第18話:彼女の思いとこれからのこと。
◇18◆
ビースト・ラボの奥にある『処置室』の扉の前で、ラットは腕を組んでいた。リンダは壁に背を預け、刀を肩に掛けて仮眠をとっている。
安心して疲れたのだろう、マユとアイも肩を寄せ合って眠っていた。
マユとアイを含めた四人は構成員が手当てをしてくれて、しかしノブアキだけは重症だったため、担架に乗せられて、一時間、処置を受けている。
しばらく待っていると、扉が開いて戌亥が出てきて、スクラブを脱いで近くにあったごみ箱へと捨てる。
「……まったく。数時間前に殴り倒した相手に手術をしろとはな。しかも金までかっぱらっておいて、良く来られたものだ」
「仕方ねえだろ。命には代えられねえ。他に当てもなかったんだからよ。それで、容体は?」
ラットが言うと、戌亥がふ、と短く息をついた。
「どんな訓練をしたかは分からんが、ずいぶんと頑丈だ。骨ひとつ折れていない。だが、裂傷が見られるのと、血を流しすぎているから、しばらくはここで休んでもらう」
「そうか……ありがとうな」
「元とはいえ、研究材料に礼を言われるとは思ってもみなかった」
「……助けてもらったんだ。礼くらい言うだろ。お前が俺の身体をいじったことと、今回の件は別だ。それより――やっぱり医師免許は持っていたんだな」
「ああ。これでも昔は、救命で働いていた。そこから研究職に転属して、今の第二ラボの所長に声をかけられてね。気付いたら獣人の研究をして――ここに来た」
「どんな罪を?」
「人間と動物の異種間移植だ。遺伝子組み換えで近しい動物の器官を移植したが、当時は上手くいかなかった。レシピエントもさらった人間を使って、何人も死なせてしまったわけだ」
――医者からも国民からもマッドサイエンティストと呼ばれたよ。
「胸糞悪い話だな。それに、第一ラボはイカレてると聞いたが」
戌亥は眉間にしわを寄せて「あの人はまだ憑りつかれてるんだ」と漏らす。
「戦争すらAIとデータの時代に、獣人を使おうとしている。その過程で出来たのがハーフ・ビーストだ。だがあの人は、今も完璧な獣人を作り出すことにこだわり過ぎているんだ」
「獣人を戦争で使うつもりなのか。メリットがあるか分からねえな」
「シンギュラリティが起こっていない今、どうしてもAIは人間が管理することになる。つまり、管理者――元を絶つことに意味を見出している。そして」
――獣人のタフさと野生の勘、強靭さに人間は太刀打ちできない。
「……それは軍隊を使ってもか」
「想定外の人間がいるというだけで脅威なのだよ。特殊部隊すら凌駕する人間、それを作り出したいんだろうな。それはこの監獄にあっても変わっていない」
ため息をついてから、短髪をガリガリと掻いた。
「――この監獄で終わらせるつもりはなさそうだな」
「もちろん、カギは探しているだろう。獣人はまだ完成していないが、もし完成させて本土へ戻ったら――法整備が追い付かないうちに破壊を始めるだろう。彼は反AI派だ。この時代をもっとも嫌っているもののひとりだよ」
――脳内に組み込まれたチップも、自分の部下に取り外させるほどにね。
「なるほどな。そりゃあ、ずいぶんとイカレた思想だ」
「人間至上主義もここまで来ると病気だな」
「でもなんで、そんなやつについてたんだよ」
「救命を離れて研究職にいたころ、論文を手伝ってもらったことがある。本来なら共著となるはずだったが、彼は名を連ねることはなく、私ひとりの論書となった。それが学会で認められてね。まあ、端的に言えば恩があるんだよ」
「それすら織り込み済みで――というのは考えすぎか?」
「今となってはもう分からないさ。彼は、第二ラボを私に任せて、自分は引きこもって今も研究を続けている」
ラットは腕を組んだまま、眉間にしわを寄せる。ここは監獄であり、いるものは監獄チルドレンを除けば罪人ばかりだ。
その中でも第一ラボは異色と言っても良い。
「猫を被った虎ってのを、知ってるか」
「ん?」
「第一ラボの人間を殺して逃げだしたって聞いたが」
「ああ――“化け猫”か」
「化け猫?」
「君と同じハーフ・ビーストだ。だが、研究の途中で覚醒してしまって、さんざん暴れたそうだ。一度は第一ラボの存続にも関わったとか」
「強いのか」
「強い、弱いではないよ。あの化け猫は――狂っている」
「それは、あんたらが余計な研究をしたからじゃねえのか」
「いいや、元からだよ。だから目をつけた。あの凶暴さと殺意の高さに可能性を見たんだろうな。麻酔銃を使って眠らせて、捕まえて、研究素体にしたんだから」
――だから。
戌亥は続けた。
「――出会ったら逃げることを勧めるよ。幸い、彼女は気まぐれなたちだ。興味が他に移れば、逃げ出すことくらい容易だからね」
「彼女……化け猫の正体は女か」
そこでおっと、と戌亥は苦笑した。「口を滑らせてしまったな」
「まあ、世間話はこのあたりにしよう。ノブアキくんは私は診ているから、君たちは休む場所でも探してくると良い。あの店で食事を済ませるもの良いだろう」
