第三十五話
二章のけっこう重要な部分です。たぶん。
ネネ様が現れた時、私はその場の空気が一気に変わるのを感じた。和やかな空気から、冷たい空気へと…。
「ネネ。中で待ってなさい、と言ったでしょう?」
サーニャ様が少し警戒するような表情で、ネネ様をたしなめる。
「ごめんなさい。でも、とても楽しみで、待ちきれなかったの」
ネネ様はそう言って私を見た。その瞳には何も映っていないように感じた。それなのに、なぜかぞっとする。まるで、何か獰猛な動物に見つめられたように…。しかし、ネネ様は何も言わずにお屋敷へと入っていった。サーニャ様も私たちを屋敷の中へと促した。
「どうぞ、中にお入りになって」
中は外のお城みたいな美しさと比べると、どこか落ち着いていて意外だった。シャンデリアとかあるのかな?とか思っていたけれど、無かった。一度でいいから、見てみたかったんだけどな…。少し残念。でも、一つ一つの飾りはどれもおしゃれだ。廊下の壁には、絵画が掛かっている。肖像画だったり、どこかの風景だったり。…と、そこで、見覚えのある絵を見つけた。今までの絵画はどこか西洋風だったのに、なぜかそれだけは和風のもので、目に留まったのだ。私はそこで立ち止まってじっくりと見た。
「…!これ…っ!浮世絵!?何でこんなところに…」
歴史の教科書でよく見たことがあった浮世絵がそこにあった。確かこれ、けっこう有名な作品だよね…。すると、先を歩いていらしたサーニャ様が立ち止まった私に気付き、戻ってきて下さった。
「それが気になるの?これはね、200年ほど前にこの世界に来た異世界人が遺したものなの。美しいでしょう?この屋敷には他にも、異世界人が遺した記録がたくさんあって…。でも、訳せないものがほとんどだから困っているのだけれどね…」
懐かしいな…。まさか、こんなところで浮世絵を見られるなんて。しかも、200年くらい前ってことは、江戸時代だから、完成度がすごいはず。浮世絵、生で見たことがないからよく分からないけど。ここに日本の鑑定人さんがいたらいいのにな…。どれくらいの値段になるんだろう?そんなことを考えていると、ルイが私を呼んだ。
「結花、早くしろ。この中で迷子になっても知らないからな?」
気がつくと、三人は既にかなり奥まで進んでいた。え、早い。さっきまでここらへんにいたよね?瞬間移動でもしたのかな?私は慌てて三人の後を追いかけた。
追いかけた先にあったのは、一つの扉だった。その前で、三人は私を待っていた。
「すみません…。浮世絵に見とれてました…」
すると、サーニャ様は不思議そうに私に尋ねた。
「あの絵は、浮世絵というの?もしかして、あなたの住んでいるところではそう呼ばれているのかしら?初めて聞いたけれど…。でも、素敵なお名前ね」
え、あの絵って、浮世絵って言わないの?もしかして、この世界には名前まで伝わってなかったのかな。うわー、名前が伝わってると思って普通に名前言っちゃった…。まずいかも…?ルイも少し心配そうな表情になっていたが、サーニャ様はそれ以上そのことに関して何もおっしゃらず、扉を開けた。
「この部屋は、基本、お客様を通すお部屋なの」
サーニャ様はにこにこ笑って私たちを中に入れて下さった。ものすごく楽しそうだけど…、何で?よく分からないが、とりあえず、中の様子を確認する。…って、すごい、暖炉がある。木を入れて火をつけたらぱちぱち、ってしそう…。本とかだと、そんなイメージだよね。冬になったら見てみたいな。今は夏だし、使ったら熱中症になりそう…。
「どうぞ、お座りになって。今日は、来客の予定はあなた方だけなの。だから、お話はゆっくりで大丈夫よ」
すると、かちゃり、と扉が少し開いて、隙間からネネ様が顔を出した。…このタイミングで来ちゃったか。本当は、サーニャ様に説明してから行きたかったんだけど…。
「ネネ、お客様がいる時に、入ってきてはいけないといつも言っているでしょう?」
「だって、あたし、早く結花とお話ししたいもの。ね、いいでしょ?」
ネネ様の黒い瞳が一瞬光った気がした。すると、サーニャ様は一瞬動きを止めた。ゼンさんが小さく息を飲む。
「今の、たぶん『影響』ですね。残念ですが、結花さん…、ネネ様の方はお願いします。たぶん、今のでサーニャ様は…」
その言葉に私がサーニャ様の方を見ると、サーニャ様は微笑を浮かべておっしゃった。
「仕方ありませんね。結花さん、ネネとお話しして頂けない?」
私には、一つしか選択肢が残されていなかった。
「分かりました…。そうします…」
ネネ様は嬉しそうに笑った。うう…。何でこんなに影響強いわけ…?予想外すぎて、心の準備、全然できてなかったんだけど…?思わずルイの方を見ると、ルイは一瞬、私の手を握ってくれた。たぶん、「頑張れ」ということだろう。私は改めてネネ様の方を向いた。一瞬、目が合う。でも、やはりその瞳には何も映っていないように感じられたのだった……。
「あたしの部屋はね、二階にあるの。嬉しいなあ…。まさか、自分の部屋に同じ世界の人が来るなんて思ってもいなかったもの。あ、大丈夫よ、メイドたちはあたしがお願いしたから、しばらく部屋に来ないはずよ」
ネネ様は無邪気な笑みを浮かべた。でも、進んでいくにつれて、段々と暗い雰囲気になっていっているのは、気のせいだろうか…?ここに着いたときみたいな嫌な予感がする。怖さを紛らわせるためにネネ様に話しかけてみることにした。
「えっと、ネネ様は…、今度、王宮へ行くのですよね?そこでは、何をなさるのですか?」
