交い締めにしようとした教師の腹に柄頭を押し込み、一歩前に出る。
荒城の目の中に感情と呼べるものが見えなかった。だからこそ――辰木は畏れた。彼は気付かなかった。最期まで気付かなかったのだ。
誰を相手にしているのか、ということを。
今まで理性で抑えていたが、その理性が吹っ切れたとき、荒城を止められるものはいない。
なぜなら――幼いころからずっと、師範の元で剣技を習ってきたのだから。
その刀の速さと重さを、素人が見極められるわけがないのだ。
取り巻きの三人のうちひとりの腕を切り落とし、心臓めがけて突きを繰り出す。
「がぁッ!?」
もうひとりは脳天に振り下ろし、喉笛を突き刺す。
周囲を見渡すと、教室中が真っ赤に染め上げられていて、教師たちも今までに経験したことのない惨状に戦慄し、動けずにいるようだった。
「辰木。お前は楽に殺さない」
言って、太ももに突き刺す。声にならない叫び声が響き、あごにひざを入れ、噛み切られた舌が宙を舞った。
もう一本の足を突き刺してから、刀を振って油と血を振るう。
「ご、ごめっ、ごめん、なさい、だから……だから頼むよ、頼むからさ、助けてくれよ」
辰木は土下座をして、泣きじゃくっていた。荒城は視線を合わせるようにしゃがみ込み――その床に着いた手――爪に切っ先を押し付けた。親指ごと落ちて、辰木は白目を剥いて叫ぶ。
「柚牧の爪、綺麗だったよな」
言いながら人差し指、中指、薬指と斬り、「右手はあと一本しか残ってないな」と睨み付ける。
「た、助け、助けてくれ……お、おい、先生、なにぼーっと見てんだよ! 助けてくれよ!」
かすれた声で叫んだ。瞬間、小指を落とす。「ぐあぁッ!?」と辰木は肩で息をしながら、涙と鼻水を流し、脂汗が額に滲んでいた。嗚咽を漏らしながら、何度も命乞いをしてくる。
「……聞こえないな。さあ、さよならだ。クソ野郎」
すっくと立ちあがり、震えて恐怖で染まった瞳で見上げてくる少年の首を斜め一閃に切り裂いた、
そして――二年間に及ぶ裁判の末、極刑を言い渡され、歪曲島へとやってきたのだ。
◇◆
「……なるほどね。なかなかにつらい過去だ。それに――この国にもう少年法はない。あれは遥か過去の法律だ。それで行きついたのがここってわけか」
リンダはそう言うと、短く息をついた。ラットやマユだけでなく、ダチュラやフェンネルも黙ったまま、目を伏せている。
オールド・ジャパン時代は少年法と呼ばれるものがあった。けれど、それももう九〇〇年も前のカビの生えた法律である。
絶対安心、安全国家の名のもとに、更生処置というものを廃止した。罪に応じて地方監獄での懲役刑か、極刑でここに来ることもある。
懲役が明けて地方監獄を出所したところで、GPSを脳内に埋め込まれ、一生監視されることになる。
それは刑事だったラットが一番分かっている。罪人に自由な未来はないのだと。
だがそれ以上に、思うとことがあった。
――ダグラスも、似たような過去を持っていた。
ジャジャ・ショットの店主もまた、娘が暴行されて五人を殺した。そこにあるのは明確な復讐だった。
似ている。だが――どこか違う。そうとも感じる。
「君のそれは普通の復讐じゃない。だから、ねじれて、歪んでしまったんだろうね」
「……あ?」
「最初はたしかに復讐だったんだろう。けれど人を斬り、君は無意識に憑りつかれたんだ。人を殺すという快感に。だから、矛盾が生じたんだ」
「そんなわけ――」
「君は師範から教わっている中で、自分でも気づかないうちに人を斬りたいという欲望が芽生えてしまった。守りたいという気持ちもウソじゃない。でも――」
――本気の殺し合いをしたいという気持ちも、ウソじゃないんだよ。
「でも、それを認めたら単なる殺人鬼になる。だから、自分でもどうすればよいか分からなかった。君はね、とっくに壊れてしまってるんだよ。五年前に人を斬ってからね」
「うるせえッ!! お前になにが分かるんだよ! 俺は、俺は――あいつのために、あいつの無念を晴らすために! チームを、守るためにッ!」
「ならどうして、俺に斬りかかってきたとき、君は笑っていたんだ?」
「――は?」
リンダはため息をつくと、半身を下げて柄に手をやった。
「約束だ。全力で行こう。君の望む、殺し合いだ」
「舐めやがって――ッ!!」
――速度が上がった!
