ふりむかせてみせ……たい……ぶくぶく
またか。
画面に映し出される通知を見て、私は溜息を吐く。
差出人は神谷先輩。内容は千陽ちゃんのこと。ここ最近で日常になってしまったメッセージだ。
無視すると翌日嫌な笑顔の先輩が教室に現れ、千陽ちゃんには不安そうに見られるわ狩屋君には誤解されるかもしれないわで良いことが一つも無い展開が待っている。
先輩も、ちょっとは千陽ちゃんに誤解されないよう振る舞えと思うが、そう言うと「嫉妬も恋愛を盛り上げるスパイスだろ?」とふざけた事を言われる。やる事が女々しい。というか嫉妬されると確信しているその自信が恨めしい。どうせ私は狩屋君に嫉妬されるほど親しくないわ。ケッ!
ふっ、と、この前の狩屋君を思い出す。私が倒れた時、凄く怒っていた彼。
怒る狩屋君は怖かったが、それだけ心配されたと思うととても嬉しい。もしかすると、狩屋君にとって私は友人くらいにはなれているのかもしれない。
そういえばその後から、狩屋君の様子は少しおかしくなった気がする。
学校に居るときはいつも通りだ。
問題は、あきよと居るときだ。今までは割と積極的に好意を示して来たのに、ぱったりとなくなった。
冷たくなったというわけではない。相変わらず本の貸し借りは続いているし本について語り合う熱量も今まで通り。この間は有名だけどまだ手を出していなかった文学作品を貸してもらった。
ただ、時折「もっと知りたい」だとか「あきよさんは美人だよ」だとか何のてらいもなく口説いていた、それだけがなくなっている。
飽きたのかも知れない。
自分が望んでいたことではあるが、それでも少なからずショックだった。当たり前だ。好きな人から好意を示されて嬉しくないはずがないし、逆に飽きられたと思えば辛いに決まっている。それに、まだアキとしては好かれるところまで辿り着いていないのだ。
もしかすると、どんなに押しても手応えがないあきよは諦めて、千陽ちゃんにすることにしたのか。
嫌だ。
一瞬で頭が燃え上がって、私は急いで先輩に返信した。
―――
「へぇ、千陽はこの映画が観たいのか」
「ええだからさっさと誘って観てお茶して告って連れ込んで押し倒してモノにしちゃってください」
神谷先輩は、呆れた目でこちらを見る。
「いつにも増して余裕ねぇな。何焦ってんだ?」
「大して興味ないなら聞かないでください」
「コミュニケーションだろコミュニケーション」
「取りたくもないコミュニケーションのために個人情報漏らしたくないです」
「……さてはお前。友達いないだろ」
「残念ながら所構わず千陽ちゃんにつきまとうほど暇してる先輩と違って、私は人気者なんです」
胡乱な眼差しを向けられた。先輩とは言え失礼な人だ。
そこに、通りかかった友達が声をかけて来た。
「あっ、アキ、ごめーん今日カラオケ行けなくなったぁ。みんなに言っといて」
「はーい。……ああそうか、デートだったよね?」
「えへへ、まだみんなにはナイショね。……あらら?アキこそ、神谷先輩と仲良いの!?ええ、もしかして……」
「ふふ、違うよぉ。私好きな人いるもん」
「えっ、誰誰!?」
「ふふふ、デートなんでしょ?早く行かないと」
「あ、そうだった!後で絶対教えてねー」
慌ただしく走り去る背中に手を振る。
後ろからぼそっと「ジキルとハイドかよ」と呟く声が聞こえた。誰が二重人格か。
狩屋君と千陽ちゃんは相変わらずしばしば話す。図書委員だから当たり前かもしれないけれど、私と話す頻度と比較してみて、ギリギリとハンカチを噛み締めたくなる。
不意に目が合う。微笑まれた。心臓打ち抜かれた。今日は良い日だ。
我ながら、どんどん狩屋君に対して単純になって来ている気がしてならない。
微笑まれたということは話しかけて良いということだ。と勝手に判断して二人に近づく。
「あっ、アキちゃん」
「ごめんね、お邪魔しちゃった?」
「いや、丁度話し合いが終わったところだよ」
狩屋君が優しく微笑んでいる。こりゃご飯5杯はいけるな。
「よかったぁ。図書委員って忙しそうだね?よく話し合ってるし」
さりげなく探ってみる。
「うーん、忙しいってわけじゃないんだけど、図書室に来てくれる人って少ないから、どうにか来てもらおうと色々イベント考えてるんだよね。ラノベ特集!とか」
「ライトノベルなら読みやすいし、有名なやつでドラマ化してるものとかなら皆読むかなって」
「へぇー!」
う、意外としっかり仕事してる。なんだか一人で恋愛に浮かれているのが居たたまれなくなってきた。
「アキちゃんはラノベとか読むの?」
「えっ、う……」
読むことは読む。私は本に関しては雑食だから。
ちら、と狩屋君の方を見る。
狩屋君には本をあまり読まないと思われている。キャラを守るためにそれで押し通すことも出来る。ただ、もしここで否定してしまえば、もう本好きだと明かすことは難しくなってしまう。だからと言って教室のど真ん中で本好きだと明かすのも……。いや、でも、しかし……。
狩屋君はきょとんとした表情で数度瞬いて、 やがてふわりと笑った。
「良かったら川津さんも貸そうか。本に慣れてる人から慣れてない人まで幅広く楽しめそうなやつ、僕持ってるよ」
「あっ、もしかしてアレ?」
「うん、そう。今沙月さんに貸してるから、次どう?」
狩屋君!!!
