第七話
「結花、遅い!」
案の定、帰ってきた瞬間、怒られた。時間を忘れていた私が悪いので、反省するしかない。
「ごめんなさい…。元の世界の文字で書かれた本を見せてもらってて…」
「は?あのじいさん、そんなすごいもん持ってるのか?!何で売らないんだろ。そしたら借金だって絶対に返せるはずなのに…」
え、日本語で書かれた本ってそんなに価値があるの?いまいちよく分かっていない私にルイは
「めちゃくちゃすごい価値がある。売れば一生遊んで暮らせるくらいの金が手に入る」
と説明してくれた。うわー、すごい。でも、借金してもその本を手放さないということは、その本を書いた人に深い思い入れがあるのかもしれない。
「そろそろ店を開けるから着替えてこい。今着てるそれ、けっこう埃になってるぞ」
ルイに言われて見てみると、確かに少し汚れてしまっている。ルイのお母さんの服なのに…。申し訳ない。私は着替えることにした。さっき着ていた服は外に置いておくことにする。埃を少しでも飛ばそうと思ったのだ。効果があるかはよく分からないけど、やらないよりはいいはず。…たぶん。
そこで私は気付いた。…そういえば、今朝摘んだハーブはどこだろう?小屋にはないし、店のところにもなかった。小屋の窓から庭を見てみたが、やはりない。そこで屋根裏部屋に上ってみると、そこにカモミールとジャスミンが干してあった。私はやってないからルイだろう。私は店に戻った。
「ルイ、ハーブ干してくれてありがとう。本当に助かった」
「別に。早く売ってみたいだけだ。それよりさっさと花、並べろ。あと一分で開店時間」
やっぱり素直じゃないな…。とりあえず私は言われた通り花を並べることにした。外に出ると昨日の朝までいた元の世界と同じような突き刺すような太陽の光。違う世界なのに、共通点がある。何だか変な感じ。こういう共通点を見つけると、途端に異世界に来たという実感がなくなってしまう。
「…あの、すみません。お花、買いに来ました」
ぼーっと空を見上げていた私はその声を聞き、周りを見た。そして、私の右に小さな女の子がいるのに気付いた。こんなに小さいのに買い物!?しかも朝から暑いのに。偉すぎるよ…。私はしゃがみこんで女の子と同じ目線の高さになった。
「いらっしゃいませ。一人で来たの?すごく偉いね。どんなお花が欲しいの?」
すると、女の子が来たことに気付いたらしく、ルイが店の外に出てきてくれた。
「女の子、というか子供の客は珍しいな。そもそもここにはあまり客が来ないし。それで、君は何を買いに来たんだ?」
女の子がルイを見て少し怯えたような目になったので、説明する。
「大丈夫だよ。この人はルイって言う名前で、素直じゃないけど、親切な人だよ」
「は?素直じゃないってどういうことだ。どんな紹介の仕方してんだよ!」
あ、ついつい本音を言ってしまった。まあでも、事実なので。私はルイの言葉をスルーして言った。
「私は結花。昨日からここで働き始めたばっかりなの。そうだ、お店に入らない?暑いでしょ?」
女の子はうなずいて、店の中へ、とことこと歩いていった。
「わたし、フィオナです。お家はここの近くの公園の辺り。…実はわたし、一昨日ママと喧嘩しちゃって…。だからね、ママにごめんなさいってしたいの」
私が出したカモミールティーをちょこちょこ飲んだ後、フィオナちゃんはそう切り出した。
「それでね、…その時にお花を渡したいの。いつもありがとうって。それで、お花を買いに来たんです」
それを聞いて私はこそこそとルイにあることを聞いてみた。
「ねえ、この世界には母の日ってないの?お母さんに感謝を伝える日、みたいな感じの」
「…少なくとも、シェーロン国とヴェリエ国にはないと思う。でも、素敵な日だな」
すると、フィオナちゃんはもじもじしながら言った。
「でも、わたし、そんなにお金を持ってなくて。昨日も他のお花屋さんに行ったんだけどどのお店も高くて買えなくて…。だから、ここに…。最終手段だったの」
そう言うと、フィオナちゃんは持っていたカバンから長方形の紙を数枚取り出した。話の流れ的に紙幣、かな。それを見たルイの顔が一瞬、驚いたような表情になった。どうやら本当に少ない金額らしい。
というか、最終手段って…。何で?もしかして、ルイのこと、会ったことはなくても他の人の話とかで怖いと思ってたのかな?
