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 その依頼は、相場に比べてかなりの高額だった。

「妻に曲を聴かせたいのです」

 依頼主の妻は重度の認知症で、長らく自宅介護してきたが、いよいよ介護施設へ入所が決まり、最後に思い出の曲をという事らしい。

「物語の様な奇跡は望みません。彼女は私を忘れ、感情を表に出す力も失った。……もう無理だと、私が(あきら)める為。決別の曲なのです」

 プレイヤーは動くが、ディスクが破損し再生出来ない。媒体を更新してもよいので、可能な限り原状に近付けてほしい。

「電子変換で修正掛けて、新品に吹き直せばいい。光学だろうが磁気だろうが、懐かしのLP盤だろうが、取り寄せれば済む。まさか、真っ二つに割れてるとか?」

「物は光学ディスクで、傷は多いが割れはない。メトロでパソコンに取れるはずだ。ただ、世界に一つのオリジナル。かなり気は遣う」

「器楽? 声楽?」

「声。本人は亡くなってるし、個人録音だから、原曲の使える部分を繋いで、地道に修正するしかない。可能な限りと言われたが、請け負う限りは完璧を目指したい。やれるか?」

「やれるかじゃなくて、やるんだ。それが再現屋(リマスター)だろ?」

 調の原理はシンプルで前向きだ。時々(うらや)ましくて、時々心配で。この依頼があるいは転機になればと思った。


「メトロ・オン。テンポ60」

「60!? 遅過ぎないか?」

 調が戸惑う。毎分60回、1秒1回だ。いつも5~6倍は飛ばす。

「肉声の質感を最大限生かす為だ。音源はパソコンに取り込むが、モニタの波形で合わせずに、調の耳で聴いて、手作業で編んでくれ」

「アナログ補正だと、正確な音にならないぜ」

「正確さより、感情に訴えるかどうか。僕には出来ない。調でないと駄目なんだ」

 調の表情が(かげ)ったが、黙って机に向かう。

「始めるぞ。……3。2。1。…GO」


***


 数日後、破損した原版と焼き直したコピーを(たずさ)え、依頼主宅を訪れた。

「老人の我がままにお付き合いいただき、感謝申し上げます」

 品の良い老紳士は、子供連れをいぶかしむでなく迎えてくれた。認知症だという妻は、肘掛け椅子に座り、視線はぼんやり中空をさまよう。心ここにあらずの典型だった。

 ディスクをセットする、依頼主の手は震えた。

 決別したいわけがない。幾度も押し潰され、裏切られ、絶望の(ふち)でもがいている。


 ディスクから声が滑り出す。

「……お母さん。お誕生日おめでとう」

 子供の声。調と同じ年頃の女の子。

 続けて流れた曲は『ハッピー・バースデイ』。母親――依頼主の妻の誕生日に、娘が贈った歌。時間にして1分にも満たないメッセージ。

「吹き込んだ5日後、突然の事故で。ずっと子供に恵まれず、やっと授かった愛娘でした。妻の嘆きはあまりに深く、幾らもせぬうち、症状が出始めまして。……これまで数限りなく聴かせた。結果は解っているのです」

 リピート。もう1度。変化はない。

「調。奥さんの手を」

 依頼主も、調もけげんな顔をした。

「律。何企んでる」

「曲に合わせて歌え」

「失礼ながら、どういう……」

「試させて下さい。お願いします」

 しぶしぶの(てい)で、調が妻の手を握る。3度目の再試行。

『ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー♪ ハッピー・バースデイ・トゥーユー♪』

 完璧に叩き込んだユニゾン。

『ハッピー・バースデイ・ディア・お母さん♪』


「……はっぴ…ば…でぃ……とぅ、ゆー……」

 しわがれた声が、歌った。たった一声、けれどはっきりと。

 それだけの、ちっぽけな奇跡。


***


「あ~あ、まんまと一杯食わされたぜ。リマスターなんて口実で、最初からオレに歌わす気だったな」

 帰り道、いつもの憎まれ口とは裏腹に、調の声は楽しげだった。

「無二の相棒を騙くらかすなんて、律もずいぶん性格悪くなったよなぁ」

「ある程度経緯は聞いた。従前の方法で無理なら、録音でなく肉声に賭けようと思った」

 所詮データは数値。どう忠実に再現しても、人の声に優る楽器はない。

「でもさ。反応は1回こっきりだったし。奥さん入所すんだろ?」

「必要なのは希望だ。Ifの可能性を捨てない事。過去を取り戻すんじゃなく、前を向いて、明日を生きていく事。奥さんより、旦那さん自身が」

 人にしか起こせない奇跡がある。機械が及ばない領域がある。この依頼で、僕は誰より調に、それを伝えたかった。

「お前もだ、調。僕といても先はない。今すぐにとは言わないが、なるべく早く僕の所を出て、人と、世界と関わってほしい」

「断る。リマスターは2人じゃなきゃ出来ない。これからも、オレはずっと律の相棒だ」

「それが間違いなんだ。僕は」

「BNだからとか言うなよ」

 バイオノイド。脳をAIに置換した人間。障害や事故などで損傷した脳機能を、機械で補った生体ロボ。肉体は確かに人間で、れっきとした戸籍を持ち、自立生活も出来る。しかし、記憶回路も思考プロセスも感情処理も、やはりプログラムなのだ。本物にはなれない。少なくとも僕は、自分を『人間』だと認めきれない。

「人間っぽい機械でも、機械っぽい人間でも、律は律だ。必要なのは希望だって言うなら、オレの望むIfを、律が否定する方が間違ってる」

「でも、調は後悔してるんだろう?」

「……近過ぎると、誰かさんが子供扱いするから」

 苦笑した調が、不意に大人びて見えた。妙に心拍の落ち着かない僕は、CPUがオーバーフロー気味なんだろうか。放射熱が篭もって、頬が熱く感じた。

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