見つめる瞳
俺は軽く感動していた。
何がって、あのクラモチヒメカがこのクラスでは何の発言権もなく、ただ黙って自分の席に着いていることしかできないことだ。
「舞園さんて暗いって言うか、怖いよね~」
「怖い?」
「うん。完全に気配消えてるから、急に話しかけられると超ビビる」
クラスで仲のいい女友達である保田が倉持のことを「怖い」だの「不気味」だの言っているのだって、中学校から奴を知っている俺にとっては実に信じがたいことだ。暴君時代の奴のことは勿論恐ろしいと思っていたが、恐怖の種類が当時とはまるで違う。
「確かに!つかさ、俺見てたんだけど、転校生ちゃん授業中とか大倉のことジーっと見つめてたりしてんぜ」
「何それきもーい!!」
保田が鳥肌を立たせた腕を擦った。マジでか倉持の奴。いったい何を思いながら俺を凝視してやがるんだ。あいつは再び狙っているのだろうか。俺をまた虐げるその機会を虎視眈々と。自ずと悪寒が背を駆け巡った。
「さすがモテ男は違うぜ~あんな地味女も虜にしちゃうとは」
「そんなんじゃねーだろ…」
謙遜でも何でもなく、それはあり得ないことだ。俺らの間には殺伐とした空気しかない。そんな色っぽい話、あってたまるものか。俺があいつを憎んでいるように、あいつだって俺を憎んでいる。だからいじめた。理由もなくいじめているわけではなかったのは、中学時代証明済みだ。
俺は思いきって本人に聞いたのだ。どうして自分をいじめるのか、と。
『少しは自分で考えろクソボケ』
実に辛辣な答えを返された。結局考えても皆目検討もつかなかったが、俺は少しホッとした。俺がいじめを受けていたのは何かしら意味を伴っていたのだとわかったのだから。
いじめの理由は気になるが、今更問い質す気も記憶を辿って見つけ出す気もない。俺はただあいつに、復讐を遂行する。それを達成できたらそれでいい。
俺は倉持に150円を手渡した。首を傾げながら「くれるの?」と呑気に聞いてくる奴にデコピンを喰らわしてやった。
「やるかバーカ。これでジュース買ってこい。5分以内」
「えー…ここから自販機往復じゃ10分は要するよ」
「ダッシュだダッシュ」
使いっ走り。このいじめは特に日常茶飯事行われていたものだ。指定された時間内に買えなければ、仕置きの鉄拳が飛んでくる。あいつらは買いに行けないのがわかっていて、無理な制限時間を指定するのだ。
その点俺は優しい。全力を出せばマジで5分以内に買いに行ける距離だし、金だって出してやってるんだから。ほぼ毎日やらされた俺は、お陰でちょっと足が速くなった。時間を気にしながら走ったせいか、この距離ならどのくらいの時間がかかるかなども感覚的にわかるようになってきた。無駄に養われたこの才能も、高校ではそれなりに役に立っている。徒競走とかで。
「早くしろよ喉カラカラなんだよ。体育でくっそ汗かいたからな」
「大倉くんのバスケしてる姿すごくかっこよかったよ~」
「ひっつくな!…お前さぁ。俺のことジロジロ見るのやめろよ。周りから気持ち悪がられてるぞ」
「えー、そんな見てたかな?無意識!」
こいつ自覚もなく見てたのか…恐ろしいやつ。俺を虐げたいという欲求はもう理性じゃ抑えられないところまで来ているのか。寝首をかかれそうで気を抜けない。
「いいからさっさと買ってこいって!昼休み終わるだろ!」
「何買えばいいの?コンポタスープ?」
「買ってくるがいいよ。鼻から飲ましてやっから」
「冗談だって…お茶でいいよね」
倉持はくるりと背を向け硬貨を宙に投げては掴んで投げては掴んでを繰り返しながら、一階へ降りていった。走る気配はない。時間内に戻ってくる気は更々無さそうだ。本当は炭酸系がよかったのだが、まぁお茶で妥協してやろう。
