第四十三話
その日のお昼頃のこと。アケビさんがやって来た。手には大量の紙を持っている。書類ではなく、お祭りに関することがまとめられた紙で、これから商店街の人たちに配るらしい。大変そうだな…。というか、配り終わってからこっちに来た方がいいと思うんだけど…。
「あー、疲れた…。さっきまでわたし、ずっと書類を書いてたんだよ?スイちゃんのおかげでいつもよりは少なかったけど、それでも十枚はあったんだから。そしたら、植物屋の管理人さんが来て、人手が足りないから、って言われてお祭りの紙配りを頼まれちゃってさ…。だから、絶対に嫌だ、って抵抗したんだけどダメだったんだよね。あはは…」
開口一番、アケビさんはそう言った。…というか、管理人さんに抵抗していいの?あと、スイさんに怒られなかったのかな…。
「あ、スイちゃんはね、わたしの代わりにお店番してくれてるんだ。何だったらわたし、スイちゃんにお店を譲って隠居しちゃおうかな?スイちゃん、すっごく優秀だし」
「それはやめろ。また管理人さんに怒られるぞ。ってか、そんなことをしてるから、管理人さんの血圧が上がってるんだよ…。スイが『師匠にはもう少し大人になってもらいたいです』って嘆いてたけど」
すると、アケビさんは明後日の方向を向いた。そして、違う話題へと移った。
「そうだ、二人にもお祭りの紙、あげるよ。はい、どーぞ」
そう言ってアケビさんは私たちに一枚ずつ持っていた紙を渡してくれた。いや、私、読めないんだけどな…。でも、ありがたく受け取っておく。
「これをシェーロン語の勉強のお手本にするか…。これ、アケビが書いた字だろ?」
「うん、そうだよ。提出期限過ぎてから書いたものなんだけどね。その時も管理人さんに怒られたなあ…」
「アケビは字を書くのだけは上手いから、書くときのいいお手本になると思う」
ルイ…、今、褒めるようなこと言ったけど、さりげなくアケビさんのことをけなしてたよね…?アケビさんもそれに気付いたらしく、にこり、と優し気な、それなのにどこか怖い笑みを浮かべた。
「後でちょっとルイとはお話しした方がいいかもね?もちろん、紙を配り終わった後だけど」
こ、怖い…。アケビさんの後ろに一瞬、般若が見えたような気がした。ルイも何かを感じたらしく、まずいな、って感じの表情になった。
「えーと…、そんなことより、早く紙配りに行った方がいいんじゃないか?また管理人に怒られるぞ」
「そうだね。でも、帰る前にルイとちょっと話すことがあるし?どっちにしろ遅くなる気がするけど?」
うわあ…。怖い、怖すぎる…。ルイがたまにアケビさんが怖い、ということを示唆する発言をしたことがあったけど、その理由が何となく分かった気がする…。と、その時、ばたーん、とお店のドアが勢いよく開いて、スイさんが入ってきた。え、さっき、アケビさんはスイさんがお店番をしている、って言ってたよね…。何でここに?アケビさんもここにスイさんが来るとは思っていなかったらしく、ぎょっとしていた。そして、恐る恐るスイさんに尋ねる。
「す、スイちゃん…?何でここに…。お店は?もしかして、無人販売!?」
「そんなわけないじゃないですか…。今、休憩時間なんですよ。それなのに、師匠が全然帰ってこないので探しに来たんですっ!!さあ、ここで油を売ってないでさっさと紙配り終わらせてお店に戻りますよ。そうじゃないと、午後の時間に間に合いませんからね?」
スイさんはそう言ってアケビさんを引きずっていった。アケビさんよりもスイさんの方が怖い気が…。二人が去った後、ルイはぽつりとつぶやいた。
「やっぱり、どっちも怖い…。でも、本当に怒った時に怖いのは、やっぱりアケビかな…。めったにないけどな。今日は植物屋に行かないでおこう…」
めったにない、って…。逆にルイは何をしてアケビさんを怒らせたのだろうか…?でも、聞くのも怖かったので、何があったのかは聞かなかった。そして、アケビさんを怒らせないようにしよう、とも思った。
「って、うわー…。最悪な事態が起こった…。かなりまずい気がする…」
ルイがそうつぶやいたので、そっちを見ると、手に何かを持っている。ペン…、かな?ルイのじゃないのかな?そう思ってよく見てみると、明らかに女性用の物だった。でも、私は自分専用のペンを持っていない。そもそもシェーロン語が書けないので、何か文字を書くということがない。…ということは、もしかしなくても。
「アケビさんの、だよね?そういえば前に持ってた気がする…」
「大当たり。…なんだけど、何でこれを忘れていったかな、あいつ。このペンは、アケビが普段から超大事にしてる奴。前にもここに置いてったことがあったけど、その時かなり面倒だったんだよな…」
ルイが遠い目をした。…うん、聞かない方が良さそうだね。正直、何があったのかは気になるけど。
「だから、今回もできる限り早くこれを届けた方がいいんだろうけど…。正直言って、俺は行きたくない…。今行ったら、夕方まで帰ってこれない自信がある」
あー…、さっき怒らせちゃったからね…。でも、届けないとそれはそれでまずいっぽいし…。
「何だったら、私が行ってこようか?というか、その方がいいよね?」
「まあ、確かにそうだけど。でも、まだ怪我が完全に治ってないだろ。逆にアケビに怒られる気がするんだけど…?」
「走らなくていいなら大丈夫。それに、ルイが行った方がかえって面倒なことになるでしょ?」
