シーン4「発車! 空転注意!」
シーン4「発車! 空転注意!」
ズゥン!
地面を揺るがす足音を上げながら、山のような巨人が迫っていた。バキバキバキと木々がへし折られる音も響いてくる。
巨人は、女神復活を阻止しようとする邪神の尖兵だ。この貨物列車を狙っている。
そんな状況で、連結してある貨車のブレーキがようやく緩み――
僕は機関車を起動させたのだった。
カチッ。
マスコンを1ノッチの投入すると、機関車にある六個の大型モーターが唸りを上げた。貨車が引っ張られ、ガコン、と背後の連結部からの音も響く。ガコン、ガコン、と続けてそれぞれの連結部が伸びていく音が連なる。
運転席に座る僕の後ろで、銀髪ツインテールの巫女――ファナが息を呑んだ。
「あ、動いて……動きましたよ! 救世主さまっ」
「うん」
興奮したファナの声に、僕は油断なく計器に目を光らせながらうなずいた。
焦りは禁物だった。落ち着いて操縦に専念しなければ。
なに、いつもやっていることを、いつも通りにやるだけである。
見ているのは、モーターに流れる電流の表示だ。針で示すアナログな電流計と、モニターに映るグラフ+数値で表示されている。このモニターだが、表示は詳しいが、たまにモニター自体が故障して映らなくなる場合があるので、過信は禁物だったりする。
速度が徐々に上がってくるに従って、電流は落ちてきた。
「ま、まだですか、救世主さま。まだゆっくりですよ」
「焦らないで。だいじょうぶ。ほら、この針がここまで来たら……」
僕はマスコンを2ノッチに投入した。すると落ちていた電流が再び300A付近を示し、モーターが再び唸りを上げる。
「わあ! 元気になりました!」
「マスコンを投入したからね」
マスコンというのは、簡単に言えば、モーターに流す電流を調節するものである。
自動車でたとえるとアクセルだ。
電流が強ければ、モーターの回転する力は強くなる。
しかし、焦っていきなり大きな電流をかけてしまえば、動輪が空回りしてしまう。
空転だ。
空回りしているのだから当然だけど、そうなるとレールから力を得られない。モーターにも多大な負荷をかけてしまい故障の原因にもなる。
速度の低い起動直後は、とくに空転しやすいので、注意が必要だった。
ズゥン!
足音。また一歩、巨人が近づいてきた。
巨人の動きは緩慢だ。
でかい体を動かすのは大変だからだろう。
おかげで助かっているが――巨体で大変なのはこちらも同じだった。
この列車は24両の貨車を連結している。
全体で、1000t以上の重量がある。
それだけの重量を、1両の機関車。6つのモーターだけで引っ張らなければならない。
すぐに止まれないのと同様に、すぐに速度を上げることもできなかった。
僕は足下のペダルを踏んだ。
しゃー!
という音が、開けた窓の下から聞こえてくる。
「ふわ!? ななな、なんですか!? しゃー?」
びくっとファナが驚いていた。
運転席の背もたれに、しがみついてくる。怯えた猫みたいだった。
いいリアクションだなぁ……
危機的状況にあっても、和んだ気持ちになれた。
「砂を撒いてるんだ」
「ほぇ……砂、ですか?」
「滑り止めにね」
機関車の動輪の手前には、細かい砂を撒けるよう管が伸びている。
雨の日や、落ち葉の季節は、レールに水分が付着して滑りやすくなってしまう。
砂を撒くことで、滑り止めにするわけだ。
……うん。ほんと雨の日はやなんだ……大雨のときより小雨のときのほうが滑りやすいんだよなあ……
お客さまを乗せる旅客電車にはこの『砂管』はついていない。貨物に比べて重量がなく、滅多に空転しないからだ。
空転は、貨物列車ならではの悩みだろう。
ひどいときには、空転のせいで山の勾配を登れなくなる……なんてこともあるのだ。
空転こわい!
ともあれ、空転させずにいかに速度を向上させるか。
貨物列車運転士としての腕の見せ所である。
しゃー! しゃー! しゃー!
僕は撒砂ペダルを断続的に、踏んだ。
続けて踏むより、断続的に踏んだほうが効果がある。
カチッ、カチッ、とマスコンも進めていく。
3ノッチ、4ノッチ、5ノッチ……8ノッチ。
ここまでノッチを進めると、速度はだいたい35km/hになっている。
僕はおそるおそる、窓から顔を出して後方を確認した。
「っ!」
巨人が腕を振り上げていた。
空にある雲を、掴まんばかりだった。
大きな陰が大地に落ちている。
やばい!
貨車の1両は、約20m。
24両を繋いだ列車は、機関車自身を含めて、全長は500mだ。
巨人の位置は、500メートル後方にあった。
つまり、列車の最後部に手が届く範囲に迫っていて――
巨人が、のっそりとした動作で、腕を振り下ろした。
「くっ、頼む!」
僕はノッチを、一段飛ばしで進めた。
速度が上がってきたおかげで、空転の危険は減っている。
モーターが一際高い唸りを上げる。
ぐっと列車が加速し――
巨人の拳をかわした。
打ち下ろされた拳は大地を爆発させた。
「ぐっ」
「ひゃああああ!」
強い振動が列車を襲った。
揺られながら、その衝撃で脱線しないかを祈るばかりだった。
振動が収まると……
脱線することもなく、列車は走り続けていた。
助かっ……た?
体感にも計器にも異常は見られない。
僕は額に滲んでいた汗をぬぐった。
「救世主さまーっ」
「ふぁっ」
横からファナが抱きついてきた。
顔に! 顔に胸があたってるぅ!? ちょ、ちょ、なんだこれ! なにこれー!?
ファナは胸に布を巻いただけの格好だ。
何度も押しつけられて、その布、ずれてきているような……
はっ。
い、いけない。
僕には刺激が強すぎる。意識を保っていられる自信がなかった。見たいか見たくないかといわれれば見たいに決まっている。
でも、ここで意識を失うわけにはいかないのだ。
運転中だからというのももちろんだけど、もっと重大な理由があった。
僕はそっとファナの肩を押した。
紳士として当然のことです……
「やったぁ! やりましたねっ。あとはもうこのまま女神さまを祭壇までお運びするだけですよぅ!」
「……そうできればいいんだけど」
「ふぇ? どうしたんですか?」
「問題があるんだ……」
ちらりとうかがう。
ファナは間近で、つぶらな青い目をキョトンとさせていた。
彼女の純真な瞳にはこちらへの強い信頼がうかがえて、とても嬉しくはあるが――
そう。問題があった。
次の曲線の制限って、いくつだろ……
考えるだけで、胃のあたりがきゅっとなる。
ひとまず巨人の危機は脱したものの、速度オーバーというさらなる危機が迫っていた。
次回更新は明日(9月14日)の夜頃を予定しています。
※本文中。変なところに改行が入っていたので修正しました。