第8話:二人はその覚悟に向かい合う。
◇8◆
「あのっ、えっと……あの人たちに、アイが、さらわれて」
つまりながらも、少女――マユはぽつぽつと説明をはじめた。その隣りでセロが背中をさすっている。
「アイってのは、あんたの仲間か」
「え、と、はい」
「マユもアイも私と同じで、ここで生まれて育ったんだよ。二年前、私がラボから逃げ出して、ここで仕事をはじめたころに出会ったんだ」
セロは補足し、ふむ、とラットは腕を組む。リンダは静かに言葉の続きを促した。
「えっと、あっ、アイは私と一緒に、暮らしてて……でも、突然、あの人たちがやって来て、連れてっちゃった。私が、いない間に。だから、色んな人に、聞いたの」
マユは落ち込んでいる様子だった。肩を落とし、今にも泣きそうな顔をしている。ただでさえ華奢な体が、みるみるうちに小さくなっていくようだった。
「ちょうどこのお店に来てて、テイクアウトするつもりだったんだよね? でもその間にさらわれちゃったってことだよね」
セロが肩に触れると、何度もうなづいた。
「でも、弁天一家ってやつはなぜさらうんだ。ここは本土じゃない。誘拐したって金を出すやつはいねえだろうに」
本土の事件であれば、誘拐事件の目的はほとんどが金である。例外はあれど、主たる部分にそれが来る。
だがこの監獄で、いくら金が流通しているとして、払うものはどれほどいるのだろうか、と。
「弁天一家は二階層の主。だから三階層を落として支配しようとしてるって聞いたよ。だから、戦力がいるんじゃないかな」
「でもアイって子はそんなに強いのか?」
セロは首を振った。「男女問わず、子供たちを売ってお金にする。そのお金で武器を買う。それが弁天一家のやり方だよ」
「……人身売買か」
これじゃビースト・ラボと同じじゃねえか――とラットは毒づく。あのラボも、完成形を戦闘用、愛玩用で売りつけるとさっき言ったばかりだ。
「い、急がなきゃ、アイちゃんが、売られちゃう……」
「三ヶ月は猶予があると思うよ。筋が良ければ一家の構成員になれるってウワサもあるからね。そこが問答無用のラボとは違うのかも」
「セロは良く知ってるんだね」
「お客さんのウワサ話を聞いただけだけどね」
感心したようにリンダが言うと、彼女は頬を掻いた。しかし少女はうつむいたまま、小さな声でつぶやいた。
「で、でも……女の子はすぐに、その」
「だ、大丈夫だよ!」
セロは一生懸命にフォローするが、不安げな表情が消えることはない。
少年は駒になる可能性はあるが、少女は慰みものに売られてしまう――ということだろう。
「私が……一緒にいたら、あのとき、ご飯……買いに行かなかったら」
ぎゅ、と拳を握りしめる。その手は震えていた。
「たられば話はなにも生まないよ。これからどうするか、そんな建設的な話をした方が良い。君はどうしたいのかな」
リンダは手でコップを遊ばせながら、マユを見る。彼女はうつむいたまま、「あう、えと」と口ごもっていた。
「ごめんね、マユは人見知りなの。それに孤児の学校にも入ってなかったから、喋るのが苦手なんだ。私と話が出来るまで二年もかかったんだよ」
セロは目を伏せた。マユも目を逸らしてぼそりとつぶやく。
「い、いつもそう。私はバカで、意気地なしで、そのあの、弱虫で……なにも出来ない」
その言葉に、リンダは優しく微笑んだ。
「別にそれを責めてるわけじゃないよ。君は人見知りでも、勉強が出来なくたって、勇気がある。一度は弁天一家へ乗り込んだんでしょ? たったひとりで」
――だったら、バカでも、意気地なしでも、弱虫でもない。
「相手がどれだけの数いるかも分からない中で、たった二丁の拳銃で挑んだんだ。俺は君を笑ったり、嘲ったりはしないよ」
マユの腰回りにはホルスターがついていた。その中に拳銃が収められている。つまり、その武器だけで弁天一家に乗り込んだということだ。
それも友人のために。それは、並みの度胸ではない。
「その銃は買ったの?」
リンダが首をかしげると、マユはホルスターから二丁のオートマチックの拳銃を取り出した。
「み、右のは、お母さんの。左のは、お父さん。私が小さなころに、その、死んじゃったけど……」
「形見ってやつか」