私は感動に震えた。偶然かそうでないかはわからないが、今私は確実に助けられた。
……それにしても。私は千陽ちゃんに目を向ける。
ふーん、そうか。やっぱり貸し借りとかしてるんだ。まぁそうだよね、本好き同士だよね、図書委員だし。
……なんか、保身に走っている場合じゃないな。
「……ちょっと読んでみたい、な」
首を傾げて自信なさげに上目遣いに狩屋君を伺う。
「そう、よかった。じゃあ沙月さんが読み終わったら貸してもらってね。返すのはいつでも良いから」
相変わらず私の猛アピールは暖簾に腕押し状態だ。
でも何だか、一歩は進めたような気がする。
話がひと段落つくと、私は千陽ちゃんに目配せをして狩屋君から離れた。
教室を出ると緊張した顔の千陽ちゃんが後からついてくる。
「よし、まずは髪形からね」
「う、うん……」
千陽ちゃんは、先輩に追いつくため、自信をつけるために地味を脱却しようと決めたようだ。私はそれに協力することにした。勿論、千陽ちゃんを応援する気持ちもあるが、地味専疑惑のある狩屋君からの興味を少しでも失わせる意味もある。8割下心ありだ。
千陽ちゃんは基本的に一つ結びか二つ結びだ。ただし、ポニーテールやツインテールではない。
髪ゴムを解いて、肩の下まで伸びた髪を見つめ暫し考える。元が控えめ可愛い感じだから、ハーフアップにするだけでも可愛らしいと思う。でも今の千陽ちゃんに必要なのは勇気や自信の類だ。小さな変化より、大きな変化をした方が良い。……編みこんで、ゆるふわにするか。
十分な量の髪ゴムやピン留めと、櫛やヘアスプレーも持って来ている。
「これやりたいってのは無いんだよね?」
「うん、ごめんね、……よくわかんなくて」
千陽ちゃんは元々お洒落に興味がない性質らしい。うーん、駄目だ、その気持ちが全くわからない。
私なりに満足する出来になった。一つ頷いて、相変わらず緊張した様子の千陽ちゃんに鏡を渡す。
「………………!!」
千陽ちゃんは目を見開いて、私を見て、鏡を見てまた私を見た。
「千陽ちゃんかわいー」
「あ、アキちゃん……っ、凄い手先器用だね……!」
そこかい。
私はずる、とずっこけるという昭和な反応をしてしまった。千陽ちゃんは見ていなかったようだ。危ない危ない。つい女子力が飛んでいってしまっていた。
「わー、すごーい、わー、どうなってるんだろう、わー、わー」
千陽ちゃんはずっとわーわーと鳴いていた。気に入ってくれたようで何よりだ。
「よし、じゃあとりあえず先輩のとこ行ってみよ!」
「え、ええええ!?い、いきなり!?」
「そりゃそうでしょぉ、先輩に見せるためにやったんでしょ?」
「そ、そうだけど……」
千陽ちゃんはわたわたしている。
まあ、でも、わかる。初めて挑戦する髪型とかは人に見せるのに躊躇するよね。それが好きな人なら尚更だ。
まあわかるからといって容赦はしないんですけども。
私はブレザーのポケットからさっと携帯を取り出すと、千陽ちゃんが止める隙を見せず電話をかける。
「あっ、せんぱぁい今暇ですか?暇ですよね?」
『なんだなんだ異様なウザさだな』
「そんなこと言って良いんですかぁ?今超絶可愛い千陽ちゃんがいるんですけど、見たくないんですか?」
『……どこだ』
「中庭で」
切れた。
相変わらず失礼な人だ。
ふと見ると、千陽ちゃんが不安そうにこちらを見ている。
「……アキちゃんって、先輩と仲良いよね」
「全く」
真顔で言ったら驚かれてしまった。やばい、キャラを取り繕うのを忘れていた。
「……まっさかあ!私が先輩と仲良いだなんてあり得ないよぉ!」
「そう……なの?」
「そうそう。私他に好きな人もいるしね」
「えっ……」
「ん?」
「そう……なんだ……」
何故か千陽ちゃんが落ち込んでしまった。反応がおかしくないか。ほっとするならまだしも何故そんなにがっかりするんだ。
「あ、あの……アキちゃん」
「千陽!」
何か言いかけた千陽ちゃんの声を遮るようにして、神谷先輩が現れた。……うわ、この人全速力で来たな。息切れ過ぎ必死過ぎ気持ち悪い。
「せんぱい……」
千陽ちゃんは呆然と先輩を見て、それからやっと自分の髪型を思い出したらしい。
「あっ、あの……これはその、アキちゃんにやって貰って……凄いですよね、アキちゃん凄い手先器用で!」
真っ赤になって先輩から目を逸らす千陽ちゃん。ここは、「どうですか?」って少し恥じらいつつ潤んだ瞳で見つめる所だろう千陽ちゃん。
……まぁ、先輩にはこういう素の反応が良いんだろうけど。
案の定、先輩はしばらく固まったように千陽ちゃんから目を逸らさなくなり、やがて真顔で私にサムズアップした。良かったですね、千陽ちゃんが可愛くて。
私もそろそろ馬に蹴られる前にお暇するかね。
「千陽……」
「あ、いたいた沙月さん」
ふひゅっ、と私は息を呑んだ。
いつものように穏やかな笑顔を浮かべたその人が、先輩の後方から姿を現す。
ど、どうして。
どうして狩屋君がここに!?
