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振り向くのは普通じゃない

 


 平凡。

 これほどに幸せな響きは無い。

 僕の持論ではあるが、世に言う理想というのは、すなわち普通であると思う。


 例えば、普通の高校生活というものを想像してみて欲しい。

 朝起きて顔を洗い歯を磨き、朝食を食べて登校する。授業を受けて、昼食を食べて友人と駄弁り、帰宅する。そして夕飯を食べて風呂に入り、眠る。

 しかしこの国の誰もが思い浮かべるそんなごく普通の生活を送れている人間がどれだけいるだろうか。


 まず朝起きる時点でつまずき、朝食を食べる間も無く登校し挙句遅刻するかもしれない。昼食を忘れるかもしれない。友人が居ないかもしれない。部活や宿題が長引き眠る時間が削られるかもしれない。昼夜が逆転した生活をしているかもしれない。

 そうした生活を送るとき、大抵人は思い浮かべる。失敗した。普通は友人がいるのに。普通は眠れるのに。普通とは反対の生活だ。

 なんにせよ、普通という全ての人に共通の基準があってこそ人々は普通でないと自分の生活を判断するのだ。そして大抵の場合、そこで思い浮かべる普通とは今の自分にとっての理想である。


 平々凡々な日々は何よりも僕の理想とするところであり、その意味では僕は理想が高いとも言えるだろう。

 それは他人への興味が薄く、加えてかなりの面倒臭がりな性格の僕が唯一突き詰めている理想だ。


 幸いにして僕は顔も声も背丈も至って普通である。得することは少ないけれど、かといって損することもない。

 昔は頭が良いと言われた事もあったが、出る杭は打たれる日本の文化に倣って見事に打たれ、現在では良くも悪くもない普通な位置にいる。

 勿論、成績が良いというのは社会に出る際に有利になるポイントであると思うので勉強は怠っていないが、実力を出し切る事に抵抗を感じてしまうのは僕の弱さの表れであると思う。

 目立つ事が苦手な僕は中学時代、控え目にし過ぎて悪目立ちし、虐められもした。虐めをやるような幼さに呆れ返りつつも自分を否定されるのはやはり堪えるもので、僕の理想へ突き進む考え方は加速した。

 その代わり、極端に普通を求め、かつ他人に興味が薄いという厄介な性格をそのまま理解してくれる得難い友人を得ることが出来たので、それはそれで良い経験だったとしておこう。

 そんな経験と考え方から理想の生活を送るよう邁進する中、僕にも彼女というものが出来たこともあった。

 いくら興味が薄いとはいえ、僕にもそれなりに異性への関心はあった。それに彼女がいるということは普通の範疇から外れない。

 だからこそ流れのまま交際するのにも抵抗を示さなかった。


 けれど結果的に言えばその判断は間違いだった。

 事ある毎にメールを送って来、関わって来ては生活リズムを崩される事に辟易した。

 当時の僕にとって彼女というものは面倒で面倒で仕方のない生き物だった。

 それが彼女にも伝わったのだろう。

 彼女は僕に別れを告げた。

 悲しくもなく、むしろすっきりとした気持ちだった僕は、けれどもとても申し訳なくなった。

 彼女に最後まで興味を持てなかった僕は、彼女の時間や心を浪費させてしまったのだ。

 だから、きっと平凡な僕に関わる酔狂な女性はこれで二度と現れないだろうと思いつつも、次があるのであれば決して無闇に付き合わないようにしようと決意した。

 お互いにとってなんの利益にもならないからだ。


 そうして現在の高校に入学した。

 高校に入る際には流石に普通だなんだと言うわけにもいかず、学力はそこそこ高い所に入った。

 学力が高いと校則も厳しいかと思ったが、むしろ緩いぐらいで少し意外だった他は何の問題もなく日々を過ごした。

 僕は初めのうちに努力すれば後の面倒が少ないと、徹底して周りを観察した。

 お陰で、普通でかつ気の良さそうな丁度良い友人を勝ち取り、穏やかな生活が送れるだろうと胸を撫で下ろした。基本的に誰にでも柔らかく接するようにしているが、好かれるべき友人以外には特別親切にするわけでもない。本当に普通な態度で生きている。