「………」
ルイはしばらく考えていたが、結局、私が植物屋さんに行くことを許してくれた。
「こんにちはー。さっき会ったばかりですけど。忘れ物を届けに来ました」
植物屋さんに行くと、カウンターのところで何かを書いていたアケビさんが顔をあげた。ずーん、と暗い雰囲気になっている。いつも明るいアケビさんが珍しい。
「うう……。結花ちゃん…、ちょっとわたし、今悲しい気分なんだよね…。できれば百年くらい放置してくれると嬉しいかも…」
百年!?さすがに私も生きていないと思うんだけど…。すると、アケビさんの隣にいたスイさんが苦笑いして、その言葉に補足してくれた。
「師匠、大切なペンを失くしちゃったそうで。それで今、こんな状態なんですよ…。放っておくと、外に探しに行きかねないので、私が見張ってるところです」
「ええっと…。そのペンって、もしかしてこれですか?」
すると、アケビさんの瞳が急にキラキラと輝いた。そ、そんなに大事なものなの?!気付いてからすぐにここに来て、本当に良かった…。
「本当だー!!!ありがとう、本当にありがとう!」
「良かったですね、師匠。これで、イラストの作成もはかどりそうですね。結花さま、色々な意味で本当にありがとうございます。私も助かりました」
「ちょっと、スイちゃん!?私の幸せな気持ちに水を差さないでくれないかな!?」
アケビさんがむっとしたような表情になった。でも、とりあえず、アケビさんにペンを渡すことにする。
「はい、どうぞ。道端とかに落としてなくて良かったですね」
そう言いつつ、少し気になったので、アケビさんの手元に置いてある紙を見てみた。そこにあったイラストを見て、思わず息を飲んだ。だって、そのイラストは、まるで写真のようにリアルで美しかったから。
「すごく、綺麗…。これ、何の絵なんですか?」
「え?あー、これ?お祭りの飾りつけの案みたいなものかな。今日の夕方までに仕上げなきゃいけないから、急ピッチで進めてたの。我ながら、力作だよ!これで少しは管理人さんの血圧が下がるといいんだけどね」
「絶対に無理ですね。そもそも師匠が、血圧を上げすぎてるんですよ…。今更下げようとしても遅いです…。ついでに言うと、そんなことで血圧が下がってたら、高血圧なんかになってませんよ」
スイさんが少し呆れたように言った。管理人さん、大丈夫かな?そもそも、何でそんなに血圧が上がってるんだろう?スイさんの言葉からすると、アケビさんのせい、という感じになっているけど、何で?頭の中がはてなマークでいっぱいになる。すると、顔に出ていたのか、スイさんが答えてくれた。
「この植物屋の管理をしているのが管理人さんなんですけど、書類の整理をしているのもその人なんですよ。師匠はいつも、ほとんどの書類を提出期限を過ぎてから出しているので、管理人さんは苦労が絶えないんです。なので、管理人さんの血圧が上がる、というわけですよ…。本当に申し訳ないですね…」
「た、大変なんですね……。でも、そういえば私、管理人さんに会ったことないです」
「そういえばそうだったっけ?まあ、でも、いつか会えるでしょ!」
アケビさんは、どこか雑な回答をした。たぶん、イラストを描きながら話しているので、私の話が半分聞こえてなかったのだろう。
「私、そろそろ帰った方がいいですよね?イラストに集中するためにはその方が良さそうですし…」
「えー、やだ。もうちょっとここでお喋りしていこうよー。ルイに怒られたら、わたしのせいにすればいいから、ね?」
いや、そう言われても。というか、人のせいにできるわけないし…。すると、なぜかスイさんまでもが私を説得し始めた。
「結花さま、私からもお願いします。どうやら、結花さまがいた方が、師匠の仕事するスピードが上がるみたいで。もしもルイ様に怒られたら、私からも謝りますから!」
そこまで言われると、断りづらくて、ルイには申し訳なかったが、もう少しだけ、ここに居させてもらうことにした。アケビさんは新しく真っ白な紙を取り出し、他の絵も描き始めた。まるで、アケビさんがペンを動かすたびに絵が浮き出てくるようだった。何でかな、と思って見ているうちに気付いた。アケビさんは、ほとんど全く、下描きをしていないのだ。最初から色付きのペンや色鉛筆で描いている。
「さっきルイ様が、師匠は字だけが上手い、と言っていらっしゃいましたが、私は字と絵だけが上手いと思っています」
スイさんが褒めているのかいないのかよく分からないことを言った。というか、一応スイさんにとってアケビさんは師匠さんなんだよね?そんなこと言っちゃっていいの?!
「ひどいなー、スイちゃん。もうちょっと褒めてくれたっていいんじゃないの?」
すると、アケビさんのその言葉にスイさんは涼しい顔でこう返した。
「そうですね…。あ、あとは、書類を提出期限内に書かない天才だと思いますよ?」
「それ、褒めてないよね!?どう考えても、皮肉だよね!?」
「当たり前じゃないですか。そのつもりで言ったんですから。もっと褒められたいなら、ちゃんと仕事して下さいよ。隠居する、とか言ってないで…」
「聞いてたの!??」
焦ったような表情になったアケビさんを見て、スイさんはにこっと笑った。でも、どう見ても目が笑ってなかった…。
読んで下さり、ありがとうございました。




