シーン3「巨人襲来! ゆるめ、ブレーキ!」
ちなみにこの機関車ですが、EF210という電気機関車を想定しています。「桃太郎」という愛称がついてたりしますね。
シーン3「巨人襲来! ゆるめ、ブレーキ!」
「巨人……?」
山が爆発した。
その際に巻き上げられた土煙の中から、ソイツは現れた。
比喩ではなく、山のように大きな体をしている。
でっぷりと太ったシルエット。
首の肉に埋もれるようにして、三角形の頭が乗っていた。
目玉がひとつしかない。
でっかい目玉が顔の半分の面積を占めていた。
ぎょろり、と下に向かって動いた目玉が、呆然としている僕を映し――
「――救世主さまっ」
はっ、とその声で我に返った。
「逃げましょう!」
「う、うん」
ファナの言葉になんとかうなずきを返し、僕は窓から顔を引っ込めた。
レバーを引いて、ブレーキを緩めようとする。
だが……
――まずい! 非常位置にしたままだった!
非常ブレーキを使ったまま、レバーを元に戻していなかった。
貨物列車のブレーキは、圧縮空気を使った空制ブレーキといわれるものだ。
ブレーキ官――ホースを通して圧縮空気を送り込むことで、ブレーキを緩める仕組みになっている。
貨車が分離するなどして繋いでいたホースが切れると、自動で非常ブレーキがかかるわけだ。
そして今の状況だが……非常ブレーキを使った後で、圧縮空気がブレーキ官にまったくこもっていない。
ブレーキを緩めるのに時間がかかる状態だ。
「救世主さまっ、早く動かないとぺちゃんこに……っ」
「わ、わかってる」
大きな目玉と目が合ったときに確信があった。
理由はわからないが、ヤツはこちらを狙っている。
だから逃げなければならない。
本能が叫んでいた。
しかし、どうにもならないのだ。
貨車のブレーキの緩んでない状態で無理に引っ張って、どうにかなるものではない。
今も空気を込めるため、コンプレッサー(空気圧縮機)がボボボボボボと全力で稼働している。それでも完全に空気がこもって、ブレーキが緩むまで、1分はかかるだろう。
ズゥン!
また地響きがした。巨人が一歩を踏み出した音に違いなかった。
――こうなったら仕方ない!
「待ってて。後ろの貨車を切り離してくる!」
「え? うしろを……ですか?」
後ろの貨車を切り離して、単機になれば、即座に発車することが可能だ。
機関車のブレーキだけならば、すぐに緩めることができる。
僕は運転席を離れ、連結器を切り離すべく外に出ようとした。
「だ、だめーっ!」
「うわわっ!? な、なに!?」
「だめなんですーっ」
ファナが抱きついてきた。
ぎゅーっと僕の体に腕を回して密着してくる。
む、胸が!
柔らかな二つの膨らみが、僕の二の腕を挟んで、むにむにとカタチを変えるのがわかった。
ふおおおお……こ、これが天国……?
って、放心してる場合じゃない。
「ダ、ダメッテ、ナニガ?」
片言になってしまった。
ファナは、ぎゅーっとしたまま答えてくる。
「女神さまをおいてっちゃだめですよ!」
――女神さま?
少女の密着に頬熱くし、目を白黒させながらも、僕は考えを巡らせた。
……ふむ。
こういった場合のセオリーはわかっているつもりである。
ピーク時では、毎日一冊のラノベを消化していた。中学から読んできてるから、1000冊は読破している。スマホを手に入れてからは、WEB小説にもハマった。
……ぼっちだったからじゃないよ?
救世主。
女神。
貨物列車。
すでに推測できるだけの情報は出そろっていた。
「ファナ。確認したいんだけど、いい?」
「は、はい」
「この世界は今、危機にあるよね?」
「はい。邪神に支配されているんです」
「だから女神の力が必要ってことか。それで、どうしてかはわからないけど……僕が運んでいた荷物は女神なんだね?」
「はい! 神託通り、女神さまの体とともに救世主さまは現れてくれました!」
「女神の体か……どこかへ運べば、女神を復活できるってことかな?」
「鉄の道の先にありし祭壇へ辿り着けば、と。神託では」
「なるほど」
つまりあの巨人は、女神を復活させないために邪神が送り込んできたものということだ。
「うう、優しくない異世界トリップだなぁ……」
「救世主さま?」
「状況はわかったから、離してくれる? 女神さまは置いていかないからさ」
「は!? はわっ、ひゃわわっ」
顔を真っ赤にして、名残惜しい感触が離れていった。
くそう。いちいちかわいいなぁ……
神託を受けたということは、ファナは女神に遣える巫女というところか。
しかし、いきなり異世界に放り込むのではなく、チュートリアルくらいほしかった。
トリップする際に、女神さまの意識が語りかけて説明してくれるとか、あってもよかったんじゃない?
巨人が追いかけてくると知っていたら、非常ブレーキもさっさと緩めていたのに!
ズゥン!
げ、巨人がまた一歩、踏み込んできた。
もう窓の外をのぞくのが怖い。
だけど、最初に思ったよりは巨人の動くスピードはゆっくりしていた。
巨体を動かすのは、大変ということか。
助かった。
けれど『それ』は、こちらも同じなんだよなぁ……
僕は圧力計に目を向けた。
ブレーキ官の圧力は440kPa。
まだ発車できない。
ひとまずレバーサーを『前進』位置へ倒した。
ブィン。ブィン。ブィィン。
モーターを冷やす風を送るための送風機が3つ、連動して起動。
それを表示灯でも確認する。
あとはブレーキが緩めばいつでも発車できる。
僕はブレーキのレバーを何度も押し下げた。『弛め位置』を使うことで、少しでも早く空気を込める。
「わぁあっ」
と、その様子を後ろから見ていたファナが、感心したような声を出してきた。
まあ、『弛め位置』を使う度にメーターがぐいんぐいん動いてるし、端から見ればなんかスゴいことをしているように見えるのかもしれない。
470……480……490! よし!
メータの黒い針が上がっていき、490kPaを示した。
ブレーキが完全に緩んだのだ。
カチッ。
僕は機関車を起動させるため、マスコンを1ノッチに投入した。
つづく
次回更新は明日(9月13日)の20時頃を予定しています。