第17話:弁天一家の頭。そして……。
◇17◆
「その強さ……お前、何者なんだよ」
ラットはやっと動けるようになった身体で立ち上がり、刀を収めるリンダの隣りに立った。
見ると、ノブアキも血まみれだが――意識を取り戻したようだった。だがまだひとりでは立ち上がれず、アイとマユに支えられている。
「えっへへ。強いでしょ。死ぬ気で覚えた技だからね」
「いや普通に自慢するのかよ。にしても、あくまでパーソナルな疑問には答えるつもりはねえようだな」
「いずれ話すときもあるよ。でも、今回の戦いはまだ終わってない」
歩きながらリンダはそう言うと、朱塗りの階段の奥――すだれが掛かった向こうを見ている。口元には笑みを浮かべながらも、その視線は射貫くほどに鋭い。
「ここまでされて、出てこないつもりかい?」
「……まったく、人の庭で好き勝手に暴れよって」
すだれが上がり、和服の老人が顔を出した。白髪を肩まで伸ばし、白い口ひげを生やしている。その顔には切り傷まみれで、右目は閉じられている。
「お前たちの名前はなんだ? どこのチームだ」
「チームの名前はないよ。俺はリンダ。こっちは」
「ラットだ」
「ふむ、偽名か。それも良い。私は永明という。それにしても――その目、父親似だな」
その言葉に、リンダの表情が変わった。じりじりと殺気のようなものが立ち昇っていく。
「へえ、知っているんだ」
「ここに入る前、報道でな。それにウワサもあった。公然の秘密というやつだ」
「それ以上、続けるなら」
柄に手をやり、親指で鍔を押し出すのを見て、老人は薄く笑った。
「……これ以上は野暮か。君を怒らせるのは得策ではないようだ」
――不退転流の使い手なら、なおさらよ。
永明はそう続けて、髪をかき上げた。リンダはふ、と短く息を吐いてから「この流派まで知っているんだ?」と首をかしげる。
「六〇年も生きてきたのだからな。伊達に歳は喰っていない。それなりに知識は蓄えておる。それで、どうする。私を殺して仕舞いにするか」
永明もまたその眼に殺意を光らせている。腰には刀を差していて、柄に手首を乗せ、いつでも抜けるように態勢も傾けていた。
しばらく沈黙し、互いに睨み合っていた。一触即発の爆弾のような緊張感が張り詰めて、そしてリンダは――微笑んだ。
「あなたの対応次第だよ。これからも今の方法を続けるのなら、俺は力づくで止める。でもまあ、聡明なあなたなら――答えはもう決まっているんでしょ」
永明は虚を突かれたような表情になり、左目を見開いたかと思えば、カッカ、と声に出して笑った。
「君は面白いな。どんな人生を歩んできたかは分からんが、大胆だが、駆け引きを知っている。それに対して臆することもない。私も現役時代を思い出すよ」
永明は階段を下りきり、リンダの前に立つ。その背はリンダより頭ひとつ分、高い。
「良い。私も考えを正すとしよう。すべては、頭である私の責任だ」
――だがね、と永明は続ける。
「ひとつ、君の考えも正しておこう。これでも私は、蔵丸たちを自分の子供のように思っている。だからこそ、勝手を許した。矛盾していると思うだろうが、私は彼らを愛おしく思っている。これだけは、事実だ」
「……まあ、なんとなく理解は出来るよ。話を聞く限り、子供たちを売って金にしようと考えたのは、蔵丸だろうからね。あなたも思うところがあったんでしょ」
「子供たちを解放する。行き場のない子らは、ここで世話をする。もちろん、構成員としてではなく、平穏に、自由に暮らせるようにな。私も若くはない。出来ることはそれくらいだ」
「それは願ってもないことだけど……三階層の支配は良いのかい?」
リンダはあごに手をやり、眉を寄せて永明を訝しむと、彼は優しく微笑んだ。
「あとは若い衆に任せる。だが心配はいらない、手綱は私が握る。同じ過ちは許さんよ」
その言葉を聞いて、リンダはため息をついた。それから「ところで」と、切り出す。
「手の甲に青い鴉のタトゥーを入れた人間に心当たりはあるかい」
「青い鴉?」
「ああ、見た覚えはないかな」
「ふむ……。それは聞いたことがないな。三階層にもいなかったはずだ。それほど特徴的なら覚えている」
「ここに入る前も?」
「ああ。老いたとはいえ、これでも記憶力は良いほうだ」
「……やはり隠密性が高いな。さすがというか、厄介というか」
「その人間を探しているのか」
永明も不思議そうに首をかしげているのを見て、リンダはうなづいた。「それもひとりじゃない。幹部はかならずそのタトゥーを入れている」
幹部、という言葉にラットは思い出す。ビースト・ラボで、『やつら』と言っていた。そのときは複数人いるのだろうと考えたが、弁天一家のように組織で動いているのかもしれない。
「なるほど。見かけたら、君に報告が行くように手配する。それで、これを一度聞きたかったのだが――」
――どうして我々に牙を剥いたんだ?
