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偏見クラッシャー太田 ~そのオタク、元ムエタイチャンピオンにつき~

作者: 五十嵐アオ

投稿3本目、約5000文字の短編です。よろしくお願いします

 東京近郊のとある広くて静かな公園のベンチに、その太った男はひとり座っていた。


 『90年代オタク』で画像検索すれば出てきそうな赤いチェックのシャツをジーパンにイン。

 ぼっさりと伸びた髪の毛の下には赤いバンダナを巻いている。

 手入れされていない泣き眉毛。

 指紋が付着したままの黒ぶちメガネ。

 腫れぼったい瞼の下に小さな目。

 半開きで薄く笑っている分厚い唇。

 スマホを持つ手には革製の黒い指出しグローブが装着されており、液晶画面内では美少女アニメが再生されていた。


 昼下がり、天気は良かったが、強過ぎる日差しを避けてか他に人の姿はほとんどない。

 ベンチの男が少々不気味であることを除けば、至って平和な光景だった。


 その昼下がりが突然乱された。


「ところによりゲリラ豪雨だってよ。天気予報」

「だる! 死ねよくそが!」

「ゲラゲラゲラ! 天気にキレんなって!」

「さっさとこいつボコして遊ぼうぜ。祐紀んち今日はどうよ」


 ベンチの男からはかなり離れた入口から、人目をはばからない大声で騒ぎながら身体の大きな若者たち4~5人が公園に入ってきた。

 祐紀と呼ばれた、黒いジャージをだらしなく着たひときわ背の高いツーブロックの若者が、どうやらこのグループの中心人物らしい。

 ピアス、ネックレス、ブレスレット、指輪など金属製のアクセサリーが、全身のいたるところで威圧的にギラギラと光っている。


「親父がいるから無理だなあ。カラオケでよくね?」


 一緒にいる若者たちは皆同じような年格好だが、その中にひとりだけ、このグループにそぐわない人物がいた。

 頭髪の薄い中年のサラリーマンだ。

 くたびれたグレーのスーツに身を包み、ひどく青ざめた顔で使い古した鞄を両手で抱きしめている。


「わ、わかった。じゃあ、少し金を渡すから。な、それでいいだろう、もう」


 震えながらも笑みを作って言ったが、若者たちがそれで和むことはなかった。


「なめんなハゲ!」


 祐紀がそう言って強く突き飛ばした。

 サラリーマンが地面に転がった。


「俺はちゃんと前見て歩いてただろうが! よくも無関係のハゲが偉そうに説教してくれたよなあ!」

「せ、説教だなんて……歩きスマホは危ないよとアドバイスを……うぐ!」


 言葉の途中で祐紀がサラリーマンの腹を蹴った。


「ま、実際祐紀はスマホしか見てなかったけどなゲラゲラ!」


 金髪の若者が茶化す。


「うるせえな」

「仲間割れやめろよ。動画撮ってんだから」


 短く刈った坊主頭を赤く染めた若者が笑いながらスマホを向けている。

 サラリーマンは涙を浮かべてよろめきながら立ち上がった。


「す、すみませんでした……勘弁してください……」

「土下座しろやクソが!」


 祐紀の槍のような前蹴りがサラリーマンの鳩尾に刺さった。

 身体を二つに折って前屈みになり再び倒れるサラリーマン。

 苦悶の声が漏れた。


「土下座だって言ってんだよ!」


 祐紀は無抵抗のサラリーマンを今度は蹴りあげた。

 顔を歪めて横に転がった。

 続けて腹部を蹴った。

 金髪の若者と、ツンツン髪で眉毛の無い若者も暴行に参加し、三方向から取り囲むようにして蹴り続けた。それを赤坊主が笑いながら撮影する。


「死ね!」

「くそが!」

「死ね!」

「死ね!」


 サラリーマンの意識はとっくの昔に途切れている様子だった。

 いつのまにか鼻と口から血が吹き出ていた。


 やがて祐紀は蹴ることに満足し、今度はサラリーマンの鞄を拾い上げた。


「ぼろっちい鞄だな。財布だけもらっとくか」

「おい、待て祐紀」

「ん?」

「あそこのベンチに座ってる陰キャが」


 祐紀が首を巡らせてベンチの男に気付いた時、その90年代オタク風の男はスマホのカメラをこちらに向けていた。

 上空に重そうな暗雲が覆いかぶさっていた。


「俺たちを撮ってるぞあれ」

「はあ!?」


 若者グループの全員が逆上した。

 祐紀とサラリーマンのふたりを残し、金髪、赤坊主、ツンツン髪の3人がベンチに向かった。