結局あいつは12分もかけて飲み物を買ってきた。空き教室で待っていた俺に、奴はへらへらと笑いながら「お待たせ~」なんて言ってペットボトルを俺の頬に押し付けた。
「おせーんだよノロマ。もう授業始まってんじゃねぇか」
「戻らないの?教室」
「いい…体育で疲れたし。どうせ吾妻の授業だし」
「吾妻って生物の先生だっけ」
「そう。あいつはサボっても怒らない」
「いつからそんなに不良になったの~?」
不良になったわけじゃない。ちょっと肩の力を抜くようになっただけだ。今時授業をサボるなんて誰でもしている。俺も心に余裕を持った学生の波に乗れるようになったということだ。
「私は戻るよ。二人で席空かしたら不審がられちゃう」
「まともなこと言うなよ気持ち悪ぃ」
「心外だなぁ。ペットボトルで頭かち割るよ?」
机に突っ伏す俺の頭を容赦なくベコベコと殴ってくる倉持の腕を掴んで、俺の前の席に座らせた。すぐさまお茶を奪い取りじんわり汗の滲む首元にあてがった。
「いいから。ここにいろよ」
「…でも今の私、サボりキャラじゃないじゃん?」
「知らねーし。もうお前に拒否権なんかねーんだよ。それにお前と俺じゃ、噂になんねぇから安心しろ」
「どういう意味ー?それ」
俺は手を伸ばして倉持の前髪を鷲掴みした。額をさらけ出した奴の顔をまじまじと見つめた。
「いーたーいーよ!!」
「お前…中学のとき、結構がっつり化粧してたのな」
「何で?」
「だって何か、すげー素朴な顔してる」
派手な顔をしていると思っていたが、全て化粧によるマジックだったようだ。今はほぼすっぴんに近いのだろう。意外にも面白味がなく、童顔だ。ブスだと言いたいわけじゃないが、とりわけ美人というわけでもない。そう考えると俺をいじめていた連中も、単体で見れば皆たいして可愛くも格好よくもない人間ばかりだった。スクールカーストで頂点に君臨するには、ルックスはさほど関係ないらしい。多分俺のが顔はいい。
「何かあれだな。系統としてはウーパールーパー」
「言いたい放題だな…ぶち殴りてぇ」
口端を引きつらせる倉持を見て、俺は妙に満足しペットボトルのキャップを開けた。一気に半分くらいお茶を飲み下した。渇いた喉に染み込んでいく冷たさに、思わず「生き返るー!」と叫びたくなった。
「私も喉渇いた。一口ちょうだい」
「やだね。テメーの金で買ってこい」
「いけず~私お金持ってきてないの~!」
「知ったことか」
不満そうに口を尖らす倉持を無視して、俺は残りのお茶を飲みきってしまおうとペットボトルに口をつけた。
「じゃあこうしよう!じゃんけんして私が買ったら、お茶を飲ませてよ」
「はぁ?」
「負けたら潔く諦めるから。ね?」
駄々をこねる子供のように俺の腕を掴んで揺さぶってくる。この女はよっぽど喉が渇いているようだ。だったら金持ってこいよ。面倒臭いやつ。
しかし俺もよっぽど暇だったせいか、最終的には倉持の提案に乗ってしまった。
「じゃあれだ。ただじゃんけんじゃつまらんし、あっち向いてホイで対決にするぞ」
「いいよ、それでも」
仕舞いには「あっち向いてホイ」なんて地味に久しぶりにやるゲームに心踊らす始末だ。この歳になると、やる機会があまりないのだ。小学校時代とかは意味もなく友達とよくやっていた。何故だか知らないが、あっち向いてホイ付きだと負けたときのその屈辱と悔しさは普通のじゃんけんよりも大きい。
「じゃあ早速いくよ!最初はグー、じゃーんけん…チョキ!」
「あっち向いてホイ!…っくそ!」
せっかくチャンスを獲たのに倉持は綺麗に俺の指差した方向の逆を向いた。俺があまりにも悔しがるものだから、倉持はケタケタと俺を指差し笑った。
「どんだけ必死なのさ!」
「うるせー!ほらいくぞ!じゃーんけーんグー!」
「あっち向いてホーイ。…やった勝ったぁ!!」
