第13話:無意識のリミット。
◇13◆
「へえ……速いね」
リンダの一閃を、蔵丸は刀で受けた。
「君も、刀なんだ」
「自分に合ったエモノを使うのは常識でしょ。にしてもその刀……刃引きか」
「むやみやたらに人を殺すのは趣味じゃないんでね」
「テロリストが良く言えたもんだ」
言いながらも刀を振り、剣戟の甲高い音が周囲に響いている。それを横目に、ラットは殴り掛かってきたジェーンの拳を躱す。
鼻先をかすって、そのまま後ろへと跳んだ。
「本気で来いよ。その上で叩き殺してやるからよ」
ラットは拳を握りこむ。この力で全力を出すということは殺しかねない。だが、本気でやらなければ、自分が死んでしまう。
相手には殺す覚悟がある。しかしラットは不殺でありたいと考えている。その差は、ぎりぎりの局面で大きくなることを、本能が知っている。
「後悔すんなよ」
言って、地面を強く蹴って駆け出す。拳を握りこんで、腰をひねって渾身の一撃を入れた。
ジェーンは腕を交差するようにしてそれを受け、しかしその表情は笑みを浮かべていた。
「――ッ!?」
「本気ねえ。それが本気か。だったら、程度が知れるなあッ!!」
掬い上げるような一撃を腹に受けて、脚が地面から浮いて吹き飛ばされる。背中を打ち付けて、カハッ! と肺いっぱいの息を吐き出した。
――なんで、効かなかった?
本気で一撃を入れたはずだった。だというのに、表情ひとつ変えないどころか、笑みさえ浮かべて挑発したのだ。
「バケモンかよ」
「お前が言うのか。悪いジョークだぜ」
立ち上がって、ふ、と息をついてから、もう一度飛び掛かる。しかし蹴りが脇腹に入って態勢を崩し、回し蹴りがこめかみを打って地面を滑る。
――こいつの攻撃、重い……!
義手の力だけではない。ジェーン自身がその鍛え上げられた筋肉と戦い慣れたスタイルで、重さが増しているのだ。
「おいおい、一瞬かよ。つまんねえな」
「うるせえよ」
そこから駆け出し、何度も拳を叩きこみ、蹴りを入れ、あごへ裏拳を入れるも、相手は頑として動かず、返す拳が腹をえぐって血の混じった唾液が垂れる。
「くそ……なんだ、お前」
「ハーフ・ビーストも、義手も義足も、刀も銃もツールでしかねえんだよバカが。結局は自分の力だ。鍛え抜いた力だけは、俺を裏切らない」
「……クソが。偉そうに語ってんじゃねえぞ」
地面を踏み込み、今度こそはと拳を頬へ叩きつけたが、その腕を掴まれて、ひざ蹴りを入れられてそのまま半回転するように投げられた。
息が切れていて、汗と血が混じって目がかすむ。戦い始めてそんなに時間が経っていないというのに――。
「ハーフ・ビーストは無敵じゃねえぞ。デメリットを知らねえのか」
「……は?」
「人間と動物の部位を無理くり移植してんだ。それだけ体力の減りは早い。アンマッチすれば死ぬだけだが、仮にマッチしたとしても、ケモノの体力に人間の体力が追い付かない」
「やけに詳しいじゃねえか……」
「俺もこの腕になるまでは熊の手をつけられてたからなあ。あの闇医者に相談したら、腕ぶった切られてこの義手をつけられた。狂ってるよな」
「そもそもこのケモノの力を使いこなせないから、人間の体力が先に涸れる……だから追いつかねえってことか」
「理解が早いな。体力がなくなれば、その手は飾りにも劣る。さあ、これでフェアだろ。さっさと殺してやるからかかってこいよ」
ジェーンは殺意にまみれている。だがバーサーカーというわけでもなさそうだった。あくまで情報を与え、対等に殺し合いをしようとしているように感じる。
よろよろと立ち上がり、深呼吸をしてから飛び掛かる。心臓がバクバクと跳ねているのを感じながら、上段から頭頂部に向けて拳を振るった。
それを片手でいなされて、軸がブレた瞬間を狙ってわき腹にひざが入り、頭が下がったところに頭突きを入れられて脳が揺れた。
「は、はあっ、クソ、なんで、こいつ」
顔はもう血まみれで、左目が開かない。隣りではリンダと蔵丸がやり合っていて、ビスカスと呼ばれた男とマユは見合っていて動いていない。
「よそ見をしている暇があるのかよ」
跳ねるように二歩で間合いに詰めてきたジェーンの蹴りが頬に入って吹き飛び、壁に叩きつけられる。
――こいつ、強い。
それもビースト・ラボの人間とは圧倒的に違う強さだった。戦闘に特化した人間――。
「ギリギリのところで加減してるよ、ラット」
くるりと刀を躱しながら、リンダがそう言った。
「加減なんか」
「無意識で、だよ。まったく、君が勝てない相手じゃないだろ」
「なめたこと言ってんじゃねえぞ、この優男ッ!」
「余裕だね、君だって、今、死地にいるんだよ」
リンダの言葉にジェーンは怒鳴り、ラットを踏みつけた。何度も、何度も。蔵丸は表情こそ変えないものの、少し言葉に圧がかかっている。
勝てない相手じゃない――その言葉の真意は、意図はなんだ。
痛みに顔をしかめながらも、考え続ける。リンダとの付き合いは短い。けれど、彼がラットの力を信じていること、疑わないことは知っている。
だから、呆れたような言葉をこちらに投げかけたのだ。
考え続ける。この力は全力を使えば、人を殺しかねない。だから、無意識に加減をしてしまっている。
ハーフ・ビーストは無敵じゃない。ケモノの体力に、人間の体力が追い付かないからこそ、先に限界が来る。
――なら、どうすれば、勝てる?
