第12話:彼女が守りたいもの。
◇12◆
両親が死んだのは、マユを守るためだった。弁天一家にさらわれそうになった彼女を行き止まりの階段に隠し、自分たちがおとりになって逃げた先で殺されたのだ。
それからというもの、彼女は常に怯えていて、誰かとコミュニケーションを取ることを拒んでいた。
食事を摂れなくなって四日が経ち、逃げるように、隠れるように生きて、身体はぼろぼろで、一階層で行き倒れた。
もらった銃の二丁は護身にはなっても、それを使って悪事を行うなんてことはそもそも考えたこともない。考えるほどの悪事もなかった。
――そんなときに、アイと出会ったのだ。
「大変、倒れてるじゃない。パン、食べる?」
黒髪のツインテールに、アーモンド形の瞳、小柄な身体。そんな彼女が、パンと水を与えてくれて、空腹が限界に来ていた彼女はそれを噛り付いた。
「お腹空いてたんだ」
アイはそう言って微笑んだ。食べ終わったあとで、ハッとする。これは彼女の食べ物だったのではないかと。
「ごっ、ごめ、なさ」
「いいよ。私もこれ、もらったものだし。また来て良いって言ってくれたから」
「……でも」
「大丈夫だって。龍爪飯店ってお店の人、恐い顔してるけど、優しいんだよ。こーんな顔してるけどね」
そう言って指で目を吊り上げてみせる。しかしマユはぽかんとしてしまって、「滑っちゃったかな」とアイは苦笑する。
けれどそれが縁となり、二人でなんとか生きていくようになった。まずは危険の少ない場所に居を構えた。
アイからは何度か孤児を集めた学校に誘われたが、コミュニケーションが苦手な彼女はそれだけは断った。
龍爪飯店の店長は孤児に対し、余った食材や残ったパンを袋に詰めてくれて、なんとか飢えをしのぐことも出来た。
伸びた髪はお互いで切って、マユは目を見て話せないから目を隠してほしいと常々頼んでいた。
幼少期はそうやって過ぎていき、背も伸びてきたころ、アイとマユはエミリーと出会った。
孤児だと知った彼女は「オシャレに興味はある?」とにこやかに訊いてきて、アイははしゃいでピアスを入れてもらっていて、彼女は痛そうという理由で断っていたのだが――。
アイの耳についたピアスがあまりに輝いて見えたので、隠れてエミリーの店に行ってピアスを開けてもらったのだ。
「あれ? マユもピアス入れたの?」
「う、うん……へ、変かな」
「めちゃくちゃ可愛い。お揃いだね」
それに対して彼女は満面の笑みを浮かべて、マユも小さく笑った。お互いが支え合って生きていると実感していて、これからもそうありたいと願った。
そして二年前――龍爪飯店へ訪れた際、狐耳の少女がいることに気付いた。
「ハーフ・ビースト?」
アイはマユより学があり、この街のことも知っている。
「ハーフ・ビーストって……?」
「うん。半分は動物にされるんだって。ビースト・ラボで研究されてるって話だよ」
「よく知ってるね! そうだよ。お兄さんに逃がしてもらってね、ここで働かせてもらえるようになったんだよ! 名前はセロ、よろしくね!」
セロとの出会いで、交友関係が少し広がったのはたしかだった。そこからマユもアイも身の上話をすることが増えた。
同時に、彼女がビースト・ラボでなにをされていたのかも聞いている。
そんな過去があるというのに明るく振る舞う彼女に対し、徐々に心を開いていったのだ。
生まれた場所も、自分の年齢も分からない。両親もいない。けれど、三人なら、生きていける。きっと明るくなれる。
自分を変えられると、マユは思えたのだ。
「だ、大丈夫?」
時折、アイは体調を崩していた。「ごめんね、こういうの、女の子の日って言うんだ。昔、エレさんが言ってた。身体が大人になると、こうなるんだって」
エレというのは孤児を集めて教育を施していた人物だと聞いたことがある。
マユもまた、定期的に腹が痛くなり、そのたびにアイはエレから貰ったというナプキンというものを渡してくれていた。
だからこそ、その痛みと身体の重さは理解できた。
