第九話 一等星の憂鬱
アヴィの師匠にして上級神官のシリウスは、執務室で仕事とにらみ合いをしていた。
「あ゛あぁ・・・」
疲れた。
ほんっとうに疲れた。
アヴィを祈祷室まで送り届けてから、かれこれ4時間は座りっぱなしだし、アヴィの回復魔術の成否が気になってメンタルもボロボロだ。
(もしアヴィが回復魔術の習得に失敗しても、プロキオンに住んでいる弟に拾わせればなんとか・・・いや、それなら私が神官を辞めた方が早いな・・・むーん。難しいな)
シリウスにはお金がある。
元々は騎士の家系の長女だったので、昔は騎士として働いていた。
その頃の給金と合わせれば、金貨20000枚は余裕で持っている。
問題はお金ではなく、シリウスが神官を辞められるかどうかだ。
アヴィが今日で魔術を習得できなかったら、彼女は明日には追放である。
となると、アヴィに同伴したかったら、シリウスも明日で仕事を辞める必要がある。
(だが・・・私は管理職の立場だからなぁ・・・そう簡単に辞められない)
本当にマズい状況になったら、教皇を殴り殺し、教皇になって強引に「教え」を変えれば良い。
そんな不敬なことを考えつつ、シリウスは次の資料に目を通す。
「シリウス様ァッ!」
ドバン! とシリウスの執務室をノック無しで開け放ったのは、シリウスの補佐であり、古参の神官である、「デネボラ」だ。
やけに顔が赤いが、彼はもう63歳なので、そういうことも・・・まあ、あるだろう。
デネボラも昔は騎士であったが、デネボラの主が大罪を犯し、その連帯責任で神官となった。
そのため、元騎士の面でもシリウスの先輩にあたる。
「どうしたデネボラ。そう焦らなくても、私はまだ一昨日の仕事すら終えていないぞ」
「それはいつものことなのでいいです。はい」
アヴィの妙にふてぶてしいところは、自分の影響なのかもしれない、と無駄に客観視したシリウスは、コーヒーを口に運びながら、デネボラに話の続きを促す。
「あのッ・・・アヴィが脱走しましたァッ!」
コーヒーを思いっきり噴き出した。
「あ゛づァッ!? 服がァッ!?」
「ごほっごほっ!?」
シリウスの噴き出したコーヒーがデネボラの真っ赤な顔と白髪と白い神官服が茶色に染まった。
机を汚したコーヒーを拭きとりつつ、シリウスは困惑する。
(脱走・・・? 盲目のあの子が? 物理的に不可能じゃないか)
「神殿長マーズ様によると、アヴィを最後に見かけたのは神殿南門、草原方面とのことです」
「南門? 祈祷室から500メートルは離れているが・・・脱走したのは本当にアヴィなのか?」
「シリウス様の白杖を持っていたとのことですし、確実かと。それで──」
「そう・・・か・・・」
シリウスはデネボラから目を逸らし、意味も無く窓の外を見た。
妙だ。
広場に神殿兵が集まっている。
普段、神殿兵は神殿の入り口──門や関所付近で勤務しており、それが彼らの居る意味だ。
「──祈祷室で死体が見つかり・・・アヴィがその容疑者に挙げられておりまして・・・」
「なん・・・!?」
想定外の情報が続きすぎて、もう思考がまとまらない。
どこがおかしいというより、どこもかしこもおかしい。
マトモなものを探す方が大変だ。
シリウスは顔を引きつらせて、デネボラに問う。
「じゃ、じゃあなんだ、他の連中はアヴィが人を殺して脱走したと大真面目に考えていて、兵士を使って捕縛しようと!?」
「いや、発見次第処刑とのことです」
「んお!? イカレてんのかあのクソ■■■どもが! 死ね!」
「あァお辞めください、お辞めくださいシリウス様ァ!」
こんな風にシリウスのことを諌めているデネボラも、心中は怒り一色に違いない。
それに、アヴィを神殿に連れて来たのはシリウスではなくデネボラだ。
アヴィにとってもデネボラは「会うたびに飴をくれて、勉強を教えてくれる優しいおじいさん」であり、二人の関係は良好だ。
無論、シリウスが一番仲良しだが。
「つきましてはシリウス様。この老いぼれにアヴィの捜索と護衛をするための休暇をくださればと」
「いいだろう──」
即決。
アヴィのことは自分の娘のように思っている。
娘をこんなふざけた理由で殺させるつもりはない。
「──そして、その休暇には私も同行する」
「なんですと!? そ、その場合、シリウス様が神殿に居ない間に、他の上級神官が好き勝手に行動する恐れが・・・」
「いや、その点に関しては心配ない。弟をプロキオンから呼んで、私の代わりに働かせればいい」
「・・・? 弟様は神官ではなかったと思いますが?」
「そうだな。でも私がやれって言ったら、多分やるだろ。弟だし」
「えぇ・・・」
デネボラはドン引きした。
自分の上司が、いかにおかしいかを理解して。