金槌じーさんリターンズ
テレビを観ていたら、偉そうなオッサンが言った。
『人間とは、可能性なのです。罪を憎んで人を憎まず。悪人も心を入れ換えれば善良な人生を歩めるようなります』
俺は思わず呟いた。
「バカか?」
そしてテレビを消した。
入院生活はクソ退屈だ。
俺みたいな悪人には特に、ムカついてくるほどだ。
早く退院して、また悪いことがしたいとウズウズするばかりだ。
あのドライバー殺す。
俺が横断歩道をスマホ見ながらゆっくり歩いてたら突っ込んできて、俺を轢きやがった。まぁ、俺がバック歩行してわざと轢かせたんだが……、それでもあの勢いはねーだろ。ちっとはブレーキ踏めや!
お蔭で予定になかった大怪我して超退屈なこの入院生活。
糞糞糞糞! 退院したらまずあのドライバーから殺してやる。
いや、それじゃ賠償金とれねーか……。
骨の髄までしゃぶり尽くしてやるぜ。クククク!
俺がこの病院に搬送されたのは俺の意志じゃない。救急車が勝手にここに運び込んだだけだ。
この病院の噂は知っていた。
ネットで若いねーちゃんとババァが二人でそれぞれに噂を発信していた。
夜に廊下を、でっけぇ金槌ひきずって江戸時代ぐらいのジジィの幽霊が歩き回ってるらしい。
そいつにその金槌で叩かれると、どんな病気でも怪我でも治っちまうそうだ。
……プッ。バカかよ。
もちろん俺はそんな都市伝説みてーの、信じちゃいない。
たぶんその金槌ってのは、江戸時代の医療機器なんだろうけど、そんなもんで叩かれて病気が治るわけねーだろ。
医学は進歩してんだ。江戸時代のエレキテル使った治療とかが最先端の現代医療より優れててたまるか。
嘘話にも程がある。
何よりそんなジジィがほんとうにいるとして、どうせ治してくれるのは善人だけなんだろ。
俺みたいな悪人を叩いたらどうせフツーに全身の骨砕けちまうってオチに決まってる。
花咲かじいさんの意地悪じいさんが畑を掘ったら大判小判じゃなくてゴミが出てくるようなもんだ。
とりあえず俺がこの病院に入院したのは偶然だ。
べつにそのジジィに怪我を治してほしいわけでもないし、噂に興味を引かれているわけでもねぇ。
でも……でもだぞ?
今、深夜テレビの電源消して、耳からイヤホン取ったら、廊下から何やらずるずる重たいものを引きずる音がしてやがる。
こんなの興味を引かれたってしょーがねーじゃねーか?
廊下に出てみると、確かに音が聞こえていた。
何か重たい鉄製のものを、タイルの床に引きずっている。誰かが歩いている。
噂では例の発信者の二人以外には、金槌じーさんに会ったやつはまだいないそうだ。
俺、ラッキーなのかもな。
いや待て待て。俺は悪人だぞ? 自分のしてきたことを思い返せ。
犬小屋に繋がれてるよその家の飼い犬のギリギリ届かないところにフランクフルトを置いて発狂させてやったり、
見知らぬ家のピンポンを押してダッシュで逃げたり、
下校中の女子中学生の前に立ち塞がって乳首を見せたり、
乱暴な車を見つけたら当たり屋をやったりと、様々な悪事を働いてきた俺だ。
金槌じーさんはやはり治療の金槌じゃなく、怒りの鉄槌をくれるのかな?
ちなみに断っておくが俺は悪人だ。決して変態ではない。
ま、とりあえず会ってみんべ。
ジジィの金槌奪い取れればいい商売になるかもしんねぇ。
あっちからだ。
あっちから聞こえるぞ。
幸い俺が大怪我してんのは肩だ。足は元気に動くぞ。
角を曲がると……いた!
どでかい出刃包丁の背を引きずって、暗い廊下の向こうから真っ白な長い髪の婆さんが歩いてきやがった。……って、じーさんはどうしたよ!?
