蛍の光
「俺らもさ、なんだかんだ言って卒業だな・・。」
僕らのリーダー格・アキトがしみじみと呟いた。柔道部に所属しているので、ガタイがいい。だからなのか、アキトの声は腹に響くほどに低くて、重い。
そんな哀愁めいた事は絶対に言わないアキトだから、みんな口を大きく開けて驚いている。特にマドンナ格・ユリは、訳が分からないという風に首をかしげている。キョトンとした顔でも、ユリは可愛く見える。
「どうしたの、アキトくん。そんな泣き言、貴方の口からでるなんて・・。」
「嵐か竜巻か、はては日食かな?」
この中で一番の秀才・トオルがカタカタとパソコンをいじりながら呟く。トオルは昔からピアノを習っているから、キーボードの上を走る指はとても華麗だ。そこらの女よりかは、トオルの手の方が綺麗に見える。
僕はずり下がってきた眼鏡をなおし、鞄の中からスティックを取りだした。そして静かに8ビートを刻む。ツツタツツツタツ、ツツタツツツタツ。
ここにいない、僕の大好きだったトモキさん。僕がトモキさんに教わった、唯一のリズム。
トモキさんは、僕らと共に卒業できない。なぜなら。もうこの世には居ないから。
「ねぇ。」
スティックの先しか見ていなかった僕は、ユリが目の前まで迫っていることに気が付かなかった。サラサラの髪をかき上げ、ユリは少し潤んだ瞳で僕を見ていた。僕はそれだけで、全てを悟った。
部屋の奥に置いてあるドラムセット。僕らだけが持つ、トモキさんの形見。僕はそれにかかっていたシートを避け、簡単に埃を落とした。
瞬間、そこに座るトモキさんの残像を見た。不味いと言いながら煙草をふかしていた。『お前らなんか大嫌いだよ』と言いながら、いつも笑っていた。喧嘩して顔に傷をつくっても『これが男の勲章ってヤツだ』と自慢げに言っていた。
不覚にも、涙が出そうになった。でも絶対に泣かない。それが、トモキさんとの約束。
『ケンはいーっつもつまんねぇ事で泣くからよ、俺の事では泣かないでくれよ?じゃないと、俺の存在が"つまんねぇ事"になっちまうだろ?』
いつも笑っていた。あの時も。死の直前も。
いつも健康なトモキさんが、苦しそうに咳をした。僕はとても心配で、思わずトモキさんに駆け寄った。
でもトモキさんはいつも通りで、
『ただの風邪だよ。ま、俺も馬鹿じゃなかったって事だな。ハハ』
笑いながらそう言うと、トオルがいつものようにツッコんだ。
『でも、馬鹿は夏風邪をひくって言いますけどね。』
『なにぃ〜!?』
そして、いつもの様に乱闘になった。それを止めるのはいつもアキトの役目。僕とユリはただ笑ってその様子を見ている。
その日の夜、トモキさんは肺炎で死んだ。
僕はドラムセットの前に座った。そして、同じように8ビートを刻む。単調なリズム。だけどそこには、思い出がいっぱい詰まっている。
突然、胸が熱くなって手が止まりそうになった。そんな僕を立て直させたのは、トオルのピアノの音だった。
奏でられた曲は、『蛍の光』。
トモキさんがよく口ずさんでいた曲。そして、卒業の曲。
『卒業式って堅苦しいから嫌いで、出たことねぇんだよな。だからサボって屋上で寝転がってるとよ、この曲が聞こえてきてさ。歌詞は分かんねぇけど、メロディーが好きなんだよ。今年はお前らもいるし、人生に一回ぐらいなら出席してやってもいいかなぁ。』
照れくさそうに笑ったトモキさん。そんなささやかな想いも、トモキさんには実現できない。この世はいつだって不公平だと、毎日思う。どうして、トモキさんが死ななければならなかったのか。どうして、いつも死にたがっていた僕ではなかったのか。
視界が涙で滲んだ。ぼやけていく手先。でも手を止めることは出来ない。これは、トモキさんへの弔いの曲。そして、僕達の始まりの曲。
「ほーたーるのひかーり、」
ピアノに加えて、アキトとユリがそれぞれテナーとソプラノで入る。アキトの響く低い声と、ユリの心震わせるような高い声。
声と、ピアノと、ドラム。
純然たる合唱曲だから、ドラムはすこし歪な存在だった。でも、そこに込める想いは一つ・・。
窓の外に、桜の木が見える。チラチラと舞う花びらと共に、僕らの音楽は遠く青い空に滲んでいった。
というわけで、とても季節外れなお話でした。だいぶ前に書き上げたものなので...お粗末さまです。
だーいぶ疎かにしている、もひとつの小説のリハビリ(?)として、あげてみました。