そうやって二人とも、知らないことを知り、成長を続けていったのだ。
そして――二年が経った。
人見知りはそのままだったが、それでも最低限のコミュニケーションくらいは取れるようになっていた。
ただ学校には通っていなかったから、言葉を上手く使うことは出来ず、文字も簡単なものしか――アイやセロに習ったことしか――書けない。
それでも生きていくには充分だった。
そんなとき、アイが体調を崩した。
「ごめんね、生理きたみたい」
お腹を押さえて顔をしかめる彼女に対し、「な、なにか食べるもの貰ってくる。の、飲み物も」と言って、龍爪飯店へと向かった。
そこで食事を分けてもらい、寝床へと帰ったとき、アイがいないことに気付いた。
「――ッ!?」
階段を上がり、探し始める。息が切れるのも構わず走った。汗ばんだ身体が熱を持っても構うことはなかった。
そうして二階層へと降りる階段付近で、ようやくアイを担いでいる男三人が目に入り、慌ててその後ろへと駆け寄った。
彼女はだらりと腕を垂れ提げ、男たちはケラケラと笑っている。
「は、はなし、てくださいッ!」
「あ?」
男二人はこちらを向いて睨み付けてくる。身体が芯から震えるのが分かった。それでも、彼女を取り戻さなければならない。彼女は――もう友人という枠を超えているのだから。
だから、初めて銃を腰のホルスターから引き抜いて、二人へと向けた。
「離して、ください」
「やる気か? 弁天一家だぞ、俺たちは」
その言葉を無視して、トリガーを引く。銃が揺れ、しかし弾丸は男の太ももへと当たって、相手は顔をしかめる。
「てめえ……上等じゃねえか」
「おい、お前はこのガキを拠点に持って行け。こいつは、俺たちで片をつける」
「ダメッ! アイを返して!」
そう言ってスライドして銃を撃つ。なかなか狙った場所に当たらず、男のひとりの拳が彼女の腹へと入って、ひざが折れ、嘔吐する。
「このクソガキがッ!」
身体を踏みつけられ、蹴り上げられ、髪を持ち上げられて殴られた。痛みによる恐怖よりも、アイを連れて行かれる恐怖のほうが勝っていた。
「私の、家族なんですッ!」
マユは叫んだ。今まで大声さえ出したことがなかったから、揺れて、裏返ったけれど、それでも叫んだ。
「知るかよ、クソガキがッ!」
「もう――もうやめて!」
そこで、アイの声が聞こえ、一瞬の静寂が出来た。
「私は弁天一家に行く。だから、早く連れて行って」
「アイ……ウソだよね、ウソ、だよね」
「早く連れて行ってよ。弁天ならご飯だって出るんでしょ? 金だってもらえるんでしょ?」
「あ、アイ……!」
「私だっていつ死ぬか分かんない人生なんか、嫌なんだよ! そんなやつはあんたらが放っておいたって勝手に死ぬんだから、さっさと連れてってよ!」
アイは険しい表情でそういうと、三人目の男が背負い、階段を下りて行った。
「あとは、こいつを殺すだけか――」
「……アイ……」
アイが本心でそんなことを言うわけがない。マユはそう考えた。自分は頭が悪いけれど、それだけは分かる。彼女は、自分を守ってくれたのだと。
なぜなら――そのやり方は、マユの両親のやり方と同じだったからだ。
だから、マユは逃げた。
誰でも良い、助けてくれる人にすがらなければ、アイがどんな目に遭うかも分からない。
だから――藁をもつかむ思いで龍爪飯店へと逃げ込んだのだ。
そして、そこにリンダとラットがいた。
◇◆
道すがら、ラットはマユの半生――たどたどしかったが――を聞いて、肩に手をやってコキリと鳴らした。
「家族を殺されて、友人をさらわれた、か。弁天一家とやらも業が深いな」
「人間自体、生来から業が深い生き物なんだ。それを煮詰めたらそうなるよね」
「そりゃ、お前の宗教観か?」
「ううん、父親を見てきたからね。あの人も、業が深かった。まあ、今の話を聞けば、多少は薄れるようなものだけど」
「父親の業、ね」
「それにしてもこの辺りはやたらと落書きが多いね」
壁を見ると色とりどりのスプレーで落書きがされていた。弁天一家という文字も見て取れる。縄張りに入った、ということなのだろう。
