第20話:奪われた右手。
◇20◆
現場にはホログラムで『KEEP OUT』という文字が浮かんでいて、アリサは手袋をしながらそれをくぐる。
現場となった違法建築を繰り返したビル群たちは、我先にと空へ手を伸ばすように伸びている。
「来たか」
「遅れてすみません! 立花 アリサ、現着しました!」
「おう。今動けるのが二係だけなんでな。急かして悪いな」
「錆川さんの班は」
「三係は非番だ。一係は八王子の銃の取り引きがあっただろ。その売人の取り調べだ。単独犯ではないと踏んでいるようだな。大元を引っ張るつもりなんだろう」
「……なるほど。それで二係だけというわけですか」
そういえば、一昨日に八王子で銃の売買があったとニュースでもやっていたことを思い出す。そこに駆り出されているのだろう。
この国のほとんどは監視カメラが設置されて、さらには警察用飛行ドローン、脳内チップや個人デバイス『HIMOMARU』の恩恵を受けて殺人捜査課は第三係まで縮小された。
仮に殺人事件は起きたとしても、すぐに顔が割れ、逮捕まで持って行けるという利点があるのだ。
残りは管轄の警察署が対応に当たっていて、広域な事件や連続的な事件、猟奇的な事件は警視庁が担当の所轄に捜査本部――帳場を立てることもある。
「それでその、マル害は」
「そこのビルの駐車場だ。妙な仏さんでな」
二係の主任である難波 修一警部補は腕を組んで、あごに手をやっていた。
難波は大柄な体躯をスーツに包み、髪はツーブロックで、堀の深い顔をしている。
身長も一八五センチあり、アリサとは三〇センチほどの差がある。
アリサが使われてない駐車場へ行くと、ニ係の班員と鑑識が遺体を観察していた。
その遺体を見て、思わずアリサは息を呑んだ。
被害者は男性で、スーツ姿で心臓部を中心に血が広がっていて――。
――右手首が切り取られている。
「立花、着いたのか」
「え、ええ。遅れてすみません。あの、この状況は」
班員である横山 優弥巡査部長がこちらを見て肩をすくめる。
短髪の黒髪で、痩身だが、警察柔道大会で表彰されたこともあると聞いたことがある。
「見たままだ。右手首だけ奪われてる。犯罪記録のスーベニアのつもりか、猟奇犯罪人の猿真似か」
アリサがしゃがみ込んで遺体に両手を合わせているところに、横山が言った。
「猟奇殺人者そのものという可能性もありますよね」
「まあな。殺し慣れてる。一発で殺して、右手首を持ち去っているから――可能性はある」
「連続性はどうでしょう」
「そこまではまだ分からん」
周囲では遺体の写真を撮り、鑑識が指紋や血液の採取を行い、その周りを、鑑識専用である歩行型のAI搭載小型ドローンが身分照会をデータと照合している。
そうやって得た情報は、ドローンから総合データ省や科捜研を経由して『HIMOMARU』の警察チャンネルへと転送されるのだ。
「しかしまいったな……帳場を立てようにも柳沢――吉祥寺には――特に廃棄地区管轄の警察署がない」
二十三区内や、ベッドタウンになった関東五県にはそれぞれ警察署が置かれているものの、過疎地区には警察署を設けていない。
それはあまりに危険だからという原因と、不法移民たちの摘発に前向きではない政府の動向によるところも大きいと聞いたことがある。
アリサからすれば、どちらも本当のようで、しかしその奥底に利権が絡んでいるようにも見えた。それも国内のものではなく、海外に向けての。
だからこそ臭い物に蓋をして、健全で安心な日本を押し出しているのだ。
そしてそれらは民間人も知っている。だからデモを起こすことも少なくはなかった。
廃棄地区とはいえ、治安の悪化をもろに被るのは近隣には住んでいる人間なのだから。
「とにかく初動を行う。俺と恒岡はこの周辺の聞き込みとカメラの確認。横山と立花は橋本先生のところへ向かってくれ」
