第三十三話
その日、ヘルはのんびりと、道を歩いていた。しばらく歩いていると、ある気配を感じた。目を閉じると、その気配は強まった。1000年ほど前まではよく感じていた、あの気配。
「…どうやら、魔法使いがこの街に来ているようですね。もしかして魔法協会でしょうか?あの人たちは本当にしつこいですよねー」
その言葉にはどこか余裕があった。ヘルは、1000年前までずっと世界最強の魔術師として、名を馳せていたのだ。しかも、ずっと逃げ続けることができている。今回はかなり魔法使いたちと距離が近いが、まあ大丈夫だろう。ヘルはそう思った。
「…少し、挨拶でも、しておきますか」
ヘルは指を鳴らした。すると、見えない魔法の波がヘルのいる場所から円状に伝わっていった。この波は魔法波と呼ばれるものだ。魔法を使える人なら、魔法の花がなくても作りだすことができる。しかし、この波はある意味とても危険なものなのだ。強い力を持つ者が魔法波を起こすと、力の弱い者に何らかの影響が出てしまうのだ。ヘルは小さく笑った。
「…さて、どうなることやら。楽しみですね」
植物屋さんを出た私たちは、まっすぐ家に帰ることにした。あの後、ジェシカさんとアケビさんが長々と話をしていたので、時間がかなりぎりぎりなのだ。なぜか二人は、恋の話で盛り上がっていた。特にアケビさんはのりのりだった…。私がどうやって二人の会話を終わらせようかと考えていると、スイさんが言った。
「師匠!いい加減に書類整理して下さい!!!今すぐやらないなら、私、明日から一週間、お休み取ることにします。師匠はその間に書類の山にでも埋もれていてくださいっ!」
スイさんのその言葉にアケビさんの顔は一気に青ざめ、慌てて奥のスペースへと走っていってしまった。恐らく、書類整理に行ったのだろう…。それにしても、スイさん、すごい迫力だった…。怒らせないようにしよう、と本気で思ってしまった。一方のスイさんは、アケビさんが奥へと走っていったのを見届けた後、微笑を浮かべて言った。
「師匠が本当に申し訳ありませんでした。しばらく師匠は出てこないでしょうから、大丈夫ですよ」
どうやら、スイさんは私がどうやって話を終わらせようか考えていたことに気付いていたらしい。
「ありがとうございます、スイさん。それじゃ、また来ますね」
「ええ、ぜひ。いつか、結花さまと二人でお話してみたいものです。あ、今度来た時までに、師匠の書類整理は全て終わらせておきます!なので、その時はどこかそこら辺のカフェにでも行きましょう」
「楽しみにしています」
ジェシカさんはまだ話し足りなかったようだったが、アケビさんがしばらく出てこなさそうだと気付いたらしく、諦めていた。でも、帰り際、私にこう言った。
「また、アケビさんと話したいな。すっごく楽しかったんだもん!」
「結花、歩くの早すぎだよ!?追いつけないんだけど…」
私がすたすた歩いていると、遥か後ろからジェシカさんの声が聞こえてきた。後ろを見ると、びっくりするほど私とジェシカさんの距離が開いていた。少し驚く。そんなに私、歩くの早かったっけ?
