幕開き
やぁ、初めまして。で、良いのかな? そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるかもしれない。そもそもこの初めましてという挨拶自体、僕はあまり好きじゃない。本当にその人間と会うのが初めてなのかどうかなんて分からないだろう? 例えば、今日という日に出会った人物を全員思い浮かべてごらん? 日付が変わったばかりで今日は人に会っていない、はたまた本当に今日は人と出会ってない、と言う人だったら昨日でも良いし、それでもないようなら一昨日でも良い。
えっ? それでも人に出会っていない……? まあ、それならそれでも良いや。そう言う人は今までの記憶を頼りにしてくれ。最後に友人なり恋人なり家族なり、誰かに会った時の事で良い。その日のことを思い返してごらん? 思い返したかな? 思い返せない人、はたまた人と今まで出会ったことのない人には言わせてもらおう、初めまして。自己紹介につなげるのが流儀だろうけど、ちょっと自己紹介は後回しにさせてもらうよ。
さて、それ以外の人は思い浮かべてごらん? 浮かんできたかい? 浮かんできただろう。全員思い浮かんだかな?
不完全だ。
大声を出しちゃってごめんね? 別に不完全が悪い事じゃない。人間は、ひいてはすべての生物は不完全なんだ。完全を目指し、完全に憧れるのが人間だけど、それは不完全であることの証だ。むしろ不完全であることは胸を張ることだろう? だから気にしないで欲しい。
話を戻そう、僕が言いたいのは君が覚えているだろう人に出会った記憶だけじゃ不完全、ってことだ。そんな人は覚えていて当然だし、初めましての挨拶を既に交わした間柄だろう? そう言った人物は真っ先に思いつくだろうけど……はたして、本当に君はその人だけに会ったのかな? 思い返してごらん?
すれ違ったあまり面識のない近所の人、立ち寄ったお店でいらっしゃいませと声をかけてくれた店員さん、店内で物色していたお客さん、商品をバーコードに通してくれた会計の人、待ち合わせ場所に決めていた駅前で自分の前を通り過ぎていった多くの通行人、友人と向かったレストランで席を陣取る若者や老人達、……挙げればキリがないと言う事はお分かりいただけただろうか?
今日が登校日、通勤日だった人でもその最中に多くの人とすれ違っただろう? はっきり覚えてなくとも、でも確かにすれ違っただろう? そう、人は意識の外にある人なんて気付かないものさ。だから、本当に僕と君とが初めましてかどうかなんて分からない。もしかしたらすれ違ったことがあるかも知れないじゃん? もし、その人にとって僕が……要するに関係ないと思い込んでいる君自身が特別な目を向けられていた場合、その人に向けて初めましてと挨拶するのは相手を侮辱することになる。君から見れば相手は取るに足りない人かもしれないけど、相手からすれば君はかけがえのない人なのかもしれない。
初っぱなから訳の分からないことを喋ってごめんね。どうも話が冗長になりがちなんだよ。何故だろう、分からないけど考えている内に話が飛躍してしまうんだ。これは当てはまる人も多いんじゃないかな? 最初は思いつきもしなかった事を会話を続ける度に、考えを深める度に思いつく……まあ、人間なにが契機になるかわからないって一例だよ。だから色々と興味を持って挑戦することには意味があると思う、っとまた脱線しちゃったね。失敬、おしゃべりも好きだけど、僕はどっちかと言えば読んだり聞いたりする方が大好きなんだ。
申し遅れたけど、僕の名前はスペクタ。フランス語のスペクタトゥール(spectateur)からとった名前で、意味は観客さ。僕が自分で付けた名前だよ、可愛い? かっこいい? オシャレ? 中二臭い? どんな感情を持ってもらっても構わないけど、僕は気に入っている。あっ、でも結構語感良くて可愛いでしょ? これでも女の子だからそういう感想の方が嬉しいんだ♪
♪とか気持ち悪っ……閑話休題。本名もあることはあるんだけど……まー、ここはカッコつけて過去は置いてきた、とでも言おうかな? おっと、こういうこと言うと烏飼一樹くんから説教喰らいそうだね。過去の考え方なんて人それぞれなんだし、あまり口出しされたくはないんだけど……まぁ、いっか。
そう、僕は烏飼一樹くんを知っている。それだけじゃない、脱獄囚を追ってきたマジメなサンゴちゃんや、一樹くんの親友の後藤七曜くん、年がら年中マフラー巻いてる謎多き少女の木下火蓮ちゃん、後は《邂逅》の敵役だったヴァンくんかな? もっと言っちゃえば名前だけが出てきた犬のケパロスやら、一樹くんの過去に出てきた謎の男、後は一樹くんのいとこである雨宮八雲くんとかね。全員知っているよ。ただ、向こうは僕を知らないだろうけどね。
それもそのはず。僕は、物語の読み手でしかないんだ。読み手、読み、43……あっ、この数字にピンと来た? 分かんなかったら今すぐ画面をスクロールするなり、スワイプするなりしてちょっと上を見てくれれば……まあ、別にしなくても良いよ。この発言から分かるかも知れないけど、僕は君たちに話しかけられる存在だ。所謂、"第4の壁"を突破した人物とでも言えば良いのかな? どうでも良いけどこれ、「だいしのかべ」って読むんだね、長いこと「だいよんのかべ」だと思い込んでたよ。そして、この記事のタイトルにある「幕開き」にしても「幕開け」の誤字じゃない。「幕開き」ってのが本来の演劇用語らしい。
