死ぬほど痛い
大学の文芸部で発表したものです。
村には小さな公園が一つだけあった。それ以外に子供が遊べるような場所はない。公園と言っても、中にあるのは砂場とブランコと滑り台、数十年も前からずっと、ここにはその三つしかなかったそうだ。もっと遡れば、少しは遊び甲斐のある遊具もあったのかもしれないが。ただ、そんなちっぽけな公園でも、子供たちにとっては大切な遊び場だったりする。
南から西へと日差しが徐々に高度を下げ始める頃、公園には駆けまわる小学生の男の子が四人。鬼ごっこなのか、追いかける一人に対し、三人が逃げ回っている状態だ。
「くそー、待てよこのっ」
追いかけているのは四人の中でも一際大柄な少年、斉藤だ。手には金属製のバットをもっている。それを振り回しながら、逃げる三人を捉えようとするが、なかなか捕まらない。体格のせいであまり足が早くないということがひとつの要因。もうひとつは、三人の動きに翻弄され標的を一人に絞りきれないこと。全員を追いかけようとして、結果誰にも追い付くことができないという状況だ。一人を追いかけようとすると目の前を別の一人が横切り、そちらに目標を定めた直後、また別の一人が眼前を通り過ぎるといった塩梅に。
「ほんと、ディムは引っ掛けやすくて助かるよ。よし皆、次は散開だ」
逃げる三人の内、司令塔のような役割を果たしているのが曽我だ。曽我は脚が速い上に頭も切れる。学校の成績も、四人の中では最も優秀だ。一緒に逃げる濱長、浅尾の二人は曽我を頼りきっている。曽我に任せておけば、斉藤に捕まることもないだろうと。そして曽我自身も、捕まるような気は全くしていない。
「浅尾は入口の方へ、濱長は砂場の辺りだ。僕は滑り台の後ろに回り込む」
三人は曽我の指示通りに散開する。案の定斉藤は誰を追うべきか決めあぐねていた。曽我は我が意を得たりと、更に指示を飛ばす。
「よし皆そこで止まれ。ディムが来たらフェンス沿いに逃げるんだ」
そうすると、いよいよ斉藤が狼狽し始める。今の指示だと、右から攻めれば反対へ、左から攻めればそのまた反対へという風に、先回りができなくなってしまう。曽我の指示は、特段作戦と呼べるほどのものではないが、それでもあえて斉藤に聞かせることで困惑させようとしたのだ。実際鬼ごっこなのだから、どの方向に逃げようが、最後には足の早さがモノを言うのであまり関係はない。
斉藤は鬼になった時点で、相手に曽我が居る以上勝ちはありえないだろうと思ってはいた。しかし、ここまでいいようにされてしまうとは考えてなかったため、次第に腹立たしさを感じてきた。こうなったら、手段は選んでいられない。
斉藤は砂場の方に向かって思い切り駆け出した。それに気づいた濱長は指示通りフェンス伝いに逃げる。斉藤から向かって右方向、浅尾のいる入口の方向へと。そして逃げながら、斉藤とどれくらいの距離を取ることができたか確認するために振り返った時だった。
斉藤は砂場の砂を目一杯ひっつかみ、それを濱長の顔めがけて投げつけた。濱長は反射的に目を瞑るも一瞬遅れ、口と目に多量の砂を食らってしまった。
「わあ!」
濱長はその場に倒れこみ、閉じた瞼の間から涙を流しつつ咳き込む。斉藤のあまりの行動に、他の二人は非難の声を上げる。しかし斉藤はそれを聞こうとはせず、倒れた濱長の腹にずんっとのしかかった。
「よっしゃ! オレの勝ちだぜ」
身動きがとれなくなった濱長は、数瞬手足をバタつかせた。しかしこの場では、斉藤の大きな体が功を奏した。残った二人は、捕まってしまった濱長を救出しようにも、近づくわけにも行かずただ眺めているしかないようだ。
濱長は観念したように抵抗をやめた。濱長がこの鬼ごっこで負けるのは初めての経験だった。負けた友人を何度か見てきたため、嫌だなぁという漠然とした不快感だけが広がっていく。だが同時に、初めての体験に少しワクワクしている面もある。卑怯な方法を使った斉藤を許すことはできないが、多くの友人達が体験していることを、自分もまた体験するということに関しては悪い気はしない。
そして、濱長が覚悟を決めたと同時に、斉藤は手に持った金属バットを思い切り振り上げた。
◯
「おい皆、ケイドロ来たよ。早く出ようよ」
近づいてくるサイレンの音を聞きつけ、浅尾が叫んだ。これにより、今日の遊びはここまでとなる。決着が付いてから、約五分後のことだ。
鬼ごっこ自体はそれほど長い時間できなかった。思いの外決着が早く着いてしまったからだ。日はまだ高い。だからといって、このまま公園に留まるわけにもいかず、三人に帰る以外の選択肢はない。