義手で殴り掛かってくるジェーンを薄目に見る。その腕を見た瞬間、ハッとした。
――ああ、なるほどな。
何度目かの踏みつけようとしたふくらはぎを握り、そのまま持ち上げて――投げた。
「クソが。そういうことかよ」
◇◆
「あーあ。外れくじにもほどがあるよねえ」
柄の長いハンマーを肩に、ビスカスはマユを見る。彼女もまた震えながら銃を構えていた。
「それ、ゴム弾でしょ。駒たちは撃たれても生きてるし。そんなオモチャで相手されてもさあ――面白くないんだよねッ!」
ビスカスは駆け出し、振りかぶる。マユは銃を構えて撃つが当たらず、後ろへと転がることでその一撃を躱した。
ドッドッ、と心臓が早鐘を打っている。死と対面したときの恐怖が心を支配している。
そんな彼女に構わず、横薙ぎにこめかみを狙った一発が振り切られ、しゃがみ込んでそれを躱した。
「まったくすばしっこいなあ!」
しゃがんだことで次の動きが遅れ、直線状に振り下ろされたハンマーが足と足の間にぶつかり、地面にひびが入った。
「あれ、当たってないの? 悪運だけは強いんだなあ、お前」
「はっ、はっ」
スライドしてトリガーを引くと、反動で上に跳ね、ビスカスの頬をかする。
瞬間、彼の表情が変わった。みるみるうちに怒りへとその色が染まっていく。
「このクソガキ……俺に当てようとしたな?」
連打して地面を割りはじめるビスカスの攻撃を、這うようにして逃げる。
「このクソガキがあッ!!」
「ひっ。い、いや」
――死にたくない。
一層強くそう思った。けれど同時に、脳裏にアイの笑顔がよぎった。
――でも、恐い。
助けたい。守りたい。でも、弱い。そんな自分が嫌になる。コミュニケーションも上手く取れず、言葉も知らない。強さもなく、なにも守れない。弱虫のままだ。
逃げるだけの自分。
怖がるだけの自分。
そんな自分が嫌になる。そう感じても反撃が出来ない。そんな自分も――。
『君は人見知りでも、勉強が出来なくたって、勇気がある。一度は弁天一家へ乗り込んだんでしょ? たったひとりで。だったら、バカでも、意気地なしでも、弱虫でもない』
不意に、リンダから言われた言葉を思い出した。
――弱虫じゃ、ない。
ハンマーがマユの脳天を狙ってきている。瞬時に立ち上がり、左側へと駆け抜けた。さっきから見てきた。明らかにビスカスは右利きだった。
つまり、左側は死角になりやすい。とっさの動きならば、どれほど速さがあっても対応に遅れが出る。
「――は?」
身を投げ出すようにして躱したあと――銃口をビスカスの背中に合わせて、トリガーを引いた。
「ぐ、あッ!?」
これで倒せるとは思わない。だが、自分の力量では小さな的は当てられない。
一瞬、痛みに立ち止まったビスカスに、連射で弾丸を撃ちこむ。ひざをついて、ハンマーで身体を支えているのを見て、もう一度――そう思った。
だが。
「あー……もういいや。すぐに殺してやるよ」
その目は爛々と殺意に濡れていて、立ち上がる。首を鳴らして、ハンマーを振り下ろす。
転がることでそれを躱すも、連続して打ち下ろしてくる。気付けば、背中に壁が当たり、逃げ場がないことを察した。
「姑息なやり方しか出来ねえゴミが、生きてんじゃねーよ」
逃げられない。このままハンマーを振り下ろされたら、死ぬ。そう考えると、過呼吸になって目を閉じられなくなる。
バクバクと心臓が止まりそうになるほどに速くなっている。
「さっさと殺しとくべきだったな。あーあ、つまんねえ」
ビスカスはハンマーを振り上げる。マユは悲鳴を上げようとしても、声にもならなかった。
しかし――。
ビスカスの後ろ、その上に、影が飛び出してきた。
「――あッ!?」
その殺気に気付いて、ビスカスは右へと躱すと、立っていた場所にハンマーのヘッドが埋まり、ひびが入った。
「……死んだんじゃねーのかよ」
そこに立っていたのは、ツーブロックに書生姿の青年だった。
「ごめんなさい。僕は――僕の好きなように生きてみようと思ったんです」