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Fang of the under dogS  作者: 永久島 群青
第2章:底抜けに優しく、無垢な君のために。
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第7話:龍爪飯店。



◇7◆



 三番街を進んで行くと、賑やかな喧騒が聞こえてきた。


「ん?」


 扉はなく、そこは食堂のようで、広い店内にイスとテーブルが並んでいるのが見える。キッチンではフライパンを振るたびに炎が上がっていた。


 椅子に座っている客も各々が好きなメニューを頼んでいるようで、ラットは怪訝そうに眉を寄せて、首をかしげる。


「おい、ここ監獄だよな……」


「元々食堂のようなものだったのか、壁を抜いているのかは分からないけど、広いね」


 そう言いながら上を見ると看板が掲げられていることに気付いた。木の板に墨で書かれているそれを見て、「なんて読むんだ?」とラットは腕を組む。


「龍爪……もし中国読みならロンズゥー飯店だね」


「中国語が読めるのよ」


「多少はね。主要な外国語はひと通り習ってるよ」


 そう言って微笑む。ますます目の前の男の素性と経歴が気になってくる。剣の腕はたしかなもので、学もあるようだが――マイペースでなにを考えているのか分からない。


「あ! お兄さんだ!」


 横目で見ていると、目の前に赤いチャイナ服を着た少女が立って、そのままラットへと抱きついてきた。思わず「いきなり、なんだ」とその肩を押さえる。


「覚えてない? 二年前、お兄さんのおかげで逃げ出せたの。あのラボから!」


「ああ、あのときの」


 少女の耳には白い狐のものがつけられ、尻尾もついている。あのラボで研究素材とされていたのだ。完成に近いと言われていたところで、彼女は逃げ出し、ラットがラボの人間を阻止した。


