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拝啓、雇い主様  作者: 珠澤瑪瑙
01.カムイカラ
3/16

救助 (1)

地面が、揺れている。


己の意識がついに砂漠で途切れた後、次に男が認識したのは、そんな現状だった。


地震の揺れではない。

ゆるやかに上下するような感覚は、どこかで感じたことがあるような、ないような。

否、確実にあるが、何だかが思い出せない。


やがてもう少し頭がはっきりしてくると、すぐに別のことにも気付く。


揺れているのは、地面ではない。

手や顔が触れている感触は、釉薬の掛けられていない、素焼きの陶器のようなざらりとしたもの。

揺れているのはその陶器のような何かで、男はその上に居るらしい。


ゆっくりと目を開けると、濃紺の夜空とその上にこれでもかと光る点の散りばめられた満点の星空が視界いっぱいに飛び込んで来た。

束の間、その圧倒的な星空に意識を奪われる。


月はない。

ただただ大小様々な星が、空を席巻している。

同じように見えてその実細かく異なる色彩を放つ点が、所々密集し、かと思えば連なり、僅かな隙間を演出し、濃紺を彩っていた。


「……起きたか」


はっと、星空に魅入られていた男の意識が、耳に届いたその言葉で我に返る。

先に離れた意識を追うように視線も星空から離し、仰向けに寝かされていた体勢をゆっくりと起こした。


声の先。

上半身を起こした男の目に映ったのは、1人の人間と、陶器で作られたゴンドラのような器の縁だった。


ゆらゆらと上下に揺れるその縁とゴンドラのような形状に、男は「ああ」と声を漏らした。


「そうかこの揺れ、船か」


目が覚めた時から感じていた、覚えはあるが何か思い至らなかった揺れの正体を突き止めて、男はすっきりしたようにそう呟く。

しかし呟いてから、はてと首を傾げた。


確か自分は、砂漠で行き倒れたのではなかったか。


普通、船が走るのは水の上である。

あの乾いた砂漠に、船が走るほどの大量の水があるとは思えない。

案の定、と言おうかなんと言おうか、自分も乗っているゴンドラ風陶器の下を見れば、あるのはばっちり見覚えのある、一面の砂。

ゴンドラ風陶器はまるで砂を水のように掻き分けて、滑らかに砂漠を進んでいた。


男は自分に声をかけてきた人間に目を向けて、とりあえず軽く頭を下げる。


「ええと、助けてくれて有難う?」


この台詞に、言われた人間――見た目からして、こちらも男のようだ――が、僅かに眉を顰める。

恐らく、男の言葉の最後が疑問形になっていたことが原因だろう。

礼を言われているのか余計なことをと言われているのか、正直よくわからない。

だから彼は、疑問をそのまま口にした。


「助けない方が良かったか」


問われた行き倒れの男は即座に首を振った。

にへら、と、締りのない笑みが男の顔に浮かぶ。


「ううん、や、御免なさい。あなたが助けてくれたのかどうかがわからなかっただけ」

「どう言う意味だか分からないが……一応、助けたつもりだ」

「うん。改めて、助けてくれて有難う。危うく死ぬところだったよ。何かお礼出来たらいいんだけど……」


笑うとどこか幼く感じられる男は、そこまで言って少し困ったような表情になった。


「御免、渡せるものが何もないんだよね」


申し訳なさそうに苦笑した男に対して、言われた方は特に表立った反応はせず、静かに目を細めた。


「構わない。別に見返りを求めて助けたわけではない」

「そうなんだ?でも、だからってそれじゃあ何もなし、って言うのは俺の気が済まないし」

「気にするな。遭難者に出会ったら救助するのは当然だ」

「いやいや。命の恩人だよ?気にするって。無理」


助けられた男と、助けた男。

2人の間で、少しの間沈黙が流れる。


沈黙の中、2人の男はそれぞれ目の前の相手を観察していた。


助けられたのは若い男。

年齢は定かではないが中年とまでは行かず、また未成年ではないだろうと思われる。

髪も瞳も黒で、白に微かに黄色が混ざったようなクリーム色の肌をしている。

先ほど自己申告があった通り荷物や持ち物の類は何もないし、この辺りではまず見ないような奇妙な風体をしていた。

近辺に住む住人たちの風習と異なり、髪も短い。

如何に日差しに慣れていないかを証明するように、手や首、顔など、肌が露出していた部分は日焼けで赤くなっている。

顔立ちは整っている方だろう。少しだけ垂れ目がちの瞳のためか、全体的に優しげで柔らかい印象を受ける顔立ちだった。


助けたのも若い男だ。

ただしこちらは大人というには早すぎるが、子供と断言するには躊躇する年齢に見える、青年。

髪は小麦のような薄い金色で、瞳は鮮やかに赤い。肌色は褐色。

彼の背後には水や食糧などの荷物も積まれ、手には船を進めるための櫂が握られている。

服装も緩めに纏められた長い髪も、この辺りでは珍しくもないよく見るものである。

唯一珍しいと言えるのは、耳に付けられた装飾品くらいだろう。生身にわざと穴をあけて通す耳飾りなど、決して一般的なものではない。

冷徹さすら感じられそうな冷たい印象の容貌は、1度見れば忘れないだろう程に整っている。


沈黙を破ったのは、黒髪黒目の、見るからに異邦人である男の方だった。


「うん、よし。あのさ、何か困ってることとか、して欲しいこととかないかな?」


朗らかに尋ねる男は、最初よりも明らかに警戒心が薄い。

どうやら間違いなく自分を助けてくれたらしいこと、自分より年下であることなどを観察して、助けた男を信用したようだった。

甘いと言うべきか人懐っこいと言うべきか、少し悩むところである。


問われた男――青年は、男の問いに答えることなく、別の問いを返した。


「あったとして、どうする。お前に頼めと?」


青年を信用したらしい男と違い、助けた方である青年はそれほど男を信用してはいないらしい。

友好感が欠片も感じられない眼差しで男を見ながら言った青年に、けれど男は特に堪えた様子もなく頷く。


「うん、お礼に出せるのは労働力くらいでね」


青年は無表情のまま、迷わず切り捨てた。


「不要だ」


しかしやはり、男はめげなかった。


「そう言わずに」


まるで押し売りのように、頑として引かない。

青年の氷雪のように冷たい視線にも、へらりとした笑みは些かも揺らがなかった。


「自分で言うのもなんだけど、俺は結構役に立つよ」

「手は足りている」

「人手があって困ることはそうないと思うんだよね、お礼だからタダだし」

「人1人の衣食住は無料ではないぞ」

「助けてくれたんでしょ?人の居住区まで連れてって貰えれば、その後は自分でどうにでもするよ。養ってとは言わない」

「信用出来ない」

「それはこれからの課題かなー。切って捨てるには早すぎだよ」


短く、しかしキッパリと拒否を続ける青年と、どれくらいやり取りを続けただろうか。

やがて青年の目がついと細められ、小さな溜息と共に決着が着く。


「……わかった。何かやらせることを考えてやる」


男が嬉しそうに笑った。

よっしゃ、と、小さくガッツポーズを取りすらした。

青年が、表情はほとんど変わらないものの、不機嫌そうな声色でぽつりと言う。


「……その笑顔が苛つく」

「え。いやそれは心狭すぎでしょちょっと」


――そんな風にして、男と青年は出会ったのだった。


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