まあ君たちに話しかけていることへの説明はどうでも良いし、察しの良い方なら気付いてただろうからこの辺にしておこう。大事なことは、僕は"観客"だってこと。君たちと同じ、"この物語"の読み手なのさ。僕がどういう存在なのか興味をもってくれた人がいたら嬉しいけど……残念ながら、僕の"物語"はとっくに終わっているんだ。名前を捨てたってのはそう言う意味も含まれている。だから前もって言っておこう、僕が名もなき物語や秘語に出ることはない、はずだ。曖昧な言い方なのは、僕はあくまで読み手でしかないから、つまり未来が見えているわけではないんだ。だからこの先どうなるのかは分からないんだよ。ただ、スペクタたる僕は絶対に出ない。
ただ……僕と君たち読者が違う点というのは確かに存在する。それは、僕は"この世界"における過去のできごとをすべて知っているという一点だ。どういう意味かって言うと、現在、《邂逅の物語》が終わった時までのことはすべて知っている。だから、一樹くんが記憶を失ったあのときのことも知っている。七曜くんが起こしたらしい3年前のできごとだって知ってるし、サンゴちゃんが母親を失った時だって知ってる。火蓮ちゃんがマフラー好きな理由も知ってるし……おっと、あまりこれ以上言わないでおこうか。もっと言えば、今"名もなきの世界"……以降、"この世界"と言わせてもらうね。"この世界"で起こっている別の"物語"……少しだけ触れてみれば、修羅道で起きている物語や、人間道の別の場所を舞台にした物語も知っているよ。
えっ、《衝突の物語》? あれは僕、まだ読んでいないから分かんないよ。でも喜多村音和ちゃんのことは分かるよ。彼女がサンゴちゃんと出会ったらどうなるか……うん、読めるけど読んでないや、なんちゃって!……ごめん、今のはないね。ともあれ、いずれしっかりと語られる機会があるだろうし、その時で良いよ。
まとめようか。僕、スペクタは"この世界"……それも、六道と魔界に住まうすべての人の"物語"を知っている。ここでようやく最初の話に繋がるんだけど、君自身や、君が今日何気なくすれ違った人々……それだけじゃない、すべての人々は物語を持っているんだ。君たちの世界だけじゃない、"この世界"でだって言えることだけど、すべての人々はそれぞれ自分だけの"物語"を持っているし、描いている。今だってどこかの"物語"が産声を上げているし、どこかの"物語"が幕を閉じた……人の数だけ"物語"は存在するんだ。
世界中に散り張る"物語"は膨大だ。本編たる"名もなき物語"ですべてが語られるかと言えばそうじゃない。本編だけじゃ書ききれない話は山ほどある。そこで設けられたのが、外伝シリーズたるこの"名もなき秘語"だよ。言うまでもないがこの"秘語"を持ってしてもすべてが語られるわけじゃない。すべてを語ろう物なら……とてもじゃないが、作者である白カギが一生をかかっても書ききれないだろうからね。ごく一部、だが少なくとも本編で語りきれなかった主要キャラの秘めた"物語"ぐらいなら、きっと書いてくれるさ。
えっ、白カギ? んなこと知るか、って?……まあ、"観客"として僕という存在を生み出したんだ、そのぐらいは頑張れ。
無論、僕からすればここで語られる話は読んだり、見たことのある話ばかりさ。先はすべて知っているんだけど……でも、未来の分かった話を読むのもまた一興。別の側面に気付くことだってありうるからね。
そして、僕、スペクタはあくまで"観客"だよ。"語り手"じゃないんだ。だから未来が分からない"物語"はおろか、"秘語"ですら僕は"観客"に徹するまでさ。お芝居は最後まで黙ってみるのがマナーだろ? こうやって幕開きとか、"秘語"の間である幕間、いずれ訪れるかも知れない幕切れの時にちょくちょく顔を出すだけだ。なにが言いたいかって言うと地の文は僕の主観でも客観でもない。大事かどうかは分かんないけど、一応そこだけ誤解のないように。
……長々喋ってしまい、申し訳ない。僕の自己紹介や、この"秘語"の意図を伝えたかっただけだ。
最後に1つ……僕は人の"物語"を読むのが大好きな変人さ。どんな人の"物語"だって違う輝きと美しさがある。えっ、綺麗なだけが物語じゃないって? 綺麗とは一言も言ってないよ、ただ"輝いていて美しい"って言っただけさ。いかなる生き方をしていようとも、それは一つ一つ確実に違う。そして、人には言えない生き方であろうと後ろめたい生き方であろうとも……その人生は美しいんだ。主観はそうじゃないかもしれない、けど客観的に見ればどんな"物語"も美しい。道徳的な事を言うのは好きじゃないけど……君の人生だってたった一つの物なんだよ? だから、簡単に終わらせようとかそう言う無粋なことは思わないで欲しい。
読める未来でも、その読み通りに進むだけが"物語"じゃない、だろ?
……"観客"のくせにでしゃばるなって? それもそうだね。そろそろ僕は一旦黙ることにするよ。
それじゃあ、"秘語"の幕開けだ。最初の題目は《邂逅の物語》の後日談、Memoryだ。主人公は烏飼一樹くん……ではなく、サンゴちゃんだ。本編では語られない彼女の秘めた物語、一緒に読んでみよう。