第25話:その異常なタフさの理由。
◇25◆
階段を下りていくと二股に分かれていて、それぞれ牢屋だったであろう部屋があった。マユたちは向かって右が住処のようで、ラットたちは左側で眠った。
そこそこの広さで、二人が寝てもあとひとり分ほどある。六畳か、七畳ほどだろうか。
そう思いながら、くたくたになった身体を横にするとすぐに睡魔がやって来て、そのまま眠ってしまった。
今日一日だけで、ビースト・ラボと弁天一家を相手にしたのだ。さすがに身体が痛みを覚えていたが、耐えられないほどではない。
――それから何時間たっただろうか。
ラットが目を覚ますと、少し離れた場所でリンダが上半身を脱いで、腕立て伏せをしているのがうっすらと見える。
しっかりと筋肉がついていて、腹筋も六つに割れていた。がっしりとしたものではなく、細身にまとうような筋肉だった。
まずは小指を離し、薬指を離し、最後は親指だけで体重を支えて。それを繰り返している。
だがそれより気になるのは――。
「その傷、どうしたんだ」
切り傷の痕や銃創がいたるところについている。しかしラットの質問には答えずに、優しく微笑んだ。
「起こしちゃったかな。ごめんね」
「ああ、いや……。朝から筋トレか」
「一日でもサボるとすぐに鈍っちゃうからね。欠かせないんだ」
「……毎日やってたのか」
「うん。拘留所でも拘置所でも。目をつけられない程度にね」
ラットはこの男のことを良く知らない。だが、その強さはこの目で見ている。
天武の才があるある――そう思っていたが、もともと努力で積み上げてきたのだと、気付く。
物怖じしないのは彼の生来のものなのだろうが、あの回避から攻撃に転じる速度、縦横無尽に動く自由な戦闘スタイルは地道な努力で舗装されているのだと。
死に物狂いで得たという技も、決して誇張ではないのだろう。
「……お前はかたくなに過去を語らないな」
「タイミングって言うものがある。いずれ言うときが来るかもしれない」
「まあ、俺も根掘り葉掘り訊くのは趣味じゃねえが――どうしてもデータ省の人間を殺して回った犯罪者には見えねえんだよ」
その言葉に、リンダは困ったように笑みを浮かべた。
たったひとりでラットを助けるためにビースト・ラボへ乗り込み、マユやアイのために弁天一家にケンカを売った。それは、正義にもとることのない行動だ。
そんな人間を連続殺人犯やテロリストと呼ぶには違和感がある。
「……まあ、それも含めて、話さなきゃいけないときは来るよ。かならずね。だから――今は見ていてくれないかな」
そう言って優しく微笑む。ラットは小さくうなづいてから「分かったよ」とため息をついた。
「あと、手を組むとは言ったが――俺はお前のこと、仲間だと思ってる」
「え?」
「不満か?」
「――いいや、願ってもないことだよ」
「わ、私、もです」
そこにマユの声が聞こえて出入り口を見ると、金髪で目を隠した少女――マユが立っていた。
「ま、まだ強くないし、その、役に立たないかもですけど……ダメですか」
目は見えないが、頬は紅潮していた。リンダはクスッと笑ってから、
「もちろん、仲間だと思ってるよ。守りたいものがある君は、それだけで充分強い」
「良かった……あっ! 勝手に入ってきちゃってごめんなさい! 声が聞こえてきたから、その」
「気にすんな。それより、この一階層に射撃場はあるか」
「え、と、少し、回り道になりますけど、あの、西側に一軒あります。ジャジャ・ショットって名前の」
「なるほどな。マユ、時間はどうだ。ついて来れるか?」
「は、はい」
弁天一家と対峙したとき、彼女は照準がブレていた。だから的の広い背中を撃っていた。だがここからは、そう上手くいくかどうかは分からない。
だから少しでも命中率を上げる必要があると考えたのだ。
「別に訓練しなくても良いのに。俺と君で守れば――」
「そうはいかない。もし俺たちが守れない状態になったとき、自分を守るためのスキルは必要だ」
「まあ、一理あるけど」
「マユ、お前の銃の腕前を底上げする。出来るか?」
ラットが背をかがめてマユを見ると、何度もうなづいた。
「私、強くなりたい。ちゃんと、仲間に、なるために」
「よし。じゃあ、支度したら射撃場へ行くか。リンダ、お前はどうする?」
ラットが振り向くと、リンダは「ごめんね、俺は別件で用があるんだ」と肩をすくめた。
