第22話:捜査《2》――製薬会社。
◇22◆
喫茶『パステル』で昼食を終えた二人は、『パンクス・バー』へと向かった。有料駐車場で車を停め、店をノックする。
時刻は一四時。まだ開店時間ではないから不在かと思ったが、壮年の男性が顔を出した。
「なにか?」
「警察です。少しお話、よろしいでしょうか」
「ええ、暑いでしょう。中へどうぞ」
言われるがまま、店内に入る。ゴシック調で、柱時計が置いてあり、振り子が一定間隔で揺れている。
「なにか飲まれますか」
「いえ、勤務中ですので」
アリサが断るが、横山はメニューを眺めながら「アイスコーヒーを」と頼んでいる。
「横山さん、仕事ですよ」
小声でたしなめるが、彼は意にも介さず頬杖をついている。
「マスター、ひとつ訊きたいことがあるんですよ」
「なんでしょう?」
「昨日の二三時から、一時ごろの話です。この男は来店しましたか」
アイスコーヒーを置かれ、ストローは使わず手で飲みながら、HINOMARUを見せる。
「ちょ、ちょっと横山さん!?」
警察のチャンネルを一般人に見せることはご法度で、バレてしまえば減俸、謹慎の可能性もある。さらに悪質と捉えられれば――懲戒処分は免れない。
それほどまで、警察のチャンネルの秘匿性は高いのだ。
「大丈夫だ。黒島の顔だけで、他の情報は載せていない」
「ほう、黒島くんか。昨日、来ていましたよ。ジン・アンド・ビターズが好きでね。来るとかならず頼むんですよ」
「なかなか渋いな」
「それってお酒の名前ですか?」
「そうだよ、お嬢さん。お酒が飲めるような年齢になったら、作ってあげるよ」
「なッ!?」
マスターの言葉に横山は吹き出し、アリサは顔が真っ赤になった。
「わ、私も、刑事……です」
涙目でそう言うと、マスターは驚いたように「あら、そうだったのですか。てっきりまだ研修中なのかと。これはまた、失礼なことを。申し訳ない」
たしかに高校卒業後、警察学校に入るときは未成年で、研修として警察実務がある。
少し内情を知っているものなら、研修中と捉えられても仕方のないことだった。
だが、アリサは大卒からの入校である。当然、当時から成人していた。
それでも未成年と間違われるのだから、もはや諦めに似たなにかを感じている。
しかし恥ずかしい思いだけは慣れないのだが。
「い、いえ、よく学生と間違われるので……」
んん、と咳払いをしてから、横山は「時間は間違いないですか」と訊く。
「ええ。黒島くんのお店を閉めるのが二二時くらいですかね。それからこの店に」
「誰かと来たことは?」
「そうですねえ……ずいぶんと前に女性と来ましたね。交際をしていると。でも、すぐに別れてしまったみたいで、ひどく落ち込んでいましたよ」
ああ、この話は内密にしてください、と補足した。
常連客の情報を、いくら警察とは言え洩らすというのは憚られるのだろう。なにより、信用を失うことにも繋がりかねない。
「そうですか……彼は何時ごろまでいましたか」
「そうですね、一時か、私と話し込んでいるときは二時くらいですね。だいたいそのあたりに帰りますから」
「なるほど。お時間を取らせてしまい、申し訳ありません」
「ご協力ありがとうございます」
横山とアリサが頭を下げると、マスターは「良かったら、今度お休みの日にでも来てください。サービスしますよ」と微笑んだ。
◇◆
『進捗はどうだ』
車で走行中、アリサのHINOMARUに難波から連絡が入った。横山にも聞こえるようにスピーカーに切り替える。そこで今まで聞いてきた情報をすべて伝えた。
「今から中津原さんに事情を聴きに行きます」
『こっちの現場検証は終わった。聞き込みが終わったら本庁で合流しよう』
「了解しました」
中津原が働いているというルリアン製薬会社へ入ると、自立型人型AIに『社員証を提示してください』と言われ、代わりにアリサは警察手帳を見せた。
『ご用はなんでしょう』
「中津原 恭介さんにお話を聞きたいと思いまして」
『かしこまりました。呼び出しますので、社内のカフェでお待ちください。また、お車は来客専用駐車場、八番をお使いください』
言われるまま、立体駐車場になっている一階部分の八番へ停車すると、横山は大きく伸びをした。
「仕事中ですよ」
そう言ってたしなめるものの、それで言うことを聞くような相手ではないことを、この二年間で嫌というほど理解していた。
巨大な白いビルの中に入り、警備員――これも当然AIである――に、一応、手帳を見せると、『お話は聞いております。二階のカフェへどうぞ』と言われた。
