第31話:プロテアの過去《中》――覚醒者。
◇31◆
高校の三階部分にある中屋上――そこにはカギがかかっていて、曇りガラスで外の様子が見えない。
辰木たちはどこからかカギを手にしていて、荒城の胸ぐらを掴むと、外へ蹴りだした。
「――ッ!」
受け身が取れず、さらにはコンクリートであるからあごをこすり血が滲んだ。
「おい、辰木。どうやってカギとってきたんだよ」
「バカか。俺は優等生だぞ。理由なんていくらでも作れるさ。たとえば――自主的なゴミ掃除、とかな。ヤンキーじゃ疑われるけど、俺らならこの通りだ」
取り巻きの三人はその言葉にゲラゲラと笑った。
「……ッ」
「なんだよ、その目は」
立ち上がろうとした瞬間、蹴りで腹を踏みつけられて「グブッ!?」とひざをつく。
「グブッ!? だってよ。ダサすぎるだろ」
物真似をするように表情作っておどけると、三人は手を叩いて笑った。
――竹刀さえあれば。
一瞬、そんな言葉がよぎった。けれど、師範は『人を助けるために使いなさい』と言っていた。
自分のエゴのために振るう剣は暴力だと。
愚直にそれだけを守ってきた。
「あ、そうそう。野球部から借りてきたんだ」
そう言って金属バットを取り出し、なんの遠慮もためらいもなく、横薙ぎに荒城の脇腹へ叩きつけた。
予想以上の衝撃によたり、手すりにもたれかかる。それを好機と睨んだのか、何度も何度も腰や足、わき腹へバッドで殴り掛かる。
痛みで全身が痺れて、経っていられなくなって、その場にしゃがみ込んだ。それでも意識は明瞭だった。
「……んで」
「あん?」
「なんで、こんなことするんだ」
荒城は震える声で問いかける。辰木は一瞬ポカンとした表情になったが、そのあとからケケケ、と笑った。
「良い子にするのも退屈なんだよ。ストレスばっかりでさ。お前は良いよな。誰にも期待されないし、落ちこぼれだし。それに比べて俺らはどうだ。可哀相だろ?」
ま、お前には分かんねえか。そう言って続ける。
「街中だと暴れたら即逮捕だけどさ、ここならカメラもない。いくらお前が訴えかけても、教師は俺らを信用してる。でもよ、信用を得るってのが、疲れるんだよ」
「ま、今日はさっさと帰れよ。あと、その傷は転んだって言えよ。言わなかったら――次はこれだけじゃ済まないからな」
辰木はバッドを振り上げ、振り下ろす。
「やめてッ!」
振り下ろす瞬間、柚牧が荒城を抱きしめるようにして声を張り上げた。
「なんだよ、柚牧。てめえ、こいつを庇うの」
「当たり前でしょ。幼馴染なんだから」
「へえ……」
「この件は先生に抗議する。この子は言わないでって言ってたけど、もう見てらんないから」
その言葉に、辰木の目の色が変わった気がした。
「そんな弱いやつ、どうして庇うんだ? 好きなのか?」
首をかしげる辰木に、取り巻きが茶化すように笑う。だが、そんな空気の中でも――。
「好きだよ。私は荒城が好き。少なくともあんたみたいな卑怯者とは違うから。なにか文句でもある?」
そうきっぱりと言い切った。
「……白けた。昼休みも終わるし、戻るぞ。お前ら」
「うーす」
四人が中屋上から去っていったとき、「怖かったあ」と柚牧は言って、こっちを見て微笑んだ。
「こんな怖い思いを耐えてるなんて、すごいよ。本当に強いね、荒城って」
「そ、そんなこと……そっ、それより、さっきの、その、言葉だけど」
「――好きだよ。ずっと前からね」
真っ直ぐに目を合わせ、柚牧は優しく目を細め、荒城の頬を撫でた。
「えと、俺、告白されるの初めてで、なんていうか」
しどろもどろになる荒城に、くすくすと笑いながらすっくと立ちあがると、手を差し伸べてきた。
「答えはいつでも良いよ。まずは荒城が私のこと好きだな、って思ってくれなきゃね。無理やり付き合っても淋しいだけだからさ」
「――うん」
◇◆
――翌日の夜。
雨が降っていた。
ソファーに座って文庫本を読んでいると、チャイムが鳴り、こんな時間に珍しいな、と思いながらドアを開く。
そこには傘を差した辰木が立っていて、笑みを浮かべていた。瞬間、手足がしびれ、動悸が激しく鳴った。
「な、んで」
「良い家だなあ。家に入れろよ」
「……」
「なに、トモダチが来たのに入れてくれねえの?」
「あの、その……」
「まあいいや。今日は別の用事があるし」
そう言って分厚い封筒を押し付けるように手渡した。
「……え?」
「HINOMARUじゃ足が付いちまうからな。骨董屋で買ったポラロイドカメラで撮ったんだ。ま、楽しめよ」
辰木はそれだけ言うと、ドアを閉める。嫌な予感に早鐘が鳴り、二階へと上がるとビリビリと封筒を破る。
そこには写真が入っていた。
「……柚牧……」
そこには、裸体の柚牧が写っていた。泣きながら、髪を引っ張られながら、暴行を受けている姿が。
何十枚という写真すべてが、そういったものだった。猿ぐつわをかまされ、何度も暴れたのか、ブレているものもある。
そしてその細部を見れば、見慣れた家具やカーテン、ベッドのシーツが目に入り、それは柚牧の部屋であることが分かる。
彼女の両親も共働きで、帰宅が深夜を過ぎることも少なくなかった。だが、そんなことよりも――。
「柚牧……!」
居ても立っても居られない気分になり、傘もささずに隣りの家へと向かう。この時間であるなら、柚牧の両親も不在だろう。
互いに共働きだというのも、荒城と仲良くなった理由のひとつである。
カギは空いていた。普段なら、防犯のために占めていたカギが。
失礼かとも思ったが、今はそれどころではなかった。ただただ心臓が速まり、階段を上がっていく。
「柚牧――……!」
柚牧の部屋を開いた瞬間、その目の前の口径を見て、ひざから崩れ落ちる。
「柚牧……」
そこには、首をくくった柚牧の姿があった。全裸で、ゆらゆらと揺れながら、その目は、あの優しいものではなく、深い、深い暗闇を湛えていた。
その美麗な顔は青あざまみれで、赤く腫れている部分も見て取れた。
歯も何本も折れてしまって、舌は切り取られ、口元から血が滴っている。
太ももを伝った血が、つま先から落ちて、畳に滲んでいる。両手両足の爪は剥がされ、乳房の部分には円以上にタバコ痕があり、水膨れになっている。
「あ、ああ……」
――なんで、なんで、なんで。
――なんで、こんなに、酷いことが出来るんだ。
荒城は自宅に戻り、年代物だと教わった客間に置いてあった刀を手にした。そして――家を出た。
「もういい。殺してやる」
そうつぶやいて、暗闇の中へと姿を消した、粘り気のある雨に、足を取られることもなく、真っ直ぐに。