 あごを突き出して上から目線で威嚇した。


「そこの陰キャ! 撮ってんじゃねえぞ!」

「スマホ貸せこらデブ!」


 先頭をきっていたツンツン髪はオタクの手からスマホを叩き落とすべく、右腕をムチのように振るった。

 だがその手がスマホに触れるより先に、ツンツン髪の身体が横に折れ曲がった。

 ベンチから立ち上がりざま放たれたオタクの左ミドルキックが脇腹に深々とめりこんでいた。


「!」


 目撃した全員が目を疑った。

 蹴り脚は容赦なく振り抜かれ、ツンツン髪は水平方向に玩具のように吹き飛んで転がった。

 いっそ失神したほうが楽だっただろう。「は! が! はッ……!」横隔膜が痙攣して呼吸ができず、ツンツン髪は奇怪なポーズでのたうちまわっている。


 不意に大きな雨粒がいくつかまばらに落ちて来たかと思うと、あっというまに滝のような大雨になった。

 雲の中では虎の唸り声のような雷鳴が響いている。


「て、てめえ……!」


 ばちばちと音が出るほど雨粒に打たれながら赤坊主が必死で声を張り上げたが、恐怖と混乱を隠し切れてはいなかった。


「こんな90年代オタク風味のキモいメガネデブ陰キャが、喧嘩に強いわけがない。とでも言いたいでござるか」


 オタクがスマホを防水ウエストポーチに収納しながら、オタクによくある早口で問いかけた。いわゆるイケボとは真逆方向の金属的な声質だった。

 内容的には図星だった。だが聞きなれない語尾に混乱し赤坊主が言葉に詰まった。

 オタクが今度は鬼のような形相で怒鳴った。同時に強烈な青白い稲妻がすべてを照らした。


「拙者はオタクではござらぬ! 見た目で決めつけるとは無礼千万!」


「いや、オタクとは言ってなゴキュ」あわてて弁解する赤坊主の顎をオタクの飛び膝蹴りが粉砕した。

 大地を震わせるほどの雷鳴が轟いた。


 その場に崩れ落ちた赤坊主のジャージのポケットからスマホが飛び出した。

 先ほどサラリーマンを撮っていたスマホだ。

 激しさを増す豪雨のなか、オタクはそれを掴み上げると舗装された遊歩道に叩き付けた。液晶の破片やバッテリー、その他小さなパーツをばらばらと撒き散らしながら、大きく跳ねた本体は公園の池に落ちた。


 なりゆきを間近に見た金髪も、離れた場所から見ていた祐紀も、全身ずぶ濡れになりながら絶句していた。

 ふたりとも、体温が急速に奪われていくのを感じていた。

 特に、格闘技が好きな祐紀の目にはオタクの動きが本物であることは明らかだった。

 一度たまたま動画で見た日本人ムエタイチャンピオンの試合が脳裏に蘇った。

 観客席から撮られた画質の悪い映像で、選手の顔も名前もよくわからなかったが、とにかくでたらめに強かった。

 喧嘩慣れした仲間ふたりを瞬殺したオタクに、なぜかそのチャンピオンの姿が重なって見えた。

 そして今オタクは、すぐそばにいる金髪を無視し、祐紀に向かってまっすぐ歩き始めていた。


「世の中どいつもこいつも固定観念、先入観、偏見、そんなものにとらわれた馬鹿ばっかりでござるな」


 殺気を帯びた眼が完全に祐紀を見据えている。


「見た目オタクっぽいやつは運動ができない? 否ッ!」


 少しずつ、言葉が熱を帯びていく。


「ひとりっ子は自分勝手でわがまま? 否ッ!」


 複数の雷光が連続的に辺りを照らし、地響きのような雷鳴が重なって聞こえた。風も強まって公園の樹々を揺らした。オタクの濡れた髪が意思を持ってそうしているように暴れ狂い、言葉はますます怒気を増した。


「陰キャは友達が少ない!? デブは要領が悪い!? 男に家事は無理!? Twitterのアイコンがアニメキャラの男はコミュ障!? 百歩譲って比較的その傾向があると仮定しても、最初からそんな先入観をもって人を見ること自体がなあ……」


 放置された金髪がこのとき、不意打ちを狙ってオタクを猛追していた。

 オタクの背後から腰に蹴りを入れる。形勢を逆転するその奇襲を実行した瞬間。


「無礼でござるッ!」


 オタクは怒鳴りながら半身になって金髪の鋭い前蹴りをかわし、同時にその蹴り足を手で掴んだ。

 掴むやいなやそれを引っこ抜く。

 ただでさえ脚を伸ばしきっていた金髪は引っ張られるままバランスを崩すしかなかった。

 その驚きと恐怖に引きつった顔面を。


 ぱぐしゃああ!


