止まない雨はない。だが、晴れるとは言っていない1
「ソーナお嬢様、如何為されましたか?」
邸の図書室から自室へと戻る途中の廊下で足を止めた私に、本を抱えたシアンが尋ねてきた。
「あれは何をしているのかしら?」
私は何気なく外を見れば、お母様、執事のクロード、お母様専属の侍女シータ、レナスと愚弟、そしてクロードの妻であり、調薬士カンナが揃っており、一人の少年に注目していた。
「あれは、試験ですね。奥様はレナスお嬢様かレイフォン御坊っちゃまの侍従兼護衛になされるのでしょう」
「なるほど」
「凄い魔力です」
私の専属侍女となったアリシアが呟く。
確かにアリシアの言う通り、手を前に突き出して意識を集中させている。
――へぇ……凄い魔力の圧じゃない。
付き出した手に集束されていく少年の魔力は、才能があると言われているレナスや愚弟を悠々と越えている。
――でも……何故、彼は意識など集中させているのかしら?
レナス、さらに愚弟でさえもあんなに集中はしない。手軽に気楽に簡単に魔力を魔法という形で顕現させて見せるのだ。
私がレナスを称賛すると、妹は花が咲き誇るような笑顔を見せるのだ。私の妹……尊い……。
それなのに少年は遠目からでもわかるくらいに顔を苦渋を滲ませ、魔力が魔法に成らないために魔力回路に負荷が掛かり、魔力炉はメルトダウンしかけているのだろう。額には脂汗が浮かんでいるに違いない。
シアンとアリシアがハラハラと少年と見守っている。
――ふーん。水属性か。それなら相性を考えるとレナス付きかしらね。だけど……あれでは駄目ね。
侍従兼護衛なら出来るだろうけど魔法士としては少年は終わっている。
形に成らない魔力が飽和状態となり、集束していた魔力が解けて霧散してしまった。
「そう言えば彼の名前を知らないわ。誰なのかしら?」
邸の者の名と顔は覚えている。けれどもあの少年に見覚えが無い。
「ソーナお嬢様もアリシアも知らなかったのですね。あの子はセバスチャンの弟で、名はレインというのですよ」
「ま、ソーナ様が知らないのも当然です、と」
窓から入って来たのはセバスチャンだ。
「貴方はまたそんな場所から!! いい加減窓から入るのは止めなさい!!」
「いや、ソーナ様が何やら真剣にレインの試験を見ていたから、ちょーっと近道をしたまでです。ほら、ソーナ様は報連相は素早くと仰いますしね」
セバスチャンの取って付けたような言い訳に私は苦笑を禁じえなかった。
――確かに報連相は素早く、とは言ったけれど、流石にシアンに対してその言い訳は通じないと思うわよ? ほら……。
ピキッとシアンのこめかみに青筋が――
「――――――――っ!!」
シアンが無言で思い切り振り下ろす握り拳がセバスチャンの頭頂部にクリティカルヒットした。その瞬間、セバスチャンの顔からブッと液体が飛び出た。
頭を押さえて踞り唸るセバスチャン。
――なんだか凄い音がしたけれど?
私は一応廊下を確かめた。セバスチャンの眼球が転がり落ちていないかを。
――目から涙、鼻から鼻水が飛び出す程の衝撃を与える拳骨って……。
涙を拭きズビッと鼻をかむセバスチャン。何事も無かったかのように私たちの会話に加わった。
――過激な愛情表現ね。
二人は出来ている。カップルさんだ。
爆発すれば良いと思うよ。
「それで、レインは見習いでもこの邸でも、領の邸でも城でも見なかったのは何故かしら?」
「ああ。それは母親がレインの奴をあまり人目に触れさせたく無かった見たいで薬の調合やらせてたからですね。しかし、レインの奴も14だ。ハーティリア公爵家の私兵となるか、レナスお嬢様からレイフォン坊っちゃまの侍従兼護衛になるか選ばなければならない。けど、母親は後者にしたいみたいですが、結果は御覧の通りで……」
「それには、貴方が私に付いてしまったからというのも理由の一つにあるのでしょう?」
「そうですね。しかし、貴女を我が主と選んだのは私の意思で決めたことですからお気になさら無いで良いのです」
そうは言っても〈ハーティリア〉として未来が無い魔力を待たない私に長男であるセバスチャンが付いてしまった為に、レインへと期待が集まってしまったのだ。
「もう何度めかな……。医官にも匙投げられて治る見込みが無いって言われているのに……ハーティリア公爵家に恩がある調薬士の母は諦められないんだろうな」
その恩が何かは知らないけれど、セバスチャンとレインのお母様は我が家に仕えることをとても誇りに思っていることは伝わってくる。
レインに何故失敗したのかと問い詰めるカンナをクロードが抑え込み、注意し、お時間を取らせてしまいましたとお母様に謝罪する。
俯くレインを指を指して嗤う愚弟。
お母様は愚弟のお尻を思い切りつねり上げた。奇声を上げて飛び上がる愚弟。お母様が為さったことが見えない者には急に奇声を発して飛び上がった愚弟が奇行にしかうつらない。
そんな中、私はレナスに注目していた。妹がどういう動きを見せるのか、と。
