第二話 昨日敵は、今日の相方
料理闘技の決勝から一夜が明けた。
俺が目を覚ましたのは、王都の中心から少し離れた場所にある小さな料理店の二階だった。
窓から差し込む朝日を眺めながら、昨日のことを思い返す。
決勝の舞台でレオンと向かい合い、この世界では誰も知らなかった親子丼を作った。
そして審査員から告げられた結果は九十八点、優勝が決まった瞬間に響き渡った大歓声は、翌朝になった今でも耳の奥に残っている。
そんなことを考えていると、階下から元気な声が響いてきた。
「カズマ! 起きてるの!?」
「起きてるよ。今行く」
身支度を整えて階段を下りると、一階の食堂ではミーナが王都で発行されている朝刊を広げていた。
俺の姿を見つけた瞬間、ミーナは新聞を両手で持ち上げ、満面の笑みを浮かべる。
「おはよう、カズマ!」
「おはよう、ミーナ。朝から元気だな」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ。見て、これ!」
新聞の一面には、昨日の料理闘技の記事が大きく掲載されていた。
決勝戦を戦った俺とレオンの名前が並び、その中央には昨日の勝負についての記事が躍っている。
さらに、その下には俺が作った親子丼についても大きく取り上げられていた。
『王都料理闘技、謎の料理人カズマが優勝! 未知なる料理が審査員を驚愕させる!』
「ずいぶん大げさだな」
「何言ってるの。昨日の会場、本当にすごかったんだから」
ミーナは昨日の決勝戦を思い出したのか、楽しそうに話し始めた。
親子丼が審査員の前へ運ばれたとき、観客たちは何の料理なのか分からずにざわめいていた。
それが一口食べた瞬間に空気が変わり、最初は冷静に味を確かめていた審査員たちが、二口、三口と匙を進めるうちに完全に料理へ夢中になっていった。
最後には審査員同士で残った料理を取り合うような騒ぎになっていたのだから、確かに新聞が大きく取り上げるのも無理はない。
「それにしても、あの親子丼って本当にすごかったよね。あんな料理、今まで誰も知らなかったんだから」
「日本じゃ普通の料理なんだけどな」
「その日本ってところが、いまだによく分からないんだけど」
「俺も説明しろって言われると困る」
この世界へ来て半年、未だに俺の身の上については、ガルドとミーナにも詳しく話していない。
俺がどこから来たのか、なぜこの世界にいるのか、自分自身でも分からない部分が多すぎるからだ。
ただ、二人はそんな俺を無理に問い詰めることなく、この店で暮らすことを許してくれた。
「カズマ、座れ」
厨房から声が飛んできた。
「今日は俺が朝飯を作ってやる」
声の主は店主のガルドだった。
いつものように無愛想な顔をしているが、厨房には普段より明らかに豪華な料理が並んでいる。
焼きたてのパンに野菜のスープ、香草を使った肉料理まで用意されていた。
「今日はお前の優勝祝いだ。黙って座って食え」
「料理人としては、自分で作った方が――」
「今日は駄目だ」
「即答ですか」
ミーナが笑いながら椅子を引く。
「ほら、カズマ。今日は私たちがお祝いするんだから、素直に座って」
「分かったよ」
俺は言われるまま席についた。
料理を口へ運ぶと、焼いた肉から香草の香りが広がり、じんわりとした旨味が舌に残る。
何度も食べてきたガルドの料理だが、こうして誰かに作ってもらうと、いつもとは少し違って感じられた。
「味はどうだ?」
「うん、美味しい」
「そうか」
ガルドは満足そうに頷いた。
この店には、俺がこの世界へ来たばかりの頃から世話になっている。
半年前、突然この世界へやってきた俺は、右も左も分からない状態だった。街の名前も分からなければ、通貨の価値も分からない。
料理については日本で学んできた知識があったものの、それ以外のことは何も分からなかった。そんな俺を見つけ、この店へ連れてきてくれたのがガルドだった。
事情を聞いたガルドが俺の話を完全に信じたのかどうかは、今でも分からない。
それでも、行く場所がないならしばらくここにいろと言ってくれた。
店の仕事を手伝う代わりに寝る場所と食事を用意してくれる。
それだけで、当時の俺には十分すぎるほどありがたかった。
それから俺は、この店を拠点にして、この世界の料理や食材について少しずつ覚えていった。