「……あれ、川津さんと……どちら様?」
うわー、狩屋君、何だか知らないけれど最悪のタイミングですよ、もう本当最悪だよ。しかもこの神谷先輩を知らないとは……やるな狩屋君。
先輩は、いざ口説こうという時に邪魔が入って、その上どうやら千陽ちゃんに用があると分かって一気に殺気立った。おい、狩屋君を睨むな、乱暴したらただじゃおかないからな。
「なんだ、お前こそ誰だ。千陽に何の用だ?」
「何のって……沙月さんに委員会のことで話があったので。あ、僕は狩屋修一です。川津さんと沙月さんとは同じクラスで沙月さんと同じ図書委員をしています。貴方は……三年生の方、ですか?」
狩屋君がとても丁寧な自己紹介をした。文句をつけられなくなった先輩は不機嫌そうにしながらも名乗った。
「……そうだ。神谷司。千陽は俺の……」
そこで、先輩は千陽ちゃんをちらりと見る。
「……俺はお前の何だ?千陽」
「へ!?え、と……せ、先輩?」
「それだけ?」
わざとらしく悲しそうな顔をする先輩に、千陽ちゃんは慌てて考え始める。段々赤くなってきた。先輩はにやにやしている。おい、狩屋君をダシにしていちゃつくな。
狩屋君はしばらくそれを見ていたが、やがて私の方を見て首を傾げた。
「川津さんはどういう知り合い?」
「え」
どういうって、千陽ちゃんを狩屋君に近づけないために先輩に協力してさっさと手篭めにして貰おうという……いやいや。色々と不味すぎる。単に先輩に協力してと言っても理由を聞かれると困るし、千陽ちゃんに協力してと言っても今までそこまで仲良くなかったのにどうしていきなりとなるだろう。
いや、今まで私が誰と仲が良かったかなんて、狩屋君は知らないか。
ああ駄目だ、卑屈になってる。卑屈は嫌いだ。周りを巻き込んでぶくぶくと沈んで行くから。
「友達の先輩かな」
「そうなんだ」
端的に話すと、狩屋君はそれ以上何も聞いて来なかった。その程度。私はその程度の存在でしかない。
「あの、先輩。とりあえず少し沙月さんと話しても良いですか」
「…………」
「あ、じゃ、じゃあ先輩、私話してきますね」
神谷先輩はじっとりと二人を睨んでいたが、やがて頷くと、私を顎で呼んだ。先輩は礼儀の本でも読んだ方が良いと思う。私はため息を吐いて二人に手を振ってから先輩についていった。
「なんですか」
「なんですか、じゃねぇよ。なんだアレは」
「人をアレ扱いするのはやめたほうが良いですよ。……なんだも何も、図書委員だって言ってたじゃないですか」
「図書委員の仕事はわざわざ二人きりにならないと出来ないのか」
「知りませんよ」
「何でお前がそんなに苛ついてんだ」
「さぁ」
今頃千陽ちゃんが狩屋君と楽しそうに話しているだろうからですけど何か。
もう面倒臭い。全て投げ捨てたい。キャラとか猫被りとか人間関係とか先輩と千陽ちゃんのこととか全部背負い投げして海の上に叩きつけて感情のままに狩屋君のところへ行きたい。
狩屋君、狩屋君は何を考えてるの?
何か話したいことがあったんじゃなかったの?
私はやっぱりクラスメイトでしかないの?単なるクラスメイトが倒れて、あんな顔するの?
わからない。わからないよ狩屋君。