「……そうするかな。おい、リンダ」
「うん、起きてるよ。マユ、アイは歩けるかな」
リンダは立ち上がり、ラットは2人の身体をゆすって起こす。
「信じているよ、戌亥」
「……君にはさんざんやられたからね。正直、もう二度と敵対はしたくない。だから、安心してくれ」
リンダは満足げにうなづくと、そのまま出口へと向かう。マユやアイも起き上がり、ラットの後ろをついて、ラボの外へと出た。
◇◆
「アイッ! マユッ! 良かった、良かったよ~!」
「ごめんね、心配かけて」
「ほ、ほんと、ごめん、ね?」
「良いよ、もう! 二人が無事なら!」
龍爪飯店へ行くと、セロが二人を見つけるなり、駆け寄ってきて抱きしめた。その目には涙が浮かんでいる。
それを横目に、ラットとリンダは空いている席へと座る。
「リンダもラットも! ありがとうっ! ティアンさんが今日は特別に好きなものご馳走してくれるって!」
「別に大したことじゃねえよ。それに別にタダ飯食らうために動いたわけじゃねえ」
「まあまあ。せっかくの好意だよ。俺はビールをもらおうかな」
リンダが諫めて、セロに向かって微笑んだ。
「じゃあ、まあ……俺もビールで」
「マユは? アイはどうする?」
マユはリンダの隣に座り、対面にアイが腰を下ろす。
「私はえっと、その、ラーメン」
「私はレバニラとライス! お腹空いたんだあ」
オーダーを通すと、セロはキッチンへと引っ込んでいく。それを見送りながら、ラットは少し意外そうにリンダを見る。
「お前も酒を飲むのか」
「付き合いで何度も飲んでたからね。多少たしなむ程度だよ」
ふうん、とラットは頬杖をついて、目の前の男を訝しむ。永明の言っていた言葉も引っかかっていた。
――その目、父親似だな。
あの老人は明らかにリンダのなにかを知っているように思う。それも父親――リンダが殺されたと言っていた人間。永明はその根源的なものを、公然の秘密とも。
だが、ここで訊いたとしても、彼は答えないだろう。上手く躱されて終わりだということも分かっていた。
だから、現状のことを話すことに決める。
「俺たちもねぐらを探さねえとな」
「眠るところかあ。そういやギャングの縄張りには気をつけろってクリスティーナが言ってたね。ハチの巣になるらしいよ」
「そりゃ物騒だな。一階にもビースト・ラボ以外にギャングがいるかもしれねえしな」
「あっ、あの!」
そのとき、マユが裏返った声を出して、二人して視線を向ける。
「わ、私たちの場所……広いし、その、左右に分かれてる……から、あの」
「ね、一緒に来たら良いんじゃない? 秘密の場所だし、弁天一家に襲われる可能性ももうないみたいだし」
マユの言葉を補足するように、アイが微笑む。ラットとリンダは互いに目を合わせてから、「じゃあ、お言葉に甘えようか」と彼は苦笑する。
そのとき、セロが注文した料理を運んできた。マユとアイは手を合わせ、ラットはジョッキを持ち上げて半分ほど飲み干した。
「ね、アイ、マユ。ティアンさんがね、うちで働かないかって」
セロは二人に向けて、後ろ手を組んで身体を傾ける。
「えっ」
「私も良いの?」
「私もだけど、監獄チルドレンを助けるのがティアンさんだからさ。どうかな」
その言葉に、アイは「じゃあ、お世話になっちゃおうかな」と前向きな言葉でマユを見る。
しかしマユはうつむいたまま、言葉を選んでいるようだった。
「わ、私は、その……」
困ったように顔を上げて、隣りに座るリンダへと顔を向ける。リンダは首をかしげていて、ラットは呆れたようにため息をついた。
「俺たちについてきても、危ないだけだぞ。俺もリンダも、ここで平和に暮らそうなんて考えていねえからな」
「で、でも……私、その、今回のことで、つっ、強くなりたいって、そう思ったの。た、戦ってる三人を見て、アイとか、その、誰かを助けられるくらい、強くなりたい、って」
マユは顔を上げた。髪で目は見えないけれど、その口許はきゅっと閉められていて、それは――あのとき、アイを助けたいと願ったときのような意志の強さを思わせた。
「だっ、だから、あのっ、二人に……ついていきたい。だっ、ダメかな」
その言葉に、二人はしばらく考えた。リンダはどう感じているのかは分からないが、ラットとしては、彼女を危険にさらして良いものかと逡巡する。
「いいんじゃないかな。強くなりたいって気持ちは大切にするべきだよ」
「でもよ、弁天一家はなんとかなったが――ここから先はどうなるか分かんねえぞ」
「そうだね、ここから先は分からない。でも、俺は彼女がお荷物になるとは思わない。誰だって最初から強い人間はいない。だから彼女のこれからを見るべきだ」
リンダはそう言ってビールを空ける。優しい微笑みを見て、ラットは短く息をついた。
「……俺だって、お荷物になるとは思ってねえよ。マユは、それで良いか」
その言葉にマユは何度もうなづいた。それを見て、ラットは笑みを浮かべると、ジョッキを傾けて残りのビールを飲み干した。