婆さんは俺を見つけると、緑色に目を光らせ、紫色の舌なめずりをした。
いや、ちょっと待って、これ、怖い!
いきなりフル加速で婆さんが俺めがけて駆けてきた!
やめて! 俺、足がすくんで動けねーよ!
婆さんが大きく口を開いて笑う。歯が一本もねぇ! その口でどうやって俺を食うつもりだ!?
いや、待て。
待て待て。
俺は落ち着いた。
この婆さんも、もしかしたら金槌じーさん同様の、いいやつなんじゃね? と、考えてみる。
あの出刃包丁食らったら、かえって怪我が治るんだ。
そうだそうだ。そうに違いない。
俺は受けてみることにした。
婆さんが出刃包丁を振り上げた。
ジャンプした。
頭上から俺の脳天めがけてどでかいのを振り下ろしてくる。
俺はつい、左に避けてしまった。
ズバン!
俺の右腕が、怪我してる肩から離れて、飛んだ。
ブッシャアアアア! 血が飛び出る。
フツーに見たままの物理攻撃じゃねーか、これ!
「いってぇぇぇぇえ!!!」
あれおかしいな。叫んだ声が響かない。
まるで打ちっぱなしのコンクリートの壁に囲まれたように、音がデッドだ。吸い込まれるようだ。
ここはもしかして異空間? 異空間なの?
叫んでも誰も助けにきてくれない場所?
あ。婆さんがまたでっかいのを振り上げた。
出刃包丁の刃がギラギラしてる。
走馬灯がぐるぐるする。
死んだな……。
オッサンなのに、涙が出ちゃう……。
その時、俺の背後から何かが走ってくる音がした。
たっ、たっ、たたたたた……!
振り向くと、じーさんだ!
バカでっけー金槌引きずって、まっすぐこっちへ駆けてくる!
体つきはひょろいけど、『HUNTER × HUNTER』のネテロ会長ぐらいの頼もしさだ!
いいぞ! じーさん! 俺を助けろ!
「とう!」みたいな感じで、じーさんがまっすぐ前に飛んだ。
俺の横をすり抜け、巨大な金槌を振るう。
ぱこーん!
婆さんの顔面に金槌がクリーンヒット!
婆さんは後ろへ飛ばされ、床に倒れる直前に、闇に呑まれるように、消えた。
やったぜ、じーさん! よくやった!
そう思ってると、じーさんが俺のほうへくるっと振り返った。
顔がニコニコしてる。ああ、こいつはいいやつだ。いいジジィに間違いない。
金槌を振り上げた。いいぞ。その金槌に叩かれたら怪我が治るんだよな? 婆さんに斬り落とされた右腕もくっつけてくれ。
ぱこーん!
次の日、俺は退院した。
じーさんに金槌で肩を叩かれたら、ほんとうにあの大怪我が治っちまったんだ。腕もくっついた。元通りだ。
ククク……。これで俺を改心させるつもりだったのかな? じーさんよ。
命を助けてもらった俺がこれを境に善人に生まれ変わるとでも思ったか?
あのじーさん、アホだわ。善人悪人関わらず、誰でも治しちまうみてーだな。
ありがとよ、じーさん。
これでまた悪いことができるぜ。
ホクホクしながら俺は会計受付けに行った。
「入院費203,240円になります」
ナース服のオバハンがなんかそんなアホなことを言う。
「あ? なんでそんなにすんだよ? 俺、あっという間に治ったんだけど?」
まぁ、最新の医療機器使いまくりだったから、しゃーねーか。
俺はちょうど財布にあった203,240円を支払った。
問題ない。俺を轢いたやつからこの先一生ふんだくればいいことだ。
と、思っていたのだが、俺の大怪我は跡形もなかった。
元々怪我なんかしていなかったということにされてしまった。ドライバーがドラレコつけてないので俺が轢かれたという証拠もない。
事故は、なかったということになった。
カネ、ふんだくれなかったじゃねーか!!!
あのジジィ! 余計なことしてくれやがって!