第2話〜色のある世界//ここは何処、私は道夫〜
「は?……え?待て待て待て。おいうそだろ」
辺り一面草原と青空しかない。そんな景色自体にも驚かされるが、何より視界一杯に『色』がある。
部屋にあったドアも、部屋自体も振り返った時には形も何も無くなっている。草原の中に自分が立つだけだ。
「……圏外」
携帯端末も当たり前のように圏外。マズい、非常にマズい状況であると考える他にない。
「何かないか……え?」
鞄の中を探ると、入れた覚えのない桜色のマフラーがあった。手づくりで作られたそれは、忘れられない彼女との思い出その物である。
『おそろい、手づくりしてたら時期逃しちゃった……かな?』
『ありがとう、大切にするよ…るあ』
3年前の卒業式、皆で写真を撮り合う中で彼女から受け取った。
灰色の世界でも、このマフラーの色だけは失われ無かった。
「……何でここに、あの時箪笥に戻した筈」
悩む道夫を爽やかな風が撫でていく。空気は体の中を巡り、一呼吸終える頃には身体に残った重みが無くなっていた。
「とにかく、進むしかない。進めば少なくとも止まりはしない…だったかな?」
七夏達が口ぐせの様に言っていたのを思い出し、落ち着いて深呼吸をする。
体に力が入り真っ直ぐに歩き出す。体は軽く思った以上に動いてくれた。
正直、道夫はこの行動を後悔することになる。意外とすぐに。
「はぁ……はぁ、ひぃ…」
真っ直ぐに進んだのは良い、気持ちが高鳴ってつい走っちゃったのも仕方ない。
暫くしたら道っぽい物も発見し、更に川を見つけられたのも幸運ではあった。
しかし流石に体力を大分使ってしまった。足もガクガクしてる気もする。
「流石に休憩……。疲れた…」
川の水に触れる。よく冷えた水が心地良い、顔を洗い一口飲む。
ニホンでは水の味など消え失せていたから、美味い水なんて久しぶりだ。
穏やかな風が体を包み、3年前には当たり前だった色のあった景色がたまらなく新鮮に映る。
「さて、そろそろ……」
休憩を終えて立ち上がる。この道の先に何かあるのだろうかと道夫は不安も半分に進み出す。
だが、道夫はまだ分かっていなかった。ここは決して二ホンはおろかチキュウですらないことを、自分が得てきた常識の外に広がっていた世界の事を。
「え…?」
道夫はその瞬間の光景が信じられなかった。道の横にあった森林から一人の人間と、人型だが異様に大きい何かが飛び出してきた。
普通の人より一回り大きい上その姿は人間ではなかった。毛に覆われた体、頭部に生えた獣耳と顔は狼そのものだ。
もう一人の人間は、道夫と反対の方向へ逃げ出すが狼人間に呆気なく掴まれ、体が浮く程に高く持ち上げられる。
「―――ッ!!――ルグラッ」
男は何かを叫んでいたが、狼は意に介せず男を地面へ叩き付け押し潰した。
道夫からは狼人間の背中が影になってその瞬間は見えなかったが、叩き付けられた男の体が鈍い音と共に動かなくなっていた。
(狼人間……人、死んで…いやそれどころじゃ、まずいまずいまずい!!)
あれがこっちを振り向いたら、次は自分が同じようになる。分かっていても体は凍り付いたように動かせない、動いてくれない。
気配を感じてか、狼人間が後ろに振り向く。血に塗れた爪を覗かせ、狼人間は力を込めて道夫に飛び掛かった。
「―ッ!!」
死んだ。確実に死んだ。3年前に対峙した天使と違って、はっきりと道夫は死を覚悟した。
避けようもない死、何もかもが遅く感じる世界の中で目を閉じる道夫。だがその牙が彼に届くことは無かった。
「――!|シャグナッ!!」
雷の様な轟音が響き、目を開けると何かに脇腹を貫かれた狼人間がいた。
その衝撃と身体を貫かれた狼人間は地面を転がり、森林の方を見た後、そのまま反対側へと逃げ出した。
遅れて森林の方から何人かがやってくる。誰もが槍や剣の他、農場で見るようなフォークに似た農具を持っていて、倒れている人を前にして悲しそうな表情を浮かべていた。
「~ッ…レドルフ…」
道夫もレドルフという―恐らくは死んでしまった人の事だろう―言葉は聞き取れた。しかし、彼らは、何語を喋っているんだ。
明らかにニホン語でない以上、意思疎通は困難な上今の自分は怪しさ一杯だ。
「~?~―?」
一人の女性が、道夫に気づいて歩み寄って手を差し伸べた。
いつの間にか腰を抜かしていたらしく、手を掴んでなんとか立ち上がる。足を震わせながらやっと出てきた言葉は。
「アッ…アイムッヒイラギミチオ」
何故か、アメリカ語だった。
~色のない世界~
2060年に地球に突如として発生した怪現象。二ホンのみならず世界中で同様の現象が起き、一時はパニック状態になったが、3年の月日の中で誰もが徐々に諦観するようになる。
モノクロな世界ではあらゆる生産が滞り、人々からは活力を奪い消えない疲労感を延々と背負わされる様になった。
現在も様々な研究家や学者、広い分野の専門家が調査を続けているが糸口は掴めていない。