 しかし何を間違えたのだろうか。

 いまだにわからない。

 クラスでも目立つ、いわば普通と掛け離れた女の子、川津アキに。

 気のせいで無ければ目をつけられている。


 川津アキは可愛らしい女の子だ。

 よく気が利いて優しく、制服をお洒落に着こなし、少し運動が出来ず天然な所もむしろプラスポイントだろう。

 ……まあ、どう考えても作っているのだが。


 周りから好かれる為にたゆまぬ努力を続ける彼女は僕と対極で、僕は理解できないながらも、そのひたむきさにむしろ羨望すら感じる。

 周りから押し付けられる理想を演じて、本心を隠してなおも演じる。少しでも期待に添えなければ直ぐに崩れるだろう事は分かりきっているのに、だ。

 その、薄氷の張った小さな湖の上で軽やかに踊るような危うい美しさに、自然と興味を引かれた。

 もし僕がその薄氷を踏み抜いたら。崩れ落ちる足場を前に彼女は何を思うのか。どんな表情を浮かべるのか。らしくない、理想と掛け離れた想像に自嘲しては元の生活に目を向けることの繰り返し。

 平凡な僕は、平凡な生活を目指すべき僕は非凡な彼女に手を伸ばすべきではない。

 分かりきっている事だった。

 そもそも彼女が僕に求める感情を与えられるわけでも無いのだから、付かず離れずのこの距離がお互いにとって丁度いい。

 彼女が何を思って僕に近づいているのか。

 本当に好意を抱いているならば趣味が悪いとしか言えないが、単なる暇潰しならばやがて飽きるだろう。

 そうして数ヶ月が過ぎた。


「狩屋くん!」

 媚びるような甘い声が、今日も飽きもせず僕に向けられる。


「ん?」

 いつもの通りなんの面白みもない平凡な反応で振り返る。


「おはよう!」

 少しはにかんだ笑顔を取り繕いながらも、嬉しくてたまらないといったように好意を全面に押し出した挨拶が飛び込んでくる。



「ああ、川津さん。おはよう」

 僕は自然と顔が緩むのを感じながら、至って普通の挨拶を返す。


 恐らく彼女の中で一番良い笑顔と仕草で挨拶したのだろう。僕の反応に少し不満げに表情が曇ったのを見逃さなかった。

 さらに口元が緩むのが止まらない。


「今日も元気だねぇ」

 いつもいつも、どうしたらそこまで他人のために自分を演じきれるのか。どこからその気力が出てくるのか。

 僕の意識を自分に向けようと必死な様子に、心のどこかが柔らかくゆるむ。


 途端、きゅ、と小さく口をひき結んで胸を抑える彼女。

 悔しげな表情が困ったように変わり、少々耳が赤くなっている。


 何の変哲も無い笑顔にここまで動揺するなんて、本当に彼女は変わってるとしみじみ思う。

 けれどそんな反応が楽しくて、世の顔が良いと評される連中はこんな反応を毎回見ているのかと思うと少し羨ましくなる。彼女は特別地味な人間が好きなわけでもないらしく、むしろ顔が良い人間にはある程度の興味を持っているようで――益々僕に興味を持つ理由が分からないのだが――もし、僕にその顔が備わっていたら一体どんな反応をするのだろうかとつい想像してしまう。

 こんな、普通とはかけ離れた想像をする自分を中学時代の友人が知ったら、きっと驚愕に目を見開くだろうとそれはそれで楽しい。


 そう、美少女に好意を向けられるなどという全く普通ではない日常を送っているのに、僕はそんな日々を中々に楽しんでいるのだった。


―――



 普通を好むと言っても、毎日全く同じ生活の繰り返しで飽きないわけでもない。

 僕は何となく最寄駅より前で電車を降りた。

 駅の前に大きめの百貨店を見つけて、ふらりとそこへ寄る。

 頭の片隅で、ふとこの駅が彼女の最寄駅だったことを思い出す。

 もしかしたら会うかもしれないなとも思いつつ、ふらふらと商品を眺めて回る。

 順番にフロアを回って、食事スペースに着いた時。


 僕は目を疑った。


 いつもより数段気の抜けた格好をした彼女が、新聞を真剣に読み込んでいたのだ。


 思わず何度か見直したが、彼女が消える気配は無い。幻では無いらしい。


(いつも気を張って疲れないのかと思っていたけど……なるほど、こうやって息抜きしてるのか)


