1-1 終わりの楽園層(3)
その男は金色の長髪に褐色の肌をしていた。帝国兵たちに取り囲まれながらも、表情にはどこか余裕そうに笑みを湛えている。服装は小綺麗に纏まっており、ダボったい上衣に膝下辺りで丈を絞った黒いズボンを穿くと、足には草履を履いていた。
「キサマ! どこから現れた!!」
「おっと」
詰問と同時に槍の矛先に迫られると、その男は両手を挙げて抵抗の意思がないことを示す。
「その物騒な物を下ろしてくれる気は……なさそうだね」
「その格好、イギリカ人ではないな? 日中の楽園層にどうやって侵入した!」
「ん~そんなに目立つ格好かな? なるべく楽園層の雰囲気に合わせてきたつもりだったんだけど」
「フン! イギリカ人はもっと小汚い。そこの小娘のようにな」
そう言って、帝国兵はマキナの方に軽く首を振って視線を誘導する。
褐色の男もその動きに従うと、振り返ってマキナの姿をまじまじと観察し始めた。
「……まあ、確かに身なりが良いとは言えないかもね。服は上下ともに汚れが目立つし、靴もボロボロだ。だけど、容姿は良さそうだね」
「?」
男の言っている意味が理解できず、マキナは疑問符を浮かべて眉を顰める。
そんな彼女に向かって男は微笑みかけると、何事もなかったかのように帝国兵へと向き直った。
「それで? そこに倒れているご婦人は一体何をしたのかな?」
「おい、質問しているのは俺たちの方だ!」
「そうだったね、これは失礼した」
「 チッ、どいつもこいつも他人の問題に首を突っ込みたがる」
帝国兵は吐き捨てるように言うと、少し下がった槍の矛先を正して続ける。
「どうやら自分の立場を理解していないようだ。この場から生きて帰りたいのであれば、キサマは訊かれた事にだけ答えろ。それ以外の事でペラペラと口を開くな!」
「……」
「おい、聞いているのか!」
「もちろんさ」
「では、なぜ返事をしない!」
「おいおい、これ以上俺を悪者扱いしないでくれよ。君が言ったんだよ? 『訊かれた事にだけ答えろ』って。命令に応答しろとは言われてない」
「この──屁理屈をッ!」
「屁理屈じゃないさ。俺だって『この場から生きて帰りたい』からね。命が懸かっている以上、慎重にもなるさ」
「キサマ……」
「そもそも、君はもっと温和な態度で他人と接した方が──」
バゴォン──と。強烈な破壊音が路地に響くと、褐色の男の言葉が掻き消される。
帝国兵の振るった槍が建物の外壁に深くめり込んでいた。
「先刻の問いに答えろ。どうやって楽園層に侵入した?」
吐き出された帝国兵の言葉には、冷たい感情だけが乗っていた。そこに、先刻まであったはずの人間味のある抑揚はない。
だが、褐色の男は怯むどころか変わらぬ態度を維持する。
「心外だなぁ。まだ俺のことを泥棒だと思ってるのかい?」
「……これが最後だ。お前は、どこから、楽園層に、侵入した?」
「どこからって……」
男は顎に手を添えると、しばし考えるように沈黙する。
そして、実に軽い声音で言った。
「空から」
「そうか──ッ!!」
帝国兵は一言だけ返すと、目の前の男に向けて槍を穿つ。
その速さは先刻マキナに向けて放たれたものとはまるで異質。さらに勢いを増した槍戟が空気の壁を貫いた。
殺意を体現するかのように鋭く尖った矛先が、褐色の眉間に目掛けて一直線に迫る。その場にいた誰が見ても、確実な死の訪れを予感させた。
ただ一人、当の本人を除いては。
男の口端が薄っすらと持ち上がると同時に、その体が矛先の軌道上からフッと消える。
「なっ!?」
「手が早いね。少し落ち着いた方がいい」
その体勢はまるで高度な曲芸のようだった。
男の体は膝上から頭までが一直線の棒のように倒れると、その背が地面に接することはなく膝下の筋肉のみで体を支えている。そこには奇術師が用意するような、なんらかの仕掛けは介在しない。己の肉体のみでその体勢を成立させていた。
極わずかな間隙を経て、他の帝国兵たちも一斉に動きを見せる。
「お前は右足を!」
「おう!」
