第16話:不退転流、修羅裂き。
◇16◆
――なんだ、この男は。
蔵丸の刃を躱し、刃引きの刀で掬うような一撃が襲ってくる。それを一歩下がって避ける。
袈裟切りに振り下ろすと、片手だけでバク転をして間合いを取った。約一時間、殺し合いをしているというのに――相手は息も切れていない。
「あんた、何者?」
蔵丸はあごから滴り落ちる汗を拭って、口の端を吊り上げた。
「極刑を受けた囚人だよ。ここにいるんだから」
「……まったく面白くもないジョークだね」
蔵丸の内心は冷静だった。だが、だからこそ気になるのだ。リンダの動きは常人のそれではない。明らかに剣術をやっているものの動きだ。
それに加え、動きはそれに倣わず奔放に見える。型にはまっていない剣術――そんなものを、蔵丸は知らない。
「どこで誰に習った?」
「……父の友人に。何度も死にかけたけどね」
そう言って、リンダは駆け出す。瞬間に間合いを詰め、横薙ぎの一撃が走り、それを跳ね返したが、蹴りが腹に入って顔をしかめる。
態勢がよろけて、リンダはさらに回し蹴りを入れ、こめかみへ柄頭を振り切った。
――体術と同時にだと!?
なんとか踏みとどまり、振り下ろされる刀を受けて鍔迫り合いになる。
「君は強いね。これで倒れなかった人は――初めてだよ」
「ここをどこだと思ってるんだ。僕だって死地は何度もくぐってきている」
「――それもそうだね」
力づくで離して、首筋へと一線を入れる。ネクタイが切れて宙を舞った。しかし一歩下がった刹那、一瞬だが態勢が崩れた。
そこで蔵丸は突きを繰り出し、リンダはそれを首をかしげて避けるが、頬に赤い線が走り、鮮血が散った。
「速いな。君のほうこそ、流派なんだい?」
「我流だよ。殺すことで磨いてきた技だ」
「なるほどね、実績に裏打ちされているわけだ」
蔵丸は踏み込んでリンダの心臓を狙う。紙一重で躱され、相手の刃が胴に入りそうになったところをひざでガードし、拳を頬に叩きつけた。
「あんたには分からないさ。弾丸一発、ナイフひと振りで死ぬこの場所で、そんな刀を振り回している。平和ボケしたあんたにはね」
「――……」
そこからは無言で刃の応戦だった。振り下ろし、受け止め、剣戟の音だけが甲高く響いている。
刀が肩を叩き、顔をしかめながらも太ももを切り付ける。だが、相手は表情ひとつ変えないどころか――うっすらと笑みを浮かべている。
「……ひとつ、訊きたい。君はどうして、弁天一家に?」
リンダのこめかみを切り付け、血が垂れる。同時に柄が蔵丸の腹に押し込まれ、歯を食いしばった。
互いの間合いの中、一瞬の沈黙が訪れる。
「僕は――いや、僕たちは、監獄チルドレンだ」
「……なに?」
「僕も、ジェーンも、ビスカスも、頭に拾われた。大恩ある方だ」
そう言ったとき、はじめてリンダの表情が曇った。
その眼には、怒りのようなものが映っているような気がして、蔵丸は眉間にしわを寄せる。
「なにか文句でもあるのかい」
「――監獄チルドレンなら、あの子たちの境遇だって知っているはずだろう。なのに、さらって売って、金にするなんて、よく出来るものだね」
「それがあの方の望みだからだッ!」
「生き方くらい、自分で選んだらどうだ」
リンダもまた険しい表情を浮かべている。「そんなもの――外にいたあんたたちの言う妄言だ。理想論だ。この場所に、選べるものなんてないッ!」
言った瞬間、襟首を掴まれ、そのまま足払いを受け地面へと押し付けられる。
「探す努力もしていないくせに、達者な口だ」
ギリギリと絞められ、蔵丸は目を見開いて歯ぎしりをする。振りほどこうと足をばたつかせるが、ひざが腹を押さえていて、思うように動けない。呼吸が――出来ない。
「探すだと? どこまで甘いんだ、あんたはッ!」
「甘ったれているのはどっちだ。いばらの道を裸足で歩く覚悟もないやつが、道の外で吠えているだけじゃないか」
「――あんたに、なにが分かる……ッ!」
「分からないさ。けれど、険しい道の歩き方くらいは、知っている。避けずに、真っ正面から歩くだけの覚悟は、いつだってしてきた。だから――」
――だから、ここにいるんだ。
「――は?」
リンダの言葉は、蔵丸にとって理解しがたいものだった。どんな理由があったかは知らない。ただのテロリストだとしか情報にはなかった。
だが、目の前の男と、テロリストという言葉が、かみ合わないことに気付いた。
「もちろん、想定外のことだ。でも、それでも受け入れて覚悟を決めた。この監獄を歩く決意をね」
「なにを、言って……」
「歯を食いしばれ」
そっと刀を置いて、拳を振り上げると、加減なく蔵丸の頬を打った。ぐわんと視界が揺れ、意識が朦朧とする。
呼吸が浅くなっていて指先が痺れている。
――ダメだ、意識を奪われる!
