第14話:場を制する者。
◇14◆
「龍爪飯店でセロという方から事情は訊いてます。女の子たちが囚われているのは一三番から一六番コンテナです。あなたは友人を探しに行ってください」
「で、でも……」
「信用してくださいとは言いません。僕も弁天一家でしたから。でも、今、あの方たちを助けられるのはあなたしかいません」
肩越しにそう言われて、マユは震える足を奮い立たせて駆けだした。
「おいおいおい、裏切るつもりかあ? 誰が飯と金を与えてやったと思ってんの? その服だってさあ。恩を仇で返すつもりなわけ?」
「――たしかにお世話になったのは事実です。でも、僕の疑問は、僕の生きていく理由は、このままでは見つからない」
「はっ! 生きていく理由? 監獄チルドレンが? バカバカしいね。お前らはこのまま駒として生きて、死ぬんだよ。どうせこの監獄の外になんて出られないんだからさあ!」
「だとしても、僕は探し続けます。そう決めたんですよ」
「……あーあ。可愛がってやったのにこれだよ。もういいや、死ねよ、お前」
一歩踏み込んだ瞬間、ヘッドが頬をかすめた。ノブアキは逆手に持ってハンマーの柄を腹へと突き出す。勢いがついた分それはめり込み、「があッ!?」とビスカスから声が漏れる。
への字に折れた身体の背にヘッド部分で押し込み、態勢が下がった瞬間、ひざを顔面へと入れた。
「このっ、ガキィ!」
跳ねるように跳び起きてハンマーを回し、ノブアキの頭部へと向ける。首をかしげてそれを避け、横薙ぎにヘッドを押し込み、肋骨がメキメキと軋む音が手に届いた。
だが、そこで止まることはなく、ノブアキの右肩にハンマーが振り下ろされる。
――折られる!
瞬時にそう感じ、ハンマーから手を放して、半身をひねってつま先をビスカスのこめかみへと叩きつけた。
「ぐ、が、このっ、こいつ……」
「ふっ!」
態勢が崩れた今がチャンスだと、拳だけでジャブを打ち、のけぞったビスカスの後ろへと周りこむと、そのひたいに肘を入れる。
しかし踏みとどまったビスカスはハンマーでノブアキのこめかみに一撃を入れ、その勢いのまま吹き飛ばされた。
「調子に乗ってんじゃねえぞ孤児ふぜいがあッ!! てめえらは俺らの言うことだけ聞いときゃ良いんだよ、ああッ!?」
ビスカスは血まみれになった顔面で怒鳴り、ノブアキは顔をしかめる。こめかみから血が垂れ、壁にぶつかったことで背骨が軋む。
――まともに食らってたら意識が飛んでましたね。
ハンマーを視界の端に捉えたとき、地面を蹴って同じ方向へ飛んで威力を抑えたものの、それでも躱しきれなかった。
「おい、ビスカス! なんだそのザマはッ! てめえ、それでも弁天一家の幹部かよ!」
「うるっさいんだよ! 黙ってろよジェーンッ!!」
見るに耐えなくなったのか、ラットと拳を交えているジェーンが怒鳴り、それに対して血の混じった唾を飛ばして怒鳴り返している。
そこに、一瞬の勝機が見えた。
ビスカスはノブアキにとってハンマーでの戦い方を教わった師でもある。だが、彼は一度、キレると技が大振りになる癖がある。
それはノブアキだけじゃなく、幹部なら誰もが知っているはずだった。
しかしラットと戦闘中のジェーンも無意識に煽ってしまっている。彼が冷静さを取り戻す前に決着をつければ、あるいは――。
「仲間割れですか? みっともないですよ」
「こいつ……」
「挙げ句、あなたの言う駒に負けるなんて――恥ずかしくて死にたくなりますよね」
「そんなに死にてえなら殺してやるよッ!! かかってこいよゴミ野郎ッ!!」
――乗ってきた。
このまま畳みかけてしまおう――そう思ってハンマーの柄を持つ手に力を込める。
その瞬間だった。
「君たちさ、ここで負けたら、どうなるか分かってるのかな」
どこまでも冷え切った言葉が、熱くなった場を制した。
「奥で、永明様が見ておられるんだよ。なのに、なんだい? そのザマは」
――しまった。
ピリピリと冷たい殺意がジェーンやビスカスを冷静にさせていく。蔵丸はリンダと交戦中だというのに、まったく冷静さを欠いていない。
「弁天一家として恥ずかしくない戦い方で、殺しなよ」
「……ッ!」
ノブアキは眉間にしわを寄せる。ビスカスの表情が明らかに変わっている。怒りは抜け、純然たる殺意だけがその身に宿っている。
「あー、そうだったなあ。ただ殺せば良いだけ、そうだよ、それだけの話だよね」
踏み込んだ一歩で、即座に間合いに入り込んできて、わき腹にヘッド部分がめり込む。メキメキと骨が軋み、ノブアキは低い声が漏れて地面を滑る。
「ちょっと熱くなり過ぎたねえ。こんなガキに乗せられるなんて、それこそ恥ずかしい」
痛みで倒れたままのノブアキの肩に向けて、ハンマーを振り下ろす。一拍遅れてきた痛みに声にならない叫びをあげた。
「死ねよ、ガキ」
「ぐあああああッ!?」
腕を押さえ、顔をしかめている中、ビスカスは笑みを浮かべて顔面に向けてハンマーを振り下ろした。
