幕間:追放された王子と、廃棄された聖女
◆side:アーヴィン◆
王都から聖女が来ると聞いて、正直頭が痛かった。
聖女なんてのは教会でチヤホヤされて気位ばかり高く、自分では何一つ出来ない女の集まりだ。
無論彼女達には聖なる力があり、彼女達にしか出来ない仕事もある。
だが、それを差し引いても聖女という連中に対してのイメージは悪い。
外の世界を知らぬが故に、泥臭く働く人間を下に見る。
稀少な存在と持て囃されるが故に、自分達が特別だと思い込んでいる。
ああ、そうさ。特別だ。聖女は特別な存在だ。
それは認めよう。
だからと言って、人を人とも思わぬ態度はいただけない。
全部が全部そんな奴だとは思わない。
だが、俺が王都で見た聖女は、そんな奴等ばかりだった。
俺が王都で嫌われていた“酒カス王子”だからというのも大きいのだろう。
そんなあだ名が付いたのも、自業自得。
むしろ、自分から付けたようなものだ。
酒は好きだが、弱い訳ではない。
ただ酒に酔ったことにして、暴れていただけ。
やり場のない怒りを、酒のせいだとしてぶつけていただけだ。
幼い頃から、俺は王家の爪弾き者だった。
侍女の母親から生まれた庶子。
正妃の子である弟ダーレンが生まれてからは、離宮に隔離されて、公の場に出ることもほとんどなくなった。
それでも、幼い頃はひたすらに我慢していた。
いい子にしてさえいれば、いつか家族も振り向いてくれる。
愚かなことに、子供の頃は本気でそう信じていたんだ。
そんな想いが打ち砕かれたのが、十歳の頃。
一人寂しい暮らしをしていた俺は、乳母に頼んでペットを飼うことにした。
選んだのは、白くてふわふわとした小さな兎。
落ち着きがなくて離宮のあちこちをウロウロとしていたが、そんな兎を探し回るのが幼い俺の日課になっていた。
ある時、いくら探しても兎が見付からなくて、俺は初めて自分の意思で離宮を出た。
咎められることこそなかったが、護衛に立つ騎士達は、どうしてお前がここに……と表情で語っていた。
それでも何とか彼等と話をして、探し歩いた結果。
兎は、ダーレンが飼っていた猟犬に噛み殺されていた。
白くふわふわな毛並みは、赤く染まっていた。
誰もダーレンを咎める者は居ない。
それどころか、どうして兎を野放しにしたんだと、俺が責められる始末。
その時に、理解したんだ。
俺が弱いから、誰も俺の味方をしてくれないんだって。
相手がダーレンの飼い犬と分かると、誰もがダーレンの味方をした。
俺が、平民の子供だから。
ダーレンが、王妃の子供だから。
だから、平気な顔をして奪うんだ。
兎を。小さな命を。俺の尊厳を。
俺が弱いから、奪われる。
その考えは、幼い俺の心に強く根付いてしまった。
酒を覚えてからは、酔ったふりをして感情のままに振る舞うようになった。
こちらが大人しくしていては、また奪われる。
そんな強迫観念にも似た想いがあった。
ついたあだ名が、酒カス王子。
どうせ、元々カスみたいな扱いしか受けていなかった俺だ。
酒カスと噂されたところで、それ以上肩身が狭くなりようがない。
暴れた末に王城を出禁になり、辺境の地に追いやられたのは、むしろ僥倖だった。
王位継承権を剥奪され、臣籍降下という名目で、実質辺境の地に流刑された身。
この地には俺の神経を逆撫でする兄弟も偉そうな貴族達も居ない。
寂れた田舎。
痩せ細った大地は生産性とはほど遠く、誰からも見向きされない。
俺に似合いの土地だ。
将来性はなくとも、この地には自由がある。
俺はこの不毛な田畑を生涯耕し続けていくのだろうと、そう思っていた。
あの女が嫁いでくる迄は。
聖女というイメージとは、かけ離れた女だった。
偉そうな態度など、欠片も見えない。
むしろ、おどおどとしてどこか怯えた様子。
手足は細く、貧相な身体。
ちゃんと飯は食えているのだろうか。
王都の教会なんて贅を尽くした場所だとばかり思っていたが、俺の元に嫁いできた元筆頭聖女様はみすぼらしいワンピースに身を包んでいた。
流石に子供ではないだろうが、そう言われても不思議はないほど、痩せ細っている。
俺を見上げる視線は、怯えを孕んでいた。
こちらの顔色を窺うような視線。
時折怯えては、肩を震わせる。
長い白銀の髪。栗色の瞳。
何かを思わせる――と、記憶を辿って気が付いた。
そうだ。兎だ。
幼い頃飼っていた、あの白兎。
白銀の髪も、こちらを見上げる栗色の瞳も、小さく震える身体も、記憶の奥底にある兎の姿そのものだ。
気付いた瞬間、ずきりと胸が痛む。
この痩せ細った兎も、あいつらの手にかかればまた傷だらけで倒れることになるのではないか。
ここはディングリー公爵領。王都ではない。
俺の手の届くところに居さえすれば、傷付くこともないと思いたいが……何分、安心は出来ない。
兎のような聖女だが、彼女には食べ物を腐らせる力があるらしい。
力と言うには、微妙なものだ。
確かに聖女として力を振るうには、その能力は微妙だろう。
しかし、俺にとっては好機だった。
寒いディングリーの冬を越すために、またこの地の特産となれば良いと、以前からワイン造りにいそしんでいたのだ。
土地との相性か、それとも技術的な問題か、いまだ満足のいく品は出来てはいない。
だが、兎――ではなかった、シャロンに林檎を持たせたところ、彼女の掌で赤い林檎は透き通る琥珀色に変化した。
思わず、俺は彼女の手を掴んでいた。
そして、その指を――――…、
嫁になる相手とはいえ、初めて会った女の指を舐めしゃぶるなど、我ながらとんでもない行動に出たものだ。
だが、その時の驚き。彼女の能力への期待。今後我がディングリー領に起きるであろう事象を考えたら、自然と身体が動いていた。
そう。シャロンは廃棄聖女などではない。
俺にとっては、正に女神と呼べる女だった。