それでもなお、蔵丸はリンダを睨み付けていた。
――この生き方以外、あるわけないのに。
◇◆
物心ついたとき、蔵丸の父親は彼を見るたびに拳を振るった。母親は面影さえ思い出せなかった。
ただこの男が満足するまで殴られて、気絶するように眠るだけの毎日。
ほとんど食事も水も与えられず、生きていける最低限だけを、父親は渡してきた。それは愛情ではなく、暴力を振るう相手がいなくなることを避けていただけだった。
父親は子供の目から見ても、軽蔑に値する人間だった。強いものには媚びへつらい、そこで受けた暴力を、ストレスを、蔵丸で晴らしているのだ。
青あざが絶えない幼少期を過ごし、身体はやせ細り、垢だらけで、自分はいつ死ぬのだろう、そう思うことばかりの日々だった。
だが、転換期というものはある日突然訪れた。
ふらふらと二階層をさまよっていたとき、たまたま錆びたナイフを拾ったのだ。どこかの誰かが落したものなのか、捨てられたものなのかは分からない。
けれど、人を殺すには十二分すぎる『力』だった。
その日、はじめて人を殺した。それは、自分の父親だった。
背中を刺し、父親は目を見開いて叫んだ。倒れたのを見て馬乗りになり、脇腹を刺した。
やめてくれ、すまなかった、命だけは助けてくれ、父親は叫び続けた。実の息子に対して命乞いをする、あまりに情けない姿に、蔵丸ははじめて笑ったのだ。
父親が持っていた金を持って、刀を買った。ナイフよりも刃が長い分、多くの人間を殺せると踏んだのだ。
そこからは金のために殺した。今日の食事のために殺した。ただ――生きるために殺した。
そのころに、弁天一家の頭である永明と出会ったのだ。
六人を殺しまわり、血まみれで立ちすくんでいた名前のない子供に対し、彼は笑った。
『良い腕だ。うちで働けば、食事も服も自由も保証しよう』
ただ生きていくことに執着していた彼にとって、それはあまりに都合が良かった。
弁天一家は一度、大きな戦争をしたことがある。当時の三階層の支配者、『クラウン・コード』とだ。
そのころは弁天一家も多くの構成員と幹部がいた。両者は拮抗し、三日三晩の戦いの果て、クラウン・コードは潰れ、弁天一家もまた、多くの構成員と幹部を失った。
三階層は支配者がいなくなり、西と東で二分化され、今も睨み合いが続いている。
弁天一家はといえば、蔵丸、ジェーン、ビスカスが失った幹部の後釜となり、もう一度、三階層との戦争のために金を必要とし始めた。
そのために、蔵丸は監獄チルドレンを売りさばく案を思いつき、邪魔するものはすべて殺してきた。
楯突くものはすべて殺す――絶対殲滅と呼ばれ始めたのはそのころからだ。
この場所で生き方など選べない。すべては運と、どこのチームに所属するかだ。そして弁天一家は大恩もあるうえ、一度は三階層を潰した実績もある。
おあつらえ向きだとさえ思った。永明についていけば、カギを見つけ出し、まだ見たことのない外へ出られる可能性さえある。
だから――この場所にいる。それだけが、彼にとってのすべてだった。
――それを、一階層の、ただの男ひとりに、潰されてなるものか。
「――ッ!」
蔵丸は唇を噛み、意識をとどめて、足をリンダの身体にからめる。手首をひねってひざを押しのけ、拳をその目に叩きつける。
「……まさか、まだ立つとはね」
「邪魔は、させない。僕は、僕の人生を否定させないッ!」
素早く刀を取り、胸をめがけて思い切り突き出した。そのとき、違和感に気付く。彼のスーツには、血が滲んでいない。
「防刃防弾のスーツだよ。よほど気に入られたようだ」
「くそっ!」
今度は首を狙う。するとリンダはしゃがんでそれを躱し刀を取り、振り上げた蔵丸のわきを斬り付けてくる。
びりきと筋が痛み、舌打ちをする。だが、もう止まらない。
駆け出して、跳躍して、その脳天へと振り下ろす。ガチン! と甲高い音がして、リンダが刀で受けているのが見え、蔵丸の腹に左の拳を沈める。
「ケホッ!」
ひざから着地し、眉間にしわを寄せながら、ふらふらと立ち上がる。
「殺してやるよ」
「やってみなよ」
心臓が跳ねて、声にならない声で叫んで、走り出す。リンダは刀を鞘に仕舞い、半身を下げた
「もらったッ!」
「――不退転流、修羅裂き。揺らぎ」
不意に、耳慣れない言葉が聞こえたかと思えば――わき腹に衝撃が走り、同時にこめかみを叩かれて吹き飛んだ。
――なんだ、今のは……!?
一瞬のことだった。鞘から走った刃が右わき腹を打ち、瞬間的にくるりと逆手に変えて左のこめかみを打ったのだと、理解するまで数秒かかった。
「君は強いよ。力だけで言えばね。でも、信念が弱い」
その眼は鋭く、しかしうっすらと笑みを浮かべている。その笑みが――どこまでも恐ろしいもののように映った。
「うそ、だ」
揺さぶりを受け、立ち上がろうにも全身が痺れている。呼吸がままならず、まぶたが重くなった。
意識が、遠のいていく。
「あんたは、いったい……」
「言ったろう。ただの囚人だよ。それなりに目的を持った、ね」
意識が途切れる最後に聞いたのは、そんな、とぼけたような言葉だった。
 




