第八話
ルイたちが休憩時間になる少し前の時のこと。結花が朝出会ったおじいさん―、花屋の大家の前にヘルと名乗った男が再び現れた。急に現れたヘルに驚いている大家にヘルは告げた。
「どうやらこれからルイたちは昼食の時間のようです。そこであなたにお願いがあります。二人ともあなたのことを知っているでしょうから、近づくのは簡単でしょう?」
「…成功した時の報酬は?」
ヘルは大家に近付いて金額を耳打ちした。それを聞いた瞬間、大家の顔が喜びで輝いた。
「その代わり、成功したらですよ?かなりの大金ですからね。…私は彼らに関する二つの情報が欲しいのです。一つ目は朝、あなたのところへ来た少女の正体、そして、もう一つはルイとその少女の関係。それらの情報を彼らから引きだしてきて下さい」
「それだけか!?それさえ集めれば報酬が得られる、ということか?」
「ええ、その通りです。お願いできますか?」
大家はうなずいて、早速家を出た。ヘルはそれを見送ってからうっすらと不気味な笑みを浮かべた。
「あの人に協力してもらうところまでは計算済みでしたが…、果たして彼はどれくらい情報を得られるのでしょうね?とりあえず、期待してみましょうか。…さて、私も彼がそこまでいい情報を持って来なかった時のために色々調べてみますか…」
ルイは結花が買い物に出かけた後、急に結花が心配になってきた。自分で買いに行くのが面倒だったのと、結花に留守番させるのが心配だったので、適当な理由をつけて結花を買い物に行かせたが、果たして支払いはできているのだろうか?お金は少し余分に持たせたが…。しかし、心配していてもどうしようもないので、今日の夕方に買いに行くものを確認しておくことにした。そして、それらをメモに書いていると、店の扉が開く音がした。時間がそんなに経っていないので、結花ではないだろう。昨日から、休憩時間に店に入ってくる人が多い。そう思いつつ、入ってきた人物を見た。
「あ、じいさん。珍しいな、お店に来るなんて。何か買いに来たのか?」
「いいや。特に用事があったわけじゃないが…。朝、ここで働いていると言う少女が来たから気になって」
「ああ…、そいつは今、買い物に行ってる。しばらくしたら帰って来るだろ」
ルイは、メモの続きを書きながらそう答えた。大家はそんな彼を見つつ、少しでも情報を得ようと話を続けた。
「しかし、あのルイが近くに人を置くとは…、珍しいな。あの少女は何者だ?」
ルイはその質問にどう答えようか迷った。適当にそこら辺の国の名前でも言えばいいのだろうか?
「…よく知らない。でも、花に詳しそうだから、とりあえず二週間ここに置くことにした。それだけだ」
ルイがそう言うと、大家はなぜか少し苛立った。いつも穏やかな性格なのに珍しい。
「怪しくないか?ちゃんと、どこから来たかくらい知っておいた方が…」
「…結花にも色々事情があるんだろ。無理に聞きたくない。二週間だけの店員かもしれないのに」
すると、ちょうどその時、結花が戻ってきた。そして、大家がいることに驚いた。
「お客さんかと思ったらおじいさんだったんですね!どうしたんですか?お花を買いに来たんですか?」
ルイと同じことを言っている。大家は首を振って結花に尋ねた。
「ちょうど今、君の話をしていたんだよ。君はどこから来たんだ?」
結花の顔が一瞬こわばった。そして、一瞬ルイを見た。
私は答え方に困った。私の話をしていたらしいけど、どこまで私のことを話したのか全然分からない。私は思わずルイの方を見た。どこまで言ったか聞きたい。すると、ルイが助け船を出してくれた。
「じいさん、いい加減にしろ。どうしてそこまで結花のことを気にしてるんだ?」
「もし、この子が盗みでもしたらどうするんだ?お前が責任を取れるのか?」
「結花はそういう奴じゃない。そういうのを見抜く自信はある。じいさん、今日は帰ってくれないか」
おじいさんは諦めたように帰って行った。…でも、変だな。私が朝行った時は全然私の出身なんて気にしてなかったのに、今さらどうして気にしているんだろう?それに、それを聞きたいなら私に聞いた方が手っ取り早いと思う。もしかしたら私がルイに教えた出身地は嘘かもしれないのに。何となく引っかかる。
どうやらルイもそれは同じだったようで、訝し気におじいさんが去っていった方向を見ていた。
「取りあえず、出身地に関しては何も聞いてないって言っといた。あの感じだと納得してないが」
「そうだね…。ルイ、ありがとう。言わないでおいてくれて」
「…別に。…それで、何を買ってきたんだ?」
私は袋からクロワッサンとチョココロネ、そしてガーデニングの本を取り出した。
