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3:酒カス王子

「……なんだ、お前は」


顔を上げた男性が、手の甲で額の汗を拭う。

瞬間、ドキリと胸が高鳴った。


あれ、なんだろう。

この胸の鼓動は。


農作業をしていたのは、まだ若い男性だ。

おそらく二十代半ばくらいだろう。

汗で額に張り付いた黒髪を払いのけ、怪訝そうにこちらを見つめている。


「あ、あの、こちらに公爵様――アーヴィン殿下がいらっしゃると聞いて……」


男性は鍬を傍らに置いて、背を伸ばした。

……高い。少し距離がある今でも、目線は上を向いている。

隣に立てば、見上げる程だろう。


農作業をしていたからか、白いシャツが汗で肌に張り付いている。

薄手のシャツの下には、逞しい筋肉が浮かび上がっている。

王都では見掛けなかったタイプだ。


王城や教会で見掛ける男性は、皆優雅で洗練された人達ばかりだった。

社交パーティーでも、教会で行われる礼拝でも、訪れる男性は皆美しくキラキラしていた。

こんな風に自ら鍬を持ち畑を耕す男性は、初めて見る。


「アーヴィンは、俺だが」

「えっ」


そんな男性が第一王子であるアーヴィン殿下と知って、思わず間の抜けた声を上げてしまった。


「も、申し訳ございません! 王子殿下とはつゆ知らず……」

「良い、既に廃嫡された身だ。それより、何の用だ」


私は息を整え、公爵様の前で優雅に一礼した。

孤児院で育った私に礼儀作法は難しかったけれど、王太子妃教育の一環として、嫌というほど叩き込まれた所作だ。


「王都より参りました、元聖女のシャロンです。以降、公爵様にお仕えさせていただきます」

「お前が……?」


恐る恐る顔を上げる。

公爵様は驚いたように、あんぐりと口を開けていた。

自分の伴侶として送り込まれた相手がこんなちんちくりんで、機嫌を損ねてはいないだろうか。心配です。


「あ、あの、不束者ではありますが、精一杯お仕えさせていただきますので……!」

「お仕えも何も、お前は家臣としてここに来た訳ではないだろう」

「ですが、私にはそれくらいしか……」


自分が女として評価に値しないことは、嫌というほど理解している。

王太子殿下に何度も言われたものだ。

『筆頭聖女でさえなければ、お前の相手などしてやるものか』と。

せめて身の回りのお世話くらいはさせてもらわないと、役立たずな私はここでもまた捨てられてしまうかもしれない。


「元は筆頭聖女なんだろう。それだけの力はあるんじゃないのか」

「は、それが……」


力のことに話題が及ぶと、自然と視線が下を向いてしまう。


「魔力は豊富にあるようなのですが、私が持つ力は、食物を腐らせることしか出来ないので……」

「食物を腐らせる?」


公爵様が小さく首を傾げ、顎を撫でた。

農作業をしていたからか、手についた土が顎を彩る。

どうしてだろう、そんな仕草からも目が離せない。


「ちょっと来てくれないか」

「え……?」


公爵様が突然私の手を掴み、畦道を歩き始めた。

大きく、逞しい掌。

歩く歩幅は大きく、自然と小走りになってついて行く。


手を引かれてやってきたのは、畑の近くにある小屋が並んだ一角だった。

小屋の中には収穫した野菜が所狭しと積まれている。


「ディングリーの地は、寒さが厳しくてな。畑をやってはいるが、育つ食物は限られている」


王都からディングリーの地に来るまで、馬車に揺られながらのんびりと田畑を眺めていた。

確かに王都に近い地域では色鮮やかで豊かに実っていた田畑が、北方に来るにつれて種類も収穫量も減っている印象を受けた。


「そんな中でも、何とかこの地の特産品が作れないかと試行錯誤していたんだが……」


公爵様に案内されて辿り着いたのは、貯蔵庫の脇にある小さな小屋だった。

中に入ると、微かな匂いが鼻をつく。


「これは?」

「試しに林檎を腐らせてみたんだ」

「林檎を?」


まさかわざと果物を腐らせるなど、考えてもみなかった。

キョトンと殿下の顔を見上げると、眉を歪め、頭を掻く。


「そうすることで、ワインが作れないかと思ったんだが……なかなか上手く行かなくてな」

「ワインを?」

「ああ。見様見真似、聞きかじった方法で試してみたんだが」


なるほど。

酒カス王子と言うのは、お酒造りに熱心な王子様と言うことでしたか。


「ワインはどのように作られるのですか?」

「簡単に言えば林檎や葡萄などを発酵させて搾り、熟成させる……と聞いている」

「なるほど」


でしたら、私でもお力になれるかもしれません。

お酒はあまり得意ではありませんでしたが、王城のパーティーなどで何度か飲んだことはあります。

その時のことを思い出しながら、公爵様が差し出した林檎を手に、力を込める。


「…………っっ」


手の上の林檎は、あっという間に琥珀色の液体に変化した。

慌てて小屋の中に置かれていた桶の上に手を移動させるが、大部分の雫は零れてしまった。


「も、申し訳ございませんっっ」


私が頭を下げると、公爵様は荒々しく私の腕を掴んだ。


「――――!!」


折檻される――そう思って目を閉じたが、次の瞬間、指先が不思議な感触に包まれた。

ぬるりと滑り、温かい……そう、まるで誰かの唇が触れているかのような心地。


「え……?」


目を開けると、公爵様が私の指を口に含んでいた。

アルコールを口にした訳でもないのに、自然と顔が赤らんでしまう。


「こ、公爵様――!?」

「凄いな。もう一度試してくれないか」


殿下は空の瓶を用意して、もう一度林檎を私に差し出してきた。

この瓶に注ぐようにして、再び林檎を腐らせろということだろう。


今度は、ちゃんと瓶に注ぐことが出来た。

瓶の中に透き通った黄金色の液が溜まっていく。


「どれ」


公爵様が瓶を掴み、勢いよく口を付けた。

まさか、グラスを使わずにそのまま飲むとは思わなかった。

孤児院では普通だったそんな仕草も、教会に聖女として迎え入れられてからは、固く禁じられた。

聖女だから、王太子殿下の婚約者だから、淑女だから――そう言われて叩き込まれたマナーが、公爵様の前では霧散していくようだ。


「でかしたぞ、シャロン!」

「ひぁっ!?」


突然公爵様が瓶を置いて、私をひょいと抱え上げた。

まるで幼子のように抱っこされたままで、殿下がぐるぐると回る。


「上手く発酵させることが出来なくて、この地でのワイン作りは無理なのだろうかと諦めかけていたところだった。寒い時期、暖を取るのにも酒は役に立つ」

「わ、私でもお役に立てますでしょうか……?」

「ああ。役立たずどころか、正に待ち望んでいた能力だ!」


公爵様の言葉に、胸が温かくなる。

私の力をこんな風に認めてくれる人、今まで居なかった。

ううん、高貴な身分だと言うのに自ら畑で鍬を持って耕している人、王都には居ない。


きっとこの地でなら、公爵様の元でなら、今までのように怯えて暮らすことにはならないだろう。

出会ったばかりだというのに、不思議とそんな確信があった。




もっとも、上機嫌な公爵様にぐるぐると振り回された末に目を回して気を失ってしまった為に、到着早々迷惑を掛けてしまったのだけれど。

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