~Memory~Part.1
「どうぞー、サンゴさん」
照りつける日差しを受けて、大地を覆うアスファルトは異様な熱気を放つ。道行く人を見れば、半袖でもまだ暑そうに汗を拭う人ばかりだった。サンゴ自身、元々汗っかきな性分であることも手伝い、流れ出る汗の処理をどうするのか悩んでいるぐらいである。人間道ではなにやら地球温暖化と言う科学の発達が引き起こした事象が問題になっているそうで、実は人間道の人間ではなく、魔界に住まう魔人である彼女からすれば、自分達の生活を一見便利にするようで長期的に見れば首を絞めている科学の力ってスゴい微妙ね、と言う感想しか出てこない。
「ありがとー! 町で見かけて食べてみたかったのよね」
「いえいえ~。アタシも食べたかったので全然構いませんよー? やっぱり暑いときには冷たいものですよねっ!」
真夏の太陽にも負けない明るい笑顔を向けて、サンゴにかき氷を手渡すのは木下火蓮と言う人間の少女。彼女自身も暑いと感じているようだが……彼女の首に巻かれているのは真冬にするような分厚いマフラーである。見た目だけなら美少女ではあるし、中身もまた人当たりの良い性格に加えてノリの良さを兼ね揃えているのだが、いついかなる時でもマフラーを取ることはないと言う変人、それが木下火蓮なのだ。「暑いならマフラー取ればいいじゃない!」とツッコミを入れたくなったサンゴはぐっと堪える。下手にツッコもう物ならマフラーへの無限の愛情を怒濤の勢いで教え込んでくるのだ。つい先程すれ違ったときに、うっかりその話を出してしまい熱弁を振るわれた直後なのである。
「奢らせちゃってゴメンね。また今度返すわ!」
イチゴのシロップがかかったかき氷を受け取りながらサンゴは頭を下げる。彼女が居候させてもらっている一樹から「無駄遣いすんなよ?」とお金をもらってはいたのだが、サイフごと家に忘れてきてしまったのだ。町に出た目的が現在サンゴが追っている脱獄衆の捜索であって、お金を使う必要性を感じなかったので持たずに来たが、火蓮に「かき氷でもどうですか?」と誘われてしまったのでる。普段であればすぐに断ったのだが、先ほども耳に「マフラーは~、マフラーは~」と言う言葉が聞こえてくる程にマフラーの熱弁を振るわれた直後である。流石のサンゴでもかき氷の誘惑に勝てず、火蓮の提案を承諾してしまい……財布を持ってきてないことに気付いたのである。
「別に良いですよ~。かき氷ぐらい奢らせてください!!」
「そんな悪いわ。年上としての矜持もあるし、返させて?」
「いやいや、矜持なんか無視して享受してくださいよー。せめてものお気持ちですって」
「でも……」
そう言ってサンゴは火蓮の目を見つめる。年上と言っておきながら、サンゴは発育がかなり遅れており、見た目だけなら中学生のそれと大差ない。そのため、高1女子の平均よりは大きい身長を持つ火蓮と目を合わせようとすると……必然、涙を潤ませた大きな目で火蓮を見上げる形となってしまう。小動物を連想させる可愛さを放つサンゴのお願いに、火蓮はたじろぐ。
「わっ、わかりました、またいずれ返してください。うー、そんな上目使いで迫らないでくださいよー! 抱き締めたくなるじゃないですか、家に持って帰って愛でたくなるじゃないですかっ! 変な趣味に目覚めて、アブノーマルな感性持っちゃいそうじゃないですかっ!」
顔を赤らめてキャーキャー言っている火蓮だが、彼女がなにを言っているのかはサンゴにはよくわからない。マフラー巻いてる暑さが顔に出てきたのだろうかと検討違いな推測をする。
「よかった~! それじゃあ、また今度しっかり返すわね」