恒岡 正樹巡査部長はうなづく。緩くウェーブした髪型で、線も細い男性である。だがデジタル関係にはめっぽう強いとのウワサだった。
「まずは……カメラの有無を探しましょう。望み薄ですが、もし壊されているだけなら修復は可能です」
この廃棄区画にカメラはない可能性が高い。だが、廃棄区画となる以前のものなら残っているかもしれない。恒岡はそれを見つけようと言っているのだろう。
そしてアリサたちは――観察医の橋本 晃子の元へ行くことになった。彼女は二十六と若くして監察医をとして勤めていて、優秀な監察医である。
ドローンが写真を撮りこみ、データとして送っていることからなにかしら分かることもあるかもしれない。
「マル害もすぐに橋本先生のところへ送る」
「司法解剖ですか。死因は分かっているのでは?」
難波の言葉にアリサは首をかしげると、彼は「解剖じゃない、傷跡と右手首を見てもらうんだ」と目を逸らさずにそう言った。
「なるほど。どれくらいかかりますか」
アリサが訊くと、遺体を運び出している鑑識と一言二言交わしてから、「十分もかからん」と返ってきた。
「なら、私たちより先に着きますね」
アリサは横山を見ると、「そうだな、だがまあ、急いだほうが良い」と言って、「車を回してくる」と駆けて行った。
それを見送っていると、ゾクリと背筋に冷たいものが走った。とっさに振り向くと――。
スーツ姿の男がこちらを見ている。
長いストレートの髪をセンターで分けて、両サイドで垂らして後ろで髪を結っている。
端正な顔をした男だったが、その目は鋭く、アリサに見られていること気付くと、すっと陰に溶け込むように姿を消した。
「ちょ、待ちなさ――」
「おい、立花! さっさと乗れ!」
追いかけようとしたとき覆面が来て、運転席から横山が大声を出した。
一瞬、追うかどうか悩んだが、聞き込みは班長である難波たちが行うことを思い出し、車へと急ぐ。
――誰だろう、関係者かな。
助手席に乗りながら、考える。少なくとも一係にも、三係にも――もちろん、二係でも彼のような人間は見たことがない。
それに廃棄区画でスーツというのも違和感だった。
――犯人の可能性がある。
そう思い立ち、『HINOMARU』の警察チャンネルを難波に合わせる。
『どうした?』
そこでさっき見た男の特徴を告げた。
「今回の事件の関係者かもしれません。重点的に調べたほうが良いかと」
『……分かった。調べてみよう』
そこで通信を切ると、「本当に見たのかよ」と横目で見てくる。
「ええ。マル被の可能性があります。もし犯人なら、現場に戻ってくるとも言いますから」
「いくら時代が発展しても、犯罪者の心理は変わらないってか」
「ええ」
「相変わらず目が良いな、お前」
「両目、1.5ありますからね」
「そういう意味じゃねえよ、バカ」
横山は苦笑してから、ドライブボタンを押して車を発進させた。
◇◆
「ご遺体は、田島 翔平。四八歳。蓮菱工業の営業部長ね」
ドローンから送られてきた情報を確認してから、目の前の女医は短く息をついた。
「蓮菱って、大手じゃないすか」
横山はデータを見ながら、「恨まれるにはでかい企業だな」とぼやく。
「それにしても、ひどい殺し方ね」
「ええ、銃殺の上に右手首の切断。とても正常な精神とは言い難いです」
「ご家族の許可は?」
「両親がいます。許可は難波さんが取ってくれています」
「そう……」
国立監察医務院所属の橋本 晃子は背の高く、黒髪をミディアムヘアにした女性である。
マスクをかけて、スクラブに袖を通し、消毒をして手袋をはめてから遺体の銃創や手首の切断面を見ている。
アリサと横山もまたマスクをしてその様子を眺めていた。
「致命傷になったのは銃弾で間違いなさそうね」
メスで傷口を少し開き、セッシで銃弾をつまみ上げて脇にあった膿盆へと置く。
「この形……どう? 警察なら詳しいでしょう?
