第十一話
朝起きると、時刻は5時30分。少し眠い。でも、起き上がる。外に出ると、太陽はまだ低い位置にあり、涼しかった。私はラベンダーの鉢に近付いた。ラベンダーが咲くのはどんなに遅くても七月まで。昨日、気付いて良かった。もし、ものすごく遅くなってから気付いていたらその時にはもうラベンダーは咲いていなかっただろう。気付いて本当に良かった。私はラベンダーの花を摘んだ。いい香り。摘み取ったラベンダーを台所に運び、昨日見つけたラベンダーティーの作り方の紙を見た。
「ラベンダーの花を器に入れて、お湯を入れて、3分待つ…か。一回試してみようかな」
私はラベンダーティーを作ってみた。そして、飲む。少しだけ渋い。でも、口の中にふわりと優しい香りが広がった。うん、成功したみたい。
その時だった。突然、勢いよく台所の扉が開いた!何が起こった?誰の仕業?
「…何だ、結花だったのか。てっきり泥棒かと思った。何してるんだ?」
「…何だって何よ。ここにいるのが私で悪かったですね」
犯人はルイだった。びっくりさせないでほしい。…そもそも、台所に入る泥棒ってなかなかいないと思う。普通の家庭では台所に高価なものは置かないはずだ。
「そういう意味じゃなくて…。そう言えば挨拶してなかったな。おはよう」
「おはよう、ルイ。実はね、ルイのお母さんの日記を見てたら、いいもの見つけたの!」
「いいもの?数字の見分け方とか?」
うぅ…。それを言われると痛い。徹夜しようかな、とか考えていたくせに、ラベンダーティーに気を取られて全く何もしなかったんだもん。
「違うよ。でもね、すごくいいもの!ルイ、三分くらい待ってもらえる?」
「別に。三分くらいなら」
私はよし、と心の中でガッツポーズして、もう一回ラベンダーティーを作った。作ってから、ふと、このお茶が本当にルイが飲んだことがあるお茶か心配になってきた。確かに作り方は書いてあったけど、これだけだとは限らない。でも、作ってしまったんだから、今さらどうしようもない。
「はい、どうぞ。ラベンダーティー。ルイのお母さんの日記に作り方が挟まってたんだ。それを見ながら作ってみた。…これだといいんだけど」
ルイはじっとラベンダーティーを見つめた。あー…、緊張する…。もしもこれじゃなかったらどうしよう?しかし、ルイはあっさりとラベンダーティーを口に運んだ。そして、目を見開いた。
「…これ、母さんのハーブティーと全く同じだ。味も香りも…」
「ほんと!?良かったー…、見つかって」
なぜか力が抜けてしまって、私はその場に座り込んだ。本当に良かった…。すごく達成感。
「力抜けすぎだろ。ってか、前にも聞いたけど何でここまでしてくれたんだ?確かに母さんはお前と同じ異世界出身だが…。他人だろ?」
「うん、確かにそうだね。…でも、ルイとお母さんとの思い出の味でしょ?私は花が好き。花を使って人の心を癒すのが好き。だからラベンダーティーでルイが癒されたら嬉しいなって思って。…それに、ルイ、実は寂しいでしょ?」
「は?何言ってんだ。別に、…全然」
ルイは否定したが、私から目を逸らしている。…やっぱり。
「そんなことないでしょ。おじいさんも言ってたよ。ルイは実は寂しがり屋だって」
「は?あのじいさん、何言ってんだよ…。人の気持ちを勝手に…」
「私はルイじゃないけど、少しはルイの気持ち、分かると思う。私だって、たぶん、二度と元の世界には戻れない。つまり、両親にはもう二度と会えない」