倉持の指の動きにつられるように、俺は見事に奴の差した方向と同じ方を向いてしまった。目に見えない糸で奴の指と俺の顔が繋がっていたのではと疑うくらい、タイミングもばっちり合っていた。
「やーいやーい。大倉くんの負けー」
倉持は今まさに俺を敗戦へと導いた人差し指で頬を何度もつついてきた。明らかに人を馬鹿にしているような眼差しだ。ものすごく腹が立つ。俺はこんなやつに自分の金で得たお茶を分け与えなければならないのか。
「ほら、男らしく負けを認めて。一口ちょうだいな」
「…待て。せめて飲まさせろ」
「ん?どういう意味?」
「だから、俺が直々にお前に一口分飲ませるんだよ。ペットボトルまるごとやったら、お前絶対返さないだろ」
「全然信用してくれないね。直々って、どうすんの?もしかして口移しで飲ましてくれるとか?」
「そんなおぞましい真似死んでもしない。こっちに来い。んでここに座れ」
俺は足を開いて、股の間にできた僅かなスペースを叩いた。倉持は訝しみながらも、言われた通りに俺に背を向けながらそのスペースに腰かけた。
「口開けろ」
倉持が唇を開いたのを見計らい、俺は無遠慮にペットボトルの飲み口をそこに突っ込んだ。中途半端にむせ返る倉持にお構いなしで、俺はペットボトルを傾けた。
「ん!んふっ!」
流れ込んでくるお茶の量に嚥下が間に合わない。倉持の口から飲み下せなかった分がボタボタと溢れ落ちた。もっと苦しい思いをさせてやりたくて、俺は空いている手で倉持の鼻を摘まんだ。
「んんっ」
呼吸する術を奪われ、倉持は必死に抵抗を繰り返した。しかし苦しさのせいでろくに力が出せないのだろう。どれも俺にとっては意味のない抗いに終わった。
段々と動きが少なくなってきたので、そろそろやばいかなと俺は漸く手を離してやった。
「ゲホッ…ゲホ、ゲホ…ッ」
暫くは言葉も出せずに、倉持は酸素を求めてヒィヒィ言いながら息を吸った。背中を擦ってやるなんてそんな親切は勿論してやらない。そもそもこんな状態にさせた張本人がやるのはおかしなことだ。
「も…死んじゃうじゃん…」
倉持の瞳は真っ赤に充血していた。相当苦しかったのだろうと目に見えてわかった。
あの倉持が、今ではこうして命を左右できるほどに俺の手中に収まっている。俺の気分次第では、こいつを殺すことだってできたのだ。ペットボトルを唇から離さず鼻を塞ぎ続けていれば、このまま俺の腕の中で倉持は息絶えたかもしれない。
考えただけでぞくぞくした。まさか本当に殺すつもりでいたわけではないし、こいつを殺したいとも思っていないのだが、自分次第でこいつはどうにでもなれる。そんな事実を思い知って、俺は愉悦に浸った。
「苦しんでるお前見てるの、スゲー気持ちよかった」
「いつからそんな…ど変態になったのぉ?大倉くん…」
肩で息をする倉持の身体を掻き抱く。お茶でびしょびしょになった首筋に舌を這わし、滴る雫を躾を知らない犬みたいに舐めしゃぶった。
「うう~…擽ったい…」
捩る倉持を逃がすまいと、抱き締める腕に力を込めた。倉持は余力も尽きたのか、大人しくされるがままに俺に身を預けた。呼吸できなかった苦しさとはまた別の意味で、倉持の息が荒くなっていく。
戯れに歯を立てれば、ぴくりと倉持の肩が揺れる。思い通りの反応に、俺はほくそ笑んだ。
「俺に支配されてるお前、堪んないくらい可愛い」
「…大倉くんに可愛いって言われちゃった。嬉しい」
「でも憎いと思う気持ちは、全然減らねぇ」
「若いうちからそんな複雑な感情持ったら…禿げちゃうよ」
「誰のせいだよ」
倉持は振り向き、下から俺を見上げた。そしてしたり顔で言って退けるのだった。
「私のせい?」
他に、誰がいると言うのだろうか。
