0.はじめに
念願の長編デス。ほとんど見切り発車なので、まとまりのなさや誤字脱字もあるとは思いマスガ、少しずつ修正して完結まで頑張ろうと思いマス。お暇でしたら読んでやってクダサイ…。
まず、今から始まるこの小説(のようなもの)が幾分断片的であることを考慮して欲しい。
これは思い出のようなものであって、そうでもない。ずいぶん昔のことのようであって、そうでもない。いつまでも色あせることなく鮮明であって、そうでもない。このようなどっちつかずな表現が稚拙で主観的でありながらも本質的には的を得ているようで、そうでもない。
こんな言い方は本来、表現とは言わないのだろう。
しかしながらこれをそう表現する外ないのは、僕自身の正直なありのままの表現の仕方であり、僕自身の表現の限界でもあるからだ。
ただ、この小説(のようなもの)が断片的であるのは事実、僕の目の前に現れるそれはいつも決まって断片的だからだ。そんな不完全なものであっても表現しなければならないのは、それを持ってしか存在していくことができない何かが僕の中に存在しているからだ。
だから今、僕は君に語ろうと思う。
○
さて、僕はまず君に何から話せばいいのだろうか。
本当にどうでもいいことなんて僕の周りにはいくらでもあって、どうでもいいと思わなければ耐えられないことはいつも僕の頭の中に存在している。
不愉快なのはそういったものはいつも唐突にやってきて、僕には何一つ選べないことだ。
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後悔は先にたたないというように、振り返ればいつもいつの時も後悔ばかりが思い出される。そして時は僕の目を盗んで瞬く間に現在を過去へと変えてゆく。
ふと気がつけば塵のような思い出が生きてきたぶんだけただただ積み重なっている。
楽しかった思い出や記憶はそうではない現状を否応無く認識させるし、嫌な思い出はいつまでたっても嫌な思い出のままだ。今から遠ければ遠い出来事ほどそういった記憶はひどく曖昧で、幼なかった頃の思い出なんて嫌な思い出しか残ってはいない。
だから振り返る自分の過去はいつもずっと不幸だった。
○
例えば、いつか昔の若く青い春のこと。
大人になることは自分の行動や発言に責任を持つことだと思っていた。だから自分自身では責任を負えないようなことはすべきではない、そうも思っていた。それでも実際、一般に成人といわれる二十歳を迎えてからも、責任を持って行動や発言をしている人間に僕は出会ったことがない。そして誰に対しても何も言い返すことができず自分の意思で行動することができないような気弱な人たちに対しては、諮ったように色んな物を押し付けて僕らは日々を生きている。この世界というのは単に子供の世界であることに気づいたのはつい最近のことだ。
○
この歳になるまで僕は実に多くのものを失い、その結果というかその結果の代償によって僅かばかりの教訓と自己発見を得た。
その一つとして、世の理は等価交換であって何かをひとつ得るためには何かをひとつ失わなくてはならない。だからまず、何かを得るためには何かを先に払わねばならない。
これがその中のひとつ。
僕は今よりもずっと若い頃に自分の手の中に持てるだけの物をできる限り持っていようと思っていた。
紆余曲折、悪戦苦闘、七転八倒した挙句、結局はその持っているものの重さに耐えかねてすべてを落としてしまった。そしてその得ようとしたもののつけを今も払い続けている。
僕がこの世界で知ることのできたものは失ったものが自分にとってどれほど大切であったのかという喪失感と、何よりそれらがもう二度と手に入らないことへの消えることない痛み。この二つは互いに複雑に絡み合っていて、体内に双子を孕んだかの様に僕の中で大きく育っていくことになる。
ともかく、僕は大概の人たちがそうであるように欲しいと叫ぶことで少しずつ自分自身を知り、手にしたものを失うことでこの世界を知っていった。
○
ここでより深く自分を振り返る。
僕はごくごく普通の家に生まれた。父、母そして姉の4人家族。それ以上でもそれ以下でもないどこにでもあるありふれ過ぎた家族構成の中にあった。
で、あるのにその中にあって僕は幼少時代に酷く体が弱く、よく病気にかかる子供だった。
はしか、肺炎、とびひ、水疱瘡、りんご病といった子供がよくかかるといわれるような病気は片っ端からかかっていった。ひどい時には何をしていてもどこにいても頭は熱っぽくそこからくる体のだるさで意識はいつもぼうっとしていた。この頃に熱が四十度以上出ると気を失ってしまうことも知った。当然学校も休みがちになり自分の家にいることが多く、非社会的で内向的にならざるを得ない状況下で育った僕は、ひどく人見知りな子供だった。
総じてみると僕の少年時代は何度かの死にかけるほどの病気に見舞われることと、気弱な自分への屈辱感との内に過ぎていったように思う。
それでも僕は必死に生きていた。
それは決して生きることの意味を知るとか、生きる素晴らしさなんかを知ったわけでなく、病床の淵にあって死ぬことの恐怖を嫌というほど知ったからだった。当時、死ぬことから逃げることが僕の生きる意味だった。ただ自分が死んでしまうのではないかという恐怖に対して、日々苦しめてくる病気には何の救いも無く慈悲も無かった。頭痛、喉の膜を傷つけ血が出るほど止まらぬ咳、吐き気、目の前がちかちかと火花が散っているように見え出すほどの高熱など痛みを伴う苦しみの種類には事欠かなかった。
病気による脆弱な体力がさらに低下することをカバーするために毎日病院へ通い点滴を打ってもらいに行くのだけれど、針の打ちすぎた左腕は真っ青になり、その腫れた腕からでは血管を視認できず、右腕からも点滴するようになった。その腕の青さは体調が回復し学校に行けるようになってもしばらくは残っていて、クラスの生徒にも随分と変な目で見られることが度々あった。
