第24話:捜査《4》――第二の事件。
◇24◆
バックドアを仕掛けたものはSIMタイプのものだった。見つけ次第、それを取り出して、データ分析センターへ訪れた。
サイバー犯罪に特化した、科捜研の上部組織である。
センター長にSIMを渡してから、巨大な施設の廊下を歩き、駐車場へ向かう中で横山は怪訝そうに唇を尖らせた。
「でもよ、これだけでなにが分かるんだ?」
「プログラムの解析で、今後同じような例が出たときに早急に対応が出来ます。それに、ハッカーにもクセのようなものがあるんですよ」
「クセ?」
「人によりますが、自己顕示欲が強く、自信のある人はプログラムの中に自分の痕跡を残します」
「残ってなかったら今後同じような事例に即時対応、残っていたらヒントになる、か」
「そういうことです。あとは加賀美所長が復元できるかどうか……」
バックドアによって改竄されたデータを復旧できれば、上書きされる前の状態が確認できる。そうなれば、ハッキングを仕掛けた人物の動向も見えてくるのだ。
だがしかし、それ以前にアリサは違和感を抱いていた。
「殺人犯とハッカーは別人なんでしょうか」
「あん? いや、恒岡が言ってたろ。ハットをかぶってたって。あのハッカーもハットをかぶってた。同一人物で間違いないだろ」
「でも、私が見たのはスーツ姿に後ろで短く結っている男でした。でも、ハットをかぶった男の髪は短髪に近い。少なくともハットやキャップで髪が隠れていました」
駐車場で車に乗り込むと、アリサはあごに指を当てて首を傾げた。
「廃棄区画は暗かったから見間違えたんじゃねえのか」
「でも複数人の犯行なら」
「ノコギリで手を切り落としたやつもハットをかぶってたんだろ」
「……そうですけど……なんかこう、腑に落ちないというか」
そこでアリサはハッとなる。根本的な部分で勘違いをしていたことに、今さらながら気付く。
「……ハッカー自身がバックドアを仕掛けるなんて、珍しいことです」
「ん? どういうことだ?」
「ハッカーは顔を見せない。その本質は陰に隠れてデータを盗み出すこと、あるいは改竄。つまり、バックドアを仕掛けたのは別人の線があります」
「じゃあ、お前が見たって言う髪の長い男がハッカーだってか?」
「可能性はあります」
「……ややこしいことになりそうだ」
そこから警視庁の第一会議室へと戻り、状況を報告した。時刻はもうじき午前一時になろうかという頃合いである。
「こっちは空振りだ。あれ以上の情報は出てこなかった。頼みの綱は、バックドアを仕掛けたやつが割れることくらいだな」
「明日はもう少し奥まで潜りましょう。もしかすると、なにか知っている人間がいるかもしれません」
難波の言葉に、恒岡が言う。それにうなづいてから、「明日から三係も合流する。まずはこの会議室で情報の共有を行う。いいな?」
「はいっ!」
それぞれが異口同音に返事をすると、「本日は散会だ。各々、しっかりと休むように」と難波が言い、アリサも鞄に資料を入れると会議室を出る。
「おい、恒岡。飲みに行こうぜ」
「いいね。いつもの店にしようか」
会議室を出るところで、二人の会話が聞こえてきた。階級は同じ巡査長で、同期なのだと聞いたことがある。
「おい、俺も誘えよ」
難波が横山の肩を抱いて白い歯を見せて笑った。
「難波さん、すぐ酔いつぶれるじゃないすか。介抱する身にもなってくださいよ」
「いいじゃねえか。酒は大勢のほうが楽しいんだ」
「じゃあ、今日は奢ってくださいよ」
「ああ、任せろ」
「なあ、立花。ケチな班長の奢りだってよ。お前も来ないか?」
「いえ、すみません。今回は遠慮します。また誘ってください」
「おう、気をつけて帰れよ」
横山に誘われるが、それを丁重に断る。今はこの違和感について、この事件について、考えていたかったからだ。
終電はとっくに過ぎていたため、タクシーを拾って家まで帰ると、「ただいま」と独りごちて、すぐさまシャワーを浴びた。
――ハッカーは別にいる。けれど、あの男が本当にそうなのだろうか。
ならばなぜ、廃棄区画にいたのか。わざわざ犯行現場となった場所に。もしもハッカーなら、顔が割れる危険性は誰よりも分かっているはずなのに。
シャワーを止めて、ショーツを履くとオーバーサイズのTシャツにスウェットを着て、テーブルに着くとHINOMARUを起動する。
「もうニュースになってる」