公園の中心では、憤慨した曽我が斉藤を怒鳴りつけている。目を潰すなんて卑怯だ、失明したらどうするんだ、と。斉藤も最初のうちは、オレが勝った以上結果的には変わらないんだからいいじゃないか、と反論していたが、曽我のあまりの剣幕に気圧され、今では反省の色を見せている。
浅尾が曽我をたしなめ、再度公園を出るように促す。曽我もそれ以上は何も言わず、浅尾に同意した。このまま公園にいては不味いことくらい、皆承知している。
「そういえば、濱ちゃんがやられたのって何分くらいだった?」
「十四時四十七分三十五秒だよ。だいたい十七分半の“ロスト”になるね」
浅尾が問い、曽我が答える。濱長の負けを確信した時、曽我は時計をチェックしていた。
更にサイレンの音は近づいてくる。そろそろ本当に撤収しないと、ケイドロに見つかってしまえばただでは済まない。斉藤は、ケイドロから逃げることもまたこの鬼ごっこの一環と考えているが、他の二人はそんなスリルは求めていない。特に曽我は、万が一にも自分の成績や内申に疵がつかないよう、そのあたりはかなりシリアスに考えている。たかだか遊びで将来に影がさしたりしたらたまらない。
斉藤、曽我、浅尾の三人は公園を後にし、各々の自宅へと帰っていった。
◯
夕食時。食卓には曽我とその両親の三人がついていた。曽我の父は仕事の都合上、帰宅時間が不定期になってしまうため、共に食卓を囲めないことが多々ある。そのため、今日のように家族皆で夕食を取ることは珍しかったりする。
しかし、なぜだか部屋の空気はどこか重々しい。特に、父の表情には陰りが見られる。曽我もその事に気付いてはいたが、なるべく意識しないようにしていた。今日は折角好物の唐揚げが並んでいるのだから、楽しく食事をしたいところだ。
いただきます以降、長い間沈黙が流れている。母が時折、父に視線を送る。そこで観念したように、父は沈黙を破った。
「なぁアレックス。お前今日の昼、学校が終わってから何してた」
「なにって……公園で友達と遊んでたよ」
曽我は危うく箸を取り落としそうになった。
父の声からは深刻さが伝わってくる。ひやりとしながらも、なんとか平静を装う曽我。だが恐らく、そんな質問をしてくるということは、父はもうすでに知っているのだろう。ごまかそうとも思わないが、あえて自分から申告する必要もないと考え、曽我はそれ以上何も言わない。
再び、僅かな沈黙。
「近所の人がな、お前と友達が公園から走って出て行くのを見たっていうんだよ。その後、警備用ドローンが公園の中に入っていくのも。それで時間と場所をローカルアーカイブを照会したら……」
ここから先は言わないでもわかるな。
焦りを通り越し、もはや落胆する他ない。迂闊だった、とも思わない。他人との関係性が気迫になってきたという昨今において、子供のイタズラを見過ごせなかったその近所の人というのも、なかなか殊勝な人物ではないかとさえ感じる。全ては身から出た錆。説教くらいは仕方ないだろうと観念する。
きっとアーカイブには、公園での出来事が『事案』として記されているのだろう。
「やったのはお前か?」
「僕じゃないよ。討ち手はディムだったからね。僕も他の二人も鬼だったから」
「鬼?」
「鬼討ちごっこだよ。討ち手と鬼にわかれて追いかけ合うゲームだよ。逃げるほうが鬼ね。討ち手に捕まった鬼は、その場で討たれる。今学校で流行ってるんだよ。皆やってる」
鬼ごっこという遊びは本来、鬼が追いかけて他の者が逃げる。それを自分たちなりに発展させたのが鬼討ちごっこなのだと、曽我は言う。鬼が一人討たれた時点で、それを察知したケイドロが現場に駆けつける。そのため、長く続けられる遊びではないが、臨場感はひとしおだ。討ち手には武器をもたせる。その外見が凶悪であればあるほど、逃げる鬼側の真剣度を増すのだ。VRゲームが主流の今だからこそ、こういう肉体を使ったゲームが熱い。父さんも小さい頃には鬼ごっこぐらいしたんじゃないかな。それを少しスリリングにしただけだよ。殊更悪びれる様子もなく、むしろ誇らしげに語る曽我を、呆れた様子で両親は見ていた。なんて野蛮な遊びを思いつくのか、と。
「お前たちのしたことは立派な犯罪行為だ。わかっているだろう」
父は少し語気を強めて曽我を叱りつける。曽我自身、決して褒められるようなことをしたとは思っていないため、皆やってるんだからいいじゃないかという言葉を飲み込む。