「別件?」
「うん。あのタフな書生くんと話がしたくてね」
ノブアキのことか――とラットは納得する。なにを話すつもりかは分からないが、思うところがあるのかもしれない。
「じゃあ、二手に分かれるか。そういえば、アイはどうした」
ん、と伸びをしながら、眉に訊くと、「龍爪飯店の仕込みがあるって、言ってた」と返ってきた。
「働き者だねえ」
リンダはシャツを着て、蔵丸に半分切られたネクタイを締めるとジャケットを羽織った。
「じゃあそれぞれ終わったら龍爪飯店で落ち合おう」
◇◆
ノブアキは目を覚まし、リクライニングを上げてぼんやりと天井を見上げていた。
――裏切ってしまった。
今になって罪悪感が心にじんわりと広がっていた。結局、ビスカスを倒したところで、自分になにがあるのか、なにをしたいのか、分からないままだ。
いくら和解をしたとしても、ノブアキ自身だけは許されないだろう。もっと責められるべきだとさえ思う。
「――僕は」
独り言ちているところにノックの音が三回して、失礼しまーす、とリンダが顔を出した。
「やあ。目を覚ましたんだね。それにしてもあの怪我で骨も折れないなんて、本当にタフだなあ」
「……いつからかは覚えていませんが、こんな体質みたいなんです。リングに上がってボロボロになって勝つたびに化け物だって、何度も言われましたから」
「リング?」
「はい。二階層には闘技場があるんです。そこで金をかける興行をしている方がいて、ああ、でもその人は別にギャングってわけじゃないんですけど」
「その顔の傷も、そのときに?」
ノブアキの左反面にある大きな十字架のような傷を見て、リンダは首をかしげる。
「ええ。これでもルールがあって、武器の使用は禁止だったんです。でも、僕の相手は平気で命を狙ってきました」
「……だから、タフなのか」
「え?」
リンダの言葉にノブアキは顔を上げた。
「一説によると、だよ。怪我を克服することで、身体は頑丈になっていくという研究がある。筋肉や関節の強化や痛みのコントロール、柔軟性の向上――」
――それを極めたからこそのタフさなのかもしれないね。
「君は、攻める強さじゃなく、守る強さに向いている。化け物なんてとんでもない。痛みを理解できる優しさで持った、稀有なほどに純粋な人間だよ」
「リンダさん……でも、俺は弁天一家を裏切ったんですよ。そんな人間を信用できるんですか」
「君は進んで彼らの用心棒になったわけじゃない。やりたいことが見つからなかった、生き方が分からなかったからだ。もしも弁天一家が君を非難するなら、もう一度、やり合うだけだよ」
「どうしてこんな僕のためにそこまで……」
「あのとき、俺たち側につけとは言わない、君の自由にすれば良い。君がやりたいように、君がなにを求め、なにを探し、なにを手に入れるか、そのためだけに動けば良い。そう言ったけどね――」
リンダは真っ直ぐにのノブアキを見た。ノブアキもその美しさを秘めた瞳から視線を逸らせなかった。
「今は――僕たちの仲間になって欲しいんだ。もちろん、殺し合いを求めているなら、受けるよ。でも、そのあとでも俺は君を必要とするだろうね」
「――僕みたいな、人間を、ですか」
「君のような人間だから、だよ」
リンダは笑みを浮かべたまま、静寂が降りてきた。必要とされているという感覚を、彼は知らない。
弁天一家でも、利用されていることを内心で分かっていて、それを見て見ぬふりをしてきたのだから。
用心棒、拷問師、壊し屋。どれも褒められた二つ名じゃなかった。彼の求めるものはそこにはなかった。
けれどなにを求めているのかも分からないから――そこに席を置いていた。
「つまり、あなたたちの用心棒になれと言うこと、ですよね」
ノブアキの言葉に、リンダは一瞬目を丸くしてから、困ったように笑った。
「仲間と用心棒は違うよ。どんな苦難だって、一緒に乗り越える。君のやりたいことだって、一緒に探しに行ける。ノブアキが背負っているものを、一緒に持つんだ」
――それが、仲間ってものだよ。
つつ、と涙が頬を伝った。リンダの言葉の温もりが心を満たし、今まで閉ざしていたものが溶けていく感覚を覚える。その溶けたものが、涙として流れている。
「……あなたについていきます。僕を、仲間に入れてください」
ノブアキはそう言うと、腕で涙を拭いて、切なげに笑った。
 