『吉祥寺の柳沢で変死体』という見出しで、記事が書かれていた。さすがにマスメディアでは廃棄区画とは書けないのだろう。
また、ウェルテル効果に配慮して、遺体の状況などはぼやかしている。殺人かどうかもあいまいにしているのは、過剰報道をすればペナルティを受けるからだ。
マスメディアは過去、表現の自由を盾に好き放題に記事を出してきた。
だが、時代が進み、過剰なもの、扇動を促すもの、誇大報道、偏向報道はペナルティを追うことになった。
そのペナルティは警告、一ヶ月間の販売停止と紙面、雑誌の自主回収、発刊禁止の三段階あり、新聞や週刊誌などは、より慎重になり始めたのだと歴史の授業で習ったことがある。
結果、原点回帰的に、大衆に向けた正しい情報の周知へと集約されていった。
それでも、有名人のスキャンダルなどはそれらに該当せず、見逃される傾向にあり、ペナルティを受けた雑誌や新聞にはコアなコレクターも存在する。
自主回収や発刊禁止になったものを買い取るものや、アンダーグラウンドの市場において高値で売るものまでいる始末だ。
ほとんどのニュースや雑誌がHINOMARUで見られる時代にあって、それでも紙媒体のものが残っているのは、そういったマニアや、紙の本を愛好するものが多いからという一面もある。
アリサもまた、ニュースなどはHINOMARUを使うが、書籍は紙のものを選ぶ。どちらが優れているかというものではなく、単なる好みの問題である。
「ハッキングをして姿を消す。でも、どうして右手首を切り落とすんだろう……」
椅子の上、三角座りで素足の指を開いたり閉じたりしながら、ううん、と唸る。外ではやらないようにしているが、家で考え事をするときのクセなのだ。
「右手首になにがあるっていうの……? 犯人にとって都合の悪いもの?」
犯人にとってなにが都合悪いのか。そこが見えてこない。
慣れないノコギリで切り落とさないといけないくらい、それはあってはならないほどのものなのかもしれない。
だが、それがなにかまでは行きつかない。
あの髪の長い男は誰なのか。ハッキングをした男は誰なのか。田島と中津原は一体なにをして、なにをしなかったのか。
深みにはまっていく感覚と、睡魔が同時にやって来て、テーブルに突っ伏した。
――晩ご飯、食べないと。
そう思うが、まぶたが重く、抗いがたい眠気に身体を任せて、アリサはそのまま眠ってしまった。
◇◆
翌日、出勤すると第一会議室に集まるよう難波に言われて向かうと錆川班のメンバーが椅子に掛けていた。
それと対面するように難波班の面々が座っている。
「おはようございます」
「おう。疲れた顔してんな。大丈夫か?」
「ええ、問題ありません」
結局、昨日は三時間ほどで目を覚ましてしまい、そこから考えごとをしていると朝になっていた。
「そっち、ひとり足りなくないですか」
常岡が錆川に言うのを見て、三人しかしないことに気付く。
「まったく……また遅刻だよ」
錆川はあからさまに怒りを見せてため息をつく。
「いいから、話を進めろ、難波――」
そう言いかけたとき、扉が開いて、慌てたようにスーツ姿に坊主頭の青年が入ってきた。肩で息をしている。
「すみませんっ!」
「すみませんじゃねえよ! 毎回遅刻しやがって。いい加減にしろよ志島ァ!」
志島と呼ばれた青年は、何度も頭を下げながらアリサの前にある席に座る。そこで不意に手袋をしているのが見えて、隣りの横山に小声で訊く。
「現場でもないのに手袋してるんですね」
「ああ、うわさじゃ事件で怪我をしたらしい。傷跡を見せたくないんだろ」
「なるほど……」
いかにも気の弱そうな青年で、繊細そうな印象を受けた。名誉の負傷と自慢げに語る刑事は未だ多いが、彼は怪我を見せびらかすような人間には見えない。
名誉ではなく恥と受け取る、そういう性分なのだろう。
「集まったな。それでは情報を共有したのち、それぞれの割り振りを決める」
難波が立ち上がり、大きなディスプレイを起動させた。それぞれのメンバーもHINOMARUをつけて、タブレット・アプリをタップする。
ディスプレイには今回の被害者である田島、関係者である中津原に関する顔写真と情報が記載されている。
また、事件現場への道中のカメラが上書きされ、犯人が映っていないこと、ハッキングとバックドアの件と、次々と情報を伝えていく。