すると、ネネ様は口をとがらせて振り向いた。
「結花、敬語はやめて。誰も聞いてないもの。それに、たまには普通の言葉でしゃべりたいわ。だから、普通に喋ってよ。ね?」
「…分かった。話を戻すけど、ネネは王宮に行って、何の仕事をするの?」
ネネ様は満足そうにうなずいて答えた。
「えっとね、異世界語…、つまり、元の世界の言葉をシェーロン語に訳すの。つまらないよね…」
「…もしかして、ネネはシェーロン語も理解しているの?」
「当たり前よ。ここに来て数年は経っているからね。でも、あの文字、本当に分かりにくいよねー」
こうして話している分には、魔法をかけられた、とか全く感じない。…でも、油断はできない。この前みたいなことになる可能性はあるんだし、十分注意しておかないと…。
「着いたわ。ここがあたしの部屋。どうぞ、入って。お茶とか、用意してあるから」
部屋の窓は開いてた。カーテンが風ではためている。窓から見える空は、いつの間にか曇っていた。
「…それじゃあ、本題に入りましょうか」
私の後に入ってきたネネ様はそう言った。再び、冷たい風が吹き、私たちの間を通り抜けていった。
「…それで、お話しと言うのは?ネネに関することと聞いているけれど、何かしら?」
結花とネネが去った後の部屋で、サーニャはそう切り出した。ゼンはうなずいて言った。
「…まず最初に、信じられない話だと思いますが、この世界にはまだ魔法があるんです」
「魔法?確かにそれは信じられないわね。随分前に無くなったんじゃなかったかしら?」
サーニャは怪訝そうに首をかしげた。その反応を予想していたゼンは落ち着いて魔法の花を取り出した。
「これは、魔法の花です。本当は貴重なので、あまり使いたくないのですが…、これが一番魔法の存在を証明するのに最適なんですよね。…まあ、同僚の方が使いまくってますし、たまにはいいですよね」
ゼンは今も眠っているだろうジェシカを思い出して、少し笑った。もしかしたら、もう目覚めているかもしれない。ゼンは、魔法の花と、ここに来る前にルイに許可をもらって摘んだ花を一緒に右手に持った。そして、小さく何かを唱える。しかし、なかなか変化が現れない。サーニャはすこし不思議そうな顔をしていたが、ある変化に気付いてはっとした。
部屋の端にあったテーブルが誰も触っていないのに、浮いていた。一瞬、どこかに糸でもあるのかと思ったが、それはあり得ない、とすぐに気付いた。テーブルはかなり大きいうえに、その上にはたくさんの分厚い本が積んであるのだ。
「嘘…、こんなことが、あるわけ…!」
サーニャがそうつぶやいた瞬間、かたり、と音がして、壁にかかっていた絵もふわふわと宙を舞い始めた。サーニャは呆然として、浮いている物たちを見ていたが、ルイの言葉で我に返った。
「おい、ゼン、この後が勝負なんだから、それくらいにしておけよ」
「ですね…。さすがにこれ以上やるとまずそうですし、やめておきます」
ゼンがそう言った瞬間、浮いていた物が全て元の場所に戻った。ゼンは小さく息をつく。
「これで、信じて頂けましたか?…というか、これで信じて頂けないと、他の魔法も使わないといけなくなるんですよね。次は何がいいでしょうね?」
どこか楽しそうにゼンは言った。こういう時にゼンを止めるのはジェシカなのだが、今はここにいない。どうやって止めようか、とルイが考えていると、サーニャが言った。
「…。よく分かったわ。それで、魔法とネネに何の関係があるか教えていただけない?」
「もちろんです。というか、ここからが重要な話なんですよ…」
そう言ってゼンはヘルの存在や、魔法の影響などについて話し始めた。時々、ルイも補足する。最初、サーニャは半信半疑で聞いていたが、全てを聞いた後、自分が感じていた違和感が全て一つに繋がった気がして納得した。
「要するに…、ネネは魔法をかけられている、と…。そして、その状態のまま王宮にいけば、政治に影響が出かねない、ということね。…って、結花さんは大丈夫なの?影響を受けたら彼女が…!」
ルイとゼンは顔を見合わせた。…が、少しして、ルイが言った。
「実は、結花はネネ様と同じ異世界人で…。異世界人だと、魔法にはかかっても、魔法の影響は受けないみたいなんです。…黙ってて申し訳ありませんでした」
「そう、だったの…。どうして言わなかったのか、理由を聞いてもいいかしら?…あ、別に責めているわけではないのだけど…」
「異世界人は、基本的に、奇異の目で見られます。それに、言ってしまえば、自由な生活はできなくなってしまいます。結花に、そうなってほしくなかったんです」
「そう…。あなたは、結花さんをとても大事に思っているのね…。もしかして、ネネは、同じ異世界人だから、結花さんを連れて行こうと思ったのかしら?全く。人に迷惑をかけて…」
サーニャはしばらく何かを考えていたが、不意に姿勢を正し、強い意志をもった瞳で、まっすぐルイとゼンを見た。
「ネネが迷惑をかけて本当にごめんなさい。その上で、あの子の母としてお願いします。あの子を…、ネネを元に戻して頂けますか…?お願いします」
ルイとゼンはうなずいた。
「結花を連れて行かれるわけにはいかないので」
「同感です。結花はジェシカの友達ですからね。何もせずに連れて行かれたら、ジェシカに怒られそうです。それに、ジェシカを昏睡状態に陥れているヘルが許せませんし」
密かに、でも、大きな戦いが始まろうとしていた。
なんだかんだ、ヘルが直接出てこなかった…。
読んで下さり、ありがとうございました。