「へえ、逃げ出したって言っていたけど、この子なのか。で、あの店、ってことは」


 リンダは看板と少女を交互に眺めて、「なるほどね」とつぶやく。


「けれど解せない。どういう研究なんだろう。主軸が見えにくいなあ」


「ああ――戦闘用の人間と愛玩用の人間を作っていたんだとよ。それを売っぱらって金にするつもりだったんだろ」


「それはまた。罪深いね」


「それよりお兄さん! ラボを壊したんでしょ!? もうウワサになってるよ!」


 少女はラットから離れると目を輝かせて後ろ手を組んで身体を傾ける。


「ほとんどこいつの手柄だ」


 親指でリンダを差し、ラットは苦笑する。「お兄さんが? 強いんだね!」と、彼女はにんまりと笑みを浮かべる。


「おい、セロ! 客なら席に案内しろ!」


 キッチンの方から声がかかって、「はーい!」と答えると、出入り口付近の席へと案内された。客席は多いが、それなりに埋まっているのが見える。


「さてと。なにを食べようかな」


「って、なんで監獄にビールがあるんだよ!」


 席についてメニューを開くと、店名の予想通り、中華料理が多く、一品物からつまみまで揃っていて、さらには酒までおいてありラットは思わず目を剥いた。


 それを聞いて少女――セロはクスクスと笑う。


「これはティアンさん……あ、店長に聞いたんだけど、裏ルートがあるんだって」


「裏ルート?」


「そう。私は上のことは分かんないけど、大きな建物があるんでしょ?」


 言われて、九龍城のような、要塞のようなビル群を思い出す。


「それがあると、島の反対側には目が届かないから、密輸ってやつが出来るんだって!」


「そういうカラクリか。しかも海保の目すら欺いてるってことだよね。上手いことやるなあ」


 リンダは感心したようにコップを持ち上げて唇を濡らして、「ずいぶんと小賢しい真似だな」とラットはため息をつく。


「メニュー決まった? 全部美味しいよ!」


「全部は食べきれないなあ」


 リンダはまるで子供にそうするように柔らかく笑った。そこでラットは疑問が湧いてくる。


 目の前の少女はどう考えても十代だ。一九か二〇歳か――それでもまだあどけなさが残っていて正確に読み取るのは難しい。


「お前はどうしてこの監獄にいるんだ……?」


「へ?」


 ここは最高刑を受けた人間が来る場所であり、法の適応年齢は成人以上だ。二〇歳で凶悪犯というのも考えられるが、どれほどの罪を犯せば極刑に処されるのか。


「監獄チルドレンだよ、ラット」


 その疑問に答えたのはリンダだった。その言葉はどこか暗さの混じったものである。


「君はここで(・・・・)生まれた(・・・・)、そうでしょ?」


「な――」


「うん! 色んなとこで遊んでたらラボの人に捕まっちゃったの」


 そんなことが起こり得るのかと、眉が寄る。それを察したのか、リンダは水を飲み干してからふ、と息をついた。


「ここに来るまでは半信半疑のウワサだったけど、こんなに文化が根差してるんだ。あり得ないことじゃない」


「……なるほどな」


「さて。じゃあ俺は麻婆豆腐とライスにするよ。ラットはどうする」


「あー……ラーメンで。あとビールも」


「へえ、お酒をたしなむんだね」


「ああ。まさかこの監獄にあるとは思わなかったからな。久しぶりに飲みたいんだよ」


「はーい! じゃあ待っててね!」


 セロはニコニコしながらオーダーを通し、他の客を案内し始めた。


「……で、いくつか聞きたいんだが」


「ん?」


「俺がここに来て四年。街は変わったか」


 火前を失い、ラボに囚われて四年。同じ空間ばかり見ていた。やがて気力も失って、床を眺めて過ごした。だからこそ、自分の知っている場所のことが一番気になったのだ。


「大きな目で見れば、なにも変わっていないよ。小さな目で見れば、細々と変わっているってところかな」


 ただね――とリンダは続ける。


「俺も三年前に逮捕されて、そこからはずっと拘留所だったからね。もしかしたらビルのひとつや二つは建っているかもしれない」


「戌亥が言っていたデータ省を皆殺しにした事件か」


「まあ、そうだね」


「本当にお前が――殺したのか?」


 どうにもそこに違和感があった。ラボの人間は殺していない。それどころか、ラット自身、救われた身でもある。


 危険に身を置いたとき。その目に危うい光はあるが、そのマイペースさや丁寧な所作を眺めていると『データ省の皆殺し』と『リンダ』という人物には大きな乖離があるような気がした。


「……少なくとも、国民はそう思っているよ」


「上手い躱し方だな」


 ラットはリンダを睨み付け、リンダは目を細める。そしてピッチャーから水を注いで、ぐい、と一気に飲み干した。


「俺はお前の言うことを信じる。どっちであっても、離れたりはしねえぞ」


「……へえ。それは頼もしいな。ううん、そうだなあ……俺はね」


「お待たせしました~! 麻婆豆腐にライスと、ラーメンとビール!」


「早いなッ!?」


 もう少しでなにかしら彼にとっての本心のようなものが聞けたかもしれない――とは思うが、こうなっては続けて訊くのも野暮というものだ。


「わあ、美味しそうだ。いただきます」


 リンダは何事もなかったかのように両手を合わせて割りばしを取っている。それに倣ってラットも手に取ろうとするも、ゴリラの手を移植されていてなかなかつまめない。


「お兄さんにはこれ!」


「ああ、ありがとう」


 セロは盆に乗っていた鉄の菜箸を渡してくれた。これなら長さもあり掴むことが出来る。


「気配りの出来る、優しい子だね」


 リンダは微笑むと、セロは盆で顔半分を隠しながらへへへ、と照れ臭そうに笑った。


 そこからしばらく黙々と箸を進めてしたが、不意にリンダが「ラットに家族は?」と訊いてくる。


「生きてるよ。まだ若いし、健康体だ。四年で死ぬとも思えない。むしろ――本土では俺のほうが死んだということにされてるだろうな」


「まあ、歪曲島で四年も音信不通だったらそうなるかもね」


「お前はどうなんだよ」


「俺の母は幼いころに亡くなったよ。父は、殺された」


「殺された? 誰に?」


「そういうのは警察の仕事だからね。でもまあ、ヒントは見つけてある。困っているのは、俺がここに入っちゃったことだね。ヒントを伝える方法もない」


 けどね――と、リンダは続けた。


「俺以外の人間……それはきっと少ないだろうけど、その同じヒントに気付いているものはいるだろうね。違和感といっても良い。ただ、相手が見えてこなければ意味はないのだけど」


