~Memory~ Part.3
最初の方でコップを割ると言う大きな失態を犯したとは言え、サンゴの理解力は素晴らしく火蓮が教えたことをすぐに吸収していった。元来マジメな性格であることもあり、サンゴは言われた通りのことを学びながら確実にこなしている。
「サンゴさん、少し教えるだけですぐ覚えてくれるんで非常に教え甲斐がありますよ~」
「そうでもないって。カレンちゃんの教え方が上手いだけよ!……あれ?」
棚の雑巾がけをしていると、見慣れない絵に気付いて作業の手が止まる。絵、と言う割には現実で目の前にしているかのような迫力がある。まるで現実のある一瞬を切り取ったみたいなその絵にサンゴはじっと興味を惹かれてしまう。
「おやっ、その写真気になりますか?」
「えっ!? これがシャシンって言うの!?……すごいリアルな絵があるのねと感心してたわっ!!」
「にゃははー! 新しい冗談ですか? 確かに英語だとどっちもピクチャーですけど、流石に絵じゃないですね!」
肖像画や風景画こそあれど魔界には写真など存在しない。そのためサンゴは写真自体見るのが初めてであったのだ……写真と言う異質の文化に感心しながら、その写真をじっくりと見る。雪が積もった公園かどこかで幼い女の子と制服を着こんだ女性が仲睦まじく写っている。制服を着ている女性は、ちょうどサンゴと同じぐらいの年齢に見えた。
「こっちの子、カレンちゃん? 今も充分可愛いけど、昔はなおさら可愛いわね」
サンゴが指さした先には小学校に入学したかしてないかぐらいのマフラーを巻いた女の子がいる。背景は雪景色と言うこともあり、マフラーを付けていてもなにもおかしくはないのだが、そうでなくともその幼い顔には火蓮の面影が残っている。隣で写真を覗き込んでいる火蓮以上にパッチリとした目をしていて可愛らしい少女だった。
「褒めてもなにも出ませんよーっ! にしても、アタシもだいぶ老けたもんです!」
「老けたって言うより成長しただけじゃない。女としての魅力なんか特に……」
ふとサンゴの目が火蓮の豊満な体へと移り……そしてすかさず自分の貧相な体へと戻る。
「自分で言ってへこまないでくださいっ!! サンゴさんだってスレンダーなわけですし、充分魅力的ですよっ!! 胸は飾りだってエロい人にはわからんもんなんですよっ!!」
「飾りなら少しちょうだい!」
「ちょっ、目がマジになってますよっ!? 怖いですよぉ!?」
鬼気迫る表情で親の敵でも見るかのようにサンゴは火蓮の胸元を凝視する。今にでも彼女の槍である【アプソル】を取り出して斬りかかろうとしそうな勢いで見つめるサンゴに、そう言う事情を知らずとも本気の目を胸元へと向けている彼女から火蓮は冗談でもなんでもなく命の危険を感じていた。
「まだまだ未来はありますからっ!」
「まっ、まだ成長期だもん!! じゃあ、こっちの人は誰?」
火蓮の隣、制服の少女を指さしてサンゴは首をかしげる。ストレートの黒髪を腰まで伸ばし、着崩すことなく着こなしている制服から清楚な印象が漂う少女だった。彼女の頭を見れば、火蓮が頭につけているアゲハチョウの髪飾りがついていた
「あぁ。この方は知り合いのお姉さんです。小さい頃、この方に懐いててよく遊んでもらってたんですよ。この髪飾りも、お揃いで買ってもらったんですよ?」
火蓮が自分の髪飾りを取ってサンゴに見せる。アゲハチョウの羽を細かく再現している作り込まれた一品であり、一高校生が手に入れるにしては高価なものにも思える。
「丈夫な髪飾りね。あれ、でもこの写真でカレンちゃん付けてないわね?」
「あー、その時は確か忘れて来ちゃったんでしたっけ? 昔っからおっちょこちょいなところありまして、雪を見てはしゃいでた記憶がありますっ!」
コツンと頭を叩いて、ペロリと舌を見せる火蓮のはにかんだ表情にサンゴも笑みが漏れる。
「あはは、カレンちゃんらしい……ところで、この人は今どちらに?」
「さぁー……アタシも分かりません。幼かったこともあって、別れてから連絡を取ってたわけでもありませんので」
遠い目をして「懐かしいです……」と過去に思いを馳せる火蓮。そんな彼女を見て、サンゴはふと一樹のことを思い出す。
――……アイツは、こういう思い出を求めてるんだ……
5年前以前の記憶が一切無いと言う少年、烏飼一樹……先日あったゴタゴタの中で、ようやくそのヒントを掴めたそうだが、それでも答えにはまだほど遠いそうだ。辛い過去を持っているサンゴからすれば、過去を求める彼の執着心が今一つピンと来なかったが……今なら、少しだけ分かる気がする。
「また、会えると良いわね」
「ですね~。できることなら……また、会いたいです」
どこか含みのある物言いだったが、サンゴは気付かないフリをする。それこそ、火蓮の言いたくないことであるのだろう。余計な詮索をすることなくサンゴは写真立ての下を拭き、元の場所へと戻す。
「写真かぁ。良い物ね」
写真の中で笑い続ける2人の少女を見て、サンゴは小さく呟く。「良い物でしょう?」と火蓮は追想から意識を戻し、明るい顔を見せる。
「うちの親、写真好きだったんでアルバムとかも結構あるんですよ? 小っちゃい頃の思い出沢山詰まってて見てて時々ほっこりしてます」
「小さい頃のカレンちゃん!? 見てみたいし、見せてもらっても良い!?」
「おおー、見ますか?……っと、ごめんなさい、向こうの家に置いてきてるんで今はちょっと無理です!」