LED照明の光が妙に白々しく感じられる。まるで大昔の刑事ドラマにある取り調べシーンのようだと、曽我は思った。
「お前がどう考えているかは、何となく分かる。だがな、人倫に悖ることを、人としてやっちゃいけないことをお前はしたんだ。明日、相手の子の家に行って、誠心誠意ちゃんと謝ってきなさい。父さんも付いて行ってやるから」
「……はい」
それはつまり、明日父は仕事を休んでまで曽我に同伴する、ということ。じわりじわりと、胸のうちに罪悪感が広がっていく。曽我はようやく、事の重大さを理解しつつあるようだった。仕事一筋だった父にそこまでさせてしまいほどのことを、自分はしてしまったのだと。
直接手を下したのは斉藤であったが、その場に自分もいたことに変わりはない。それどころか、これまでには何度か曽我自信が討ち手となり、鬼を討伐したこともある。しかし、これはそういうルールの遊びなのだといって、謝るようなことは一切してこなかった。
これまでの己の姿を省み、恥じ入る曽我。口に運んだ唐揚げは、あまり美味しいと感じられなかった。
◯
全長二メートル程度の乳白色のカプセルと、その横に備え付けられた約二十インチのモニタ。部屋にはそれらが二十四セット整然と並んでおり、それ以外のものは存在しない。壁も床も真っ白で、人の姿や塵や埃の類は全く見当たらない。病的なまでに潔癖な空間。さながら、SF小説のコールドスリープ施設のようだ。
カプセルの一つ一つが、ゴゥン……ゴゥン……という微弱な駆動音を発している。現在はその音だけが、この空間を支配している。モニタはカプセル内のステータスをめまぐるしく切り替えながら表示している。おおよそ目視で追いきれるものではなく、他人に情報を伝達するための表示とは思えない。唯一、画面下部に表示されているパーセンテージバーだけが平易な情報として一定のスピードで上昇を続けている。
並んだカプセルの内一つが、アラーム音を発した。モニタには『complete』の文字とともに、百パーセントに達したバーが明滅している。カプセルの側面からガスが噴出し、内部の気圧を下げていく。そして再び幾ばくかの静寂の後、カプセルを囲むように黒線が走り、ゆっくりと開いていった。
果たして中から現れたのは濱長だった。カプセルの内部は琥珀色の培養液で満たされているため、濱長の全身は粘液まみれとなっている。
濱長はカプセルから降り、部屋に唯一ある扉の方へ歩き始める。目は虚ろで、足取りも覚束ない。まるで夢遊病患者のようだ。 センサが濱長を感知すると、扉は自動で開いた。
カプセルのあった部屋を出ると、そこはすぐシャワー室となっていた。濱長が入ってくると同時に、壁、天井、床に備え付けられているシャワーが水流を噴射した。培養液が洗い流されていく。全身に冷水を噴射されているはずだが、濱長は特に何かを感じている様子はない。未だ体に感覚が追いついていない証拠だ。
シャワー室を出ると、今度は乾燥室が現れた。濱長が入室すると、温風が彼を包み込んだ。この頃になって、ようやく意識が明瞭になってくる。と同時に濱長は徐々に実感を強めていった。
――そうか、僕は死んだんだな。
そのまま芋づる式に記憶が蘇っていく。思い出されるのは、公園。曽我、浅尾、斉藤、濱長の四人で訪れた。そこで鬼討ちごっこをしようという話になって……それ以降が判然としない。だがこうしてここにいる以上、自分が鬼の役となり、討ち手に討伐されたのだということは確実だ。あまり実感を得られないまま、濱長は自分が負けたのだという事実だけを受け入れていく。
乾燥が終わると、壁の引き出しが自動で開いた。そこには薄手の病衣が収まっている。それを着ると、出口の扉が開いた。病衣のサイズはぴったりだった。
そこはカウンセリングルームのようだった。
部屋の中央にテーブルと、その両脇に一人がけのソファ。片方には白衣を着た若い女性が座っている。カウンセラーなのだろう。テーブルの上に小型の出力デバイスが見える。恐らく、指向性のホロディスプレイが彼女の目の前に投影されているのだろうが、濱長からそれは見えない。
「えっと、濱長ジョージー君ね。どうぞ、座って。調子はどう?」
女性に促され、濱長は対面のソファに掛ける。美しい女性だ。濱長がここに来るのは初めての事だったため緊張が多分にあったが、女性の顔を見ていると少なからず落ち着きを取り戻すことができた。濱長個人の嗜好というより、もっと根源的な男性性のようなものを刺激するような、そんな魅力。恐らくは母性。年齢を問わず、男性であれば誰しも、この女性に対して安心感を覚えざるをえないだろう。一目見ただけで濱長はそんな印象を、この女性に抱いた。