オロオロするばかりのいつまでも無知な可愛らしいお姫さまのままなのか、ハーティリア公爵家次期当主として、もしくは公国の次期女王としての器量を見せられるか、と。
因みに〈ハーティリア〉の由来はご先祖さまの聖女アリーシャを表す愛情(慈愛)、誠実、親切(慈悲)といった心の優しさ温かさを表した〈Hearty〉と、本気、熱心、元気良く―― といったやることに対して思う存分やれという熱き心(お転婆でじゃじゃ馬)な部分を表した〈Heartily〉と、控え目な優しさ、誇り、憧れの恋、称賛、完全無欠、尊敬、美徳、女らしさを表す椿からだ。
獅子心王と謳われた勇者であるローゼンクォーツの建国の皇帝が、〈ハーティリア〉とアリーシャ様の新たな姓を贈ったのだ。
閑話休題。
――クロード、感情的な女性にその対応は駄目よ。余計に感情を逆撫ですることになるわ。
案の定、火のついたところにガソリンを投下したのだから、その炎はクロードにも向かう。
冷静になれ、落ち着け、大きな声を出すな、これを怒れる者に対して言うのは禁句だ。怒るというのは本気だ。真剣に怒っている相手からすれば、それらの言葉は馬鹿にしている、聞き流している、真剣に取り合っていない、と取られる。
「大きな声を出させているのは何処の誰のせいだと思っているんだ!!」――と。
あと、料理に対して「何でもいい」とか「実はこれ、苦手なんだよ」と後出しで告白するのもいけない。
「何でもいいなら自分で勝手に好きなもの作るか買うかして食べれば?」とか「今さら? じゃあもう作らないから勝手にすれば?」と、なる。
好き嫌い苦手は話し合った方が良い。
またまた閑話休題。
――及第点かしらね。
しょうもないことを考えている内にレナスはカンナとレインの間に入り、さらにクロードとカンナの夫婦喧嘩を止めた。レインを問い詰めるカンナを諌め、レインを暫くの間、自身の侍従兼護衛にして、レナスはレインとともに研究と新しい道を探して打開策、解決策を見つける、と力強く訴えていた。
――新しい道を探し、解決策を見つけるというのは私が魔法の代わりに魔導具を造ったから、不可能を可能にするという棘の道を選んだのね。
それでも及第点としたのには理由がある。
――ふふ。その場でレインが魔法を使えなくなった要因と理由を示せればもっと良かったのだけれど、レナスがとった行動、従者に選び共に解決策を見付けようとしたのは良くってよ。
「ソーナお嬢様、彼が魔法が使えない原因を知っているのですか?」
「魔力を持つ者が幼児期にかかる風邪のような病があるでしょう。それが原因ね」
シアンもアリシアもセバスチャンもかかって完治したから魔法を使えている。それにレインを知るシアンと実の兄のセバスチャンには心当たりがあるに決まっている。だから「あっ!」という顔をしたのだ。
「ソーナお嬢様の言うとおりです。レインの場合は時期も悪かった。アイツがその病にかかったのは7歳の時だった……。その頃は自分で意識して自分に合った形にしていくんだ。もっと幼ければ習ったままの素の状態だ。言われた通りしてれば能天気に出せるものですから……」
「しかし、嬉々として魔力を放出してもレインは自身の魔力属性を魔法へと顕現させられなかったのね」
「おっしゃる通りです。ただ、両親にも私にもそれが理解出来なかった。それでも見ての通り、魔力だけは強い……。魔法騎士になりたいって言ってたから護衛としちゃあ剣の腕は立つ……。だから、魔法が使えないってことだけで評価されて、使えないって判断されるのは、兄貴としてレインの奴が不憫でならないんですよ……」
レナスは控え目に喜んでいたし、愚弟は庭駆け回りながら魔力を放出していた。
『ボクの魔力炉が真っ赤に燃える。力を示せと轟き吼える!!』と右手首を抑えながら「輝き煌めき溢れる力を抑えられないぃぃ!!」と叫んでいた。
だから魔法を使えなくなった理由が病が原因だということに私は疑問を持った。
何故、魔法を習い始める年頃に病にかかるのか、その病が何なのかは解明されていない。
まあ、私は魔法士限定のおたふく風邪か知恵熱の類いではないかな、と思っているのだけれど。
しかし、この病は歓迎されている。完治すれば魔力が上がるのだ。だから一種の試練のようなものだ。一流の魔法士になるための登竜門的な感覚だ。
レインは完治した。中途半端に。
「ソーナお嬢様ならば何が原因なのか既に検討は付いていらっしゃるのではありませんか?」
シアンが期待の籠った目で私を見てくる。
「……そうね。それが正しいかどうかは判らないけれど、こうなのでは? と思うものはあるわ」
「それなら……」
私は首を振る。
「レナスが主として動くと決めているのよ。私が口を出すのは不粋というものよ」
「しかし……」
「暫くは様子見ね。貴方たちも静観に徹しなさい。いいわね?」
私は主として命じた。
「ソーナお嬢様がそう決めたのなら……」
と、納得は出来ませんが、という感じでシアンたちは了承した。
「どうにもならない様ならレナスが私のもとに来るでしょう」
私は自室へと戻る為に踵を返して歩を進めた。