4:初めての夜
結婚式の後は小規模ながら歓迎パーティーが催されて、領民の皆さんは私を温かく迎え入れてくれた。
公爵邸の皆さんと初めてお会いする時は緊張したけれど、私以上に公爵邸で働く皆さんの顔は強張っていた。
それでも、公爵様が「シャロンは他の聖女達とは違う。皆仲良くしてやってくれ」と紹介してくださってからは、皆さんが少しずつ話をしてくださるようになった。
そして、今。
湯浴みの後、私は豪華な寝室のベッドに腰を下ろしている。
身に纏っているのは、薄手の寝衣。
レースの布地は、肌が透けて見えるほどに薄い。
そう。今夜は初夜。
夫となった人と、初めて一緒に過ごす夜だ。
小さな音と共に扉が開き、公爵様が寝室に入ってくる。
お互い、無言のまま。
公爵様はなぜか視線を逸らして、ベッドの前に立っている。
「……今日は疲れただろう」
「はい」
ぎこちない会話。
それも仕方ない、夫婦になったとはいえ、殿下とはまだ会ったばかりなのだ。
「殿下こそ、お疲れなのではありませんか?
「俺は別に」
「ずっと畑仕事をしておられたではないですか」
酒カス王子なんて呼ばれてはいるが、実際にお会いしたアーヴィン殿下はとても真面目な方だった。
実りの少ない北の大地を少しでも豊かにしようと、自ら鍬を握って畑に立つ。
こんな立派な方が、どうして継承権を剥奪されて、こんな国境地帯で一生を過ごすことになったのか。
政治はよく分からない。
「その、お互い疲れているなら、今日は普通に寝るだけでも……」
公爵様が、どさりとベッドに――私の隣に腰を下ろす。
視線が宙を泳いで、あらぬ方向を向いている。
「これから、ずっと同じ部屋で眠ることになるんですものね」
「あ!? あ、あぁ……」
なぜか、公爵様の声が上擦った。
どうしたのだろう、そんなに眠いのだろうか。
「無理なさらずに、お休みください、公爵様」
「え? あー……」
アーヴィン殿下が、逞しい指で頬を掻く。
「シャロンは、その……初夜の意味を、分かっているのだろうか」
「え? 今日から夫婦として寝室を共にすることになる……のですよね?」
「あ、あぁ」
公爵様の返事は、どこかぎこちない。
「大丈夫です。孤児院に居た頃から、寝相は良いと言われてたんです」
「そうか」
広い寝室に、力無い笑い声が響く。
「……シャロンは孤児院に居たのか?」
「はい。孤児院で暮らしていたところ、先の神官長様に見出していただきました」
「なるほど、道理で」
道理で、何だと言うのだろう。
首を傾げて隣に座る彼を見上げたら、整った顔がふと和らいだ。
「いや。他の聖女とは全然雰囲気が違うなと思って」
「そうですね。王都の教会は、貴族家出身の方が多いですから」
地方ならば、平民の聖女も居るのだろう。
でも、王都の教会は全国から選りすぐりの聖女達が集められる。
ふと、違和感を感じて顔を上げる。
公爵様が険しい顔でこちらを見ていた。
つい先ほどは表情を和らげていたというのに、一体どうしたのだろう。
「シャロン、お前……」
「公爵様?」
公爵様が突然私の両肩を掴んだ。
逞しい両手。
公爵様の肩幅と比べたら、私の肩のなんと細いことか。
「抱き上げた時にも思ったが、王都の教会ではちゃんと食事を食べていたのか?」
「あ……」
質問の形を取ってはいたが、公爵様は既に問いの答えを自ら見つけ出しているようだった。
「筆頭聖女としての仕事が忙しくて、少し……食事がおろそかになっている時はありました」
「少しなんてものじゃないだろう」
彼の声には、怒気が込められていた。
びくりと、思わず肩が震える。
「すまない、シャロンに怒っている訳ではないんだ。だが、あまりに……」
あまりに、なんだろう。
見上げる殿下の顔は、どこか苦しそうな、悔しそうな、やるせない表情が浮かんでいた。
「……ちゃんとした初夜は、落ち着いてからにしよう。まずはちゃんと食べて、精を付けて、シャロンが男女のことを学んでからだな」
「男女の……ですか?」
よく分からないままに、公爵様の腕に抱き込まれる。
逞しい身体。広い胸に顔を押し当てるようにすれば、長い一日の疲れがたたってか、自然と瞼が重くなってきた。
「ああ、ゆっくりでいい」
「はい、公爵様」
殿下の身体にもたれるようにして、身体が沈み込んでいく。
気付けば、私の身体はベッドに寝かされていた。
「公爵様じゃない。俺達はもう、夫婦なんだから」
「では、何とお呼びすれば……?」
うとうとと沈みかける意識の中、懸命に言葉を選ぶ。
見上げる彼の顔が、ふわりと綻んだ。
「好きに呼んでいい。俺の前でかしこまる必要はないんだからな」
「わかり、ました、だんな、さま……」
夫となる人なのだから、やはり旦那様とお呼びするべきだろうか。
なんて考えながら、言葉にするよりも先に、私の意識は深く沈み込んでいった。