第30話:プロテアの過去《前》――被虐者。
◇31◆
――こいつ、速い!
手数の上ではこちらが優先だが、リンダという男はそれをさばき、躱し、プロテアが踏み込みながら一閃を繰り出すも、後ろへステップし、のけぞるような態勢からでも刀で受けて、弾いている。
攻撃を目で追えるほどの異常な動体視力と同時に、頭の中で次の行動を読んでいることは分かる。だがそれを体現することは――果てしなく難しい。
プロテアもまた、剣術をかじっている。だからこそ分かる。どんな態勢になっても崩れない体幹の強さ、一瞬の攻撃を見極められなければ、死に直結する。
まばたきの間の刹那でさえ、隙を見せられない。そのギリギリのところで、あの男はこの刀をさばいているのだと。
なにより、その目である。どんな経歴を持っているのかは分からないが――獲物を狩ることに、一切のためらいのない、猛禽類のような双眸。
それに呑まれれば、恐怖で一手が遅れるだろう。そうなれば、途端に攻守が逆転し、こちらに勝ち目はない。
刀を弾かれ、間合いの一歩外で立ち止まると、リンダを睨み付けた。
「……お前、強いな」
「えっへへ。でしょ?」
「自己肯定感も強いんだな」
「俺が俺を否定すれば、今まで俺を認めてくれて、褒めてくれて、支えてくれた人に顔向けできないでしょ。だから――過剰な卑下はしないと決めてるんだよ」
それより――と、リンダは続ける。
「型が決まっている動きだ。なにか習っていたのかな」
「……剣術を少し、な」
「どこの流派かは分からないけれど、その速度と手数の多さには驚かせられるよ。ただ、解せない。その剣術でどうして戦いに明け暮れる? なんでこの監獄にいるんだ」
――ここは極刑を受けたものの行きつく先だよ。
リンダは首を傾げ、プロテアの眉間にしわが寄る。
「……守れなかったからだよ。大切な人だった。だから今度は、大事なやつを絶対に守る。まずは目下の脅威であるお前たちを潰して、安寧を手に入れる」
「……守れなかった、か」
言うとリンダは刀を鞘に仕舞った。
「……居合いか」
「どうにも君の行動理由が見えてこない。でも、刀を交わせば、分かることもあるかもしれない」
ふ、と短く息をついて、プロテアも構える。じっとりとした空気に汗ばみ、頬を伝ってあごから落ちた汗粒が地面で弾けた瞬間――互いの最速の剣技を繰り出す。
「おおおおおおおおッ!!」
一歩踏み出し間合いの中へと入りこみ、プロテアの一撃が脳天へ振り下ろされた瞬間、鞘から抜き放った白刃がそれを弾いて――
「不退転流、修羅裂き。揺らぎ」
目にも止まらない速度でくるりと逆手に変えて袈裟切りに振り下ろした。
「――カハッ!?」
後方へと吹き飛び、地面を滑った。全身が熱を持ってじんじんと痛む。
「てめ、え。手加減、してやがったな」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。君の剣の動きをずっと見ていただけだよ。動きが分からなければ、対策も練れないだろう」
「そう……かよ」
言いながらプロテアは刀を地面に突き刺して立ち上がった。それを見て、リンダは目を丸くする。
「この一撃を受けて立ち上がるのか」
「言っただろう。守るものを、守るためには――負けられねえんだよッ!!」
ズキズキと痛む身体で一歩踏み出すと、地面から刀を抜いてリンダへと襲い掛かった。
だが横薙ぎの一撃を受け、後ろへと滑る。刀を床に突き刺し、倒れないように支えて、荒い息で、歯ぎしりをする。
こめかみから血が流れ、唇も切れている。なにより身体が重く、鈍痛が全身を包んでいる。
――負けるわけには、いかないんだ。
「どうして君はそこまでして戦うんだ? 守るもののためならばなおさら――」
「うるせえよ。本気の殺し合いがしたい。俺は強い。お前なんかに負けらないんだよ」
――俺は、殺し合いがしたい。そして、強さを証明したいんだ。
プロテアはそう言って、口元の血を拭った。
「来いよ、殺してやる」
「君にも過去があるんだね。それも、その矛盾を抱えるくらいに、心がねじれてしまうほどの――」
「うるせえっつってんだろ! いいから、戦え!」
「……受けた以上、戦うさ。でも、聞かせてくれないか。いったいなにが、君をそこまで狂わせてしまったのか」
――お互いの小休止には丁度良いだろう?
