第一話 沈んだ一等星
「聖女見習いアヴィ、今日が最終日だよ」
フォール神殿の女上級神官であるシリウスが、私──アヴィにそっと告げた。
「最ひゅうひ」
「そう、最終日だ。分かっているとは思うが、もう一度説明するよ」
「はひ」
私の目を覆う藍色──だと聞かされている包帯に、揚げパンの油が滲む。
「聖女は15歳になってから、16歳になるまでの間に、治癒魔術を習得しなくてはならない。もし、習得が出来なかった場合、私は君を神殿から追い出す」
シリウスの声に、大人の冷たさと私の師匠としての愛情が混じる。
「そして、君は孤児だ。戸籍が無い以上、まともな職には就けん。追い出されたら・・・良くて餓死、最悪の場合は・・・」
「もー何回も聞きまひた。奴隷でふょ?」
「そうだ。だから・・・その、もう少し焦ってくれないか?」
「ふぇ?」
明日には死んでいるかもしれない女は、揚げパンの油で両手と口をべとべとにしていた。
「だいたい、その揚げパンどこから持ってきたの?」
「ひょく堂のキッひンから持って来まひた!」
「アヴィ、それはね、盗み食いって言うんだ」
盗・・・貰ってきた揚げパンを半分に裂き、片方をシリウスに渡す。
「揚げパンを半分渡して、私を共犯にしようとするな」
「ええ? 師匠は我が儘ですねぇ・・・」
「どこがだ。・・・ほら、祈祷室に行くぞ! とっとと杖を持て!」
「むうー・・・」
明日には、私は餓死しているかもしれない。
それなら、と美味しいご飯を食べて、最後の思い出作りをしていたら、怒られてしまった。
カツン、カツンと杖を床にぶつけながら、私は口を開いた。
「師匠・・・私、向いてなかったんですよ。治癒魔術だとかに」
「・・・不吉な事を言うんじゃない」
「でも、言いたくなっちゃいますよ。だって、普通の人なら遅くとも一月で使えるようになるものが、約一年費やしてこれですよ?」
「・・・やめろ」
神殿に、厳密にいうならシリウスに拾って貰ったのは、私が1歳の頃らしい。
それからずっと、シリウスと親子のように過ごしてきた。
色んな楽しいこと、悲しいことがあった。だから・・・
「師匠、最後まで私のこと、見捨てませんでしたね」
「・・・」
「とっとと私のことを追い出して、別の人を弟子にとっておけば、師匠は今頃、神官長・・・もしかしたら教皇になっていたかも」
「・・・そんなものに興味はない」
私は、どんな罪人よりも性格が悪いに違いない。
シリウスの愛に甘えて、こんなしょうもない自虐に付き合わせている。
私には才能も、健康な体も、なにもないのに。
「・・・祈祷室に着いたぞ」
祈祷室、という名が付いてはいるが、その実態は病棟に近い。
祈祷室の中に怪我人がおり、それに対して治癒魔術が発動できたら、晴れて習得完了、という訳だ。
「はい、マスクを着けて」
このマスクは、祈祷室に居る、怪我人の血の匂いを感じにくくするため、聖女が着用を義務とされている・・・らしい。
口と鼻を覆うようにして、薬草で出来たマスクを、頭の後ろで結んで装着する。
杖を脇に挟みながら、祈祷室の扉に手を置く。
そして、シリウスの方へ振り返った。
「師匠、さようなら」
「・・・ああ」
扉を押し開けて、祈祷室に入る。
それから数歩進んだ後、シリウスが扉を閉めた。
「聖女見習いのアヴィです。貴方の傷を治すため、一生懸命祈らせていただきます」
怪我人のいるだろう方向に話し掛ける。
「・・・」
いつも通り、返事はない。
当然だ。怪我で苦しんでいるのに、簡単に返事が出来るはずがない。
「えっと、じゃあ・・・始めますね?」
緊張と、死への恐怖を感じながら正座をした。
そして、祈ろうとした──
『この子、どうして、死体に祈っていますの・・・?』
頭の中に女性の声が響いた。
抑揚から考えるに、上流階級の人間だろう。
「え、どっ、どなたかいらっしゃるんですか?」
『? あれ、この子、私の声が聞こえて・・・?』
「まあ、はい・・・頭の中で響いてうるさいと思う位には・・・」
『まあ! ムッッチャクチャ無礼ですわこの子!』
どうやら、こちらから話し掛けることも出来るらしい。
ますます意味が分からない。
声の出処が分からないのに、会話は出来る。
(神託みたいな・・・? でも、神にしては話の内容が低俗だし・・・)
「それよりも、遺体って・・・? この人は怪我人で・・・」
師匠が、シリウスが嘘をつくはずがない。
治癒魔術は「治癒」でしかない。
遺体を再生できる治癒魔術など、それはもはや「蘇生魔術」──神の奇蹟の域だ。
『それなら、そのマスクを取ればよろしくてよ』
それもそうか、と軽い気持ちでマスクを外した。
もう少し、ちゃんと考えて外すべきだった。
「おゔぉえッ!」
脳が腐りそうなくらい強い異臭が、肺を満たした。
怖い。
治癒魔術が使えないことでも、異臭が──死体が目の前にあることでもない。
(シリウス、私のことをずっと、ずっと騙して・・・?)
こんなに悲しくて怖いのに、目が呪われているせいで、涙を流す事すら出来ない。
色んな感情がグルグルと体の中を巡り、出処がないからいつまでも苦しい。
『えっ・・・な、なんというか・・・ごめんなさい』
「あなたが悪い訳じゃ・・・ない・・・うぐっ」
これからどうすればいいのだろう。
いや、もう明日どころか、今日すらないかもしれない。
こんな事実を知ってしまったのだから。
『・・・外に、出ませんか? 』
「部屋から出たところで、もうどうにも──」
『部屋じゃありません。いっそのこと、この神殿から脱出しませんこと?』
「神殿から・・・?」
考えもしなかった。
私にとって神殿が世界の「全て」だった。
シリウスとの日常が、私の全てだった。
だから、世界の外に出るなんて、とても──
『私が先導します。私が、貴女のことを自由にしてさしあげますわ!』
「は、はい!」
今まで怖くて作品情報を見ていなかったんですが、ブックマークを2つもつけてもらえていて、とても嬉しくなりました。本当にありがとうございます。
これからも遅筆ではありますが、楽しんでいただければ嬉しく思います。