「向こうの家? 実家ってこと?」
「まあ、そんな所です~。時々あっちに行ってたりもしてますが、基本的にここで住んでますので!」
「へぇ~……っと、そろそろ再開しなきゃね」
「ハイ、お掃除引き続き頑張りましょう!」
***
「よっ、ようやく終わった……お疲れ様~」
「お疲れ様です。いやー、くたびれましたね~!」
ソファにへたれ込みながら、2人は互いの労を犒う。あれから一通り軽い掃除を終えた後、「折角ですし、」と火蓮が物を動かしての掃除をすることを提案したのだ。
「本当、ありがとうございますね。棚とか机とか動かしていただいて」
「良いって。あたし、そのぐらいしか取り得ないし!」
本当は料理なども習いたかったが結局掃除だけに終わってしまった。
サンゴはそう言う力仕事の方がどちらかと言えば性に合うのである。こと力にかけて言えばそれこそサンゴは即戦力であり、食器棚やソファ、テレビ棚など大の大人が1人で持つのも苦労する重い物を軽々と動かすのを見て、火蓮は「じゃあここもっ!」と面白げに作業を続け……結果的に、ほとんどすべての場所を掃除して一日が終わってしまったのである。
「そんなことないですって~。いやー、まさか大掃除並みの仕事になるとまでは思ってませんでしたよ!」
「本当ね~。これをイツキにやってあげれば喜ばれるのね!?」
「まー、ここまでやる必要はないかと思いますけどね! でも喜ばれるとは思いますよ?」
「よーし、今みたいに物を沢山動かして……あっ」
「どうされました?」
よくよく考えれば、一樹は魔術で物の重さを自在に変えることができる。物を運ぶことを手伝ったところでどのみち大した意味はないのでは、と気付いたサンゴは空しい気持ちになるが……それもつかの間。作業中に思いついたあることを思い返して「まーいっか!」と気を取り直す。
「なんでもないわ。それじゃあ、そろそろお暇しようかな」
「って、こんな時間ですね。よければご飯食べていきませんか?」
「うーん。そこまでさせちゃ悪いし、やっぱり帰るわ。色々教えてくれてありがとう!」
「別に構わないんですけど……ああ、烏飼センパイに早く会いたいんですね!?」
扉を開けようとしたサンゴは、半ば図星をつかれてゴツンと頭をぶつける。ぶつけたおでこにほんのり訪れる痛みに涙目になりながら、サンゴは顔を真っ赤にしている。
「そそそそっ、そんなことあるわけないじゃないっ! ただ、ちょっと見に行きたい物ができて……」
「顔にそう書いてありますよぉ!! 見に行きたい物なんてごまかし入れてもバレバレですって!!」
「見に行きたい物があるのは本当なのにぃ!!」
「良いですね良いですね!! あっ、そうだ、サンゴさん。ちょっとお待ちを……」
言葉と共に火蓮は奥へと入っていく。なにやらガサガサと音がしたかと思えばすぐに顔を出し、呆気にとられていたサンゴの手にある物を握らせる。
「えっ、なに、これ……?」
「いえ、本日働いていただいたことへのほんのささやかなお礼ですよー! かき氷代は引いておきましたので!!」
疲れても尚変わらない明るい笑顔で、ある物越しにサンゴの手を握る火蓮。
「少ないですけど、お金ですっ!!」
サンゴの手には、薄い茶封筒が握り込まれていた。
「でっ、でも悪いわ……カップ割っちゃったし、それにそんなに役に立てたわけでも」
「いえいえ、重い物動かしていただいて本当に助かりましたって! それに……3000円あればそこそこ良い物、買ってあげられるはずですよ?」
彼女がウィンクと共に放った一言に込められた考えと想いをサンゴは読み取る。思えば、火蓮は最初「アタシの家でお手伝いをやってみる、と言うのはいかがでしょう」と言っていた。家事を覚える、と言うよりも手伝いをやってみることに重きを置いているように受け取れる物言いで、火蓮の意味深なウィンクがなければ決して気付かなかっただろうが……しかし、サンゴは確信を得る。
――もしかして、最初からこの流れに持って行くために……?
「1人じゃどのみちここまで掃除できなかったんですし、遠慮せず受け取ってくださいっ!」
どうしても手渡したいのだろうか、火蓮は頭を下げてまでサンゴに封筒を差し出している。ここまでされてしまっては、流石のサンゴも食い下がってしまう。
「分かった、ありがたく受け取るから頭上げてよっ! その、本当にありがとね」
「いえいえ~、今日は本当に楽しかったですよ。やっぱり、1人って寂しいので……」
「えっ?」
火蓮の顔に浮かぶ笑顔に、今は少しだけ影が差している。その言葉がどういう意味なのか、サンゴは察し取ることはできなかったが……しかし、彼女の気持ちは分かる。
いつでも騒がしくいる人間に限って、一人きりが辛く感じてしまうのは魔人でも人間でも変わらない物であるらしい……現に、サンゴもそう言う性格である。
「あたしで良かったら、いつでも呼んで良いわよ?」
「サンゴさん……そうですね、それじゃあ時には甘えさせてもらうかもしれませんっ!!」
「甘えられるほどの貫禄あたしにはないけど、でも話し相手ぐらいならなれるわ。それに、あたしも、結構寂しがり屋なのよ」
「寂しがり屋同士、ですねっ!! でも、今はもう1人の寂しがり屋さんに構ってあげたらいかがですか?」
いたずらっ子のような笑顔を浮かべた火蓮に、サンゴは「もーっ!」と誤魔化すように微笑みを返した。