「見せてもらって良いかな」
「う、うん」
リンダは銃を持ち、傾けてセーフティやスライドを確認している。マガジンを取り外したとき、「ふむ?」とあいまいな声が出た。
「ゴム弾だ。それも強力なやつだね。人は殺せないかもしれないけど、骨くらいなら簡単に折れる」
「見ただけで分かるのかよ」
「君の方が見慣れていると思うよ」
そう言って弾丸をひとつ、こちらに寄こしてくる。
「警察官なら、見たことがあるはずだ」
「……たしかにな。硬質ゴムか。切れ目に先端のくぼみが特徴的だ」
「つまり、殺さないようにしてるってことだね。君は」
「……お、お母さんと、お父さんに、言われたの、私の手だけは、真っ白なままでいて、って」
ここは最高刑を受けたものが収容される場所である。つまりマユの両親もどこかで罪を犯してここに来たのだろう。
そしてどういう経緯か、二人は出会い、子供を作った。その子供に、罪を背負わせたくはなかったのだろう。
しかし環境は思っている以上に過酷だ。だからこそ、お守りがわりに、自身を守るために、この銃を渡したのかもしれない。
人を殺傷することのない、こんな世界でも生きられるように祈りを込めて、ゴム弾を詰めたのかもしれない。すべてはラットの憶測でしかないが。
「で、でも、あの、その……この銃でも、助けられなかった、から」
「一度の失敗ですべてをあきらめるのは、スマートなやり方だけれど、この場合においては――適切じゃないね」
「……え?」
「どうしても助けたいと願うなら、何度だって挑むべきだよ。バカだと言われてもね」
「でもそれじゃあマユが危険だよ。今度は逃げきれないかもしれないし……」
それもその通りだと、ラットは思う。しかし、短いながらも――数時間の付き合いであっても、リンダが考えていることくらいは分かる。
分かるからこそ、ため息をついた。リンダの代弁をするように、わしわしと髪を掻いた。
「ひとりでやれって言ってんじゃねえよ。俺も、リンダもいる。心許ないだろうが、ひとりよりは随分マシだと思ってもらうしかねえな」
そう言って横目でリンダを見ると満足そうに笑みを浮かべている。
「で、でも! あ、えと、えと、初めて会った、ばかり、だよ……?」
「やつらのやり方が気にくわねえ。子供をさらって金にするなんざ、話にならねえよ」
「ラットの言う通りだ。それに、初対面かどうかは関係ないよ。君が助けたいと強く願っていれば、俺たちは動く。どうかな?」
しばらくの沈黙が降りてきた。葛藤をしているのか、考え込む彼女の答えを、ゆっくりと待った。
「や、やっぱり……た、すけたい。私、アイが好き、いつも、助けてもらってばかりだったから、こんっ、今度は、助けたい」
うつむいていた顔を上げて、はっきりとそう言った。
「でも、二階層は一階とは違うよ。私もラボに捕まるまでは一階と二階を行ったり来たりしたけど、あそこは……危険だよ。しかもマユを入れても三人だし……」
セロは慌てた様子で身振り手振りで言う。心配してくれているのだろう。
「相手がどれだけ強いかなんて、構成員の数なんて、関係ないんだ。彼女の覚悟が決まったのなら、俺たちがやることはひとつ」
――たとえ死にかけてもその喉笛を食い破る。
「これが俺たちの覚悟だよ。ね?」
「そうだな。困ってるやつを見て見ぬふりするなんて、それも友達を心配して乗り込んだやつを袖にするつもりなんて、端からねえんだよ」
そう言うと、リンダと同時に立ち上がった。
「君はまだ歩けるかい?」
優しい眼差しでマユを見ると、彼女は言葉もなく席を立つ。
「もう行くの? 危ないよ!」
「大丈夫だよ。この子は俺たちが守る。だから、この子ともうひとり――二人分のご飯を用意していてくれるかな」
リンダの言葉に、セロはしばらく考え込んだあとでうなづいた。
「ね、お兄さんたちの名前は?」
彼女も立ち上がり、マユの肩に優しく触れてラットたちへ視線を向ける。真っ直ぐな瞳だった。
「俺はリンダ。よろしくね」
「ラットだ。かならず戻る」
二人して出入り口へと向かい、マユも一歩遅れて後ろからついてくる。ラットは腕をストレッチしながら隣りに立つ青年を見た。
「勝つぞ」
「当然だよ」
手の甲を合わせてから、龍爪飯店を出た。