「回りくどいな。それのヒントってのは、お前が探している青い鴉のタトゥーとなにか関係があるのか」


 ラットが言うと、リンダは「さすが警察官、鋭いね」とにへらと笑った。


「そうだよ。すべての元凶で、俺の人生だけじゃなく、色んな人間を狂わせた。だからまあ、探し出さなきゃいけないわけだ」


「……データ省の人間を殺したことにも繋がるのか、それ」


 その言葉にレンゲを持つ手が止まる。


「えっへへ。本当に鋭いね。でもこれは復讐じゃない。君と同じ、託されたんだよ。他の誰でもない、父親にね」


「父親に……?」


「そう、今際の際にね。代わりにこの謎を解いて、やつらを解体させてくれってさ」


「なるほどな。それは、大事にしないとだめだ」


 何度か頷いて、水を飲んでから、ラーメンをすする。今はこれ以上、パーソナルな部分を聞くのも憚られた。これから共にいれば、聞く機会はいくらでもあるだろう、と。


「……美味いな、飯」


「うん。とってもね」


 ふっ、と息をつくとにんまりと笑った。そのとき――。


「クソガキ! 待ちやがれ!」


「た、た、たすけっ!」


 どかどかと乱暴な足音が聞こえてきたと思えば、少女が床を滑るように店内へと入ってきた。


 そんな彼女に向けて、二人の男が鼻息荒く銃を構えている。


「次から次へと……ゆっくり飯も食えねえな」


 リンダは立ち上がり、ラットもそれに倣う。彼はすでに刀の鍔に親指を掛けていた。


「大丈夫か」


 リンダは倒れ込んでいる少女に手を差し出す。


 金髪のウルフマッシュで、目が隠れるように一直線で切りそろえられている。格好はスポーティーなタンクトップにだぼだぼのカーゴパンツ、編み上げブーツである。


 右耳には三連ピアスが空いていて、唇にも玉上のピアスが刺さっているのが見えた。


「マユ! どうしたの!?」


 セロも慌てた様子で眉と呼ばれた少女へと駆け寄ってくる。


「追われ、てて……」


「その女をこっちに寄こせ」


「まずは事情を聴きたいんだけどね。女性を追い回すに値する理由が」


「お前には関係ないだろうがッ!」


 銃口がこちらへと向き、リンダの親指が鍔をカチリと押し出す。今にも抜刀しそうな勢いだったが、野太い声が間合いに入ってくる。


「ここがどこだか分かってんのかてめえらッ!」


「ああッ!?」


「ここは飯を食うところだ。この通りで殺し合いは禁止だって言ってるだろうがッ! うちは中立! どのチームだろうが、それが守れねえってんなら――」


 店主の声に、ガチャガチャと音がして振り向くと、キッチンからも、ホールからも従業員が銃を構えていた。それも拳銃だけではなく、機関銃まである。


「――守れねえやつから殺すだけだ」


「むちゃくちゃだろそれ……」


 ラットが呆れている中でも、男たちは怒鳴り返す。


「こっちは絶対殲滅の弁天一家だぞ! てめえらこそ分かって言ってんのか!」


――弁天一家?


 ビースト・ラボのような組織なのだろう。だが、その名前を発した瞬間から、客のほうから「マジかよ。あの弁天か」と声が漏れてくる。


「弁天一家って、なに?」


 リンダだけは通常運転で、首をひねっている。だが、それに関してはラットも同じ感想を抱いた。


 なにせ四年間も囚われていて、ビースト・ラボしか知らないのだ。


「おい、あんた。弁天にはケンカを売っちゃいけねえよ。ティアンさんも、銃を下ろして」


 客のひとりが青ざめた表情で止めようとするが、店主は銃を構えたまま、リンダは柄に手を置いたまま――動かなかった。


「覚悟は出来てんだろうなあッ!?」


 二人が銃を店主とリンダへと向けたとき、「待ちなよ」と凛とした声が通った。


 間を割るように、青年が入ってくる。センター分けでパーカー姿、青いキャップの奥には二重の丸い目が弧を描いている。


「おい、蔵丸(くらまる)。てめえ、部下のしつけはどうなってんだ!」


 店主が忌々しそうに舌打ちをするのを見て、その口元に笑みを浮かべている。


「いやあ、ごめんね、ティアン。部下から話を聞いてこの子たちを追いかけてきたんだけど、間に合わなかったみたいだ。まさか一階まで来てるとはね」


「蔵丸さん……俺らはその」


「ここは中立。誰も争ってはいけない。君たちは二階層で育ったから知らないのは無理もないけど、これを機に覚えておいてね。僕もこの店には世話になってるんだ」


 さあ、帰りなさい、と蔵丸が言うと二人は店主と彼を交互に見てから、煮え切らない態度でその場を後にする。


「おや? 刀の君と、ゴリラの手の君。もしかして、ビースト・ラボを落とした子かな?」


「だったらなんだよ」


 ラットは少女を立たせてから、蔵丸を睨み付ける。


「名前は?」


「リンダだよ」


「答えんのかよ」


「減るもんじゃないし、礼儀だよ、ラット」


「リンダとラットか。覚えておくよ。僕は弁天一家の若頭、蔵丸。よろしくね。それと――」


 蔵丸はその丸い目で少女を見る。微かに威圧感が漏れ出て、とっさに構えてしまった。


「お嬢ちゃん、彼女を無理やり連れだそうとするのはいけない。あの子はあの子の意志で、うちに入ったんだから。意思は尊重すべきでしょう?」


「ふ、ふざ、けないで。さらったの、あなたたちっ、でしょ」


 少女は震えながら、舌ったらずにそう言った。その応酬でなんとなく事情は理解したが――どちらが正しいことを言っているのかまでは分からない。


「まあ、いいや。ティアン、今度は食べに来るよ。お二人さんも、食事中に騒がせてごめんね」


 笑みを浮かべて蔵丸は手を振り、そのまま店を後にした。止んでいた喧騒が再開されて、店員も店主もすでに仕事に取り掛かっている。


「切り替えが早いな」


「こんな場所だからねえ。ほら、マユも座って。食べるもの、店長になにか頼んであげる」


「あ、あの、あり、ありがと」


 ラットの隣りに腰を落ち着けて、うつむきがちにぼそりとつぶやく。


「弁天一家の若頭、か」


 リンダはレンゲを持ち上げて、ふうん、と首を傾げた。


「どうしたんだよ」


「いやあ、クリスティーナから聞いてたんだ。少なく見積もってもギャングは二〇はいるってね。ってことは、二階層を仕切ってるのは」


「……あいつらか」


「強いね、あの人。あれだけの銃に恐れないだけじゃない。ちゃんと俺と君の動きも観察してた。誰かひとり動いていたらどうなっていたか――考えたくないなあ」


 そう言いながら麻婆豆腐を平らげて、ふー、とため息をついた。


「じゃ、話を聞かせてもらおうかな。お嬢さん」



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