シーン21「線路は続く」
シーン21「線路は続く」
信号機に従って僕は列車を停止させた。
けれど、そこはなんの変哲もない森の中だった。
「ここで女神が復活できるのか……?」
単純に疑問だった。
てっきり神殿みたいなところに行くのかと思っていたのだけど……。
「救世主さま。これが『えき』ですか?」
「ええと……うん。まあ、そうかな」
いちおう場内信号機も、出発信号機も存在している。
人が乗り降りするためのホームもなければ、貨物コンテナの積み卸しができる設備もないが、駅と定義していいだろう。
場内も出発もなくホームだけあるような場所は、停留所という。
しかし、これからどうしたものか……
「あっ、女神さま!? いま! いま女神さまの声が聞こえました!」
ファナが、ぱっと席から立った。
「女神さまの声?」
「なにか言ってますよ!」
僕は耳を澄ませてみた。
だけど聞こえてくるのは、送風機の回る重低音だけだった。
その音も止まる。
レバーサーを『前進』から『切』に戻して1分経過すると、送風機は停止するのだ。
僕はファナに向かって首を振ってみせた。
「えっと、僕には聞こえないかな……」
ファナは不安そうに眉を寄せる。
「でも、あのぅ、聞こえるんですよ……?」
聞いてくる。
なんだか泣きそうに見えた。
ん? ええと……?
なにをそんなに不安がっているんだろう?
「どうしたの? べつに疑ってないよ?」
「ほ、ほんとですか?」
「うん」
「ほんとにっ」
「本当だよ」
「ほんとにホントに、ですか……?」
揺れる瞳に見つめられて、僕はしっかりとうなずいた。
「だってファナは巫女なんでしょ?」
僕には聞こえなくとも、ファナに聞こえることは不思議なことと思わなかった。
実際、不思議な力で線路図表を見せてもくれる。
だから当たり前のことを言っただけだった。
と。
ファナが目を見開いた。
瞳から涙が溢れる。
「――ぐしゅっ」
「え!?」
ファナが洟をすすった音に、ようやく僕は状況を理解するのだった。
泣いてる!? ちょっ、ええ!?
「えぐうぅう……」
「ど、どうしたの!?」
機関車を運転できても、女の子に泣かれたときの対処法なんて知らない!
慌てる僕の前で、ファナは目元をごしごしと腕でこすった。
次に現れた彼女の顔は、笑顔だった。
「いいえ! なんでもありません! ――ふふっ。救世主さまっ。大好きです!」
「……へ?」
僕は間の抜けた声を出してしまった。頬が熱くなる。
「ど、どうしたの急に」
「へへへー。なんでもありません!」
「そ、そう?」
「はい!」
「な、ならいいけど……いや、いいのか? お、女の子ってわからない……」
後半は独り言だった。
まあ、たんに僕の経験値が足りないだけなのだろう……
よくわからないけど、嬉しそうだし、いいかな。いいよね?
「――それで、ファナ。女神さまはなんて言ってたの?」
「あっ、そうでした!」
ファナは手を耳元に当てて、聞き取りのジェスチャーをした。
「もしもーし? 女神さまー。もう一度言ってくださーい! わんもあ、ぷりーず!」
……神託ってそういう感じで聞くものなんだ?
そういえば異世界なのに言葉が通じるのも不思議のひとつではある。
お約束と言ってしまえばそれまでだけど、よく考えるとすごいことだ。
ていうか、日本語で聞こえるのはまだわかるけど……わんもあぷりーずて。
「はい。はい。ええ、なるほど。ふむふむ。にゃむにゃむ。ふにゃ? ふにゃにゃ!」
あれ……おかしいな。言葉がわからなくなった。
何語?
女神語かな?
なんか、にゃーにゃー言ってるようにしか聞こえないけど。
……可愛い。
「にゃあ! にゃあ? にゃにゃにゃーん! ――わかりましたっ」
ファナは耳に当てていた手を離して、僕へ顔を向けた。
女神との会話は終わったらしい。
「女神さまは、なんて?」
「はい。ええとですね。このまま待ってたらいいみたいです」
「……大丈夫なの?」
巨人が追いついてこないかが心配だった。
ただまあ、待っていることについては慣れていた。
台風や大雨という自然災害や、架線や信号機などの設備トラブルなど――なんらかの理由で列車の運行が乱れると、貨物列車は途中の駅で抑止されることになる。
その際は、いつ変わるともしれない信号機を見ながら、機関車の中で何時間も待機しなければならない。すぐに発車できるときもあるが……5時間だったり、10時間になることもありえる。
「ええと、そんなに時間はかからないみたいですけど」
「そっか。なら大丈夫かな」
ふぅ、と息を吐いた。
前方の信号機に視線を戻して、気づく。
停止現示になっている出発信号機の下部に、小さい赤い光が灯っている。
「あ、移動禁だ」
「イドウキン?」
「うん。移動禁止合図器。積み卸しをする貨物の駅にあるものなんだ。あの小さな赤いランプがついてるときは、絶対にブレーキを緩めちゃいけないんだよ」
ファナはキョトンとして首を傾げた。
銀髪のツインテールが肩口で揺れる。
「ブレーキを? どうしてですか?」
「貨物列車は、貨車にコンテナ――まあ、基本的には四角い箱かな――それを積んでるわけだけど、目的地に着いたら、おろさないといけないんだ」
「大きな箱ですよね! おろすの大変そう……」
「だからフォークリフトを使うんだよ」
「ふぉーく、りふと? 食器がどうしたんですか?」
「うん。まあ。おしいかな。普通より何倍もでっかいフォークを想像してみて。それでコンテナをすくい上げるのが、フォークリフトだよ」
「……はへー」
「この機関車と同じ、機械ってやつだね。機関車が線路を走るためにあるように、フォークリフトはコンテナをおろすために作られたものなんだ」
「なるほどー」
「話を移動禁に戻すとさ。――あの赤いランプはフォークリフトが作業してるときに点いてるんだ」
「えっと、ブレーキを緩めちゃいけないんですよね」
「そう。フォークリフトが作業してるときにブレーキが緩むと危ないんだ。なぜならブレーキが緩むと、貨車が動いてしまうことがあるからね」
説明としては以上だった。
……移動禁が点いたってことは、作業中ってことなのか?