酸喰鳥のように日本では見たこともない食材もあれば、銀胡椒のように洞窟の奥にしか生えていない珍しい香辛料もある。
最初は戸惑うことばかりだったが、料理人としてはむしろ面白かった。
知らない食材があるなら、それをどう料理するのか考える。
それだけで、この世界へ来たことに意味があるような気さえしていた。
「それにしても、あの頃のお前からすると、本当に変わったよな」
ガルドが懐かしそうに言った。
「最初にこの店へ来たときは、料理の名前を聞くたびに妙な顔をしてたじゃねえか」
「だって、知らない食材ばかりだったんだから仕方ないでしょう」
「酸喰鳥を見て驚いてたのも覚えてるぞ」
「あれは驚くよ。名前からして普通じゃない」
「今じゃ、その酸喰鳥の卵を使って料理闘技で優勝したんだから大したもんだ」
ミーナが新聞を覗き込みながら笑う。
「銀胡椒も使ったんでしょ?」
「そうだよ」
「洞窟の奥にしか生えてないって聞いたけど、本当にそんなものを料理に使おうと思う?」
「使える食材なら使うだろ」
「カズマって、料理のことになると本当に変だよね」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
三人で笑っていると、店の外から王都の朝らしい喧騒が聞こえてきた。
行き交う人々の話し声に混じって、昨日の料理闘技について話している声も聞こえてくる。
「親子丼って料理を食べてみたい!」
「酸喰鳥の卵を使ってるらしいぞ!」
「そんなに美味いのか?」
ガルドが苦笑する。
「朝から親子丼を作ってくれって客が何人も来たぞ」
「この店に?」
「ああ。もちろん断った」
「なんで?」
「レシピを知らんからだ」
「なるほど」
「それに、お前が作った料理を勝手に再現して客に出すわけにもいかんだろ」
いかにもガルドらしい答えだった。
「でも、これからどうするんだ?」
「どうするって?」
「昨日の優勝で、お前はもう普通の料理人じゃない。王都の有名店から声がかかるかもしれんぞ」
確かに昨日までとは状況が変わるだろう。
料理闘技の優勝者となれば、俺の名前を知る人間も一気に増える。昨日の親子丼をきっかけに、俺へ興味を持つ料理人も出てくるはずだ。
けれど、今の俺が一番望んでいることは別だった。
「俺は、もっと料理勝負がしたい」
俺が答えると、ミーナがすぐに笑った。
「やっぱり」
「何だよ」
「昨日の勝負、本当に楽しそうだったから」
「うん、楽しかったよ」
それは間違いなかった。
レオンは本当に強かった。
王都料理学院を首席で卒業し、三つ星料理人の称号を持つだけあって、その技術は今まで俺が戦ってきた料理人とは明らかに違っていた。
炎鳥という高級食材を使った料理も完成度が高く、正直なところ、あれほどの料理人と戦えたこと自体が嬉しかった。
だからこそ、もっと戦ってみたいと思った。
もっと強い料理人と戦いたい。もっと知らない食材を使いたい。
そして、この世界の料理人たちが作る料理を、もっと食べてみたい。
俺がそんなことを考えていた、その時だった。
店の扉が開いた。
カラン、と乾いたベルの音が店内に響く。
「いらっしゃいま――あれ?」
ミーナが振り返ったが、すぐにその声が止まった。
店へ入ってきたのは、王家の紋章を身につけた騎士たちだった。
先頭に立つ男は店内を見回し、俺の姿を見つけると迷うことなくこちらへ歩いてくる。
「カズマ・タカハシ殿はいらっしゃいますか?」
「はい、俺です」
騎士は俺の前で立ち止まり、正式な礼をした。
「女王陛下より、王宮への召喚を命じられております」
「……女王陛下?」
思わず聞き返してしまった。
昨日料理闘技で優勝したばかりだ。
王宮から呼び出されるようなことをした覚えはない。
それどころか、俺にとって女王という存在は、街で噂を聞く程度の遠い存在だった。
ガルドも驚いたように眉を上げる。
「何の用だ?」
「詳しい事情につきましては、王宮にて女王陛下より直接お聞きください」
騎士はそれ以上の説明をしなかった。
ミーナも不安そうな顔でこちらを見ている。
「カズマ、大丈夫?」
「うん、たぶん……」
「本当に?」
「昨日優勝したばかりだから、たぶん怒られるようなことはしてないと思う」
「そういう問題なのか?」
ガルドが呆れたように言った。
結局、俺は騎士たちに案内され、王宮へ向かうことになった。