息の合った連携で、二人の帝国兵が左右から男の両足に向かって足を振り抜く。しかし、繰り出された足払いは槍と同じく虚空を薙ぐと、男の体は自ら宙を舞っていた。
そのまま空中で一回転。男は両脚を左右に突き出して開脚する。
「ぐあっ!?」
「ぐっ!」
男の両足が帝国兵たちの顔面をヘルムの上から蹴り付ける。
その威力に蹴り飛ばされた帝国兵たちは、建物の外壁に激突すると呆気なく地面に倒れ伏すのだった。
「──っと、まだ続けるかい?」
「調子に乗るなよ! 【忽──」
倒れる同朋を前にして、残された帝国兵は槍を手元に戻すと、空いている方の手のひらを男に向けて広げる。
「──焔】!」
声と共に手のひらに炎の塊が生み出される。そして、その炎塊は間髪入れずに火球の形を成すと、褐色の男に向かって射出された。
「魔法か」
火球が生み出す陽炎に目を細めながら、男は垂れた目尻をピクリとも動かさずに呟く。
「魔術で十分だ」
埃を払うかのような軽い動作で、男の右手が火球との間に薙がれる。すると、その軌道に尾を引くようにして凄まじい突風が吹き荒れる。
その風の煽りを受けると、火球は蝋燭の火が吹き消されるがごとく、いとも簡単に霧散してしまうのであった。
「もう一度言うよ、落ち着いた方がいい。君らも軍人なら、実力差──理解できないほど馬鹿でもないだろう?」
「……チッ!」
帝国兵は舌打ちをすると、不満そうに槍の石突を地面に突き立てる。
その後に続いて、地面に倒れていた他の帝国兵たちも気怠そうに起き上がり始めた。
「キサマ……一体何者だ?」
「ん~……まあ、端的に言えば、君らの上官かな?」
「帝国の人間か。それなら、この時間に楽園層にいてもおかしくはない。だが生憎、文官ごときに俺たち兵士の上官だと名乗られる筋合いはない」
「文官? いや、俺は軍人……」
中途半端に、褐色の男の言葉が止まる。
かと思えば、すぐに拳でポンと手のひらを打つと喋りは再開された。
「ああ、そうか。甲冑の着用義務は帝都イギリカでも変わらないんだったね」
「何を一人で納得している。そのうろ覚えの軍規こそ、お前が軍人を騙っている何よりの証左ではないか」
「いやいや、騙るも何も俺は軍人だよ。帝国軍所属の人間さ」
「『空から』だの『帝国軍所属』だの……もうキサマの冗談に付き合う気はないぞ」
「冗談、か。一回も言ったつもりはないんだけどね」
褐色の男は「まあ、いいや」と続ける。
「仮に俺が文官だったとしよう。だとしたら、君ら兵士はその〝文官ごとき〟に負けたことになっちゃうよ? それも三対一でね」
「──っ!? そ、それじゃあ何だ? キサマは自分が『後継騎士』だとでも言うつもりか!」
帝国兵の動揺の声に、他の帝国兵たちも各々の反応で同意する。
対して、褐色の男はくすりと笑いを零して首を横に振った。
「ついこの間、帝都で着任式があっただろう?」
「ああ、『天裂の騎士』の着任式だ」
「そう、それ。あの着任式って、俺のために執り行われたものなんだ」
そう言って、男は得意気な顔で自分を指差す。
すると、今度は帝国兵たちが呆れたように笑い声を漏らした。
「冗談に付き合う時間は終わったと言ったはずだが?」
「天裂の騎士であるならば、なおさら甲冑を着用していなければおかしいだろう」
「だな。嘘を吐くにしても、もう少し頭を使った方がいい」
「あ、あれ~? もしかして、信じてもらえてない? 威厳が足りなかったかな……」
予想していたような反応ではなかったらしく、男は背筋を正すとわざとらしく咳払いをして注目を集める。
「色は『鳶』、号は『戈』。英帝陛下から賜った誉れ高き称号さ。正真正銘、先日帝都に着任した『鳶戈の騎士』本人だよ」
「確かに、新しく着任した天裂の騎士は鳶戈の騎士で間違いない。だが、すでに公になっている情報だ。知っている者であれば騙るに容易い」
「でもさ、考えてごらんよ。普通、帝国軍のお膝元で天裂の騎士を騙るかい?」
「さあな、そんな馬鹿がいるなら会ってみたいものだ。軍規も碌に読めない馬鹿と同じくらい珍しい」