「……分かった。そこのお茶でも飲みながら待ってろ。花を取ってくる。…結花、来い」
「うん、分かった。フィオナちゃん、少しだけ待っててね。何かあったら呼んで」
私はルイの後についていった。ルイは庭に着くと、ため息をついた。
「確かにあの額は少なすぎる…。でも、謝罪できずに後悔するよりはよっぽどいい…」
何かぶつぶつ呟いていて、少し怖い。が、しばらくすると、いつもの感じに戻ってくれた。良かった。
「なあ、何か良い案ないか?というか良い案考えてくれ!頼む!」
「んー……。安くてちゃんとしてる花…。ええ…、分かんないよ。雑草じゃダメだよね?」
「ダメに決まってるだろ。何言ってんだ」
ですよね。分かってます。ダメもとです。というか、本当に思いつかない。私は庭にある花を見た。そこで、一つの花に目が止まった。白くて可愛らしい、あの花。
「ねえ、ルイ!私が干してるカモミール、少し使ってもいい?あれならたぶんいけるはずだから!」
ルイがうなずいてくれたので、私は大急ぎで屋根裏部屋へと走った。花はすでに湿気を失ってぱりぱりになっている。強い太陽のおかげだ。私はそれを持ってルイのところに戻った。
「もしあったら、なんだけど、和紙が欲しい。和紙じゃなくても、後ろに置いたものが透けるようなすごく薄い紙、ない?あったらちょうだい。あと、接着剤も!お願い!」
ルイはうなずいて建物の中へ入った。私もカモミールを持って建物内に戻って、ある作業をしてから花屋さんスペースに戻り、フィオナちゃんに説明した。
「あのね、この花、カモミールって言うんだけど、この花で押し花の栞もどきを作ってみない?そしたらたぶん枯れないからずっと手元に残ると思うんだけど…、どうかな?」
フィオナちゃんは不思議そうな表情でこくりとうなずいた。大丈夫、かな。というか、提案したはいいけど、上手くいくか分からないんだよね。前にネットで見たことがあったのを思い出してやってみようかなって思っただけだし。あー、やっぱりスマホが欲しい。早くこの世界に誕生しないかな…。すると、ルイが帰ってきた。その手には色とりどりの紙と接着剤らしきものを持っている。良かった、あったみたい。
「それじゃ、始めよっか。まずはこの花を…」
「工作なら食事してる部屋でやれ。他のお客さんが来た時に困るだろ」
「うん、ありがとう!あそこの部屋のテーブルの方が広いから作るのに良さそうだなって思ってたの!」
「別に。…ちゃんと作れよ」
私はフィオナちゃんを連れて移動した。材料を全てテーブルに置く。
「フィオナちゃん、お母さんはここにある紙の中だと何色が好きか分かる?」
「うん!ママはね、黄緑が好きなんだ!ヒスイの石が好きなんだって!」
ヒスイって…、翡翠のことかな?この世界にもあるんだ。どこで採取できるんだろう?…それはさておき
「そうなんだ。それじゃあ、作り始めようか。…って言ってもすごく簡単なんだけどね。最初に黄緑の紙をテーブルの上に置いて、そこにカモミールを乗せて」
フィオナちゃんは黄緑の紙を引っ張りだし、圧縮しておいたたくさんのカモミールを紙全体に散らばるように乗せた。カモミールは真ん中の部分が膨らんでいる。それだと紙と紙で挟めないので、ものすごく分厚い本で(半分無理矢理)平らにしたのだ。フィオナちゃんのところに戻る前に行った作業は、このこと。成功したようで良かった。
「そしたら白い紙をその上に乗せて」
ルイが持ってきてくれた紙には所々銀箔が混ざっていてすごく綺麗。フィオナちゃんは白い紙を乗せると、目を丸くしてはしゃいだ声をあげた。
「すごい、すごいよ!紙を重ねたのにちゃんとお花が見える!すごい、魔法みたい!」
「綺麗でしょ?それじゃあ、後は私に任せて。少し面倒な作業をするから」
私は慎重に白い紙を一旦脇に避けた。そして、フィオナちゃんが配置した花をずらさないようにして接着剤をつけた。この接着剤は元の世界のスティックのりみたいな感じなので丁度いい。本当は花に直接接着剤をつけても良かったんだけど、花が傷んだら嫌だな、と思ったのだ。実際にどうなるかは分からないが、念のため。慎重に慎重を重ねて全体に接着剤を塗り終え、私は上にさっきの白い紙を貼りつけた。
「完成!できたよ。世界に一つだけのフィオナちゃんの押し花の栞もどき!」
中に挟まれている花もほとんど動いていないみたいだし、成功と言っていいと思う。でも、もしかしたら年月が経ったら壊れちゃうかもしれない。
「もしもはがれちゃったら私のところへ持ってきて。そしたら直すから」
でも、その時にまだ私がこの店で働いているかは分からないので、壊れないことを願っている。
「うわあ…!すごい!こんなの見たことない!結花お姉ちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして。これでお母さんと仲直りできそう?」
フィオナちゃんは大きくうなずいた。良かった。フィオナちゃんは私に紙幣を渡すと、それを持って店の外へ飛び出していった。早速家に向かったのだろう。良かったな、ともう一回思い、ふと忘れていたことを思い出した。あの栞もどき、何かに包まなくてよかったのかな?と、ルイが話しかけてきた。