王都の中心にそびえるアルヴェリア王国の王宮は、何度見ても圧倒される。
白い石で築かれた巨大な城壁、その内側にそびえるいくつもの塔、正面に掲げられたアルヴェリア王家の紋章、普段の俺なら、料理人として働く店から眺めるだけの場所だった。
その王宮の中を騎士に案内され、長い廊下を抜けた先で、俺は謁見の間へ通された。
奥にある玉座には、アルヴェリア王国の女王が座っていた。
「カズマ・タカハシ、よく来てくれました」
「お呼びいただきありがとうございます」
「昨日の料理闘技、見事でした」
「ありがとうございます」
女王は穏やかに微笑んだ。
「親子丼という料理については、私の耳にも届いています。料理人たちだけではありません。王都の民も大きな興味を示しているようですね」
「そうみたいですね」
「昨日の会場にいた審査員たちも、ずいぶんと興奮していたと聞いています」
「……まあ、かなり気に入ってもらえたようです」
思い出すと少し恥ずかしい。
料理を評価するはずの審査員たちが、最後には器の中身を競うように食べていたのだから。
女王はそんな俺を見て少し笑ったが、やがて表情を引き締めた。
「ですが、今日あなたを呼んだのは、昨日の勝利を称えるためだけではありません」
「……はい」
「三日前、隣国グランディア王国から、我が国へ正式な申し入れがありました」
「グランディア王国?」
「ええ。両国の間には現在、いくつかの外交上の問題があります。その一つについて、グランディア王国から料理勝負によって決着をつけたいという申し入れがあったのです」
「料理で国同士が勝負するんですか?」
「この世界では、それほど珍しいことではありません」
女王の説明によれば、かつて国同士の争いを武力によって解決していた時代に、多くの犠牲が生まれた。
そのため、国の威信や外交上の問題を料理によって決めるという文化が長い年月をかけて広がっていったらしい。
もちろん、すべての問題を料理で決められるわけではない。
しかし、両国が正式に合意した場合、料理決戦は外交上の正式な手段として認められているということらしい。
「今回の勝負は、二人一組で執り行われることになりました」
「二人一組?」
「はい。両国から二名ずつ代表を選出し、決められた料理のテーマに従って、一つの料理を完成させます」
俺は少し驚いた。
一人で料理を作る通常の料理闘技とは違い、二人の料理人が互いの技術を理解し、それぞれの長所を生かしながら、一つの料理を完成させる必要がある。
これは料理の腕だけではなく、相手との連携も重要になる勝負だ。
「それで、アルヴェリアの代表は誰になるんですか?」
俺が尋ねると、女王は静かに俺を見た。
「一人は、あなたです」
「……俺?」
思わず聞き返した。
まさか自分の名前が出てくるとは思っていなかった。
昨日の料理闘技で優勝したとはいえ、それはあくまで王都で行われた一つの大会だ。
俺はこの世界へ来てまだ半年で、料理人としての肩書きだって、無いに等しい。
「昨日の料理闘技で優勝したばかりですからね」
「いや、それは分かりますけど……本当に俺でいいんですか?」
女王は頷いた。
「あなたが作った親子丼は、王都の料理人たちがこれまで考えもしなかった料理でした。私はその発想力を高く評価しています」
「そうですか……」
俺はまだ完全には納得できなかった。
料理闘技で優勝したから代表になる。理屈としては分かる。
それでも、国の代表という言葉はあまりにも重い。
「では、もう一人は?」
ようやくそう尋ねると、女王は少しだけ微笑んだ。
「すでに、あなたも知っている人物です」
その言葉と同時に、謁見の間の扉が開いた。
入ってきた人物を見た瞬間、俺は思わず目を見開いた。
「……レオン?」
昨日の決勝戦で俺と戦った男だった。
レオン・グランディス。
王都料理学院を史上最年少で首席卒業し、三つ星料理人の称号を持つ天才料理人。
昨日は炎鳥を使った料理で九十四点を叩き出し、俺の親子丼と最後まで優勝を争った男だ。
レオンも俺の姿を見ると、少しだけ目を見開いた。
「やはり、お前だったか」
「レオンも呼ばれてたの?」
「ああ、俺も王宮から急に呼び出された」
女王が二人を見比べる。
「今回、アルヴェリア王国の代表として選んだのは、あなたたち二人です」
レオンが一歩前へ出た。
「陛下、理由をお聞かせいただけますか?」