「ここから油断はなしだぞ」
「……残念、もう来てるよ」
油断するまでもなかったね――とリンダが笑うと、階段の下から怒号が響いて、黒いパーカー姿の少年や青年が駆けあがってきていた。
その手には鉄パイプが握られている。
「階段もそこまで広くはないから、同士討ちがないように銃や刀は持たせてない。考えたね」
――それとも、幹部以外は武器を持たせてもらえないのかな。
言いながら突進してきた青年のこめかみにつま先を叩きこんだ。ラットも飛び込んできた男の腹へと拳を沈める。
数は三〇ほど。後から続いてきているのも合わせれば、五〇くらいにはなるだろうか。
真っ正面から鉄パイプを振りかぶった男の腹を蹴り上げると、そのまま態勢を崩して階段から落ちていく。
リンダも刀は抜かずに徒手空拳だけで相手をしている。ここで襲ってきているものは相手にとっては数合わせだと理解している。
少しでも体力を削れたら御の字――そういったところだろう。
「……面倒だな」
ラットは階段に群がっている男たちに飛び込んだ。顔面を踏みつけて、拳を振るい、ひざ、腹、わき腹へと叩きつけていく。
「加減が難しいな。クソッタレが」
ゴリラの手を移植されて、その威力はビースト・ラボで実証済みである。だからこそ、加減をしなければ殺してしまう。
リンダは階段の上から鉄パイプをいなして肘打ちを食らわせ、回し蹴りを入れている。
そんな中――。
「こ、この人数なら、あ、当たります」
銃を構えたマユがトリガーを引いた。銃声とともに苦悶の声が漏れ、後ろについたものを巻き込んで倒れていく。
「やるじゃねえか」
ラットは口の端を吊り上げて、男の髪を掴むとそのまま壁へと叩きつけ、後ろから襲ってくる青年に半身をひねって蹴りを入れた。
リンダも拳と蹴りで一段ずつ降りてくる。その後ろでマユが銃を構えて、肋骨あたりを狙って沈めていた。
五〇人近く相手をすると、身体が熱をもってきて、腕であごから滴る汗を拭う。
横一列になっていた青年たちに蹴りを入れて、ようやく階下へと降りた。
そこは広場のようになっていて、円を描くようにコンテナが積まれている。どれも改造されていて、格子がついているものとついていないものがあった。
その最奥には短い階段があり、すだれがかかっている。
「あそこが弁天一家のボスがいるところか――」
言いかけた瞬間、フックのように拳が飛んできて、とっさに腕でガードする。
見ると、褐色肌に筋骨隆々で、コーンロウの髪型、身長は一九〇もある巨漢であり、両腕には最新式の義手をつけている男が笑みを浮かべている。
「よお、俺はジェーン。よく来たな。ゴリラ野郎」
「ラットって名前がある。どいつもこいつも無礼極まりねえな」
リンダも最後のひとりを蹴り飛ばして降りてくると、真ん中に立っていた男――蔵丸と対峙する。
「この数をあっという間に蹴散らすなんてね。ま、所詮は孤児の数合わせだから、死んだらそこまでの実力だったってわけだけど」
「今度は遠慮なくいくよ」
リンダは半身を下げて、柄に手をやる。
「おいおい、俺の相手、この女かよ! 楽しくねえなあ」
ソバージュの男はマユを見て嘆いている。それに対し、蔵丸は「文句は受け付けないよ、ビスカス」と苦笑していた。
「……にしてもよお、お前らがここに来たってことは、ノブアキのバカはやられちまったってことだよなあ。やっぱりジェーンに行かせたほうが良かったんじゃねえの?」
「まあ、良いじゃないか。弱いやつから死んでいくのがこの監獄だ。そして弱いやつは、弁天一家には必要ない。淘汰されたと考えるべきだね」
ラットはその言葉に苛立った。恩も情もない、そうは言ったが、ここまでとは。ノブアキはこんな奴らの命令がないと生きていけないと言っていたのか――と。
リンダは少しだけ目を細めて、蔵丸を見ている。ラットもジェーンを睨み付けていた。
「ゴングはいらないよね。さっさと始めよう」
リンダはそう言うと、抜刀して、目にも止まらない速度で――蔵丸へと迫った。