ラットは目を瞠った。リンダと同様、プロテアもまた相手の剣技を見極めるためにスピードを抑えていたのだと。
その切っ先が頬を裂き、半回転してからの袈裟切り、そして――脇腹への突き。
リンダはそれらを食らい、後ろへと跳ぶが、血がボタボタと地面を濡らしている。
「プロテアは強い。生半可な奴じゃ、敵わねえよ」
フェンネルはそう言って、こちらを向く。
「それはどうだろうな」
ラットは笑って、あごで二人を差した。
「肩と――左足か。上手く躱すね」
「……案外、小賢しい真似をするんだな」
プロテアは肩を押さえていた。血こそ出ていないが、あの攻防でリンダも反撃を繰り出していたのだ。
「本気の殺し合いを望んだのは君だ。悪く思うなよ」
「御託は良いからかかってこいッ!!」
瞬間、リンダの速度がさらに上がり、まばたきの合間に間合いを詰めた。
「――!?」
「不退転流、修羅裂き。落雷」
上段に構え、そこから雷の軌道を描くようにプロテアの身体を打った。その重さにひざをつき、ひたいから血が流れ、床へと落ちていく。
「てめえ……」
「さすがに効いたかな。君は本当に頑強だよ」
「ふ、ざけんじゃねえ!」
ガバッと起き上がると、鮮血が舞った。そしてその表情には――笑みが浮かべられている。
――やっぱり、壊れちまってんだな。
さすがのリンダも予想外だったのか、表情が曇った。
「もう立つな。勝負はあっただろう」
「まだ負けてねえ……俺は死ぬまで! 負けねえ!」
「頑強な上に頑固だね。それじゃあ、生きにくいだろうに」
そう言ってリンダは刀を構える。プロテアも肩で息をしながら構え、睨み合う。
「次こそ殺すッ!」
「今度こそ倒すよ」
駆け出したのは同時だった。だが――。
――そこに銃声が鳴った。
弾丸はプロテアの肩を貫き、リンダの脇腹へと刺さる。
「ぐあッ!?」
「……ッ!」
突然の急襲にリンダも対応が遅れ、ひざをついた。
「楽しそうじゃねえか、なあッ!?」
「誰だ……?」
ラットがフェンネルを見ると、彼は小さくかぶりを振った。「俺らのチームじゃない」
相手は四人。それぞれが灰色の作業着を着て、同色のキャップを被っている。
そして、ラットは気付いてしまった。
――手の甲に青い鴉のタトゥー!?
「その手……」
リンダも気付いたのか、ゆらゆらと立ち上がり、プロテアの前へと出る。
「はっはー! そうだよ、リンダ。俺たちは八咫烏、監獄部隊! クリーナーだッ!」
「八咫烏……?」
ラットは聴き馴染みのない言葉に眉をひそめる。
「ああ、探していたんだ。ちょうど良かった」
リンダは目を細めて、刀を鞘に仕舞う。だが、決して笑ってはいない。それどころか――殺気を身にまとうようにして、ビリビリと空気が張り詰めている。
「俺たちの組織を知ったものは殺す。それが鉄則! お前は特に――なッ!」
男は駆け出し、跳躍すると、拳を振り上げる。
――スチームグローブ!?
男の手にはめ込まれた蒸気の力で加速するスチーム機器に驚いていると、その鼻っ柱にリンダの一閃が入った。鼻が折れ、血が噴き出す。
「はっは! 良いねえ! その目、殺すことに躊躇いがねえやつは嫌いじゃねえ!」
「……悪いけど、俺は君のような人間は好きじゃないよ。それに、むやみやたらな殺生も趣味じゃない」
そこでラットはビースト・ラボからずっと気になっていた違和感の正体に気付いた。
――リンダが抑えつけている殺意。それが抑えきれずに目に浮かんでいたのか。
「さて――ひとりずつ相手するのも面倒だね。四人全員でかかってきなよ」
「良い度胸じゃねえかッ! 死ぬ準備は万端らしいなッ!」
鼻が折れた男は腕にスチームグローブを付けると、スイッチを押して蒸気が噴き出し、そのままリンダへと襲い掛かる。
瞬間――。
ラットの拳が、スチームグローブを掴み、睨み付ける。
「てめえはどこの誰だ」
「言っただろうが。クリーナーだ」
「名前を訊いてんだよ」
「あ? 死ぬやつに名乗るバカがいるのか?」
「名前も知らねえやつを倒すのは俺の信条に反するんだよ」
「はッ! おもしれえ、俺はエフロ。後悔しながら死ね」
手が離れ、腹に重い一発――蒸気で加速された力で足が浮く。
「ぐッ!?」
「弱いと思ったか? ありゃあ手の内を探るためだバカが。正面の戦闘じゃ俺には勝てねえよ」
「ラット、そいつは俺の敵だよ」
後ろからリンダの声が聞こえ、肩越しにそちらを見る。
「うるせえよ。たった二日じゃ、仲間として見れねえってか?」
リンダは呆気にとられたような表情をしたあとで、困ったように笑う。
「……分かった。任せるよ」
「フェンネル、お前はプロテアを守れ! てめえらの大将だろうが!」
「分かっている。そう怒鳴るなよ」
――マユは、どうする。こいつらはたしかに強い。今のあいつには――
逡巡する間に、発砲音がした。マユは銃を構え、眼鏡をかけて銃を握っていた男へ向けて撃ったのだ。
「マユ、お前は」
「わ、私、だって……仲間、です!」
「まったくさあ、女の子を相手にするのは心苦しいんだけどね」
眼鏡の男は微笑み、一歩、眉へと踏み出す。
「た、倒します……!」
「僕はホッパー。よろしくね」
言うや否や、銃を向けて躊躇うことなくトリガーを引いた。
その刹那、マユの前に飛び出してきたダチュラが刀でそれを打ち落とす。
「へえ……太刀筋が速いんだね」
「え、あの……」
「うちのボスもやられてんすよ。ここは一旦、手を組みましょう」
「……はい」
「仕方ない。リンダの相手は俺だ」
「あ? そりゃねえよ、ワックス。じゃあ俺は誰を相手すりゃ良いんだよ」
「活きの良いやつが来てるだろ。相手してやれ、バフ」
オールバックの男――ワックスがバフに向けて笑ってみせた。
その二人の間に影が落ちてきて、柄の長いハンマーで床を砕いた。
「状況は飲みこめませんが――僕のボスにケンカを売るなら、買いますよ」
そこにはゆらりと立ち上がり、バフへ向かって睨み付けている、書生姿の青年がいた。