「その本、どこから持って来たんだよ?盗んでないよな?」
「違う!これは私が元の世界から持って来た本。一緒にこの世界に来たんだけど、パン屋さんに置いてきちゃって。今日行ったら返してくれたんだ。誕生日にもらった物だったから良かった」
「そうか、後で見せてくれないか?異世界の植物が気になる」
私はうなずいて本をルイに手渡した。ルイは丁寧にそれを受け取り、パラパラとページをめくった。
「すご…。知らない花がいっぱいある…。異世界の方が花の種類が多そうだな」
「そうかも。品種改良とかけっこう盛んだったしね。…あ、品種改良って言うのは人工的に突然変異させたりして新しい品種を作るって意味なの」
「よく分からないけど、すごいんだな。…行ってみたいなあ」
「ルイのお母さんの故郷だもんね。そう言えばルイのお母さんってどこに住んでたの?」
「えーっと…。…………………忘れた」
…まあ、聞きなれない名前だっただろうし、覚えてなくて当然かもしれない。
「じゃあ…。最後の文字は覚えてないの?県とか府とか都とか…、あと道とか?」
「それ」
いや、「それ」って言われても四つ選択肢があるんですけど?
「最後に言ってたドウってやつな気がする」
「じゃあ、決まりだね!日本に道がつくところは一つしか無いから!」
私はその場所の名前を言った。すると、思い出したらしく、ルイはうなずいた。やった、当たり!
「そういえば、カモミールティー、飲んでくれた?」
「ああ、でも、あれじゃなかった。…そういえば、母さんは故郷にたくさん咲いていた花を使ったって言ってたけど。その何とかドウとかいうところに何かそういう花があったのかもな」
…待って。今、何て言った?ルイのお母さんの故郷にたくさん咲いている花?
「ルイ!?何でそれ早く言ってくれなかったの!?重要だよ、その情報!」
私の勢いにルイは若干ひいているようだった。
「わ、悪い。今思い出した。…そんなに重要なのか?」
「すごく重要!ねえ、どこかにルイのお母さんが残したメモとか残ってないかな?」
すると、ルイは私の本を置いて、小屋へと向かった。私もそれについていくことにする。すると、ルイは棚から一冊のノートを抜いた。それを開くとそこには日記のように年月日と流れるようなきれいな字で色々なことが綴られていた。試しに一ページ読んでみる。
『五月八日 今日は近くの街でお祭りがあった。新緑祭、というらしい。花を売っている店が多かった。そろそろ私の住んでいた街では桜が咲き始めたかもしれない。本州と違って北海道は五月にならないと開花しないから、いつも待ち遠しかった。この世界には桜がないみたい。少なくとも、この国には。もう一度、桜が見たい。ホームシックになりそう。家族は元気かな…。心配』
やっぱりこれは日記だ。ちゃんと、地名も書いてある。もしかしたらこれを見れば花を特定できるかもしれない。ルイも私の横で日記を読んでいたが、何と書いてあるか分からないようだった。
「ルイ、もし良かったらなんだけど、このノート、貸して。そしたらルイのお母さんのハーブティー、分かると思うから。いい?」
「いい、けど…、何でそこまでやってくれるんだ?」
そう聞かれた。確かに、何でだろう?最初は少し面倒だと思ってたけど、やってるうちに絶対に突き止めよう、って気持ちになってった…感じだと思う。でも、どうして心境の変化が起きたのか分からない。
「さあ?でも、そもそも頼んできたのはルイだったでしょ?一度頼まれたからにはしっかりやろうって思ったのかもね?」
自分ではそう言ったが、やはり、どこか違う。でも、それなら一体どうしてだろう?結局私には、本当の理由が分からなかった。
「…そうか。…取りあえず、昼にしよう。早くしないと休憩時間が終わる」
「そうだね、早く食べよう!チョココロネ楽しみだなー!」
私たちはお昼ごはんを食べるために店の建物に戻った。
違和感に気付いたのは、お昼を食べた後。ガーデニングの本を読んでいる時だった。私は本に付箋を貼るくせがあるのだが、その本には全く付いていなかったのだ。確かにこの本は読み始めたばかりだったけど、この世界に来る前、最初の方のページにちゃんと貼ったのは記憶に残っている。昨日のことだし。おかしいな。すると、ルイがやって来た。
「そこらへんにメモないか?今日買うものを書いた紙…、悪い、読めないよな。青い縁取りがある紙なんだけど。どこを探しても見つからない」
「私も、本に貼っておいた付箋がないの。黄色くて細長い…」
「さっき見せてもらった時にはちゃんと貼ってあったぞ」
私たちは顔を見合わせた。二人の書いたものが同時に無くなる…、そんなことがあるだろうか?