「でも、早く行かないとお店が開いてしまいます。その前にどうしても帰りたいんです」
「だったら、魔法使う?その方がわたしも楽なんだけど…」
「でも、それ、ゼンさんに怒られません?魔法の花を無駄遣いするな、って?」
そう言うと、ジェシカさんは無言になった。図星だったらしい。少しゆっくりめに歩いてくる。私がしばらく待つと、ジェシカさんはようやく追いつき、なぜか私に抱きついてきた。
「結花、引っ張ってー。ここ、暑すぎるんだけど……」
その瞬間、ジェシカさんの体がふらり、と傾いた。え…!?ジェシカさんを支えきれず、その場に座り込んだ。
「ジェ、ジェシカさん…!?どうしたんですか?」
ジェシカさんの顔を見ると、赤い。たぶん、それは、夏の暑さのせいだけじゃない。ジェシカさんの額は熱かった。…でも、何で?ついさっきまでは、本当に何ともなかったはずなのに…?どうしよう、そうすればいいんだろう…。私がパニックに陥っていると、どこかから私を呼ぶ声がした。
「どうした?何があったんだ?」
ルイと、ゼンさんがそこにいた。何でだろう、と一瞬思ったけれど、それよりも混乱する気持ちの方が強かった。私は早口で二人に言った。
「どうしよう、ジェシカさんが。急に、本当に急に倒れちゃって…。熱もあるみたいで…!」
すると、ゼンさんがジェシカさんの傍に駆け寄った。少し状態を見てから、険しい表情になる。
「何とも言えない…。原因は分かりましたが、これ、どうにもできませんね…」
「どういうことだ?」
ルイが聞くと、ゼンさんは分かりやすく説明してくれた。
「恐らく、ジェシカは魔法波の影響を受けたのだと思います。魔法波を起こしたのはヘルでしょう。魔法波と言うのは、魔法が使える者なら誰でも発生させることができます。ただ、強い力を持っている人の波は、力をそこまで持たない人に何らかの影響を与えます。ジェシカの場合は、熱、という影響が出た、ということです」
ゼンさんはジェシカさんを背中におぶった。
「とりあえず、店に戻りましょう。屋内ならそこまで影響を受けないはずです。さっきは、屋内にいたので大丈夫でしたが、第二の魔法波が来るまでに戻らないと、たぶん僕もやられます」
そう言うと、人を背負っているとは思えないほど身軽な感じで歩き始めた。一方、ジェシカさんは全く気付かない。少し苦し気な表情で目を閉じている。さっきまで、アケビさんとはしゃいでいたのに…。
「ごめんなさい。私がジェシカさんを植物屋さんに連れて行ってしまったから…。もし、お店にいたら大丈夫だったかもしれないのに…」
「結花さんのせいではありませんよ。実はこっそり魔法であなたたちの様子を観察させてもらったんですけど」
その一言で一気に落ち込んでいた気持ちが吹き飛んだ。だって…。観察してた、ってことは、私たちのアケビさんとの会話を聞いていたわけで。ということは、ジェシカさんのあの質問も聞いていた、ってこと、だよね?これ、まずくない?
「でも、アケビさんという方と一方的に盛り上がっていたのは、ジェシカでした。要するに、ジェシカがあそこでさっさと帰っていれば、このような目に遭わなかった可能性が高かった、ってことです」
「でも……」
「ゼンがそう言ってるんだから、気にしなくていい。…にしても、ジェシカはその時、何を話していたんだ?そんなに話したいことだったのかよ?」
ルイが少し呆れたように聞いた。えーっと…。これ、ルイには言いたくない、というか、言えない会話だ…。ちらっとゼンさんを見ると、私が何を言いたいか分かったらしく、小さくうなずいた。
「そうですね…。ルイさんは何を話していたと思いますか?」
すごい、問いに問いで返した。でも、それに引っかかるかな…?でも、ルイは意外と真面目に考え始めた。そんな真剣に考えなくてもいいようなことを話していたんだけどね…。まあ、この感じだと、恐らく答えは出ないだろう。結局、ルイは答えられずにお店に着き、その後はジェシカさんのお世話とお店で忙しくて、どうやら忘れてしまったようだ。私はかなりほっとした。