「正義感からか? それとも、二階層を支配するつもりだったからか?」
永明は顎ひげを撫でながら、真っ直ぐにリンダを見る。彼もまた真っ直ぐに見つめて、微笑んだ。あの妖しい光は消えて、優しい笑みだった。
「底抜けに優しく、無垢な少女の覚悟を見たからだよ」
そう言って肩越しにマユを見て、肩をすくめてみせた。永明は満足そうにうなづいてから、目を細める。
「良い男だな、君は」
◇◆
二階層へ降りる階段――そこで雪崩のように倒れている構成員たちに埋もれていた青年は意識を取り戻し、男たちをかき分けて足音を立てないように駆け上がった。
「ふ~。本気で来るんだから参るなおい。今回ばかりは死ぬかと思った」
通路に出てから腰につけていた仮面を外し、顔へとつける。目の部分がバツになっていて、顔の上半分を覆うようにカポッとつける。
黒いワイシャツに同色のデニム、赤いハイカットスニーカーを合わせている。
「それにしてもあのビースト・ラボを潰したリンダにラット……あとは用心棒のノブアキに、あの女……マユとか呼ばれてたっけか。活きの良い輩が出てきたな」
腹をさすりながら、それでも浮き足立っているような声色だった。
舌なめずりして、胸ポケットに入れてあったメモ帳に書き記す。
情報を得るために大量にいる構成員の中に紛れ込み、ウワサのビースト・ラボを潰した二人を探っていたのだが――用心棒が反旗を翻したことと、少女が一緒だったのは予想外だった。
情報屋である彼は、それだけで金を稼いできた。そのためならどんな危険な場所であっても潜り込む。
この監獄に入れられる前も、ハッカーとして情報操作をしてきた。
あえて情報を小出しにすれば、その撒き餌に喰いついてくる人間がいることを、誰よりも知っている。
それが行き過ぎて、海外国内問わず機密情報を盗み出し、極刑を受けたのだが。
データ信仰のこの時世に於いて、彼のような人間は受け入れられないのだ。
情報を盗み出し、流出させ、売りつける。国内の情報を海外へ売れば、それだけで脅威となる。だからこその島流しだった。
このアナログな世界では、彼も動けない。そう判断されたのだろうと青年は考える。だが――。
この場所であっても情報は武器になる。むしろ、『HIMOMARU』のないアナログな世界だからこそ、誰もがそれを求めてくる。
ギャング同士の戦争であれば、敵対勢力の内情は非常に有用なのだ。
「あ、置いといてくれてありがとな~!」
通路の途中にあった店先のハンガーから、来る前に掛けてあったファー付きのモッズコートを取り、袖を通しながら、こちらを見ることもなく煙草をくゆらせている店主へ声をかけた。
「さてさて……」
鼻歌まじりにペンを挟んだメモごとポケットへ手を突っ込んで笑みを浮かべ、右手で仮面のサイドにあるスイッチを押すと、目のバツになっている部分が青く光った。
「この餌に、誰が喰いついてくるかねえ」