こんなぐちゃぐちゃに俺の心を掻き乱してくれるやつは、17年間生きてきてこの女しか知らない。
果たして本当に支配されているのは、どっちなのだろうな。
「大倉!サボるんなら俺らも誘えよな!」
「抜け駆けずりーぞ!」
次の授業から教室に戻れば、仲間から猛烈な抗議が降りかかった。しかしさすがに集団でサボったら吾妻が可哀想だろう。俺だって元々サボる予定はなかったのだから。倉持がお茶買ってくるの遅かったから悪いんだ。
「サボってねーよ。貧血で保健室で寝てただけだ」
「何だそれ!女子みてぇな言い訳して!」
「そうそう。俺今日あの日だから」
「ほう。何なら証拠を見せてもらおうか。そんで一発ハメさせろ」
女に飢えた仲間たちが白昼堂々俺のズボンに群がり無理やり脱がそうとするものだから、容赦なく顔面に蹴りを入れていった。仕様がないじゃないか。おふざけにしては力が強すぎたし目がギラギラしすぎていたんだ。貞操の危機を本能で感じた。立派な正当防衛だ。
何はともあれ、誰も俺と倉持が一緒に授業に出なかったことを疑問に思っていないようだ。そもそも、倉持が吾妻の授業に出ていなかったことさえ、連中は気づいていないのではないか?
やっぱり俺の思った通り、クラスの人間の関心は全く奴には向いていない。俺と噂になることなど、あり得ない。倉持と関わる時間が増えれば仲を勘繰られるかもしれない懸念があったが、恐らく心配無用だろう。俺と倉持を線で結びつけて見る人間はきっといない。
関係がバレるのを恐れていては、復讐は完遂できない。しかし誰の目にも触れずあいつと二人きりの時間を作るのはなかなか簡単ではないのだ。
俺がやられたときのように、クラス全員であいつをいじめるようになるのが一番手っ取り早い。そうすれば俺が個人的に奴をいじめていても、何ら不思議はないから。
けれども俺は、寄って集ってあいつを虐げたいわけじゃない。あくまでも俺の力だけで、あいつをズタボロにしてやりたいのだ。今のところ手応えはあまり感じていないが…。
「つうかお前ら、こないだの合コンどうしたよ?いけそうな気がするとか息巻いてたじゃん」
「それがなぁ…」
「話盛り上がらなくて下ネタに走ったら、ドン引きされちゃって。結構清楚系な子ばっかりだったからな~」
「お前らそうやって女の子選んでるから、彼女できねーんじゃん。つかセフレとかも切れてないんだろが」
俺には理解できない。セフレとかいうふざけた関係。やることやってんなら、もうその娘と付き合えばいいじゃないか。しかしこいつらの感覚では、全くの別物らしい。身体だけの関係と、それだけでなく心を伴う関係は。
「でもエッチしたら、妙に情が湧くときはあるな」
「そうそう。合コンしてても罪悪感あるっていうか」
「じゃあ尚更付き合えって!」
「それとはまた違うんだって~純情ぶってんなよこのモテ男!」
どうしてまともなことを言っている俺が責められ、あげくの果てにヘッドロックを受けるはめになっているのだ。
俺がこんな堅物な考え方なのは、仕方のないことなのだ。恥ずかしい話、俺は未だに経験がない。ろくに女と付き合ったこともない。こんな生娘みたいなことを言うのは嫌だが、そうなる場面を想像すると怖くてたまらないのだ。自分がどうなるのか未知過ぎて。
そのわりに倉持に対しては随分際どいことをやって退けるのだから、益々自分がわからない。いや、怖いというのはやはりそこなのかもしれない。理性を捨てて暴走してしまうかもしれないという、恐怖。
でも俺が暴走してしまうのは、倉持が相手だからというのが大きいとも思う。だってあいつに遠慮してやろうなんて思わないし、いたぶるのが目的なのだから。か弱い女の子ならまだしも悪魔の女だぞ、あいつは。
