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(これはきっと神様の思し召し……私は試されているのかもしれない)


 海雪はそう思わずにはいられなかった。玄関で靴を履き替えるのさえもどかしくて、片方のかかとを踏んだまま階段を駆け上がっていた。

 結婚に迷い、過去に迷い、思うがままに足を向けたこの母校で、七年前のあの夏──しかもこの日に戻ることが出来るなんて。


(神様は直登とやり直す機会を与えてくれたのかも)


 自然と階段を登る足が軽くなる。プリーツスカートの裾を翻しながら廊下を駆け抜け、通りすがりの教師の叱責を風に流して、海雪は三年C組の教室に飛び込んだ。


「うわっ!」


 突然目の前に現れた白いシャツにぶつかりそうになって、急ブレーキをかける。荒い息を飲み込んで、シャツの上に乗っかっている顔を見上げた。


「あ……」

「海雪おはよ。そんなに急いでどうしたの」


 懐かしくて、それでいてどこか聞き慣れた声。

「直登……」


 彼が、目の前に立っていた。

 今朝の夢に出てきた姿そのままだ。白の開襟シャツに黒の学生ズボン。陸上部で日焼けした顔に部活を引退してから伸ばし始めた髪。柔らかく微笑んだその表情まで同じだ。


(ああ、ホントに戻ってきたんだ……)

 七年前にタイムスリップしたことをしみじみと実感し、胸に熱いものがこみ上げる。直登にあったら話したいことがたくさんあったはずなのに、そのすべてが喉の奥で詰まって出てこない。

(何か言わなきゃ……)

 そう思って口を開こうとした瞬間。


「海雪おはよ! あんたが遅刻ギリギリなんて珍しいわね」


 後ろから声をかけられて、海雪はまた言葉を飲み込んだ。振り返るとそこには友人の千賀子ちかこがいて、その向こうからは海雪を追いかけて息も絶え絶えになった佐緒里がやってくるのも見えた。あたふたしているうちに直登は横をすり抜けてトイレに行ってしまい、もはや話すどころではなくなってしまった。

 でも、まだ今日は始まったばかり。自分の考えが間違ってなければ、夕方まで焦ることはないはず──

 海雪は懐かしい親友たちとの奇妙な再会を素直に喜ぶことにした。

 自分を取り巻く輪の中には今も付き合いのある友人もいれば、もう音信不通になってしまった友人もいる。懐かしさに浸りながらも七年の年月を感じる会話に、海雪はなるべく浮かないよう皆の話に相槌を打つことに専念した。

 急にガラガラッと戸を開ける音がして、背の高い人物が入ってきた。微妙に寝癖の残る黒髪。ネクタイをきちっと締めて、ピンストライプのワイシャツがなぜか少しまぶしい。

 その顔を見て海雪の胸がわずかに疼いた。


「ホームルーム始めるぞー」


 担任の北山だった。確かこの時で二十代半ばだったと思うが、まじまじと見つめると少し疲れたような細面の中にもにじみ出る若さがある。端正ながら陰を感じさせる風貌が女子の人気を集めていたことを思い出した。

 生徒たちは皆のろのろと自分の席に着く。海雪も記憶を頼りに自分の席に着いた。窓際の、直登の二つ前の席だ。

 青空を流れる雲をぼんやりと見つめながら、海雪はホームルームが早く終わるよう祈った。

 簡単な事務連絡だけであっという間に終わったが、北山が教室を出て行くのと同時に別の教師が入ってきた。一時間目はどうやら古文らしい。

 この日に戻ってきたからには、少しでも直登と話をしておきたかったけれど……


(今日をやり直すことができたら──)


 何一つ理解できない古文の授業を右から左に受け流しながら、海雪は漠然と思った。

 今日これから起こるはずの出来事が、自分と直登のターニングポイント──七年間、海雪はずっとそう思い続けてきた。それは後悔とも呼べるものかもしれない。


(今日をやり直すことができたら──未来が変わるのかな?)

 過去をやり直すということは、そういうことなのだ。もしかしたら今の自分は消失し、全く別の、直登との幸せな生活が待つ未来が広がるのかもしれない。


(それでも──)


 海雪は見てみたかった。

 もし──あの時、直登を突き放してなかったら?

 直登とあのまま付き合っていたら、今の私はどうしてる?

 人生に迷ったときには必ず自問していた。その答えが得られるかもしれないチャンスなのだ。


(よし)

 海雪は覚悟を決めた。

 難しいことをうだうだと考えていても始まらない。思うままに動いてみよう。


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