「はい、大丈夫です」
「濱長くん『蘇生』は初めてよね。一応説明しておくと、二一六四年十一月一日午後二時四十七分三十五秒、当局があなたの死亡を確認しました。死因は頭部外傷。これにより、死亡現場最寄りの蘇生施設である当院が、あなたの『蘇生』を承りました。記憶は定期アップロードの『本日午後二時三十分』のものを、肉体は前回サンプリングされた『二一六四年九月一日午前一一時』のものを『復元』させていただきました。肉体の方はきっと、夏休み明けの定期健診のものね。記憶と肉体に約二ヶ月のギャップがあるけど、違和感とかはないかしら?」
そう言われて軽く体を確認するが、特におかしいと感じるところはない。クラスメートの中には、死亡後に半年も前の体を復元されて困惑したものもいたが、二ヶ月程度ではそれほど変化はないようだ。
女性の説明を受け、いよいよ濱長は自分が臨死したことの実感を覚えてくる。体そのものに違和感はないが、今のこの肉体と精神が、つい先程まで生活してきたと感じているものとは別物だと考えると不思議な気分だ。肉体は、学校の定期健診の時にサンプリングされたものを参考に形成されたもので、記憶は十五分毎にリアルタイムでクラウドにアップロードされるものをインストールしただけだというのだから驚きだ。生まれた瞬間から地続きに感じている肉体と精神が、実は先ほどのあのカプセルの中で形作られたものだなんて。
濱長が生まれるよりもっと以前、『蘇生』の技術が確立していない時代には、人の命を奪うことは重罪だとされていた。しかしこうして容易に、迅速且つ安価に体と心が復元でき、死が身近なものになったことで、殺人罪というものはその重さをはかりしれぬほどに軽くした。子供が思いつきで鬼討ちごっこなる遊戯に興じるくらいには。
濱長が思案に耽っていると、女性は心配そうな面持ちを向けてきた。
「最初はだれだって戸惑うわよね。それも、よりによって殺人だなんて。なにか気になることがあったら遠慮なく聞いてね。そのために私が居るのだから。肉体の生成や洗浄は自動化できても、心を扱うのは私たち人間の役目なの。これはどこまで行っても機械には任せられない。人間を相手にするのはいつだって人間なの」
女性は、万人に安らぎを与える笑顔で語った。
この女性もきっと、今までに死を経験したことがあるのだろう。彼女も僕と同じなんだ。人間を相手にするのはいつだって人間という言葉が、なんだか少し可笑しく感じられた。
「いいえ、問題ありません。少し考え事をしていただけです。学校には死んだことがある友達も沢山いましたし話も聞いたことがあったので、別に戸惑ってたわけじゃありませんよ。むしろ少し嬉しいくらいです。こうやって『蘇生』を受けたことで、そんな友達と同じ体に成れたんだって思えますし」
「そう、なら良かったわ。ご両親が迎えに来てるわよ。必要な手続きはもうすでに済ませてもらってるから、早く元気な顔を見せてあげてちょうだい。警備用ドローンが回収した衣服は更衣室においてあるわ」
濱長への特段のメンタルケアは必要ないと判断した女性は、退院を示唆した。濱長自身はもう少しこの女性と話していたい気分だったが、両親を待たせるのは悪いし、濱長が退院しなければ後続の蘇生者がカプセルを出れないことを知っているので、素直に従うことにした。
現代の社会において、すべての人間の寿命は八十歳までと決められている。八十歳に至るまでは、重病を患っても、大怪我をしても、即座の『蘇生』が約束されている。寿命を迎えた瞬間に記憶・肉体のデータはアーカイブ上から抹消されるが、それまでは文字どおり不死の身となるのだ。命の尊さが失われたわけじゃない。むしろ、外的要因の死を克服した人類は、一人ひとりが平等に尊い生を得られたといえる。
濱長は過去の書物――『蘇生』技術が確立されるより以前、死が生命にとって最大に忌避すべき恐怖だとされていた時代――を思い返した。そして、最後に女性の方を振り返り、
「本当に、すばらしい世界になりましたね」
そう言ってカウンセリングルームをあとにした。濱長を見送ったあと、女性は小さく「そうね」とつぶやいた。
更衣室には、確かに公園で来ていた服が用意されていた。それに着替え、最後に靴をはく濱長。先ほどまで履いていたはずの靴なのに、それは自分の足より少し大きく感じられた。