「…帰ったみたいだな。何を作ったんだ?」
「押し花の栞もどき。あんなに喜んでもらえるとは思わなかった。ラッピングしなくて大丈夫だった?」
「いいだろ。そんな大袈裟にしなくても。…で、栞って何だ?」
私はその言葉で固まった。普通に言っちゃったけど、もしかしてこの世界には…
「栞ってないの!?あんな便利な道具!?あ、紙?もしかして他の言葉だったりする?」
「だからその、栞って何なんだよ?」
「栞って言うのは、読みかけの本に挟む紙のこと!そうすると、自分がどこまで読んだか分かるでしょ」
ルイはその説明で理解してくれたが、やはり、この世界には栞はないようだ。どうしよう、フィオナちゃん、絶対使い方分からないよね…。栞を作る、と言った時にフィオナちゃんが不思議そうな表情をしていた理由が分かった。まずい、よね…。
「…まあ、もし説明を求められたらその時は頑張れ」
失敗半分、成功半分、といったところだろうか?とりあえず、フィオナちゃんがお母さんと仲直りしてくれればいいな、と思った。そして、その時にあの押し花が役に立ってたらいいな。
昼休憩の時間になった。午前中の営業はその後、ほとんどお客さんが来ずに終わってしまった。ものすごく暇すぎて、「暇だ暇だ」とルイに訴えてしまうくらい、閑散としていた。こういうのを「閑古鳥が鳴く」と言うのだろう。そんなことを考えていた私にルイは突然、
「結花、昼食作るの面倒だから何か買ってきてくれないか?午前中暇だっただろ?」
と言ってきた。私ですか!?確かに暇って言ったけど…。それ、拒否権ないのかな。というか、あってもなくても絶対に嫌。私はルイを諦めさせるために色々な言い訳を言った。
「無理だよ、だって私、この世界のお金使えないし、道とかも全然分かんないし…、それから…」
「まあ、何とかなる。少しでも早くこの街に慣れた方がいい。それに知り合いがいた方が色々便利だ」
しばらく両者とも退かなかったが、最終的には私が折れた。
「分かりました、行ってきます。何がいいの?」
「何でもいい。…あ、やっぱりパンがいい。よろしく」
私はルイからパン代をもらい、この紙幣があの紙幣の何倍…、ということを教えてもらったが、さっぱり分からなかった。だってどれも同じに見えるんだもん!しかも絵が全く無い。謎の文字の羅列が続いている。…まあ、何とかなるかな。私は楽観的にそう考え、昨日ルイの店のことを教えてくれたパン屋さんに向かうことにした。…そういえば、この世界にはパンは何種類あるのだろう?カメの形のメロンパンとかないかな?あったら絶対に買いたい。…無さそうだけど。
「こんにちは。昨日はありがとうございました」
例のパン屋さんに辿り着いた私は女の人にそう挨拶した。女の人はぎょっとした表情で私を見た。
「え…!?あんた、無事だったのかい?」
…私、何かに襲われたとでも思われていたのかな。というか、危ないと思いつつ私にお店を教えたこの人って…。いくら何でもひどくない?まあ、他人だからしょうがないっちゃしょうがないけど。
「ええ、おかげさまで。…あ、パンを買いに来たんですけど、どれがおすすめですか?」
「え?あ、あー。…そうだね。今日のおすすめはチョココロネかな」
え、この世界にもチョココロネってあるの!?わーい。私のお昼、それにしよう。それからルイにも何か買わないと。でも、ルイって何が好きなんだろう?分からない。無難なものを選んでおけば何とかなる、よね?私は店内のパンをじっくり見る。残念ながらカメメロンパンはなさそう。もし仲良くなったらいつか作ってもらおうかな。うん、そうしよう。私はしばらくパン探しに没頭していた。でも、そろそろ決めて買わないと。お金を払うのに時間がかかる自信がある。迷った末、クロワッサン(?)にした。クロワッサンなのかは分からないけど、何か似てる。
「お会計、お願いします」
すると、女の人は何か謎の言葉を発した。…たぶん、金額だと思う。私は適当に紙を引っ張りだした。どれを出せばいいのか分からないし。すると、女の人は足りない、と言うように首を振った。
「えっと…、あと何枚あれば足りますか?」
「百枚」
「…は?」
「もっと大きい額があるはずだよ。探してごらん」
十分ほど時間をかけてようやく支払いを終えた。…疲れた。すると、女の人は何かを取り出して私に渡してきた。受け取って中を確認する。
「これ!ガーデニングの!ここにあったんですか?」
それは、私がこの世界に来る直前まで読んでいた本だった。一緒にこっちの世界に来ていたとは。
「あったも何もあんたが置いてったんだよ」
「すみません…。でも、ありがとうございました。助かりました」
「困った時はお互い様さ。じゃあ、気をつけて帰るんだよ」
女の人が手を振ってくれたので、私も振り返した。
「はい、さようなら」
よし、買い物は(何とか)無事に終了した。お店に戻ろう。道を眩しい光が照らしていた。
読んで下さり、ありがとうございました。次回もお昼編です。