ルイははっとしてこちらを見た。私は言葉を続けた。
「ルイのお母さんも…、こっちの世界に来てとても寂しかったと思う。でも、日記を読んだ限り、彼女は元の世界を恋しがってはいたけれど、ご友人もできて、ルイもいて、きっと楽しかったと思うよ」
「……」
しばらく一人にしておいた方が良いかもしれない。私は庭に戻った。今日売るためのポプリを作るためにハーブが必要だから。今日はどの花にしようかな?私はしばらく迷ってジンジャーにすることにした。ジンジャーと言えばジンジャーエールだよね。最近飲んでなかったな。作り方を知っていたら作っていたんだけど…。そう思いつつ私は花を摘み取った。それを屋根裏部屋に持って行き、干した。
それから、ラベンダーをもう一回摘み取ってそれも干した。こっちはポプリ用。ハーブティーのためのラベンダーはまだ台所にたくさんあるはず。
私が屋根裏部屋から庭に戻ると、そこにはルイがいた。ちょうど水やりが終わったらしい。意外と早かったな。…ラベンダーティー、全部飲んでくれたかな?もしそうしてくれていたら嬉しい。
「…結花、ラベンダーティー、ありがとう。すごく良かった。あと、また飲めてすごく嬉しかった」
ルイは優しい笑みを浮かべていた。珍しい。…まあ、それを言ったら怒られそうだけど。でも、そう言われてとても嬉しかった。
「どういたしまして。これからはラベンダーがあればいつでも飲めるね。あ、レシピ、渡しておこうか?そしたらいつでもルイだけで作れるよ」
「そのレシピ、異世界語だろ?俺には読めないから結花に任せる」
「え…、でも、私がいなくなったら作れなくなっちゃうよ?私が口頭で文を言ってそれをルイが書き写しておいた方が良くない?」
私がそう言うと、ルイは「あ」と呟いた。もしかして、二週間って前提、忘れてた?おいおい。まあ、こっちだって二週間で出ていく気はないが。というか、意外と抜けてるよ、この人…。
「…そ、そうだったな。…。その件に関しては、か、考えて置く…」
その件ってどっちの件よ?ラベンダーティーの方か、それとも二週間の件か…。
「……かなり時間が経ってしまったな。さっさとしないとお前の分の朝食作らないぞ」
話が思いっきり方向転換した。相変わらず意地悪な物言いだけど、何か動きがぎくしゃくしている。どうしたんだろう?少し気になったけど、ルイはいつの間にか建物のドアのところにいた。
「結花、本当に作らないけど、いいのか?朝食抜きで?」
「全然良くない!すぐに行くから絶対待ってて!」
「分かった。一秒だけ待ってやる。その間に来たらセーフな」
「そんなの絶対に無理に決まってるでしょ!そんなことができる人がいたら私も見てみたい!」
今日もまた、新しい一日が始まる。
私はその日、店番がてら数字の勉強をしていた。難しい。しかも、ルイはポプリを作っているので、全く手伝ってくれない。何となく面倒で私はテーブルに突っ伏した。全く上達しない。数字の聞き取りは何となくできるようになったけど、相変わらず、書けない。いつになったら上達するのだろう?その時、店の扉が開いた。
「ごめんください」
「「いらっしゃいませ」」
私は慌ててテーブルの上の数字の紙を隠した。見られたら説明するのに困る。
やって来たのは女の人。動作にとても品があり、美しい。その顔を見てルイがなぜか驚いて立ち上がった。どうしたのかな?