あいつになら法に触れないギリギリのラインまでなら、何をしても許されるのだと勝手に思ってしまっているし。まぁ俺がしてるのは一種の脅迫とも言えるだろうけれど。
「清楚な子って、どんな会話すればいいんだろうな?」
「おい。うちのクラスにちょうどいいのがいるじゃんか」
仲間はその一言に、一斉に倉持を見た。いつの間にか奴はジャージに着替えていた。制服までお茶でびしょ濡れになったせいだろう。背中を丸くして自分の席で小説の世界に浸っているようだ。
「いやいや…あいつは論外だろ」
「だよなぁ。舞園さん、黒魔術とかにしか興味無さそうだし」
どんなイメージを持たれているんだあいつは。俺は仲間とは違う意味で、「論外だ」と言ったのだが。あいつに清楚さの欠片もないからだ。あのH女学院で、女子生徒を殴って退学になった女だぞ?おまけに中学時代は俺に壮絶ないじめを働いていた。野蛮も野蛮。今でこそ地味女の仮面を被っているが、やはり二人きりになってみるとその狂気は健在だとわかる。
「ま、物は試しだ。ちょっと声かけてみるわ~」
「おい!」
仲間の一人が躊躇なく倉持の元へ向かった。止めに入るのも何か違う気がして、俺はヒヤヒヤしながらも倉持とそいつの様子を見ていた。かろうじて二人の会話は聞こえる。
「舞園さ~ん。H女学院の子ってさ、普段どんな会話してた?てかそこのお友達、よかったら紹介してくんない?」
やはりそう来るか。そもそもあいつが倉持に話しかけたのはそれが狙いだったんだろうな。女の子の気持ちを研究したいなどという気は、端から皆無だ。
「すいません。私友達いなかったので」
倉持は一切ページから目を離さず、淡々と事務的に答えた。俺といるときに出す、妙に甘ったるくて嫌み臭い粘り気を含んだ声音ではなかった。もっと低くて、パリッとした声だった。ああしてみると、マジでちょっと不気味な地味女に見えなくもない。
「連絡先だけでも知らない?」
「知りません」
「一人も持ってないの?アドレス」
「持ってません」
馬鹿野郎、そんなに氷のような態度をとってくれるな。アホ面下げて倉持に話しかけた仲間の表情も、段々と不服そうに歪んでいく。これ以上可愛くない態度をとれば、あいつがクラスメイトにいじめられる可能性が出てきてしまう。
俺はいてもたってもいられず席を立った。つかつかと一触即発の二人の元へ歩み寄り、仲間の腕を掴む。
「その辺にしとけ。前の学校でもぼっちだったの、掘り下げられたくねーんだろ」
「え~そんなつもりじゃなかったのに。ごめんね舞園さーん。機嫌悪くした?」
「…いえ」
倉持は俺を一瞥し瓶底眼鏡を中指で押し上げた。さっさとそいつを連れて帰れと、雰囲気だけでそう言いたいのがわかった。
中学校のときのお前なら、きっと「こちら側」の人間だったろうに、面白いな。本当に今のお前が信じられないよ、倉持。
俺は仲間の首根っこを掴み、もといた場所へ引き連れていった。不満気に口を尖らす仲間に、他の連中は「ドンマイ」と心の籠ってない慰めの言葉を吐いた。
結局は倉持の苛立ちを察し、空気を読んで行動してしまったことに俺は悔しさを覚えた。いじめられていた当時のように奴の顔色を窺うなんて。もう刷り込まれてしまっているのだろうか。無意識の境地で奴は、俺を洗脳しきっているのだろうか。
「ああもうムカつく。くっそウザかったよ谷澤くん、だっけ?」
「…何で当たり前のように一緒に帰ってんだよ」
部活が終わって女の子からも逃げてさぁ帰ろうとしたら、校門前で倉持が俺を待ち伏せしていた。ヘアゴムと眼鏡を外し、少し制服を着崩した奴では、誰もあの舞園姫架とは思わないだろう。「おつかれダーリン」なんて言って腕を組んできたので、とりあえず平手で奴の額をぶってやった。
