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普通電車

作者: にぼし


 周りの人間が日差しと暑さで顔を赤くしている中、高校生の写野楽は一人、顔を青くしていた。

 学生が夏休みの平日、通勤時間でもない午後三時にもかかわらず、駅のホームは多くの人で溢れている。

 写野は人の多い駅が苦手だった。普段から人の多い時間に電車に乗ることを避け、高校に通う時は、周りより早く登校し、誰よりも早く下校していた。今日も、人が少ない時間を狙って、最寄駅から一時間ほど電車に乗って有名な大型書店に来ていた。本を買い、書店を出るところまでは順調だった。しかし、母親から『熱中症気味だから冷却ジェルシートを買ってきてほしい』とメールがきた。あまり来ない駅だった為、薬局を探して購入しているうちに、自分が乗るはずだった電車を逃してしまったのだ。それでも次の電車は二十分後にはくる予定だった。

 しかし、安心したのも束の間、電車が来る十分前に、突然多くの人が駅のホームに流れてきたのだ。写野はホームの端に避難したが、避難した先にも人が流れてきた。

 周りの人間は皆、汗を流してうちわを仰いでいるが、写野の身体はさっきまでの暑さが嘘のように、嫌な冷え方をしている。脱力感もあり、後ろの壁にもたれる。もしかしたら熱中症かもしれない。

 「大丈夫ですか?」

 その声は写野のすぐ右隣から聞こえた。自分に声をかけられたのか分からないので下を向いていると、もう一度「お兄さん、大丈夫ですか」と聞こえた。

 写野は右を見て、声を失った。声の男はピンク色の髪に青い空と赤いハイビスカスが描かれているアロハシャツ、そしてダボダボのジーンズを履いてた。カラフルな男に写野の目はチカチカした。

 「顔色、悪いですよ」

 心配する言葉とは対照的に、男の顔から感情は読み取れない。カラフルな見た目に、心配する言葉、無表情な顔。全てに違和感がある。今すぐここから逃げ出したい。写野はそんな事を考えながらも「すみません、大丈夫です」と笑顔で言った。そう言えば、男もここから去ってくれるだろうと思ったからだ。

 「どの駅に向かう予定ですか?」

 写野の期待を裏切るように、男は再び口を開いた。写野は一瞬躊躇ったが、素直に自分の降りる駅を言った。

 「その駅だったら、次に来る快速電車を見送って、その後に来る普通電車に乗って、途中の駅で快速電車に乗り換えたら良いですよ」

 男は相変わらず無表情で、抑揚のない喋り方だ。そして、「そっちの方が乗客は少ないです」と付け足した。男が嘘をついているようには思えず、写野は小さく「ありがとうございます」と言い、再び下を向いて男が教えてくれた電車を待つことにした。



 男の言った通り、普通電車は乗客が少なかった。

 自分が乗ろうとしていた快速電車は、多くの人を乗せていた。その電車を見送ると、ホームは静まりかえっていた。その時には冷や汗も止まり、再び太陽と夏の暑さで体内が熱くなった。その後に来た普通電車も、自分の乗った車両には十人も乗客はいなかった。

 しかし、写野は一つだけ不満な点があった。それは、カラフルな男が同じ電車に乗っていることだ。しかも、空いているこの車両の中で、わざわざ写野の隣に座っている。

 「あの、先程はありがとうございました」

 勇気を振り絞って、男に声をかけた。

 「いえ、気にしないでください」

 男は相変わらず抑揚のない声で、何を考えているか分からない。

 「そういえば」と男が口を開いた。

 「あの駅の近くの公民館で、何処かのバンドのライブがあったらしいです。だから、人が多かったんですね」

 「そうだったんですか」

 確かに、今思い返してみれば若い人が多く、皆同じようなうちわを持っていた。

 「それにしても、少し暑くないですか?」

 男はなんの前触れもなく、写野に言う。男の表情は変わらず、汗ひとつかいていない。

 「確かに、少し暑いですね」

 写野も少し暑く感じていた。

 「母さん、少し、温度下げてくれないかな?」

 男の言葉をうまく理解できなかった。初めは自分に言ったのかと思ったが、違うようだ。男は直接誰かに頼んでいるような口調だ。

 「この人も暑いって言ってるし」

 男は写野の様子を伺おうともせず、そのまま一人で話し続ける。写野は酷く後悔した。別の席に移動すれば良かった、と。それと同時に車内に冷たい空気が流れてきた。冷房が少し強くなったようだ。隣で男は「ありがとう」と呟くように言った。

 写野は、窓の近くに通話機器でもあるのでは無いかと考えた。この電車を管理しているのが、この男の母親で、その機械によって母親に連絡したのではないか。

 しかし、写野の考えは一瞬にして崩された。

 「俺、電車なんです」

 やはり危険な男だ。今すぐここを去ろう。写野は薬局の袋を握りしめ、足腰に力を入れた。

 「暑いのが苦手なんです。故障の原因にもなるので」

 こちらの反応を伺うこともなく、話し続ける。男はやはり無表情で、顔色ひとつ変えていない。

 「母さんには、これ以上は下げられないって言われて」

 母さんとはこの電車のことだろう。男の言っている事を信じるわけではないが、さっき起きた事を考えると、男の言いたい事は分かった。男の顔色は変わっていないが、少し苦しそうにも見えた。

 写野は、どうすれば良いか分からず、下を向いた。すると、立ち上がろうとした時に握り締めた薬局の袋が目に入った。写野は駅で助けられた事を思い出し、袋の中で箱を開け、冷却ジェルシートを一枚取り出した。

 「よかったら、どうぞ」

 男は写野の持つ冷却ジェルシートを不思議そうに眺めた。

 「これは、何ですか?」

 写野は予想外の返答に困った。何かの冗談かと思ったが、男は本当にわからないようだ。

 「冷却ジェルシートです。ここの紙を剥がして、おでこに貼れば冷えますよ」

 男は少し迷って、「ありがとうございます」と言って受け取り、おぼつかない手付きで紙を剥がした。そして不安そうにピンク色の前髪を上げ、おでこに貼った。

 「おお」

 男は少し目を見開き、小さく声を出した。

 「凄い。これ、凄いですね。冷たくて気持ち良い」

 男は子供のような無邪気な笑顔で写野を見た。

 「これ、どこで買えますか?」

 「普通に薬局で売ってますよ」

 男は「薬局、行った事ないな」と呟いて、「今度買いに行きます」と言って笑った。

 写野は何も言えなかった。男の様子から、こちらを馬鹿にしているような感じはしない。

 「薬局、行った事ないんですか?」

 「電車だから、病気にもかからないので」

 男があまりにも淡々と言うので、写野は「そうなんですか」と返すことしかできなかった。

 「ありがとうございます。薬局で、冷却ジェルシート、買いに行きますね」

 男は丁寧にピンク色の頭を下げた。



 写野は快速電車を降り、改札を抜けると、携帯電話を取り出した。そして、電話をかけ始める。

 「もしもし、兄さん。今日、電車に会ったんだ」

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