「メアリさん、お久しぶりです。でも、何でここに?お仕事は?」
どうやら知り合いのようだ。ルイはどこか嬉しそう。
「ルイ、また大きくなったんじゃない?元気そうで良かったわ。…ところでそちらの方は?」
「ついこの前からここで働いている結花。意外と使える」
意外と、は余計だと思う。でも、使えると思ってくれたのは嬉しいかも。
「そうなのね。初めまして。メアリと言います。ルイのお母さんの友人です」
メアリさんはにこりと笑った。とても整った顔立ちなのに、話しかけやすそうな雰囲気の方だ。もしかしたら、ルイのお母さんの日記に書いてあった「友達」はメアリさんのことなのかも。
「でも、残念。ルイに彼女ができたかと思ったのに…」
何か、色々な人に同じセリフを言われている気がするけど、気のせいじゃないよね?ルイもそう思ったらしく、メアリさんに言った。
「それ、他の人にも言われました。…何でだ?」
メアリさんはくすくすと笑い、答えた。
「なんだかんだ、みんなルイのことを心配しているんじゃない?きっとそうよ」
「それにしても、この前の手紙でどうしてここに来ると言ってくれなかったんですか?何も用意してないんですけど…」
「ふふふ、ルイが驚くかと思って。良かったわ、サプライズ成功ね」
二人の姿はまるで本当の親子のようだった。何だか微笑ましい。ルイはきっとメアリさんのことをとても信頼しているのだろう。私はメアリさんにお茶を淹れようと台所に行った。
「んー…?どのお茶を淹れればいいのかな。好みとか全然知らないし…」
すると、ルイの声が飛んできた。
「結花、さっきのお茶、頼んでもいいか?」
ラベンダーティーのことかな?了解、それなら作ったばかりだし手間取ることはないはずだ。
私はさっき取っておいたラベンダーを使って再びラベンダーティーを作った。涼し気な器に入れ、それを店スペースへ持って行く。
「お待たせしました」
私はメアリさんに器を渡した。メアリさんはそれを受け取る。そして、中身をそっと口にした。
「…。すごい、とてもいい香り。ラベンダーかしら?千智の好きな花ね」
メアリさんは懐かしそうに微笑んだ。そして、どうやら、ルイのお母さんの名前は千智さん、と言うみたい。そう言えば聞いていなかった。
「このお茶はどうやって作ったの?」
「千智さんの日記に挟まっていた紙に作り方のレシピがあったんです。それを基に作りました」
「そう。もし良かったら、その紙、見せて頂けないかしら?」
私は固まった。これ、見せたら私が異世界から来たってばれるシチュエーションだよね!?でも、見せなかったらそれはそれで不自然に思われるだろうし…。
「分かりました、今、持ってきますね」
ルイが少し心配そうに私を見ている。私は大丈夫、とうなずいて紙を取りに行った。
「…これです。どうぞ」
私が紙を差し出すと、メアリさんは慎重にそれを受け取った。そして、じっくりとそれを見る。
「どうやらこれ、千智にしか読めない字ね。…結花さん、あなたにはこれが読めるの?」
「…はい」
メアリさんは再び懐かしそうな表情をして、思い出話をし始めた。
「千智がまだ屋敷で働いていた時、彼女からいい香りがするものを貰ったのよ。今はもう香らないけど…。千智の字が読めるあなたならこれが何か分かるかしら?」
そう言って彼女が私に渡したのは、布でできた小さな可愛らしい袋。リボンで袋の口が閉じられている。
「中を見てもいいですか?」
メアリさんはうなずいた。私はリボンをほどき、中を見た。
「!…これ、中に入っているのはハーブですね。これはポプリと言って花の香りを楽しむものなのです。…ただ、月日が経つと、香りは薄れていってしまいます。もしよろしければ、中の花を取り換えましょうか?」
「お願いできますか?」
私はうなずいてまっすぐにある場所へ向かった。ルイが追いかけてくる。
「結花、どのハーブが使われているのか分かるのか?そもそも、花を乾燥させないと…」
「何言ってるの。香りを確かめなくても分かったよ。千智さんが使った花」
そう言った時、ちょうど目的の場所に着いた。着いた先は台所。そこにある花を見て、ルイも納得したような表情でうなずいた。
「そうだな。…この花―、ラベンダーは母さんの花だ」
「お待たせいたしました」
私はメアリさんから預かっていた袋に新しい花を入れ、お返しした。メアリさんは袋にそっと花を近付け、優しい笑みを浮かべた。
「素敵な香り…。まるで、千智が帰ってきたよう。ありがとうございます、結花さん」
「いえいえ。私の持っている知識が役に立ったなら良かったです」
私たちはその後、しばらく和やかな会話をした。主に、千智さんのお話。ルイも知らないような話があったらしく、ルイは本当に楽しそうだった。
「それでは、私はこれで。また来るわね」
お昼前、メアリさんは帰って行った。明日の朝から仕事に戻るそうだ。私たちはメアリさんを見送った。
「うー、疲れたー。でも、楽しかった。ラベンダーのポプリも成功したし!」
「そうだな。今日はもう客が来ないといいな…。あの人が来ると、嬉しい半面、すごく緊張する…」
しかし、この時の私たちはこの日の夕方、嵐のような客が来ることをまだ知らない。
最近、この物語を書いているせいか、お店でハーブティーを見ると、無性に買いたくなります。