それからは延々と愚痴を聞かされている。俺の仲間の谷澤がこいつ相手にしてみせた言動がよっぽど気に入らなかったのだろう。女王様だったこいつにとっては、やはり屈辱が大きかったようだ。
「でもあいつ…疋田とちょっと似てんじゃん。性格とか雰囲気」
俺をいじめていた人間の一人、疋田耕介。倉持不在のときは大体こいつが指揮をとっていた。喧嘩っぱやくて横暴で、俺様気質な男だった。因みに当時は倉持と付き合っていたらしい。なんという似た者同士カップル。凶暴と狂乱が二倍にもなるのだ、最強カップルとも言えよう。この二人に振り回されたのはきっと俺だけじゃないはずだ。
「似てるかなぁ?まだちょっと軟弱な気がする、谷澤くんは」
「…お前ら、まだ付き合ってんのか?」
「とっくに別れたよ。つうか元々好きでも何でもなかったし」
その「好きでもないけど付き合えちゃう」という感覚も、俺にとっては理解しがたい。好きじゃないなら付き合うなよ!時間の無駄じゃないか?何とも思っていない異性と、ハリボテの愛を育むなんて。
「お前もあれか。セフレ推進主義なのか」
「えー、そんなことないよ。私エッチそんなに好きじゃないし」
「そうなのか?」
「うん。男の嫌なところが著しく目につくと言うか。自分勝手でテクもなくがっついてくるからさぁ。一個も気持ちよくないんだよ」
セックス一つで男はそこまで査定されてしまうのか?何だよ、全然いいものじゃないんだな男女の営みとは。益々自信がなくなってきた。でもまぁこいつの恋愛はあまり参考にならないか。勝手な思い込みだが、獣のようなまぐわいをしてそうだ。
「なになにー?大倉くん、そっち系に興味持ってきた?このスケベ!」
倉持の肘が俺の肋骨にあたりゴスリと鈍い音が鳴った。あまりの激痛にさっきまで空腹だったのがどこかへ飛んでいった。
別に興味を持ったわけじゃない。今時の同世代は、皆同じような考え方をしているのか知りたかっただけだ。ちゃらんぽらんな下半身事情の奴らだけではないと、少しでも希望を持ちたかった。これは童貞ならではの考え方であろうか。
「それならさ。私と付き合ってみなよ」
「何故にそこへ行き着く」
あからさまに苦い表情を浮かべる俺の目前に回り込み、倉持は正面から俺の腰を抱いた。
「私大倉くんになら、めちゃくちゃにされてもいいよ」
「あ?」
「私の身体、好きにしてもいいよー」
甘えるようにお互いの身体を密着させ、倉持は俺の胸にほっぺたをすり寄せた。俺は全身にさぶいぼを立たせながら、奴の肩を掴みひっぺがそうと試みる。
「無い胸押し付けてんじゃねーよ」
「あんだろ!見ろや!」
「見るかボケ!!」
激しい攻防の末俺らの間にできた隙間にすかさず膝を割り込ませ、半ば蹴り上げるようにして倉持を自分から離した。危うく皮膚に邪悪の根を植え付けられるところだった。マジで見えるのだ。あいつから何やら黒いオーラがずぞぞと這い出してくるのが。
「何で拒否るのさ!」
「拒否らない理由がないよ」
「やだよ私…大倉くんが誰かと付き合ったりしたら、女は勿論大倉くんのことも殺したくなっちゃう…」
潤んだ瞳でしおらしく上目遣いで見つめられたって、発言が犯罪者予備軍のそれなのでちっとも心が揺れない。寧ろこれ以上ゾッとさせるのはやめろ。
「ていうかお前…俺が誰かと付き合ってたらどうすんだよ。いない前提で話してるけど」
「えー?大倉くんに彼女なんてできるわけないよ」
「…何で言い切れる」
「だって。女の子にビビってるのがバレバレ」
ーー本当にこの女の発言は、つくづく俺を戦慄かす。伊達に俺を観察していないわけだ。
なぁ倉持。お前はいつから俺を見ていた?
そんな問いかけをグッと飲み込み、「気色悪ぃ」とひとつ呟き先を急いだ。懲りずに引っ付いてくる倉持を、この短時間でどっと疲れてしまった俺は引き剥がす気にもなれなかった。