 稲光に照らされながら、オタクの全体重を乗せた強烈な肘が直撃した。

 金髪は後頭部から地面に落ちた。

 そのままピクリとも動かなくなった。


 最後のひとりとなった祐紀の全身が震え、口はぱくぱくと酸素を求めてせわしなく動いた。


「あ、あの、す、すみません」


 上ずった声しか出ない。


「もう、何もしませんので。この人に鞄も返して……ほら、返しました。だからもうお互い……」

「拙者はオタクではござらぬッ!」

「言ってなッ……!」


 公園のどこかに落雷した。一帯が光と轟音に飲み込まれた瞬間、予備動作のないハイキックが祐紀の頭部を薙ぎ払っていた。回避も防御も不可能だった。

 祐紀は顔面から地面に激突した。

 かろうじて意識は残っていたが、身体の感覚は消え、地面がぐるぐると回っていた。


「黒ジャージ。おぬしにもうひとつ教えてやるでござる」


 オタクは祐紀を見下ろして悠然と告げた。


「そこに倒れてるサラリーマン風の者は空手5段の実力者で、なおかつ演技派でござる。親父狩りに遭ってボコボコにされたフリをして、正当防衛の大義名分を得てから反撃に出るのが得意の戦法なのでござるよ」


 嘘だろうと祐紀が動揺したとき、横でダウンしていたサラリーマンが、大雨のなか爽やかに立ち上がった。そして腰をくねらせて笑った。


「ちょっと太田君やめてよぉ。人聞きが悪いじゃないのぉ」

「身体をずらしたり鞄で受けたりしてダメージを逸らしてござったな。しかも鼻からケチャップなどと手の込んだことを……ちゃんと撮影したゆえ、のちほど研究させてもらうでござる」

「お金を盗られたら反撃するつもりだったのよぅ」


 このサラリーマンはしかもオネエなのかもしれない。祐紀の脳内は混乱の極みだった。世界観がひっくり返された。

 脳震盪のせいだけではなく、精神的にも地面がどこにあるのかわからなくなった。


 ひょっとして俺は世の中を都合良く勘違いして調子に乗っていただけなのか。

 親父から吐き捨てられたとおり、救いようのないクズなのか。


 そんな思いが津波のように押し寄せ、「オタクとは言ってない」という正しい反論すら、もはや口にする気力は失われた。


 自分でも分かっていた。

 俺は生きる価値の無い、嫌われ者の社会のクズだ。


 祐紀がそう観念したとき、オタクが穏やかに言葉をかけた。


「だが、すぐ人に当たり散らすおぬしのような乱暴者が、実は誰よりも傷ついてたりするものではあるな」


 降り始めと同様、突然嘘のように雨の勢いが弱まった。


 祐紀は愕然と目を見開き、オタクを見上げた。

 そんなことを言われたのは小学生のときが最後で、以来、親からも教師からも完全に見放されていた。

 最近バイト先のラーメン屋で自分の特技に気付いたつもりだったが、それも本気で評価してくれる人はまだいない。


「どうだ? 偏見で人を見ない拙者、偉いだろう。見習うがよいぞ」


 いやちょっと待て。すぐにオタク呼ばわりされたと思い込むのは偏見ではないのか。そもそもオタクとは蔑称だっただろうか。言われて怒る方が逆にオタクに失礼なのではないかなどと疑問が噴出したが、祐紀の胸の内には別の感情も溢れ出ていた。


 雲が途切れ、公園に光が差した。


「こ、今度ラーメン食いに来てください。駅前の龍々軒って店で……」


 涙が止まらなくなった。お代は結構ですと言いたかったが、嗚咽に邪魔をされた。


「おだ……おだ……」


 オタクが吠えた。


「拙者はオタクではござらぬッ!」


 容赦ない蹴りがきた。

 だったらその服装や喋り方をなんとかしろよと思いながら、祐紀は失神した。

読んでくださってありがとうございました!

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