「はいっ、いつでも構いませんよ~」
そう言いながら火蓮はかき氷を頬張る。緑色のシロップがかけられた氷の上にアンコが乗った見るからに甘そうなかき氷。最初サンゴにもこの味をオススメしていたのだが、値段が高いこと、そしてなによりサンゴ自身甘すぎるものが得意でないこともあって一番安いイチゴを頼んだのだ。「自分だけ高いの食べちゃってごめんなさいですけど、これだけは譲れないんですっ」と火蓮は意気揚々と宇治金時と言うよく分からない名前の味を選んでいた。
「カレンちゃんって甘いもの好きなの?」
「そこそこ好きですよー? まあ、女の子ですし」
「あはは、その理屈だとあたし女の子じゃないわね」
「いえいえ、今のは別に真理じゃないですよー。この理屈だと、後藤センパイも女の子になっちゃいます!」
「後藤センパイってシチヨウのことよね?」
メガネをかけた優男……の皮を被った女好きの顔を思い浮かべる。見た目の柔らかい印象からも甘い物が好きそうだし、なにより女性との話題あわせに研究すらしていそうな印象すら感じられる。
「そうですよ~。ただ、後藤センパイ女体化とか誰得なんで遠慮被りますね~。あー、でも女装は似合いそう」
「確かに線は細いから似合いそうね。スラッとしてるボーイッシュ系の女装なら、ちょっとした化粧でできそう」
「やっぱりウケじゃないですかっ!」
「ウケ……?」
よく分からない単語にサンゴは首をかしげるが、火蓮は「あー、なんか最近考え方が危なくなってるなぁ……ネタがネタじゃなくなる日が来ちゃうかもしれませんね」と独り言を呟くだけである。
「いえ、好奇心は身を滅ぼすってヤツです。猫をも殺すってヤツです。猫ってBL用語でウケって意味らしいですね。やっぱり危ないです」
「えっと、つまりシチヨウはネコてこと?」
「にゃはは~、そう言うことです!」
火蓮の言葉を鵜呑みしながらも、サンゴは合点がいかない。火蓮が言うとおりであれば、彼女は先の会話で唐突に七曜がネコだと言っていたと言うことになる。人間道の会話にまだいまいち要領を得ていないだけなのだろうか、とサンゴは深く考えるのをやめる。
「それはともかく、食べ終わったらどっか行きます? てか、サンゴさんは何しに今日はお外に出られたんですか?」
「えーっと、だつ――」
思わず本当のことを言いかけたサンゴは慌てて口を塞ぐ。魔術の存在を知らない"表"の人間である火蓮に魔界がらみのことを言うわけにはいかない。
「ほほう、脱衣麻雀とはまたマニアックなご趣味ですね……」
「えっ……そ、そう、それよそれ」
言葉の意味が分からなかったが、火蓮はなにやら勘違いしてくれたみたいでそれを利用する。瞬間、火蓮は「冗談でしたのにマジですかっ!?」とでも言いたげな驚きの顔を向けていたが、サンゴは気付かない。
「そ、それはそれは……しかし、やっぱり、相手は男性で?」
言われてサンゴは脱獄囚の顔を思い浮かべる。全員男性で、それも3人で行われた計画だった。このぐらいなら別に言っても良いだろうと判断する。
「ええ。男3人ね」
「男3人ってガチじゃないですかっ! えっ、それじゃ負けたらかなりヤバイんじゃ……?」
確かに、敗けは即刻命の危険に繋がる。昨日激戦を繰り広げたヴァンでさえ直接危害は加えてこなかったものの、心の傷をこれでもかと言うぐらいに踏みにじられたのだ。あのまま心が壊れていたらどうなっていたのか、想像に難くない。
「一回でも負けたらそれこそかなり危ないわね。現に昨日やったときも言葉攻めで嫌なことを赤裸々に……」
――赤裸々って服ひんむかれたことに対する比喩で使うんでしたっけ!?