「こんにちはー。アケビでーす。書類の整理、やっと終わって、ついでにサーニャ様に会って手紙を受け取ったから来ちゃった。はい、これ。サーニャ様からの伝言の手紙。朝結花ちゃんが持ってきてくれた手紙を渡したら、すぐにお読みになって、返事を書いて下さったの。良かったね」
そう言ってアケビさんがお店に入ってきたのは、夕方の閉店近くなった時間だった。ルイがそれを受け取り、真剣に読んでいる。その間に私はアケビさんに質問していた。
「ここに来るの、スイさんに止められなかったんですか?」
「え?あー…、うーん、実を言うと、スイちゃんはこのまま来週の分の書類整理をしたがっていたんだけど、わたしにも休養が必要だから、って説得してきた!スイちゃんには、師匠は休みすぎです!って怒られちゃったんだけどねー…。あははは…」
それ、出てきても良かったのかな…。たぶん、アケビさんが帰ってきたら、スイさん、こう言うと思う。
「やっぱり、私、一週間お休みもらってもよろしいですか?私、師匠より休養を取っていないのですが、気のせいでしょうか?」
って。私がそんなことを考えていると、いつの間にかサーニャ様の手紙を読み終えていたルイが言った。
「早く、植物屋に戻ることを勧める。ってか、そうしろ。スイが怒ってるんじゃないか?」
「分かってるよ…。だから帰りたくないんだって!朝も怒られたばっかりなんだもん…。で、その手紙には何て書いてあったの?気になるなぁ。それを教えてくれたら帰ってもいいよ」
「…『明日、午前11時、馬車で迎えにあがります。急なことで申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いいたします』だとさ。ってわけで、明日出かける。分かったな?」
ルイが私を見て言ったので、うなずいた。でも…
「ジェシカさんは?どうするの?今、具合悪いし…。連れて行けないよね?」
すると、アケビさんが反応した。心配そうな表情になる。
「うそ。ジェシカちゃん、具合悪いの?そんな…。どうして?朝は元気だったのに…」
「あー…。ちょっと熱があるみたいでな。疲れが溜まってたのかもしれない」
熱があるのは、確かに事実だ。でも、詳しい話をしたくない、と思ったのだろう。「疲れが溜まってた」は嘘だ。アケビさんに本当のことを言わないのは申し訳ないが、彼女は魔法に関することは知らない。
「…そっか。今度、何か果物とか持ってくるね。じゃ、わたしはこれで。スイちゃんに怒られてくる」
少しおどけたようにそう言って、アケビさんは帰って行った。
「…つまり、明日がネネ様を元に戻すためのヒントを探る、最初で最後の日となるわけですね」
手紙を読んだゼンさんが静かにそう告げた。そして、ベッドで寝ているジェシカさんを見た。ジェシカさんはまだ目覚めていない。熱も下がっていない。それは、魔法波を放った人物―…、つまり、ヘルさんの強さを表しているようだった。
「そうだな。ネネ様が王都へ行かれるのは、約3日後。それまでに、戻さないといけない」
「ですね。とりあえず、作戦を考えましょう。恐らく、一筋縄ではいきませんから」
助けられるのだろうか?不意に、そんな暗い気持ちが私の心の中に生まれた。…もし、ネネ様を、元に戻せなかったら?そしたら、ネネ様は一体どうなってしまうのだろうか…。
「結花?どうかしたのか?」
ルイが私を見る。最近気付いたのだが、ルイは人の心の動きに敏感だ。
「…大丈夫。ちょっと、心配になっただけ。気にしないで」
「そう言われると、逆に気になる」
「は!?ルイ、もしかして、あまのじゃく!?」
「どこがだよ?ってか、あまのじゃく、って何なんだ」
伝わってないよ…。すると、ゼンさんが「まあまあ」と私たちをとりなした。
「結花さんが元に戻ったみたいですし、作戦会議に戻りませんか?」
そう言われて気付いた。確かに、不安という気持ちが薄らいだ気がする。思わずルイを見た。しかし、当の本人は私の方を見ずに、いつの間にか用意していた紙に何かを書いている。
…ルイにはかなわないな。そう思ってしまった。
明日もお休みします。よろしくお願いします。読んで下さり、ありがとうございました。




