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強く抱き寄せられて、海雪は小さく声を上げた。
背中にまわされた二本の腕が、海雪の身体をきつくきつく縛り付ける。苦しさに喘いだが、不思議な安心感に包まれ、逃げ出そうとは思わなかった。
白いシャツ越しに感じる、男の逞しい胸板と熱い体温。頬を当てただけで激しい鼓動が伝わってくる。耳を当ててじっとその速さを聞いていると、自分の心臓もそれに同調するかのようだ。
ずっと……このままこうしていたい……
身も心も、何もかもすべてこの人に預けて、悠久の時間の中で漂っていたい。
けれど、この人は誰だろう──今更ながらそんな疑問が湧き上がってきて、海雪は胸に寄せていた顔を上げた。
「直登……」
柔らかく微笑んだその表情は、昔と何一つ変わりない。実際よりも幼く見える顔立ちはよくからかいの的になっていたが、少年の無邪気さと青年の勇猛さを同居させた眼差しに見つめられると、それだけで身体が熱くしびれたようだ。
よく見ると、直登は高校の夏服を着ていた。白の半袖開襟シャツに黒の学生服ズボン。顔も変わりないのではなく、高校生当時そのものなのだ。
海雪の知る直登は、高校生のまま時を止めている。
それに引き換え自分は──
夏制服は夏制服でも、若さとはかけ離れた市役所の事務制服。地味なチェックのベストとタイトスカートといういでたち。足元も履き古したローファーではなくヒールのあるパンプスだ。
二十四歳、社会人五年目。現実の自分がここにいる。
海雪が我に返ったのも束の間──直登の顔がゆっくりと近づいてきた。
「ちょ、ちょっと待って直登……あ、あの、私、あの、婚約者が」
きつく抱きしめられているので、少し暴れたくらいではびくともしない。もとより、海雪の抵抗は本気ではなかった。
頭では婚約者がいる身だとわかっていても、心が抵抗できない。近づく唇にその先を期待してしまう。
全部忘れて、流されてしまえ──自分の中の悪魔が囁く。もう抗えない。
直登の腕の中で、海雪は瞳を閉じた。