「随分と昔の話を引っ張りだすね」
「ついさっきの話だ! 元はと言えば、お前が甲冑を着用していないことに起因しているんだぞ!」
「それは……うん、そのとおり」
言い合いが進むにつれ、男の声音から覇気が失われていく。
その態度もどこか縮こまったように控え目になると、彼を哀れに思ったのか、静観していた別の帝国兵が行動を起こす。
「──聞こえるか? 確認したいことがある。……ああ、鳶戈の騎士についてだ」
その帝国兵はヘルムの上から耳元に片手を添えると、何やら小声で喋り始める。
それを見ていた褐色の男が彼に近づくと、その耳元を覗き込むようにして顔を近づけた。
「それってスターダストカンパニーが開発したっていう小型通信機かい? へ~、帝都では実用化されてるんだね」
「静かにしていろ! お前のために確認してやってるんだぞ!」
「おっと、これは失礼」
そして、二、三分後──。
「──ああ、その件も伝えておく」
「どう? 本物だって分かってくれた?」
「確認は取れた。どうやら、本当の事らしいな」
「よかった、信じてもらえたようで」
「キサ……貴殿が話をややこしくしたのだろう! 」
怒りっぽい帝国兵は荒げた声を鎮めると、ため息を吐いて話を進める。
「貴殿の正体は把握した。だが、それを知ったうえで、先刻の話にはやはり訂正しておくべき点がある」
「訂正?」
「貴殿は自らを我らの〝上官〟と仰っていた。しかし、それは大きな誤りだ。我らが所属する部隊は『黄弩の騎士』が率いる部隊。所属が違えば、同じ天裂の騎士であろうと外様の人間だ。そして、なべ底を支配しているのは我ら黄弩の騎士の部隊。これ以上敵対したくなくば、くれぐれも勝手な行動は慎んでいただきたい」
「これ以上、ね。丁寧な忠告どうも、今度は覚えておくよ」
それともう一つ、と帝国兵は付け加える。
「隊長から言伝を預かっている。『鳶戈の騎士は今すぐ指令室に来い』とのことだ」
「あらら、りょーかい」
鳶戈の騎士が返答すると、帝国兵は「話は終わりだ」と言い捨てる。そして、彼らは当然のように倒れている女性の回収に取り掛かり始めた。
そんな彼らに、鳶戈の騎士は待ったをかける。
「その女性は置いて行ってもらうよ」
「話を聞いていなかったのか? なべ底での決定権は──」
「その事は理解したさ。軍規に沿う以上、君らの邪魔はしない」
「なら、なぜ邪魔をする?」
「話を聞いていなかったのかな? その拘束が〝軍規に沿う〟のであれば、俺は邪魔しないよ」
「……どこまで知っている?」
「そうだなぁ……君たちよりは多くの事を知っている、かな?」
まあ、と一拍置いてから鳶戈の騎士は続ける。
「安心しなよ。君たちの上官に告げ口したりしないからさ。スターダストカンパニーの方には俺から事情を説明しておくよ。あそこのCEOとは知り合いだからね」
「……いいだろう。それなら、俺たちはもう行く」
帝国兵たちが女性を残してその場から去っていく。途中、彼らは未練がましそうに何度も女性の方を振り返っていた。
「じゃあね~……さて、」
鳶戈の騎士は彼らの後ろ姿に笑顔で手を振ると、スッと表情を戻し、女性の触診を始める。
一方、一連の事態を息を呑んで見守っていたマキナは、ようやく状況に脳みそが追いついていた。そして、鳶戈の騎士と呼ばれた男の背後からこっそりと、女性の姿を覗き込んで尋ねる。
「その女性、大丈夫なの?」
「ん~? 気絶はしてるけど、とりあえず命に別状はないみたいだね。ただ、手当は必要だ」
鳶戈の騎士は女性を抱えて立ち上がる。
彼はそのままマキナを振り返ると、あらためて自己紹介をした。
「と、いうわけでだ。はじめまして、イギリカ人のカワイ子ちゃん。俺はアギド帝国軍最高幹部──天裂の騎士が一人、鳶戈の騎士。残念ながら、俺は君の言う『英雄』とは真逆の存在なんだ。しばらくの間、帝都に駐在することになったから仲良くしてね」
警戒するマキナとは対照的に、鳶戈の騎士は笑顔を向けるのだった。