◇◆
一三番から一六番のコンテナ――。
マユは側面にあるコンテナを探っていた。どれもカギはかかっておらず不思議に思ったが――それも彼女たちの目を見れば理由は分かった。
誰もが逃げ出そうなんてことを考えていない。絶望だけが目の奥にあった。逃げ出せば殺される、その恐怖だけが心を満たしているのだろう。
現に、弁天一家は牙を剥いたもの、逃げ出したものをかならず殺す。“絶対殲滅”を掲げている。それほどまでに名が通っているのだ。
見張りも置かずに自由にさせているのは、それだけの自信があるという裏返しとも言える。
「あ、あの、アイ、知りませんか」
一四番コンテナで少女に訊くも、言葉さえ躱せないほどに憔悴していて、「かならず、自由になりますから」と伝えても、目は澱んだままだった。
――私がこのままじゃダメだ。不安にさせちゃう。
笑うのは苦手だった。感情を表に出すことも。けれど、不安と絶望にさいなまれている彼女たちをそのままにしては置けなかった。
だから、不器用にも笑ってみせたのだ。
「大丈夫、あの人たちが、きっと自由にさせてくれる」
半分は自分に言い聞かせているようなものだったが、それでも声をかけ続けた。
「アイちゃんは、一五番コンテナ、だよ」
「――え?」
すると、ひとりの少女が隣りのコンテナを指さした。細く、垢まみれで、今にも折れそうな指だった。
「孤児の学校で、一緒だった、から。知ってるの」
「――ありがとう」
その震える肩に両手を置いて、「まっ、待ってて、ね。た、助けるから」と詰まる言葉で伝えて、隣りのコンテナへと向かう。
「そう簡単に行くと思うか」
一四番コンテナを出た瞬間、黒いパーカーの男が鉄パイプをこちらへと向けていた。瞬発的に横に跳び、振り下ろしてきたそれを躱して、銃をスライドさせる。
だが、その男はすでに満身創痍で、顔面が血まみれだった。「せめて、お前だけでも殺せば、俺だって幹部に……」
おそらく階段で襲い掛かってきた男たちのうちのひとりなのだろう。
そんなことを考えているうちに、鉄パイプが右肩に当たり、拳銃が手から離れて顔をしかめる。
「……殺せば、幹部になれば……俺もまともな暮らしが出来る」
落した銃は男の足元にあったが、彼はそれに気付いていない。だが、それを手にしようとすれば、間合いに入る必要がある。
「あ、あなたも、自由に、なれます」
「自由? また孤児になれってことか? 行く場所もねえ、孤児に」
「――ッ!」
それは、マユが一番よく知っていることだった。孤児に行き場などない。偶然、アイと出会えたからこそ、そこが居場所になっただけなのだ。
もしもあのまま倒れていたら、死んでいた。どこにも行けないまま、骨になるまで放置されていたことだろう。
そしていつか灰になって、誰の記憶にも残らないまま――存在は消えるのだ。
「そ、それでも、探すんです。い、居場所を、探さなきゃいけないんです。む、難しいこと、分からない、けど、居場所と、目的を探す、そ、それが人生なんだと、思います」
「だから、それがここなんだよ」
「こんな場所で、い、良いんですか。そんな人生で、ほ、本当に良いんですかッ! それが、本当にあなたのやりたいことなんですかッ!?」
裏返ったが、マユは気付いたらそう怒鳴っていた。手は依然震えていて、心臓はバクバクと早くなっている。それでも、感情的に、そう叫んだ。
「うるせえよ。うるせえ、うるせえ、うるせえんだよ! じゃあ、どう生きろってんだよ! こんな場所で! こんな、こんな――」
「それを、探すことをあきらめなければ、絶対に見つかります! あなたは、ちゃんと自分を、自分の人生を、見ていないだけですッ!!」
低い態勢で地面を滑り、銃を手にすると男に向けて銃口を向ける。
「もう一度、やり直してください。私もそうします。本当に自分がやりたいことを、どう探せば良いのか。考え続けることを、あきらめないでください。だから、そのために今は、寝ていてください」
そう言って背中に向けて銃を放った。男はそのままひざをついて倒れ、マユは深いため息をついた。
こんなに感情的になったことは、今までなかった。誰かになにかを伝えようとしたことなど、なかったのだ。
「……マユ?」
肩で息をしていると、後ろから声が聞こえた。振り向くと、アイの姿がそこにあった。
「アイ……ッ!」
思わず駆け寄って抱きしめる。「ごめん、私、助けられなくて」
自然と涙が流れて、アイはそんなマユの髪を撫でる。
「ごめんね、私、あのとき、ひどいこと言ったのに……。あんなこと言ったのに」
「分かってる。あ、あのとき、私を庇ってくれたんだよね。ち、ちゃんと、分かってるよ、ありがとう……ッ!」
久しぶりの体温に、涙は止まらなかった。アイも涙目で彼女を強く抱きしめている。
「あの人たちは?」
アイの言葉に、顔を上げて、不器用に笑ってみせた。
「アイを、助けに来てくれた人たちだよ」