気になって、横の窓を開ける。列車の後部に視線を向けた。
森の中である。
異世界ゆえに、見たこともない木々が見られる。
けれど、コンテナホームがあるわけではなかった。
当然、フォークリフトも見当たらない。
だから作業中ではない、はずなのだが……
変化は唐突に起こった。
「――救世主さまっ。み、見てください!」
もう見ていた。
まぶしい!
コンテナの1つから、強烈な白い光が放たれている。
「なにが起こって……」
光は発生するのと同様、唐突に消え失せた。
すると――
「森が……」
黒々として不気味だった異世界の木々や草が、光っていたコンテナを中心に、色鮮やかになっていくのを、僕は見た。
花が芽吹いていく。
モノクロだった世界が、カラフルに。
幻想的な光景に目を奪われる。
「わああ、きれいですー」
ファナが歓声を上げ、
「あふぅ。これがきっと、邪神に支配される前の世界の色なんですねぇ……」
しみじみとつぶやいていた。
カラフルな森。
邪神に支配された世界に生きてきたファナにとっては、初めて見る景色なのかもしれなかった。
感動もひとしおだろう。
「これで女神さま、復活したってこと?」
「はい! あなたのおかげです!」
「そっか……」
ファナの返答に、一抹の寂しさを僕は覚えた。
最後は少し呆気なさもあるが、こんなものだろう。
ともあれ、これで――
女神を運ぶという、僕の異世界での役目は終わったわけだ。
思い返してみれば、会社と自宅を行き来するだけだった僕にとって、刺激的な体験の連続だった。
危ないこともあったけれど、楽しかった。心から生きている気がしたのだ。
つまり、そんなファナとの旅も、ここまでで……
「やりましたね! 1つ目が無事、復活しました!」
「――なんて?」
「はい?」
「いまなんて言ったの? ファナ」
「復活しました!」
「そのちょっと前」
「1つ目が」
「……1つ目?」
「? だって、まだたくさん箱は載ってるじゃないですか」
「そうだけど……え? さっきコンテナ光ってたけど、その部分だけしか復活しなかったってこと? じゃあ……載ってるコンテナ全部を復活させなきゃいけない……? ていうか待って! ここでいっぺんに復活しないってことは、まだまだ他の場所にも行かないといけない……?」
一般的なコンテナのサイズは12フィート。一両の貨車には、それが最大で5つ積まれている。
この列車は24両の貨車を連結しているから、24×5で120個のコンテナが載ってるわけで……マジですか。
気が遠くなった。
しかし誇らしげな気持ちも沸いてくる。
……普段、そんなにたくさんの荷物を運んでるんだなぁ。
改めて意識するとすごいことだった。
ふと僕は、運転席の脇に置いているバインダーを手にとって、開いてみた。
バインダーに挟まれているのは――『列車編成通知書』。
自分が運転する列車が、何両編成で、どれくらいの重さを載せているのかを知るためのものである。
これがないと、列車を走らせてはいけないという大事な書面だ。
そして――思った通りだった。
書面が変化している。
書かれている数字が、コンテナ1個ぶんほど、軽くなっていたのである。
……わかったよ、女神さま。全部をあるべき場所に届けろって言うんだろ?
成果を数字で示されるとわかりやすい。
「ま、やることはいつもと同じさ」
ルールに則って線路を走る。
それだけだ。
……さすがに定時運行は無理だけども。時刻表もないし。
出発信号機を見ると、進行現示が灯っていた。移動禁がきちんと消灯していることを確かめて、僕は単弁を残して自弁――貨車のブレーキを緩めた。
ファナに声をかける。
「――長い行路になりそうだ。その、あらためてよろしく、ファナ」
「はいっ、救世主さまっ」
彼女は瞳をキラキラさせていた。
信頼のこもったファナの様子に口元がつい緩んでしまう。
ぎゅっと引き締めた。
まっすぐ信号機を指さし、喚呼する。
「出発! 進行!」
単弁を緩め、圧力計を確認――
僕はマスコンを1ノッチに入れた。
~第一部 完~
ひとまずこれで一区切り。
第一部完となります。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!
少しでもおもしろいと思っていただけたなら嬉しいです!