「……なんでお前に言わなきゃいけないんだ」
「今の君の剣技は矛盾で歪んでいる。それは強さを削ぐものだよ。俺は本気の君と、戦いたい。だから、君の強さのバックボーンを知っておきたい」
「存外に口八丁だな、お前は。……まあ、いい、訊きたいなら聞かせてやるよ。くそったれな奴らを殺した、くそったれな過去を」
リンダが微笑むと、眉間にしわを寄せながらも、ぽつぽつと語り始めた。
◇◆
五年前。
「ねえ、荒城。またひとりで練習?」
誰もいない、がらんとした剣道場でプロテア――荒城は素振りを続けていた。
「ちゃんと勧誘してる? このままじゃ。本当に廃部になっちゃうよ」
「そうなんだけどさ、俺は、その」
「……そうだよね、ごめんね」
十七の彼は、人付き合いが苦手だった。「それより、柚牧。俺なんかと一緒にいたらダメだよ。一緒にいじめられちゃう」
「いいんだよ。放っておきなよ。あんなやつら。それに」
「それに?」
「荒城の素振りの音とその真っ直ぐな目、好きなんだ。だから見ていたいな」
「そんなこと言われても……」
柚牧は荒城にとって幼馴染だった。どんなときでも一緒にいて、一緒に泣いて、一緒に笑った。
それは高校に入ってからも同じだった。なんとなく一緒にいて、なんとなく放課後で剣道場に来て、帰りにファストフードを食べる。
平凡な日々――表面だけ見れば、凡庸な日々だったように思う。
だが。
翌日、教室に入るとくすくすと笑い声が聞こえる。不審に思いながらも椅子を引くと、二羽のハトの遺骸が飛び出して、悲鳴を上げて腰を抜かした。
ハトから流れる血が床を濡らしている。クラスメイトたちの視線がこちらを向いているのが分かった。
「あ、ああ……」
「あーあ、ハトを試し切りかよ。最低だな、お前」
「ち、ちがっ」
「見ろよこれ、首がちょん切られてるぜ。言い訳なんて出来ねえよな」
「違うッ! 俺の流派は――人を守るためにあるんだ! それに、真剣なんて、使わない」
立ち上がり、少年――辰木と、その後ろに立つ三人に向かって怒鳴った。すると、ゲラゲラと周囲からの笑い声が一層大きくなる。
「守るねえ。自分のことも守れねえのに」
嘲るように口の端を上げ、目を細める。いつもそうだ、と荒城は思う。
このイジメがいつから始まったかなんて覚えていない。けれど、教師に伝えても、「遊びの範疇だろう」と聞いてはくれなかった。
何度も助けを求めたが、判を押したような返答にあきらめてしまった。
だから――耐えることしか出来なかった。
「うわ、汚ね」
「気持ち悪ーい」
荒城は死んだハトを二羽、抱きしめて、教室を飛び出した。裏庭に行って、手で土を掘って埋めた。
「……ごめんね。俺のせいで」
そこからいつも通り素振りをして、柚牧と一緒に家路についた。家も五軒ほど間が空いているが同じ通りで登下校は常に一緒だった。
小学校も、中学校も、高校も。
「大丈夫だった? なんか騒ぎになってみたいだけど……」
中学三年と高校一年は同じクラスだったが、今は別クラスである。ハトの件のことを言っているのだろうが、詳細までは知らないようだった。
「うん。剣道を習ってるおかげかな。気持ちだけは、強いんだ」
剣道は小学生のころから始めた。試合に出て、一本を取る。それが決まれば、たまらなく嬉しい気持ちになった。
「じゃあ、ここで。また明日ね」
「うん。また明日」
手を振って柚牧は家へと入る。そこからしばらく歩いて自分の家に入った。
荒城がテーブルを見ると、『夕食は冷蔵庫にあります。レンジで温めてください』とメモが置かれていた。
荒城の家は両親が共働きなのだ。いじめのことを相談しようにも、忙しそうな二人を見ていると、時間を割かせるのも悪い気がして、言い出せなかった。
食事を手早く済ませて洗い物をし、風呂に入って寝支度をすると自室のベッドに寝転んだ。
――いつからイジメられるようになったんだろう。
――なにが原因なんだろう。
――話し合いで解決できないかな。
うとうとしながら、そんなことを考える。色んなことをされてきた。中には暴力を振るわれたこともある。
学校の中には、監視カメラがないのだ。
イジメをするものにとってはある種、無法地帯のようなものだ。
世の中に不良と呼ばれるものがいるが――荒城をイジメてくるのはそういう人間ではない。
成績も中の中で、教師とも仲が良い。コミュニティの中で、グループのカースト上位にいるような人間だ。
だがリーダーシップを取るような人間でもなく、目立つようなものでもない。はたから見れば、一般的な、模範的な『良い生徒」のひとりなのだ。
そしてその根源にあるものはストレスだ。良い子でいることは、存外に疲れるのだろう。その発散方法のターゲットに、荒城が選ばれた。気の弱さにつけ入れられたのだ。
そう考えれば、教師が彼らを庇うような――『遊びの範疇』だと言っていた――のもうなづける。
彼らは――辰木たちは、教師と仲が良い。そして成績も平均値である。授業態度も良い。だから、気が弱く、言いたいことも言えない荒城より彼らの味方をするのだろう。
クラスメイトもそうだ。男子女子問わず、辰木たちについていれば、自分がターゲットになることはない――そう考えているのかもしれない。
「……もう寝よう」
ライトを消して、まぶたを閉じる。
「――学校、行きたくないな」
眠る前につぶやいた言葉。それが本心だと、本人も気付かないまま、睡魔に誘われ、意識は夢の中へと吸い込まれて行った。
 