 恐らく一番見られたくない姿だろうけれど。


 僕は好奇心に負けて声をかけた。


「あれ、川津さん?」


 ぎくり、と彼女の肩が跳ねる。

 現実を受け入れたくないのか、顔を上げない彼女に駄目押しでもう一度声をかける。


「川津さん……だよね?」


 新聞を掴む細い指に一度ぎゅっと力が入り、やがて諦めたのか川津さんは顔を上げた。


「えっと……?」


 ……どうやら諦めていなかったらしい。

 彼女は困ったように眉を下げ、戸惑った声を出す。


「あの……多分、人違いだと……」

 少し首を傾けた仕草は自然で、流石普段から演技をしているだけある。

 直前までの細かな反応を見ていなければ、僕も騙されていただろう。

 僕は少し面白くなって、彼女の演技に乗ることにした。



「あ……す、すみません。クラスメイトに似ていたもので……」

 ごまかし笑いを浮かべながら言い訳じみた台詞を吐く。

 彼女程上手い演技が出来る自信は無いけれど、どうだろうか。


 見ると、彼女は視線を泳がせている。微かに耳が赤く染まっているところを見ると、どうやら上手くいったらしい。


 それにしても川津さんはどうしてこんなに僕の笑顔に弱いのだろうか。

 例えば僕のブロマイドが無料で配られるとして、路上で配られるポケットティッシュ以上に誰も進んで受け取らなさそうなそれを、彼女ならば寧ろ買ってしまうのではと思うのはあながち自惚れでもないと思う。

 そのうち人畜無害そうな顔をした詐欺師に騙されてしまうのではないかと心配になるが、彼女は僕以外に対しては賢いし御し易いわけでもないのでそれは無いかと考えを改める。

 何故僕にだけはこうもちょろ……反応が素直なのか。やはり深い謎だ。


「あ、そうなんですね。そんなに似てました?」


 彼女は軽く目を瞬かせる。

 声色は完璧に取り繕えているが、やはり冷静では無いらしい。一刻も早く追い払うべき僕に話題を振ってしまう。

 もしかするとここが地元な事と、気楽な格好のせいで気が緩んでいるのかもしれない。


「はい。凄く似てます……あ、写真ありますよ。見ます?」

 途中で気づいて携帯を取り出す。

 彼女と毎日必ず挨拶をしている事で友人が妙に勘ぐり、なにかと僕と彼女をくっつけようとしてくる。その一環で、何度消そうが気付けば僕の携帯で勝手に写真を撮って待ち受けにしようとしてくるのだ。

 隠し撮りを待ち受けになど、僕と彼女の容姿を合わせても犯罪臭しかしないので本当にやめて欲しいが、彼のしつこさに負けて最近では画像フォルダに彼女の写真が増え続けている。


「え」

 彼女の瞳が輝いた。


 それで良いのかと思わないでもないが、どうやら僕が彼女の写真を持っているのが嬉しいらしい。

 友人の撮ったものだという説明をすると、あからさまにがっかりしたように目を伏せる。

 いつもより反応がさらに素直で、やはり気が緩んでしまっているのだろうと思う。


 はい、と見せると、彼女は写真を覗き込む。


「ええ、すごい可愛い子ですね!私なんかと似てるなんて失礼ですよ」


 ナチュラルに自画自賛と卑屈を同時に混ぜ込む彼女に、思わず吹き出しそうになるのを堪えた。

 いつでも自信を隠し持っていたように見えた彼女だが、その実、気を張っていない普段の姿には自信を持てないらしい。


(別に、お洒落とかしないままでも……)

 確かに髪は所々跳ねているし、違和感のない程度にしていた化粧もしていないみたいだし、服装も地味といえば地味だ。


 けれど、と思う。

 じっと覗き込む僕に彼女が少し顔を引いた。


「あなたも『すごい可愛い』と思いますよ」


 こんな事を初対面の人間に言えば、ほぼ間違いなく引かれるだろう。

 世に言うイケメンという部類に属する顔ならばまた変わるかもしれないが、残念ながら僕の顔はそれにかすりもしない。

 けれど、相手が初対面でもなく、何故か僕を気に入っているらしい川津さんとなれば話は別だ。

 物の見事に爆発……もとい赤面した川津さんの口数が急に増えた。


「おおおお上手ですねぇ!いやー何だか照れちゃうな!あははは!こんなお洒落のおの字も無いような地味女子にそんな事言う人滅多にいませんよ!優しいですね!」


 それを言うならこんな地味男子相手に赤面するような人も滅多に居ないのだが……まぁそれはそれとして。


(なんというか……楽しくなってきた)


 別に嘘をついた訳でもなく本心からの言葉なのだが、僕の言葉一つに慌てる彼女がなんだか楽しい。

 今の彼女は媚びるような仕草もなく、ほぼ素に近いのではないかと思う。

 割らずとも自然に剥がれていく薄氷の下を、もっと見たくてたまらない。


 モテるモテないの話をすると、反対に探りを入れてきた。

 川津さんには僕がどう見えているのだろう。どう考えても彼女なんて居ないに決まっている。


 話を半ば強引に進め、次も会う約束を取り付けた僕は、いつもより上機嫌で家へと帰ったのだった。







この後彼は物凄く後悔するし色々と振り回されます。

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