言葉を額面通りに受け取ってしまい、火蓮の勘違いは続く。
「あ、身体的には大丈夫よ?」
「そうですか~、なんて言える状態じゃないですよ!? その場合、むしろ心の傷の方が心配なんですが!?」
的を射ているようで射ていない火蓮の言葉であるが、サンゴには思い当たる節がある。心の傷はそれこそ先日の戦いで抉られた直後であり、そのことでサンゴは辛い過去を思い返してしまった。一樹の言葉を受けて過去のできごとと向き合う決心をしたとは言え、すぐに変われるとは思っていない。自分が気付いていないだけで、人から見れば今でも過去のことを引きずっているように見えるのかなと勘ぐってしまう。
「カレンちゃん鋭いわね……それとも、そう見えるのかしら?」
「い、いえ、むしろそんなお辛い経験をされたとは思えないぐらいに明るかったんですけど……でも、本当に辛いことがあったんですね」
言われてサンゴの脳裏には過去の記憶……昨日思い出して泣いてしまった母親の最期の記憶が甦る。しかし、一樹から学んだのだ。過去から逃げるのではなく、それを糧にするべきだと
「そうね……あれは、心が折れたわ」
「そりゃ折れますよね……心中お察しします。純粋な乙女なら誰でもそう思いますよ」
轟音と共に大通りをトラックが走り去り、サンゴは「純粋な」以降の言葉がよく聞き取れなかった。
「ありがとう、カレンちゃん」
「いえいえ……それで、その、警察にはもうご連絡を……?」
「いいえ。自分の手でどうにかしてやりたいから」
すでに火蓮に脱獄囚のことを伏せていることなど頭から抜け落ちてしまい、思いの丈を直接ぶつける。幸か不幸か、勘違い状態がいまだ続く火蓮には直接は伝わっていないのだが……。
「な、なにがそこまであなたを駆り立てるのですか? ご自分のためにも、あまり無理なさらない方が」
「大切な人の仇ね。奴らに傷つけられた、あの人の……」
つい熱くなってしまい言わなくていいことを言ってしまうサンゴ。しかし、最初から話を誤解していた火蓮は、"傷つけられた"と言う言葉の意味すら違う意味で捉えてしまう。
――どうしよう、メチャクチャ重い話じゃないですか!?
「そ、それで相手に勝ったらどうするおつもりで?」
「決まってるわ、あいつら全員ブタ箱に……あっ!?」
ぽたぽたと垂れる雫の冷たさが、サンゴの意識を戻す。気付けば手元のかき氷が溶け、ドロドロの赤い液体になっていた。冷たさが残る液体の感触はサンゴの意識を冷静に戻すには充分だった。
――しまった、あたし何をさっきからペラペラと!?
つい怒りにまかせて口走ってしまった内容を思い返して口を押さえるも時既に遅し。肝心な部分は口にしていないとは言え、のっぴきならない事情が裏側にあることは明白だった。
「あ、あのカレンちゃん? ごめん、あたしなんか変なこと――」
「サンゴさんっ!!」
火蓮はシロップでドロドロになっているサンゴの手を迷うことなく掴み、いつにない真摯な瞳でサンゴを見つめる。
「復讐なんですね……アタシ、復讐なんてしてほしくない、って意見なんですけど今回に限っては止めません! アタシに手伝えることがあったらなんでも言ってください!」
火蓮からすれば、溶けているかき氷すらも彼女の強い想いの表れとしか思えなかった。実際、サンゴの想いはかなり強かったのだが、しかし火蓮が思っている意味とはまったく異なる物である。
「ダメよ、危険な目に会わせるわけにはいかないわ」
「いいえ、サンゴさんのピンチを見捨てるなんてアタシにはできません」
「でも……素人がどうこうできることじゃ」
「大丈夫です、役なら一通り覚えてますから」
「えっ?」
「えっ?」
ようやく彼女達は会話が食い違っていることに気がついた。