第一話
数学教師が数学を教える教師ならば、家庭教師は家庭とは何たるかを教える教師なのではないか?
そんなちっとも面白くも無い冗談は、今この瞬間、本当に面白く無い冗談だった。
「あなたにはここで、佐藤に国語、数学をはじめとする高校受験に必要な教科とともに、家庭とはなんたるかを教えて頂きます」
「えっと……家庭科を教えるんですか?」
「佐藤が家庭科の入学試験が必要な高校への入学を希望するなら家庭科も教えて下さい。ただあなたが聞き間違いか何かだと思っているのなら、それは聞き間違いではありません。佐藤には愛のある家庭とは何かを教えて下さい」
本当に面白くない冗談だ。だが、一時間5000円の時給を考えると、ここで帰るのはもったいないと、僕はどうにか振り返って家路の一歩目を踏みしめようとする脚を抑えることが出来た。
◆
五月。
一月前、僕は苦節2年間の浪人生活を経て、無事国立I大学医学部に合格することができた。
大学合格を機に始まる一人暮らしへの期待に弾んだ胸も、最近は落ち着き始めなんとか大学生活にも慣れることが出来た。
昼食を食べる時に、誰と食べようかといちいち不安になることもなくなったし、山そのもののような資料を読み解き、初めての試験だって何とかこなせた。
つまり上々な新生活のスタートに成功したという訳だ。気を良くした僕はアルバイトを探すことにした。大学での友人、大学での勉強も浪人時代に憧れ描いた楽しみだったが、なによりも楽しみだったのは大学での遊びである。
酒を飲むのにも、麻雀を打つのにも、深夜に意味も無く海を見に行くのにも金は要る。だから働く必要があったのだ。
とは言ってもアルバイトをした経験がなかった僕はどうアルバイトを探せばいいかわからなかった。コンビニの入り口にあるペーパースタンドに刺さっている求人情報誌を貰ってきて、家で読んでもどの仕事もピンとこなかった。
一冊目、二冊目と読む情報誌を月日が流れるごとに増やしていったが、結局僕はコンビニの深夜のレジ打ちにも、パチンコ台の設置業務員にもなれないまま、五月は終わろうとしていた。
そんなある日だった。一限目の授業を終えた僕の携帯に大学の学生センターからメールが来た。
僕の大学の学生は皆、携帯電話のアドレスを大学の学生用HPからメーリングリストに登録してあり、休講情報や、設備の故障、大学が奨励する留学プログラムの手続きの手順などのお知らせは該当する学年、または個人にメールで送られてくるらしい。
そのような説明を、そういえば入学式の翌日にオリエンテーションで受けていた気はするが、実際に大学からのメールを受信したことは今日の今日までなかった。
しかし初めて受信した大学からのメールは、ウエイトトレーニング室使用不可でも三限の生化学休校のお知らせでもなかった。
件名:I大学学生センターです。
本分:I大学学生センターです。
○○君、諏訪学長が今日の17時に学長室へお呼びです。
都合が悪い場合は16:30までに
学生センターにその旨を申し出て下さい。
呼び出しだ。しかも学長、大学のトップからの呼び出しである。果たして僕は、僕が知らない間に、一体何をしでかしてしまったのだろう。
間違いなく叱られる。何も悪いことをした覚えはなかったが僕はそう確信し、落ち着かない気持ちで授業を一つ二つと聴き流し、気がついたらもう16時を迎えていた。
いったい何を叱られるのだろうか? 僕は、なぜ(why)叱られるか? のではなく、何を(what)叱られるのだろうか? と考えながら、とぼとぼと学生センターで聴いた案内を頼りに、学長室へ向かった。