ドローン同士で情報の共有が出来ている。だが、ずかずかと無遠慮に入り込むのはアリサの望むところではない。だからこそ、あえて手帳を見せるのだ。
二階のカフェに着き、横山はまたもアイスコーヒーを頼んだ。さすがにアリサものどが渇いていたので、オレンジジュースを頼む。
「仕事中なのに良いのか?」
にやにやと笑みを浮かべながらこちらを見る横山に、「熱中症で倒れたら捜査が出来ませんから」と唇を尖らせる。
「まだ五月だぞ」
「五月でも熱中症にはなりますよ」
そんな雑談をしている間に、中津原がやってきた。七三の髪に、メガネをかけた青年だった。
のりの利いた白衣、そして新品の手袋。清潔感はあるが、その表情は疲れきっているように見えた。
「お忙しい中、お邪魔してすみません」
二人して立ち上がり、アリサが声をかけても、なにも答えずに席に座った。目の下に熊が出来ている。十分な睡眠がとれていないのかもしれない。
「あの、田島さんの件なんですけど」
「田島……が、どうかしましたか」
ぼそぼそと独り言のように喋る。横山が「先日、殺害されましてね」と切り出したものの、その表情はまったく変わらない。
「殺された……か。はあ、殺されたか」
反芻するように何度も同じ言葉を繰り返す。「なにかご存じですか」とアリサが訊いても、「特には」と短く答えた。
だが、粘るしかない。アリサは続けて質問を重ねる。
「中津原さん、昨夜の二三時から一時の間、なにをしていましたか」
「……僕を疑っているんですか」
「いえ、形式的なものなので」
フォローを入れるも、それに対する反応はなかった。その代わり、昨日のスケジュールを口にする。
「昨日なら、家のシアタールームで映画を観てました」
「証明してくださる方はいらっしゃいますか」
「ひとり暮らしなので。両親は出張中で海外にいますし……」
「そうですか……。では、最近、田島さんの様子はどうでしたか。変わったところとか」
彼女の問いに、しばらく黙っていた。うろんな瞳で、アリサを睨み付けるような視線を向ける。
「さあ。最近は忙しくて会っていないので」
あくまで端的に答えられて、彼の真意が見えてこない。だからアプローチを変えてみることにした。
「田島さんは、その、恨まれるような人でしたか?」
「僕も、あいつも、恨まれることしかしてない」
その言葉に、にやりといやらしく口の端がつり上がる。
アリサは怪訝そうに眉を寄せた。口調もくだけたものになっている。
「恨まれることしかしてない……? それはどういう意味ですか」
中津原はメガネのブリッジに指をかける。
「大学時代、僕は薬学部、あいつは工学部だった。自分で言うのもなんだけど、優秀だったよ。この企業だって一発入社だった」
――だから、目をつけられた。
「目をつけられた? それはどういう意味ですか」
「やつらは優秀な人材を求めている。即戦力になるような。でも、僕もあいつも、土壇場で怖くなったんだ。だから、あいつは殺された」
その手が震えていることに気付いた。彼はなにかを知っている。直感ではなく、これは確信めいたものだった。
「やつらとは、誰です」
「言えるわけないだろ。僕は、死にたくないんだから」
そこまで聞いていた横山が、深く息をついた。
「警察で保護が出来る。自宅周辺の安全確認も。だから、話してくれないか」
横山がそう言った瞬間、バンッ! と中津原はテーブルを叩いて立ち上がった。
「一生か? 一生、僕を守ってくれるのか!? 僕が老衰で死ぬまで! そんなこと出来ないだろう! 半端な連中じゃないんだ。いい加減なことを言わないでくれ。僕からすれば、気休めにもなりやしないんだッ!!」
怒鳴りつけると、肩をいからせて、そのままカフェから出ていく。
「あ、ちょっと――」
「よせ」
引き留めようとしたアリサを、横山が制止する。
「でも、なにか知ってますよ!? それに命が狙われている可能性も」
「やつら、連中……この事件、単独犯じゃない。とにかく、中津原の許可は取れなかったが、重点的にパトロールは行う。ドローンやAIじゃ限界があるから、交代制で」
「でも、うちは三係しかないんですよ。どこかでほころびが出来ますよ」
「情報を渡して警ら隊に任せる。あそこなら、人数も充分にいるからな」
横山は髪をわしわしと掻いてから、アイスコーヒーを飲み干した。
「とにかく断片的でも情報は得られた。今から本庁に戻るぞ」