小学校5年の頃、そんな僕をみかねた両親の誘いで体を強くするために水泳を習うことになった。学校にあまり行くことが出来なかったせいもあり、あまりに泳ぎが得意でなかった僕はスイミングスクールの先生の泳ぎを見たところの判断で一番初級の小さな子供たちと同じように浮き輪のようなものをつけさせられて泳がされた。それは僕にとって屈辱的なものだった。キャッキャ、と騒ぎながら楽しそうにバチャバチャ泳ぐ子供たちの脇で僕は自分の情けなさに打ち震える日々が続いた。
この屈辱の日々を抜け出すために僕は出来るだけ早く上のクラスに行くことだけを考え出した。毎週必死で泳ぎ、その技術を先生に認めさせ、昇級試験を受ける。そこで泳ぎのフォームやタイムを計測され合格すれば次のクラスに上がれるのだ。もちろん、不合格ならまた同じクラスで先生が昇級試験に受かるだろうと判断するまで泳がなくてはいけない。僕は一度として試験に落ちることなくそれに合格し続け、順調に上のクラスへと進んでいった。泳ぐというハードな全身運動とそれに伴う心肺機能の向上はゆっくりとしかし確実に僕の体を作り変えつつあった。そして一年ほど通った頃、気がつけば僕は病弱な時代をなんとか泳ぎきっていた。
ただ、中学に上がるときに水泳はきっぱりとやめた。何かを目指したわけじゃないし、その時は泳ぐことが好きか嫌いかなんて考えもしなかったからだ。
そこで何かが劇的に変化が起こったわけではない。
僕自身が人並みになったのは、あくまでも水泳によって得られた以前の自分と比べれば幾分マシになった肉体的健康だけなのだ。
僕のそれからは自分を他の人となんら変わりない人間であることを人に見せるための行動だけで過ぎていった。それは行うには至極大変でありながら、他人からすれば何の意味も持たない作業だった。誰にも知られることなく僕は僕なりに必死に一生懸命に頑張っていた。ただそれは一度として報われることはなかったけれど。
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人と同じように生きていたって誰も褒めてはくれないのだ。
○
その頃はただいつも人と違うことを酷く恐れていた。他人と同じようなものを見て、他人と同じ様なものを感じ同じ様なものを好きになる。気になるのは自分がどうしたいかでなく自分が人にどうみられているか、そんな意味も無い愚直な行動をこの頃の僕は望んで行っていたように思う。
いつの間にか僕はその行為に自信を抱いていた。自分は昔の自分ではないと。
それでもある時、この社会と接している自分はただのはりぼてで相変わらず弱い心と体を持った泣いている子供のままだったと気付いてしまった時、僕はなによりもまず耳と目を塞ぎ貝のように口を閉じて、誰もいない静かな海の底で生きてゆくことだけを望んだ。ただそのような生き方が現実問題としてできるはずもなく、それまでと同じような作り上げた自分を演じ続ける他はなかった。
そんな僕が人並みに生きている、いや生きているように見えることは奇蹟に近いことだったと思っている。
ただそれにはひとつの部屋とひとつの存在が必要だった。
ひとつの部屋、それは今までに生きていた人生の主役、弱く脆い自分という存在を閉じ込めて二度と他人の目に触れないようにしておくための部屋。そしてひとつの存在、それは閉じ込めた自分の代わりとなってこの世界の中で生きていかなくてはいけない存在、それが必要だった。
時が経つにつれ僕は本当に違う僕になっていった。ありふれた感情の揺らぎさえ自分の中では起こらなくなった。そのせいで人のいる前では、笑うフリ、起こるフリといった誰もがそうするだろう、という前提のもと僕は僕を演じた。その副作用として独りになるとより無気力無感動になっていった。
そんな自分をおかしいと思い始めた頃、僕は高校を卒業した。
そして僕は自分の住んできた町を出た。
決して逃げ出したわけではないけれど、誰も知る人のいない世界に僕が住んでいることは、ある意味で素晴らしいことだった。
新しい生活、新しい関係、新しい自分、そういったものを僕は作り上げられるだろうと思いこんでいた。ある意味でごく一般的な期待感と不安の入り混じった新生活、そんな大学生活の始まりだった。
それでもやはり、そこから始まることが僕にとって思い道理には到底ならないことであることに気づくのはそう長くはかからなかった。
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結果として自分という内側から見れば結局どこへいっても僕は僕だった。
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この世界に生きている限り抗うことのできない力はどこにでも存在している。自分の存在を安定させることのみを望んでいたせいで、殴ることはもとより憎むべき対象さえも僕には見つけられなかった。
でも、僕は生きた。自分のできる限り。
先ほども言ったけれど、人に弱さを悟られぬように一生懸命生きていた。僕の不安定な心の水面に波を出来るだけたてないように静かに少しずつ自分を新しい世界へと馴染ませていった。
そしてその世界で僕は幾人かの忘れることのできない人々に出会い、そしてその人たちの全てを僕の先の人生からは完全に失ってしまった。
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その中の一人に出合ったときのことについて君に話そう。
完読感謝。つづく。