「ルイはそのメモ、ここの、店のテーブルに置いておいたの?」
「ああ、そうだ。お前の本も俺がここに置いておいたよな」
まさか、とは思うけど、私たちが小屋に行っている間に誰かが入って来て取って行ったのだろうか?でも、何の為に?私の文字は日本語でこの世界にはない文字だけど、ルイのは普通にシェーロン語。別に取って行っても意味はない。私のは普通の人には読めないだろうし、ルイのは読めるけど、秘密が書かれているわけじゃないし…。何かが引っかかるような気がするけれど…。何か今日はもやもやすることが多い。
「まあ、俺は書き直すからいいけど、結花のは大丈夫なのか?何か重要なこととか…」
「ううん、ただのメモだから。本に書いてある重要なこととか、気を付けたいこととかだけだったから」
「そうか…。それならいい。そろそろ開店だから片付けとけ」
「はーい」
私は本を小屋に置いておくことにした。鍵があるので、しっかり施錠する。この国の治安はよく分からないけど、用心しておいた方がいいよね。私はしっかりとドアが閉まったことを確認し、店に向かった。
その頃、大家は自分の家に帰ってきていた。家の椅子ではヘルが自分の家のようにのんびりと座っている。ヘルは大家に気付き、ひらひらと手を振った。
「お帰りなさい。良い情報は集まりましたか?」
大家はうなずいて二枚の紙をテーブルに置いた。一枚は青い縁取りの紙。シェーロン語で色々と書かれている。そして、もう一つは黄色く、細長い付箋。わけの分からない文字で小さく何かが書いてある。数か国語を読み書きできるヘルですら読めなかった。
「これは一体?」
「二人がどこかに行った隙を狙って店の中を調べていたら、これを発見した。青の方はルイが書いていた物だが、問題はもう一つの方だ」
「この黄色い紙の方は青い方とまるで筆跡が違う。何と書いてあるかは分かりませんが…。もしかして、あの少女の方が書いたものですか?」
大家はうなずき、続きを話し始めた。
「この紙はある本に貼ってあったもので、その本もこれと同じような意味不明の文字で何やら書いてあった。その文字は…、恐らく、異世界語だ」
「何ですって、異世界語?本当に異世界があるのですか?」
「ああ。実際にこの家に異世界語で書かれた本がある」
そう言って大家は、結花にも見せた爬虫類の本をヘルに見せた。ヘルはその本と結花の字を見比べる。
「確かに…、共通する文字が幾つもありそうですね。…ということは、その少女は異世界から来た可能性が高いですね」
「たぶん。ルイは知らないと言っていたが、もしあの少女が本当にルイにこのことを言っていないのなら、その理由は明白だ。異世界から来たことを知られたくないのだろう」
「この国はどこか閉鎖的ですからね。…ありがとうございます。これで気になることの一つは解決しました。先ほど提示した金額の半額をお渡しします」
それを聞いた大家は訝し気にヘルを見た。
「もう半分は?」
「それはもう一つのことをあなたが調べてきてくれたら、ですよ。それでは私はこれで。今の情報を元に策を考えなければ」
そう言ってヘルはあっという間に去ってしまった。
「待て!その金はいつくれるんだ!」
そう言って大家はヘルの後を追いかけたが、既にその姿はどこにもなかった…。
読んで下さり、ありがとうございました。