さらにハットをかぶった男が基地局にバックドアを仕掛けたことも。錆川班はそれぞれにHINOMARUへと入力していく。
また、不確定要素ではあるが、スーツ姿に長髪の男性のこともアリサは報告をした。
「銃殺のあとで右手首だけ切り落とすってのが分からねえな」
錆川は腕を組んで背もたれに深く座りなおす。「猟奇的な殺人犯か、スーベニアか、という話が出ている」と難波は首をかしげた。
「記念に持って帰るにしちゃ、大きすぎる上にリスクが高いだろ」
缶コーヒーを呷ってから、錆川は眉間にしわを寄せる。「いくらカメラに映らなくても、通行人がいないわけじゃない」
その通りだとアリサも思う。カメラはごまかせても、廃棄区画には人間が住んでいる。そこから出たところで、誰もいない場所なんてないのだ。
手首も決して小さなものでもなく、切り落とした直後なら血も垂れていたはずである。
「どこかに隠した……あるいは、廃棄区画で処分した……?」
不意に、アリサはそんなことを口走っていて、錆川に睨まれ肩がすくむ。
「お嬢ちゃん、なんで手首だけを隠すんだ? それに処分する必要もない。相手は死んでるんだぞ。隠すなら死体ごと隠すだろ」
「犯人にとって都合の悪いものがあったのではないかと。たとえば――爪。もしマル害が引っ搔いたりすれば、マル被の血か、あるいは肉片が爪に着きます。DNA鑑定すれば特定される可能性もあります」
「それっぽい理屈を垂れてるが、確証がない。憶測だけでの捜査は危険だ」
「……そう、ですよね。すみません」
「だがまあ、それらしい理屈だろうが言い返してくる分、うちの志島よりは肝が据わってんな。お嬢ちゃんの名前は?」
「は、はい。立花 アリサです。階級は巡査です」
「巡査だってよ。お前もしっかりしろよ、巡査部長殿」
そう言って志島の肩を叩いて、口の端を歪めた。志島は「は、はい」と小声で返事をして、目を伏せている。
「とにかく今日は裏取りも含めて、割り振りを――」
言いかけたところでサイレンがけたたましい音を立て、無線が入る。
『通信指令部よりPM各員、通信司令部よりPM各員、吉祥寺、柳沢にて死傷事案発生。至急、急行されたし。繰り返す、吉祥寺、柳沢にて死傷事案発生、至急、急行されたし――』
「また廃棄区画かよ!」
「急ぐぞ」
全員が立ち上がり、ジャケットを羽織ると階段を使って駆け降りる。それぞれの覆面に乗り込み、「こちら捜一、出動します」と無線を使って横山がドライブボタンを押し、ハンドルを握る。
アリサも赤色灯を車に着けてサイレンを鳴らした。
横山はアクセルを踏み、ハンドルを切って警視庁から出る。急行の場合、オートドライブ機能は使わない。オートドライブでは法定速度しか出せないからだ。
「昨日の今日だぞ。どうなってんだ」
「別の事件かもしれません。先走るのは危険じゃないですか」
「同じ場所で違う事件ね。お前だって嫌な予感くらいはしてんだろ」
「……私は冷静に物事を見たいだけです」
それは本音だったが――横山の言うことも同時に感じていた。たった一日で同じ場所、それも廃棄区画で事案となれば、嫌な予感しかしない。
しばらく走らせて、柳沢に着くと三台の車――難波班と錆川班も到着していた。
先に救急車が来ていて、すでに中に入っているようだった。
他にも近隣の所轄がパトカーを出して、ホログラムの『KEEP OUT』を出し、制服警官が立っている。
横山は無線で「こちら捜一、こちら捜一、現着しました」と報告を入れている。
アリサは警察手帳を見せて、先に進み、横山もあとから続いてくる。
廃棄区画の中へ入っていくと、今度は裏路地に人混みがあった。ビルとビルの間――三メートルほどの幅があり、ゴミが散乱している。
その中央に男性が倒れているのが見えた。救急隊がアリサたちを見ると、小さくかぶりを振る。
「亡くなっています。おそらく、致命傷になったのは心臓部に受けた銃弾かと」
「志島、鑑識を呼べ!」
救急隊員は渋い表情で、道を開けて、錆川は志島に指示を出している。
アリサはしゃがみ込んで、遺体に向けて両手を合わせ――その顔を見た瞬間、息を呑んだ。
「横山さん、この方……」
「……中津原か」
それは昨日、製薬会社で会った男――中津原だった。胸に血が滲み、目を見開いて、口から泡を吹いている。
そして。
「右手首が、ありません」
アリサの言葉に、横山は壁を殴りつけた。
「どうなってんだよ、これはッ!」