「ああ……」
言われて二人で銃弾を見る。すぐにピンときた。横山も同じようで、顔をしかめている。
「旧式の銃弾……闇市場で売っているやつだ」
「おそらく、認証システムのない拳銃ですね」
二人して目を合わせ、深くため息をつく。そもそもこの国は銃社会ではないのだ。拳銃所持の権限のない一般人が手にしようとすれば、どうしても闇市場に行きついてしまう。
「だとすれば、闇デバイスからのアクセスですよね」
「その中からひとりを見つけるのは骨が折れるな」
実際、銃殺を選ぶ人間は少ない。闇デバイスの入手がそう簡単ではないからだ。
さらに闇デバイスから闇市場へ入り込むにはいくつものロックがかかっていて、そこにたどり着くこと自体が難しい。
だから大体の人間は包丁やナイフ、ロープといった比較手に入りやすいもので殺す。
そのほうが簡単で、確実だからだ。銃は殺傷能力自体こそ高いものの、しかしそれを狙って殺せるかと言えば、触れたこともない一般人には無理な芸当である。
だが、遺体は一発。心臓を狙って殺している。
「プロの犯行ですかね」
アリサが誰にともなく言うと、「それがね、おかしいのよ」と橋本は言う。
「胸の傷は貫通銃創。死因は心臓の機能不全。ただ、手首のほうがね……」
「手首……ですか」
「ええ、なんというか、ちぐはぐなのよね。語弊があるかもしれないけれど、銃の扱いはプロ並み、でも手首はささくれだらけ。まるで素人よ」
「ナイフとかなら、そうなるんじゃないですか」
「ナイフじゃ骨まで切断は出来ないわ。何度も切りつければかならず刃こぼれを起こすし、血液っていうのは、こう、ドロドロしてるの。そうすれば切れ味が悪くなるわ」
「チェーンソーみたいなやつで切ったらどうっすか」
「あり得ない話ではないわ。でも、いくら廃棄地区でも音は響く。そんな目立つもので切断すれば、すぐに露呈するはずよ」
橋本の言葉に、二人してあごに手をやる。
――どうやって切り落とした?
アリサはそう考えると同時に、もうひとつ、疑問が浮かんでいた。
「なんで、右手首だけ持って行ったんでしょう」
「ん?」
橋本が首をかしげるのを見て、彼女は続ける。
「リスクのほうが大きいと思うんです。銃声は聞かれる可能性がある。その上で、なにを使ったかは分かりませんが、手首を切断して持って行った。それも右だけ」
「さっき言ったろ。犯罪記念のスーベニアか、猟奇殺人の猿真似か――お前だって、猟奇殺人者の可能性だって」
「でも、それもおかしいんです。たしかに犯罪者の心理は分かりません。でも、こう、違和感があるんです。右手首だけを持ち去る、その意味が別にありそうな気がして」
「けれどスーベニアの可能性も捨てきれないわ。そういう事件は無いわけじゃない。五年ほど前にも、目玉を持ち去る殺人者がいたわ」
「目玉を?」
「ええ。アイ・コレクターとか呼ばれていたわね。燕尾服を着ていて、右の目玉をえぐり出して、何十人も殺していた。今は逮捕されて、極刑――島流しになっているわ」
――犯人が当時、十八歳だったから、かなりセンセーショナルな事件だったわね。
「それならたしか、ニュースで見た覚えがあります。連日、報道されていましたから」
昔は二〇歳未満の子供は少年法が適応されていたと聞く。しかし未成年による凶悪犯罪が多くなり、少年法は撤廃、今では成人と同じ刑罰が与えられる。
「取り調べで彼がなんの目的で目玉をえぐり取ったのか、訊いたらしいわ。そしたらなんて言ったと思う?」
「……いえ」
「目はいつだって愛を映しているから、ですって。まあ、話が逸れちゃったわね」
同じ人間とは思えなかった。そこまで目に執着する理由も、それを行動に起こしてしまう衝動も、アリサには理解できない。
「そんなわけで、右手首だけを持ち去って飾っている犯人がいてもおかしい話じゃないってことね。ただ、そうなると少しまずい可能性も出てくる」
「まずい可能性っすか」
「仮に、よ。スーベニアだったら、これで事件は終わらないってことよ。アイ・コレクターと同様にね」
「――そんな」
「ま、まだ仮定の話。それに私は警察じゃない。あくまで監察医。出来ることは、ご遺体の死因を究明することだけよ」
橋本は遺体を包み、遺体保存庫へとスライドさせていく。
そのとき、難波から連絡が入った。
「はい、立花です」
『田島の両親がそちらに向かっている。お前たちは待機して、そちらで情報を探ってくれ』
さらに難波は続ける。『こっちも一応収穫はあった。後々共有する』と言われ、横山が短く息をついた。
アリサは小さくうなづいてから「かしこまりました」と伝えて、「橋本さん、ミーティングルームをお借りしても良いですか」と彼女を見ると、微笑んでうなづいた。
「私はもう少し調べてみるわ。死亡推定時刻は後ほどHINOMARUに送るわね」
「ありがとうございます」
「……まったく、妙な事件だな。右手を奪う、その動機が見えてこない」
その言葉が、いやに耳に残った。