「もちろんです」
女王は頷いた。
「今回の料理決戦に向けて、我が国では本来、王宮直属の料理人を代表として選ぶ予定でした」
王宮直属の料理人。
文字通り、この国を代表する料理人のはずだが……
「アルヴェリア王国には、料理勝負を経験した優秀な料理人が何人もいます。しかし、今回の代表候補となる料理人たちは、現在、別任務で国外へ派遣されています。帰還を待っていては、今回の決戦に間に合いません」
そこで、俺たちが選ばれた理由がようやく見えてきた。
王宮直属の料理人がいない。
しかし、隣国との料理決戦はすでに決まっている。
ならば、今この国にいる料理人の中から代表を選ぶしかない。
「そこで昨日の料理闘技です」
女王の視線が俺へ向く。
「私は昨日の決勝戦を最初から最後まで見ていました」
そして、今度はレオンへ視線を移す。
「レオンは、この国の料理を長年研究し、高い技術を身につけている。対してカズマは、これまで我が国の料理人が考えもしなかった料理を生み出した」
俺は黙って聞いていた。
「二人の料理は、まったく違います。だからこそ、組ませる価値があると私は判断しました」
レオンが俺を見る。
俺もレオンを見る。
昨日までなら、こいつは倒すべき相手だった。
料理人として互いの技術をぶつけ合い、どちらが優れているのかを決める相手だった。
それが今日からは違う。同じアルヴェリア王国の代表として、同じ料理台に立つことになる。
「分かりました」
俺が答えた後に、レオンも少し考えてから頷いた。
「俺も異論はありません」
女王が満足そうに微笑んだ。
「では決まりです。カズマ・タカハシ、レオン・グランディス。二人でアルヴェリア王国の代表として、グランディア王国との料理決戦に挑んでもらいます」
「分かりました」
俺が答えると、レオンがこちらへ手を差し出した。
「よろしく頼む」
「こちらこそ」
俺はその手を握った。
昨日は敵だった男と、今日は同じ国のために料理を作る。
不思議な感覚だったが、それ以上に楽しみだった。
「ただし、一つだけ確認しておきたいのですが」
俺は女王へ尋ねた。
「料理決戦は、いつ行われるんですか?」
「決戦そのものは、三週間後を予定しています。そして一週間後、グランディア王国にて両国の代表による顔合わせを行います」
「一週間後にグランディア王国へ?」
「ええ。そこで両国の代表が正式に顔を合わせ、料理決戦の詳細な規定と、当日に使用する料理のテーマが発表されます」
なるほど、つまり、今の段階で何を作るのかを考えても意味がない。
料理のテーマが発表されるのは一週間後、それまでは相手の料理人が誰なのかすら、こちらには分からない。
「テーマが発表されるまでは、どんな料理を作るのか、決めることもできませんね」
「その通りです。一週間後の顔合わせでテーマが発表され、その後、三週間後の決戦へ向けて準備を進めてもらいます」
どんな食材が指定されるのかも分からない。
そして、グランディア王国がどんな料理人を代表として送り込んでくるのかも分からない。
現時点では、分からないことばかりだ。
俺は隣に立つレオンを見る。
昨日、俺が倒した料理人だが、今日からは、俺と一緒に戦う相棒だ。
「レオン……」
「何だ?」
「料理勝負、楽しみだな」
「はっ! お前は本当に、こういうことが好きなんだな」
レオンは少し意外そうな顔をした。
「俺は少し緊張しているがな」
「レオンでも緊張するんだ?」
「当然だ。国の代表として戦うんだぞ」
「それなら、ちょうどいい」
「何がだ?」
「俺一人で緊張するより、二人で緊張した方が気が楽だ」
レオンは呆れたように息を吐いたが、最後には笑った。
「……お前と話していると、どうにも調子が狂うな」
こうして俺は、アルヴェリア王国の代表として、隣国グランディア王国との料理決戦へ挑むことになった。
一週間後にグランディア王国へ赴き、そこで初めて相手の代表と顔を合わせ、同時に料理決戦のテーマが発表される。
それまでは、どんな料理を作るのかを決めることもできない。
「一週間後、絶対に面白い勝負にしよう」
俺がそう言うと、レオンは真剣な顔で頷いた。
「ああ。今度は二人で勝つぞ」
こうして、俺たち二人の新しい料理戦が始まった。
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